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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第15章:七十年前の応急処置〜暫定に、終わりを書け〜
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第160話 四文字の目的

 統轄部には客を通す卓が無い。


 机が六つ、壁へ向けて並べてある。棚は天井まで届いていて、綴りの背が年ごとに立ててあった。埃は無い。書記官が三人、それぞれの机で頁を繰っている。


 いちばん奥の一つだけ、頁を開いたまま筆が止まっている。


「半年の書き直しでございますね」


 ミレナが控えを開いて訊いた。若い書記官が顔を上げる。


「今日が期日です」


「もう書かれましたか」


「これからです」


 頁の脇に細い罫が貼り足してあった。四つ並んだ欄の一つ目に几帳面な字で一行だけ入っている。知らない、とある。日付と名がその下に付いていた。


「今日は何と入れられますか」


「同じです。半年で分かることではありませんので」


 書記官は筆先を硯の縁で整えた。


 アシュレイはその手を止めるように一歩前へ出た。


「少しだけ待っていただけますか」


「今日のうちに、ということですか」


「今日のうちにです」


 アシュレイは荷から一枚を抜いて机の端へ置いた。官の綴り紙で、簀の目が太い。


 奥の戸が開いた。


 マーロウは外套を着ていなかった。袖の口に墨の汚れがある。机の上を見てから紙のほうへ寄ってきた。


「どこの紙です」


「街道の下の街です。宿の柱の下へ置かれたものを、その街が受けました」


「置いた者は」


「控えておりません」


「そういう罫を引かれましたな」


「引きました。原本は街に置いてあります。これは街の名で回ってきた写しです」


 男は紙を持ち上げなかった。目だけを走らせている。


「番号と街の名だ。……うちの割りです」


「同じでしょうか」


「同じです。罫は二本。番号が先で在り処が後です」


 マーロウは棚からいちばん古い綴りを自分で抜いてきた。書記官を呼びもしなかった。


 ミレナが控えへ番号を入れてから、二枚を上から順に指で追った。


「頭の十行は揃っております。……こちらの写しは途中で切れておりますね」


「下は白いのですね」


「白うございます。罫だけが最後まで引いてございます」


 彼女は指を止めて、机の縁で控えを開き直した。


「街の名が二つ、いまはございません」


 マーロウが自分の綴りの同じ行へ指を置いた。


「こちらは線を引いて脇へ書き足してあります。合わさった街と、人のいなくなった街だ。私の前の前の代の字です」


「そちらの一枚は直っておりません」


「直っておりません」


 アシュレイは二枚のあいだへ控えを広げた。


「同じ頃に写されたものが、片方だけ動いています」


 紙をめくる音が二つの机で止まった。


「外にも出ていたのですか」


「出ていました。持てるはずのない側が持っています」


「では、うちが数えていたのは何のためです」


 答える前に廊下で靴の音がした。


 ローデリクが革の函を抱えて入ってきた。後ろにハーケンがいる。函から出したのは一枚きりの紙だった。


「書庫から借り出してまいりました。借り出しの欄に、返す日を入れてあります」


「返す日を入れましたか」


「入れました。空のままにしておくと、七十年です」


 設立の紙が裁可の紙の写しの隣へ並んだ。番号は裁可の下へ二桁が付いている。日付は同じだった。


 アシュレイは目的の欄へ指を置いた。四文字きりである。


「切った日に、同じ裁可で在り処を数える部署が作られています。順序は紙の上では同じです」


 マーロウは椅子を引かずに立ったままだった。


 アシュレイは紙の縁から指を離した。


「ここから先は、その紙のどこを読んでも載っていません」


「では、何をお話しになる」


「書いてあることの並べ方です。並べたところで証にはなりません」


「聞きます」


「上を切った者は繋ぎ順を消しました。消せば、確かめずに繋ぎ直す者は出ません。ですが確かめる者も、どこに何があるかを失います」


 指を四文字の上へ戻した。


「片方は捨てられませんでした。……この四文字は、忘れさせるための四文字ではありません。確かめる日が来たときに、片方が残っているようにするための四文字です」


 書記官の一人が筆を置いた音がした。


「外の一枚も同じです。順を渡された者が確かめに行くには、在り処が要ります。切った者は両方へ残しています」


「どちらが本物です」


「どちらもです。片方だけでは落ちますので」


 マーロウは綴りの縁を握らなかった。声も変わらなかった。


「では、うちは正しかったのですか」


「あなたの部署は、確かめる側の半分を七十年落とさずに持っていました」


「そう書かれるのですか」


「書きます。……もう一つも同じ紙へ書きます」


 アシュレイは新しい紙を引いた。


「何のために数えているかを知らないまま数えていました。知らない片方は、誰も取りに来ません。この七十年が長くなったのは、そこです」


 ハーケンが窓際で腕を組んだ。


「褒めと責めを一枚に載せますか」


「載せます。分けて出せば、読む者が片方だけ持ち帰ります」


 マーロウは頁へ目を落としたままだった。


「その一本の扱いは、誰が決めます」


「卓です」


「あなたは出せませんな」


「出せません」


「では、まだ何も決まりません」


 男はそこで初めて顔を上げた。


「私は同じことを申し上げます。……全員が当事者であるなら、誰も止めない」


「変えられないのですね」


「変えません。理由が分かっても、決める者が十五で割れることは変わりません」


 アシュレイは設立の紙の下端を指で示した。


「目的の欄の下へ、二行足していただきたいのです」


「四文字は消しません」


「消しません。足すだけです」


 ノラの引いた罫割りを思い出しながら、二行を口に出して読み上げた。ミレナが写す。


 ――在り処だけを数えるのは、上を切った日に繋ぎ順を消し、確かめる者が出たときに要る片方を残したためである。上が在らぬことは確かめられた。日付は番号で引ける。


 ――次に確かめ直す日は半年ののち。以後も半年ごとに書き足す。


 ハーケンが窓際から動いた。


「一つ目は事実です。二つ目が様式ですね」


「様式です」


「では条件を付けます。前の行を消して書き直さないこと。下へ足しなさい。……前の行が残っていれば、いつ何が変わったかが読めます」


「書き直さなかった期は」


「書き直さなかったと書きなさい。空けたままにされると、次の者はどこから手を付ければよいのか分かりません」


 ローデリクが手元へ書き取った。


「補則の文へ落とします。期は資格の綴りと同じにします。半年ごとの提出と揃えておけば、片方だけ忘れることがありません」


 ミレナは版下の寸法を測ってから顔を上げた。


「刷りはこちらの版でお願いいたします」


「うちで刷れとおっしゃるのですか」


「はい。イルダンの版で刷れば、イルダンの紙になります。……直すときも、こちらへ来なければ直せなくなります」


 マーロウは書記官へ顎を向けた。若い男が版下を受け取って寸法を控えた。


 名簿のいちばん古い頁は開いたままだった。


「書きなさい」


 書記官の筆が止まった。


「同じと申し上げましたが」


「今日は違う。……前の行は消すな。下へ入れなさい」


 筆が下りた。知らない、と書かれた一行の下へ二行目が入っていく。書き終えてから日付と名が付いた。半年前と同じ几帳面な字だった。


 アシュレイは紐の端を指へ巻いてから手を止めた。


「決まらなかったことの一覧の写しに、脇書きが一行ございました」


 マーロウは名簿を閉じにかかった。


「この行は残しておいていただく、と書きました」


「取り下げないという意味に読みました」


「違います」


 綴りの背が棚の並びへ戻された。


「あの卓は、いつか潰れます。人が替わり、便が細り、誰かが議題を二つ持ち込んだ日に割れる。……潰れた日に、決まらなかったことの頁を読む者が出ます」


「読ませるために残されるのですか」


「そうです。なぜ潰れたのかが一行で掴めれば、次に作る者は同じ形で作りません。……残る紙というのは、そういう置き方をするものです」


「潰れる前提で置かれるのですね」


「置きます。名簿も棚に置きます。査察の権も返上しません」


 返す言葉は要らなかった。ローデリクが借り出しの控えへ返す日を読み上げ、函の紐を掛けた。


 書記官たちが版下を回して寸法を写している。刷り上がりは十日後だという。


 マーロウは窓の下の長机で名簿の綴りへ紙帯を掛けた。掛け終えてから、顔を上げずに言った。


「その一つきりの受け皿は、あと何年もちますか」


 部屋の音が一つぶん遅れた。


「お答えできません」


「測っておられぬのですか」


「測っています。年に何度か、王都で測っております」


「では何年です」


「並べた者がおりません」


 男は紙帯の端を指で押さえたまま動かなかった。


「読んだ者は一人もいないわけですな」


「おりません」


 帯の記録は監査院の棚に年ごとで綴じてある。測った日と、そのときの針の位置が入っている。測った手は何人もいた。


 順に並べて見た者だけが、七十年、一人もいなかった。

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