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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第15章:七十年前の応急処置〜暫定に、終わりを書け〜
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第154話 返せなかった街

 分かれ道の杭で荷を割った。


 北へ折れればイルダンへ帰る道になる。折れずに下れば街だった。


 ノラは折れるほうへ立ったまま紙を一枚差し出した。線が二本引いてあり、そのあいだに細かい目が並んでいる。端の落とし方が横へ添えてあった。


「一寸のあいだに目が十四よ。いまの紙屋はもっと細かく漉くの。灯にかざして数えれば、あなたでも取り違えないわ」


「取り違えます」


「そのときは束ごと写してきなさい。こっちで見るわ」


 彼女は襟を立ててから荷を担ぎ直した。


「向こうで読み下そうとしないでね。字が古いのよ。一人で読めば、分かった気になるだけだわ」


「戻ってから読みます」


 下りは思っていたより長かった。


 道は畑の縁を回りながら落ちていく。街道からは屋根が見えているのに、下りきるまで人に会わなかった。門は無い。下りた道がそのまま通りになる。


 田にはまだ水が入っていなかった。用水の底へ人が降りて、泥を上げては畦へ積んでいる。


 水番の男は鍬の柄へ顎を乗せてこちらを見た。冬に四行の紙を懐へ入れた男である。


「土なら見てる」


「伺っています」


「新しいのは出てねえ。枡のところは掘ったが、あれは掘ると言ってから掘ったやつだ」


「何か出ましたか」


「出ねえよ。親方は肩を落としてたぞ。三尺ずらして損したとさ」


「ずらしましたので当たりませんでした」


「そう言っといてやる」


 宿の帳場には紙が二枚貼ってあった。冬は引き出しの中から出てきた一枚と、番号の並んだ刷り物である。


 主人は帳場の板を持ち上げて、下から束を出した。麻紐で括ったものが三つある。


「うちにございますのは、これで全部でございます」


「何の紙ですか」


「存じません。読める者がおりませんので」


「捨てないのですね」


「捨てたことはございません。大事なものでございましたら困りますので」


 アシュレイは束へ手を出さなかった。


「七十年前の綴りをお訊きします。王都から一冊、この街へ下りてきています」


「七十年前でございますか。……焼けたか捨てたかでございましょう」


「捨てないと伺いました」


 主人は口を開けたまま黙った。板を下ろす音が遅れて鳴った。


「ほかに置き場はありますか」


「寄合の物置でございます」


 物置は寄合の建物の裏にあった。錠は掛かっていない。戸が反っていて、下を蹴らないと開かなかった。


 中は暗い。米俵の陰に木の箱が積んである。蓋の無いものが多く、紙が縁から溢れていた。


「いつからここにありますか」


 寄合の年寄りは箱の高さを手で示した。


「わしの親父が寄合をやっとったころにはもうあった。そのころで、この半分じゃな」


「並べ替えたことは」


「無い。上へ足すだけじゃ」


「読んだ方は」


「おらん」


 ミレナが箱の側面を覗き込んだ。


「番号が振ってありません」


「振れんじゃろ。読めんのだから」


 アシュレイは手を出さずに数だけ数えた。箱は八つある。


 隠した紙は隠した形をしている。ここにあるのは置いたままの形だった。


 ミレナが灯を寄せ、アシュレイは懐からノラの一枚を出した。


 束を一つずつ傾けて目を数えていく。細かいものが続いた。三つ目の箱の底のほうで手が止まった。


 目が太い。一寸のあいだに十四しか入らない。耳の落とし方も絵と同じだった。


「数えてください」


「……十四です」


 束の下から出たのは一冊だった。表紙は板紙で、背に墨の番号が入っている。ミレナが控えを開いて並べた。


「目録の番号と合います」


「合いますね」


 ミレナは控えと背の墨を二度見比べてから頷いた。


「間違いありません」


 紐は掛かったままだった。結び目は堅い。埃が結び目の上へ乗ったまま固まっている。


 アシュレイは冊子から手を離した。


「今日は開けません」


「日が残っております」


「開けるのは二人です。一人はこちらから出します。もう一人はこの街から出してください」


 市庁の書役は物置の戸口で足を止めた。


「私の一存では決めかねます」


「決めていただくことはありません。開けるところを見ていただくだけです」


「読めませんが」


「読まなくて結構です。開けた日と開けた者を控えます」


 年寄りが戸の脇の石へ腰を下ろした。


「わしでよければ座っとる」


「見ていただけますか」


「見るだけならできる」


 翌朝は寄合の土間へ卓を出した。戸を二枚とも開けて明かりを入れる。


 ミレナが控えの頁へ日付を入れた。開けた日。開けた者が二人。写しを取る者。置き場所。


 年寄りは名の欄の脇へ寄合の印を押してから、指の腹を袖で拭った。


「これで何が変わる」


「開けた者が誰かが残ります」


「わしが開けたことになるのか」


「なります。次に開ける者はあなたに訊きます」


 年寄りは印をしまって、卓の端へ両手を置いた。


「開けろ」


 紐は切らなかった。結び目を爪の先で起こして順に緩めていく。


 ほどけた紐を卓へ置いた。輪の形が残ったままだった。七十年、一度も切られていない。


 表紙を起こすと綴じ糸が鳴った。


「読みません。数えます」


 ミレナが筆を立てた。


「綴じてある頁が十六枚。表と裏は入れません」


「挟まっているものは」


「三枚です。綴じてありません。綴じ目の外へ挟んであります」


 三枚は綴じ頁より小さかった。折り目が二つあり、折ったまま挟んであったのが開いた跡で分かる。


「日付だけ読んでください」


「一枚ずつ、続いた三日です。……七十年前の春の入り口です」


「前のほうは」


「裁可の紙です。設立の紙と同じ書き出しで始まっております」


「そこは読まないでください」


 ミレナが筆を止めた。


「灯のあるところで二人で読みます。ここで読めば、読めたつもりになります」


 写しは三部取った。監査院と統轄部と、こちらの控えである。


 ミレナは一枚ごとに番号を入れて、裏へ写しの所在と請求先を書いた。


「原本の欄はどう書きますか」


「ザルテと書いてください」


 筆が止まったのはそこだった。


「お持ち帰りにならないのでございますか」


 書役の声だった。


「持ち帰りません」


「うちには棚がございません。役所と呼べるものもございません」


「七十年、紐が切れていません」


 アシュレイは輪の形の残った紐を指した。


「湿りで貼りついてもいません。これより良い置き場を、こちらは持っていません」


「読めない者が持っているのでございますよ」


 年寄りが口を挟んだ。


「読めんから置いといたわけじゃない」


「伺います」


「よそ様の紙じゃ。返す者が来るまで置いとくのが筋じゃろう」


 しばらく誰も何も言わなかった。


「返す先が七十年来ませんでした」


「来んかったな」


 アシュレイは控えの一行を卓へ出した。書庫方の字で名が入っている。


「この名に覚えはありますか」


 年寄りは灯へ寄せてから首を振った。


「読めん」


 ミレナが読み上げた。年寄りはもう一度首を振る。


「聞かん名じゃ。この街の名ではないな」


 ミレナが道の割りを開いた。


「王都へ上げる便は、いまはどのくらいですか」


「二十日に一つでございます」


「七十年前は」


「分かりません。ですが増えたとは聞きません」


 督促に名を書く欄が無い帳面と、二十日に一つの便。この二つが七十年重なれば、綴りは誰の落ち度にもならないまま棚から消える。


 監査院へ出す一枚はその場で書いた。


「督促の欄はどうなさいますか」


「空のままです。脇へ所在を入れていただきます」


「返っていないままですね」


「返っていません。どこにあるかだけ分かりました」


 箱の蓋の裏へ貼る紙も一枚作った。番号と、原本がここにあることと、写しの請求先が入っている。年寄りが印を押した。


「うちが持っとる、と書いてあるのか」


「書いてあります」


「なら箱は動かさん」


 宿へ戻ったのは日が落ちてからだった。主人が帳場の刷り物を指した。


「これは何をする紙でございましょう」


「番号に丸を付けて、印を押して返す紙です」


「文は要りませんので」


「要りません」


 主人は紙の端を撫でた。


「どれに丸を付けるのでございますか」


「それはこちらからは申し上げません」


 主人は手を止めてから、四隅へ糊を足して貼り直した。


 読み合わせは戻ってからと決めている。ミレナが動かしていたのは写しの番号を控えへ移す手だけで、その手が途中で止まった。


 一日目の書き出しに場所の名が一つ立っている。街の名ではなく、継ぎ目の呼び方だった。


 ミレナは控えの束を開いて、番号を一つ指した。四つ目の欄に切られていると入っている一枚である。


「この呼び方は、こちらの台帳にあります」


「載っているのですね」


「載っております。……一日目に落ちたのは、この継ぎ目です」


 日付は三日続いている。


「四日目は」


 ミレナは束をもう一度探ってから、三枚の順を崩さずに写しへ挟んだ。


「ありません。三日で終わっております」

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