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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第15章:七十年前の応急処置〜暫定に、終わりを書け〜
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第151話 議題を出せない

 雪が緩んだのは見分けから十日あとだった。


 道の北側に残っていた白いものが朝のうちに水になり、門前の溝へ落ちていく。轍が深くなったぶん荷は軽くなった。表ではセルマが車輪の幅を測らせている。ガルドは野の五つを回ったまま戻っていない。


 執務室の卓には峠からの一枚が置いてあった。


 ミレナは番号の刻みを入れる帳面を横へ置いたまま、六日ぶん手をつけていない。


「これはどこへ綴じますか」


「まだ綴じません」


「番号も振らないのですか」


「振れません」


 アシュレイは決まらなかったことの頁を開いた。六つの行と、街の名の欄が空いたままの七つ目がある。その下は白い。


「私が番号を振れば、これは私が足した行になります」


「置いたままにするのですね」


「置いたままにします。受け取った日だけ控えてください」


 ミレナは日付を入れてから、紙の端を頁の下へ揃えた。


「揃えるだけなら、書いたことにはなりませんね」


「なりません」


 ノラが罫の帳面を抱えて入ってきたのは昼を回ってからだった。夏の入口の卓の頁を開いて、こちらへ向ける。


「一つだけ先に決まってるわね。議題を一つ足すかどうかを十五で決める」


「書いてあります」


「じゃあ訊くわ。足す紙は誰がどう出すの」


 頁には日付がある。場所がある。決めることが一つ書いてある。その先が無い。


「決めていません」


「決めていないんじゃないわ。どこにも書いていないのよ」


 ミレナが束を抱えたまま口を挟んだ。


「監査官が出されてはいけないのですか。持ち込まれた紙です」


 ノラの筆が止まった。


「私も昨日の晩に一度そこまで書いたわ。書いて消したのよ」


「なぜ消されたのですか」


「席の無い人が議題を出したら、十五の議題じゃなくてその人の議題になるもの」


 ノラは眼鏡の縁を押し上げた。


「あなたも同じことを考えたでしょう」


「考えました」


「言わないのね」


「書きます。出せない者がここにいる、と様式のほうへ書きます」


 便の返りは三日おきに届いていた。


 ドランからの一枚は書記の字で、行が揃っていて短い。次の卓では何を決めるのか、先に知らせてもらえるか。こちらから訊いてよいものかどうかも分からない。


 ミレナがその二行を読み直した。


「訊いてよいか、と書いてあります」


「そこです」


「そこ、と申しますと」


「決めるのは十五です。その十五が、自分から紙を出せる側だと思っていません」


 ノラが帳面を閉じた。


「思わせるのは言葉じゃないわ。紙の形よ」


 白紙を並べたのはその晩だった。


 アシュレイは先に二つだけ書いた。誰でも出せること。出した街の名が残ること。


 ノラが筆を取って、その下へ三つ目を足した。


「出さないことも残すのよ」


「……」


「出さなかった街が黙って消えるなら、それは十五の卓じゃないわ」


「書いてください」


 筆の先が二つ目の行へ戻った。


「名が残ると、出しにくくなる街があるわ」


「あります。それでも残します」


「なぜ」


「誰が言い出したかが消えると、次に同じことが起きたときに引けません」


 罫を引き始めてすぐ、その手が止まった。


「四つ目が要るわね」


「要ります」


「ザルテよ。あそこへ文を書かせる紙を送ったら、初めから外したのと変わらないわ」


 紙の真ん中へ番号の列を並べた。決まらなかったことの六つと、その下の七つ目である。番号の脇に小さな枠を置き、いちばん下へ印を押す場所を作った。


「丸と印だけで出せます」


「一行も書かなくていいのね」


「書かなくて結構です。書きたい街は裏へ書けます」


 ノラは七つ目の行の番号を筆の尻で押さえた。


「これも載せるの」


「載せます」


「訊かれるのはあなたよ」


「承知しています」


 空の行を一つだけ、いちばん下へ足した。一覧に無いものを出すための行である。


「そこは文が要ります」


「書けない街はどうするのよ」


「宿の主人に代わりに書かせてください。代わりに書いた者の名を脇へ入れます」


 ノラは細い罫を一本引き足した。


「代筆の欄ね」


 筆を置いてから、卓の端の一枚を顎で示す。


「その紙に番号は無いわ。一覧に無いもののほうよ。出せるのは街だけ。あなたはどこの街でもないの」


「そうです」


「不便でしょう」


「不便です」


 ノラはそれ以上書き足さなかった。


「返らない紙はどう数えるの」


「出さないに丸を付けて返した街と、何も返さなかった街を別の列にしてください」


「面倒ね」


「面倒です。同じ列にすると、黙った街が出さないと決めた街に見えます」


「来なかった四つが出してきたら」


「同じ束へ入れてください。決めるのは、その日に来た街です」


 監査院の継送が着いたのは翌々日の朝だった。


 ローデリクは馬車を待たせたまま土間で罫の写しを読んだ。読み終えるまで椅子へ座らない。


「監査院は手を入れません」


「伺います」


「私がここで一行でも直せば、この様式は監査院が作ったものになります。見ました、とだけ書いて帰ります」


 写しを卓へ戻してから、彼は指を一本だけ番号の列へ置いた。


「並びは台帳の頁と同じにしてください。違うと、こちらで並べられません」


「同じにします」


「これは中身ではありませんので申し上げました」


 同じ継送にもう一通入っていた。ハーケンの字で一行しかない。


 ――様式は結構です。中身に手を貸せば、私はそれを書きます。


 ノラが封の脇を指で弾いた。


「書きます、って何をよ」


「制度の空白です」


「……あの人、半年前は書かずに帰ったんじゃないの」


「書かずに帰りました。支度のほうは持って帰っています」


 ガルドが戻ったのは十一日目の夕方だった。


 土間で編み上げの泥を落としながら、指を四本立てる。


「近い四つは貼ってあった。一つは裏返しだったから直させた」


「野の五つは」


「三つは何も無え。二つは春の水で土が動いてる。掘った跡じゃねえ。……日付だけ控えてきた」


「窪みは」


「あんたの紙は下りてた。代わりに立ってるやつの名は、宿で読み上げた。三度な」


 ガルドは卓の上の一枚を顎で示した。


「そいつはどうすんだ」


「街が出すのを待ちます」


「待つのか」


「待ちます」


「あんたが出しゃ早えだろ」


「早いです」


 ガルドは鼻を鳴らして、それ以上は言わなかった。


 版が組み上がるのに三日かかった。


 ミレナは刷りの一枚目を灯へ寄せて、番号の刻みと枠の位置を確かめた。


「印の場所を左の端にしました。右へ置くと、書ける街の字と重なります」


「そのままで」


「来なかった四つにも同じものを入れます。数えないと決めていませんので」


「入れてください」


 セルマが道の割りを開いたのは、刷りが乾く前だった。


「今から出して、遠いほうへ着くのが十一日よ」


「返りは」


「近いところは次の便で戻るわ。ネスカは無理ね」


 指の腹が日の並びを押さえた。


「あの街の便は月に一度きり。今度の便で持っていって、返りが乗るのは次の便よ。それが卓の日と同じ便だわ」


「卓の朝に着きますか」


「着いたら朝ね。着かなかったら、あの街は出さなかったんじゃなくて間に合わなかったの。そこは分けて数えなさい」


「分けます」


「分けるなら、道の割りの写しをこっちで一枚持つわ。何日目にどこにあるかは、うちのほうが早く分かるもの」


 紙が便に乗ったのは春の三度目の便だった。


 ノラは十九の街の名を並べた表を作り、右の端へ二つの列を引いた。出した日の列と、出さないと返した日の列である。どちらも白いままだった。


 三日待って白かった。六日待っても同じだった。


 ミレナが控えの束へ番号を打ちながら、手を止めずに言った。


「白いのは、まだ届いていないからです」


「そうです」


「届いてからも白いことがあります」


「あります」


 その晩、灯を落とす前にもう一度だけ峠の一枚を読んだ。


 字は太くも細くもない。名は書いていない。写しを見に来た日付だけが上に入っている。


 いちばん下の一行にも、やはり番号は無かった。


 リオネルが階段を上がってきたのは、そのあとの遅い刻限だった。


 外套の裾が濡れている。卓へ置いたのは薄い綴りが一つだけだった。


「商人ギルドの帳面から拾いました。セルマ殿には断ってあります」


「継ぎ具の金ですか」


「名義です」


 彼は綴りを開かずに手を置いた。


「半年で七十本ぶんを出した名義が、二十年あまり前の綴りにも出てきます。潰れていません」


「金を出した街は」


「並びが取れました。登りの終端がある街ばかりです」


 アシュレイは灯を寄せた。


「名義を押さえて、出した者から順に当たれば」


「二人へ行けます」


 リオネルが初めて顔を上げた。


「追いますか」

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