第161話 いつまで受けるのか
棚の三段が同じ背丈の綴りで埋まっていた。
監査院の書庫の奥である。年ごとに一冊で、背には年と番号しか入っていない。ローデリクは下の段から順に抜き、二度往復して長机へ積んだ。
「三十年ぶんあります。これより古いものは魔導庁の当直の日誌に混じっています」
「日誌のどこですか」
「夜のあいだの出来事の欄です。核の欄は立っておりません」
エルリックが束の紐を解いて年の順に並べ始めた。
「日誌から拾えたのは二十二枚でした。一枚も無い年があります」
「拾い方は」
「針の位置が書いてある行だけです。書いていない年は入れていません」
抜き書きは長机の端まで届いた。ゲイルが古いほうへ回り込んで、指を並びの上へ滑らせた。
「下がってるな」
「下がっています」
「五年や十年じゃ分からねえよ。端から端まで置きゃ、誰が見たって下がってる」
エルリックは真ん中のあたりで手を止めた。
「ただ、このままでは読めません」
「伺います」
「測った刻限が揃っていません。当直の替わる前に測った年と、灯りが入ってから測った年があります。……街が使っている最中と明け方では、同じ核でも針が違います」
ゲイルが鼻から息を抜いた。
「触ってから読むまでも決まってねえ。おれは半刻置く。前の当直長は置かずに読んでた。置かずに読めば高く出るんだ」
ローデリクがいちばん古い一枚を持ち上げた。
「こちらはやや下、とだけあります」
「刻みのどこかは書いてありません」
アシュレイは並びの端へ指を置いた。
「では比べられませんね」
「同じ手が続けて書いているあいだは比べられます。手が替わったところで切れます」
エルリックが端から数え直した。
「五度替わっています」
アシュレイは並びの上へ屈んで、下がり方の途中を指で押さえた。三箇所で段になっている。
「ここは落ちが急です」
「気づいてました。……三つとも、手の替わった年と重なっています」
「核が落ちたのですか」
「そこは分かりません。書き方が変わっただけかもしれません」
誰も何も足さなかった。棚の綴りは毎年きちんと納まっていた。入れる欄はあり、並べる欄が無かった。それだけのことである。
ゲイルが腕を組んだまま机の端を見ていた。
「あれはいつまで受けるんだ」
「読めません」
「読めねえのか」
「下がっているのは読めます。いつ尽きるかは、この並びからは出ません」
「一年か十年かもか」
「どちらも出ません」
エルリックが顔を上げた。
「僕は、まだもつと思っています」
「思っておられますね」
「書けませんか」
「書けません」
ローデリクが控えを開いて筆を持ち直した。
「監査の綴りには見込みを書く欄があります。空欄よりは通ります」
「書きません。年を書けば、その年まで誰も来ません」
筆先が紙の上で止まった。
「終わる日を書かなかったから七十年になりました。分からない日を書いて、また同じ長さにするわけにはまいりません」
その晩は灯りが入って二刻置いてから核の部屋へ入った。当直が二人ついている。天井の低い石の間で、帯は低いところに寝たまま揺れていない。
ゲイルが先に手を当て、エルリックが紙を膝へ置いた。半刻待ってから刻みを読み上げる。エルリックの読みは一つ下だった。
「一つ違います」
「違うな。おれの目は古い」
「どちらを書きますか」
「両方書いてください」
「揃っていない紙になります」
「揃わなかったことを消せば、次に揃わなかった人が黙ります」
エルリックは二つの数を上下に並べ、脇へ二人の名を入れた。
型は一枚に収めた。書いたのは五つである。
――年に四度、季の初めの十日目に測ること。
――灯りが入って二刻ののちに読むこと。
――触れてから半刻置いて針を読むこと。
――読むのは二人。読みが違えば両方書くこと。
――前の回は残したまま、同じ紙の下へ継ぐこと。
いちばん下へもう一行足した。
――下がり方が変わったら、その日のうちに報せること。
「あと何年、はどこにも入っていませんね」
「入りません。残りは読めません。……変わったかどうかだけは読めます」
若い当直が紙を覗き込んだ。
「毎度これを書くんですか」
「年に四度です。あとは今までどおりで結構です」
エルリックが写しを取りながら訊いた。
「報せ先はどこにしますか」
「決まっていません」
「決めずに配るのですか」
「配ります。宛先をこちらで決めれば、こちらへ集まります」
ローデリクは写しを二枚に分けた。
「監査院は受けます。受けて並べて綴じます。……決めるのはこちらではありません」
「型はこれで揃いますか」
「王都で書いた型は、王都で揃うだけです。メレンへ送ってください」
エルリックの手が止まった。
「僕の書いたものを、直させるのですか」
「直させます。直しの入らない型は、書いた者しか使えません」
彼は写しの下の余白へ一行足した。直したところに直した理由を書いてほしい、とある。
イルダンへ戻って六日目にメレンからの封が着いた。
中は型の写しと別紙が一枚である。テオの字で三行入っていた。
――季の初めの十日目は雪解けの見回りと重なる。十一日目にしてほしい。
――灯りの刻限は家ごとに違う。鐘で決めてほしい。
――読みが二つ入る欄は、十日ごとの帳面のほうへも足した。
下にもう一つ細い字がある。ハイムの手だった。
――形は揃えられる。針の位置はそちらと揃わない。揃うと書かないでほしい。
ミレナは三行を書き写してから筆を置いた。
「直しはそのまま入れてよろしいのでございますか」
「入れてください。三つとも現場の理由が付いています」
「理由の行も刷りますか」
「刷ります。理由の無い直しは、次の人が元へ戻します」
ノラは型の紙を二度読んでから卓の端へ寄せた。
「これ、変わったと報せが来たら誰が読むの」
「決まっていません」
「読む先は卓しかないわけね」
「卓です」
ノラは頁の端を指で弾いた。
「その卓、まだ二つ目の議題を持っていないわよ」
彼女は罫の頁の下から条件の一覧を抜いた。十八行ある。
「読むわね。費えの話は出さない。夜になる話は出さない。宿の払いは各々。ほかの話が始まったら帰ってよい」
「四行目です」
「四行目よ」
筆の尻で行の端を叩いた。
「前に言ったでしょう。呑んだ条件はこっちが破れなくなるのよ。二つ目の議題を足したくなった日に、いちばん先に立つのが今の十一よ」
「立ちます」
「立つわね。しかも正しく立つのよ。書いたとおりにするだけなんだから」
「はい」
「あなた、どうするの」
「何もしません」
「何も」
「条件は向こうが書いたものです。こちらが解けば、次からは誰も書きません」
ノラは墨を継ぎ足してから一覧を頁の下へ戻した。
「解けるのは書いた側だけね」
「書いた側だけです」
「その側は、いま黙ってるわ。……こっちへ出すと言ってきた街が、一つも無いんだもの」
便が着いたのは翌々日の夕方である。セルマが荷の脇から封を三つ抜いて土間へ置いた。
ミレナが日付の判を控えへ写してから順に開けた。
「一つ目は出さないに丸でございます。裏は白うございます」
「二つ目は」
「丸がございません。裏に一行だけ……いつまでに答えが要るのか、と」
「丸の無いほうは三つ目の列です」
最後の封は前の二つより厚かった。ミレナの指が途中で止まる。
「……出すのほうに丸が付いてございます」
ノラが封のほうへ手を伸ばした。
「どこよ」
「ザルテでございます」
紙には字が一つも無かった。番号の列の二つ目へ丸が付いていて、いちばん下に寄合の印が押してある。裏は白い。
「二つ目は何番だったかしら」
「地面の下の一本をこの先どう扱うか、です」
セルマが荷の紐を解きながら顔を上げた。
「言づけが付いているわ。荷を担いできた人が、寄合の親方から預かったって」
「伺います」
「うちの物置から出た紙のことだから、うちが出すのが筋だ。……それだけよ」
「ほかには」
「無いわ。読める人がいないんだもの。押したのは寄合で、押した日は控えてあるそうよ」
ノラが紙の端を指で押さえた。
「あなた、あそこへ何か書いたの」
「書いていません」
「行ってもいないのね」
「綴りを開けた日から行っていません」
「なら、これは向こうの紙だわ」
ミレナが三つの列の一番目へ番号を入れた。ふた月のあいだ空いていた列である。
「一枚目でございます」
ノラは丸の付いた枠をしばらく見ていた。
「一枚来たわね。……これで、十一が立つ日が決まったのよ」
「決まりました」
「先に手を打つ気は」
「ありません。立たれてから決まったことのほうが、あとで引けます」
ガルドが框へ来たのは日の暮れたあとだった。編み上げの泥を落としている。
「南の宿に貼ってあったぞ。日付が入ってた」
「何の日付ですか」
「ネスカの便だ。四度目が出たとよ」
セルマは道の割りを膝の上で開いた。
「南から先に上げるわ。イルダンは後よ」
「宿場までは何日ですか」
「遠いほうで十一日。十五が揃うのは、その翌日だわ」
ミレナが刷り上がったばかりの型を束から抜いて、南へ下る荷へ入れた。年に四度の一度目は、卓の日より前に来る。
出すに丸の付いた紙は一枚きりで、条件の一覧は十八行のままだった。




