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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第15章:七十年前の応急処置〜暫定に、終わりを書け〜
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第164話 次に通る日

 柱の紙は二枚のままだった。


 変わったのは二枚目の罫である。日と番号の右へ細い列が一つ足してある。刷り直したものではなく罫を引き足しただけで、線が定規から少し外れていた。


 帳場から控えが出てきた。主人がいちばん下の行へ今日の日を入れる。名の欄は無い。日だけである。


「三日空きましたよ」


「空きました」


「言づけは出しました。北の宿へ、まだ通らないと」


「出していただいて結構です」


「雨でしたか」


「渡しが二日止まりました。歩けたのは三日目の昼からです」


 主人は筆を置いてから、空いている三つの升を指の背で押さえた。


「ここは消しますか」


「そこは消さずに置いてください」


「通らなかった日ですよ」


「通らなかった日が残っていないと、通った日のほうも読めません」


 一枚目の紙には名が二つ入っていた。


 春に見たときは下の欄が白かった紙である。上に男の名があり、下に女の名がある。役はどちらにも付いていない。


「夏に一人戻ってきましてね。前は冬に核の近くまで歩ける者が一人しかいなかったんです」


「書いたのはどなたですか」


「二人で書き合いました。自分のは自分で書かないと決まっているそうで」


「決まっています」


「妙な決まりだと言われましたよ、寄合で」


「言われるでしょうね」


 主人は貼り直した端を掌で押さえた。糊がまだ湿っている。


「言われましたが、直りませんでした。書いてしまえば早いんですよ」


 継送の便が着いたのは昼前だった。


 荷運びが袋を三つ土間へ下ろして、表の宛先だけを読み上げていく。イルダン宛が二つ。監査院宛が一つ。主人が控えへ番号を写した。


 二つ目の袋の表に、街の名が一つ入っている。夏の卓へ来なかった四つのうちの一つだった。


「開けますか」


「開けません」


「厚みで分かりますよ。止め手の紙です」


「開けなければ分かりません」


 三つ目は監査院宛だった。イルダンの版で刷った札が貼ってある。隅の数字は版の番号で、柱に貼ってある紙へ刷ってあるものと同じ並びだった。


 主人が控えへその番号も写した。写しながら一度だけ手を止める。


「同じ数字が三月ぶん続いてますね」


「続きます。版が変わるまでは同じです」


「変わったら分かるんですか」


「番号が変わります。変わった日が、その控えに残ります」


 荷運びは紐を締め直して肩へ担ぎ上げた。残る三つの街からは、まだ何も出ていない。


 柱の下の箱には紙が一枚入っていた。


 控えには受けた日と柱の紙の番号だけが入っている。名の欄は初めから引いていない。紙は表を伏せたまま置いてあった。


「昨日の夕方です。顔は見ましたが訊いていません」


「訊かないでください」


「訊きませんよ。……三度目です、これで」


「寄合へ回してください」


「回します。うちは受けるだけですから」


 日の傾く前に、この街の触れてよい者が坂を上がってきた。用水の見回りから戻ったばかりで脛まで泥がついていた。柱の一枚目の上の名がこの男だった。


 土間へ入る前に、戸口で足の泥を二度落とした。落としきれてはいない。束を抱えた手のほうは乾いていて、紙に泥は付いていなかった。


「王都の紙が回ってきました。読みましたが分からない行があります」


 束のいちばん上は刷り物だった。イルダンの版で刷ってある。番号は下の隅だ。目的の欄の四文字の下へ二行足してあった。


「四文字は消えていませんね」


「消しません。足しただけです」


「次に確かめ直す日、と書いてあります」


「半年後です。以後も半年ごとに書き足します」


「毎度書くんですか」


「書きます。前の行は残します。残っていないと、いつ何が変わったのかが読めません」


 男は刷り物を膝へ置いて、下から一枚抜いた。


「もう一つあります。七十年前の紙のことです。うちの若いのが読みたがっています」


「請求できます」


「どこにあるんですか」


 アシュレイは懐から紙を一枚出した。折り目が四つ付いている。


「ここに書いてあります」


「一枚きりですか」


「一枚きりです」


 男は覗き込んで番号の並びを上から目で追った。


「原本、ザルテ」


「物置から出た街に置いてあります。番号と、開けた日と、開けた者の名が箱の蓋の裏に貼ってあります」


「写しは」


「監査院と統轄部とイルダンです。請求先はその右の欄です」


「あんたは持ってないんですか」


「持っていません」


 男は紙を返してから、口の端だけを動かした。


「取り上げても何も出ないわけだ」


「出ません。この一枚を焼かれても、番号は監査院の綴りにあります」


 ガルドが宿へ入ってきたのはその晩だった。


 外套は肩だけ濡れている。継送へ乗せる控えを抱えていた。


「柱は四つとも貼ってあった。裏返しも無え」


「野は」


「そこだ」


 彼は控えを框へ置いて、外套の肩を絞った。


「秋の雨で法が落ちた。継ぎ目の口が出てる」


「触りましたか」


「触るかよ。街の止め手を先に呼んだ。着くまで二日、窪みの手前で座ってた」


「二人で見ましたか」


「見た。日付と名が入ってる。……あんたの名は入れてねえぞ」


「入れないでください」


「入れてねえと言ってんだろうが」


 四つ目の欄には切られている、と書いてあった。


「白いのが一枚減ります」


「減るな。残りは二枚だ」


「脇の日付は」


「増えてる。通った日と、通って何も見えなかった日だ。二つずつ足してある」


 控えを袋へ戻す手が、紐の途中で止まった。


「峠から言づけが来てた。宿の主人の字だ」


「伺います」


「読み上げの当番が替わったとよ」


 彼は框の板を掌で二度叩いた。


「……それだけしか書いてねえ」


「そうですか」


 箱の底に、決まらなかったことの一覧の写しがある。夏の卓の日付が入っている。ノラの罫で、行は四つだった。


 費え。統轄部の権限。領の役所との掛かり。掘る許しを誰が出すか。


 統轄部の権限の行だけ、脇に糸の通った跡がある。冬の写しがそこへ綴じ込まれたままだ。


 ――この行は残しておいていただく。


 主人が横から覗き込んだ。


「これは減っていくものですか」


「減るとは限りません」


「増えますか」


「増えます。何かを決めるたびに、決まらないものが出ます」


 翌朝、荷を担ぐ前に紙を一枚書いた。


 行は二つである。この宿を発つ日と、次に通る宿の柱の紙の番号。


「イルダンへですか」


「監査院です。写しがイルダンへ回ります」


「番号だけですね」


「番号と日だけです」


 主人は帳場から道の割りを出して、線の上の並びを指で追った。セルマの字である。


「次は五十一番ですね」


「五十一番です」


「二日ですよ」


「二日で参ります」


 荷は軽かった。折り目の付いた一枚と、着替えと、筆と墨だけである。控えは無い。綴りも無い。


 土間には昨夜の灰がまだ残っていた。主人が刷毛を桶へ立てて、糊の壺に蓋をする。柱の紙は貼り直したばかりで、二枚目の端だけがまだ浮いていた。


 浮いた端を指の腹で押さえてから手を離した。乾けば付く。乾くまでは触らないほうがいい。


 表へ出る前に柱の一枚目の下をもう一度見た。夏の卓のあとに貼られた小さい紙が一枚ある。


 ――次に開くのは、ネスカの便が四度出たあと。街道の南の分かれの宿場。


 主人が刷毛を洗う手を止めた。


「便は夏の終わりに一度出たそうですよ」


「あと三度ですね」


「三度です。……次にいらっしゃるのは、それより前ですか」


「分かりません。道の割りは季ごとに組み直します」


「では日は入れずに待ちますよ」


「待たないでください。欄を空けておいていただければ結構です」


 主人は表まで出てこなかった。柱の前で刷毛を持ったまま、貼り直した端をもう一度見ている。


 街道は北へ向かって乾いていた。


 五十一番の宿までは二日である。便はあと三度出る。


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