第149話 卓が開く
場所を決めたのはセルマの道の割りだった。
十五の街の名の下へ日数を並べて、いちばん大きい数がいちばん小さくなる一点を探す。街道の南の分かれにある宿場がそれだった。
セルマが地図の上へ指を三度置いた。
「ここなら遠いほうが十一日よ。イルダンでやれば十九日だわ」
アシュレイは日数の列を目で追った。
「王都からは」
「十日ね。近くなるのは向こうよ。……礼を言われる筋じゃないけど」
日取りのほうが細かかった。ネスカの便は月に一度しか出ない。一度の便で着いて次の便で帰れる日に置く。メレンの十日ごとの測りの日は外す。ドランの書記が街を空けられるのは音を聞く晩ではない日だ。
ミレナが版下の二つの空欄へ字を入れた。空けたまま五十日が過ぎている。
「これで白い欄が無くなります」
「無くなりますね」
「その下の二行は残しますか」
「残してください。読んだ街が、書いた通りにしたかどうかを確かめられます」
宿場へ入ったのは前の日の昼だった。
広間は思ったより狭い。長い卓が三つと、背の高い椅子が一つある。宿の主人はその椅子を炉の正面へ据えて待っていた。
ノラは入口で立ち止まったまま動かなかった。
「その椅子を外へ出してちょうだい」
「肘の付いた椅子はこれ一つでございます」
「だから出すのよ」
卓は三つとも輪に組ませた。四隅には誰も座らせない。ノラは自分の椅子だけを輪の外へ置いて、そこへ罫の帳面を積んだ。
主人が炉の脇で困った顔をした。
「上座はどちらになりますか」
「作らないの」
「では、どちらから膳をお出しすれば」
「膳は出さないわ。宿の払いは各々で持つと、向こうが書いて寄越しているのよ」
イルダンの椅子にはガルドが座った。
「おれかよ」
「あなたです」
「あんたが座りゃいい話だろ」
「番号を引く者が輪の中にいると、引いた番号が答えに見えます」
ガルドは椅子の背を掌で叩いてから腰を下ろした。
「逃げたな」
「逃げました」
朝の刻限に着いていたのは十三の街から十四人だった。
ミレナが帳面へ街の名と人の名だけを控えていく。役の欄は初めから引いていなかった。
「肩書きを訊かないのですか」
「訊きません。バルクスは市庁の印を押せません。ネスカには役がありません。役の欄を作れば、その二つだけが空きます」
昼までに二つ着いた。峠の向こうの一つと、ネスカだった。
十五の街から十七人になった。二人立てたのはメレンとネスカである。テオとハイムは測りの帳面を膝に置いて並んで座った。ネスカの二人は入口にいちばん近いところへ腰を下ろし、荷を足元へ置いたまま解かなかった。
監査院からはローデリクが一人だけ来ていた。柱の脇に立って、椅子を勧められても首を振った。
「私は見る側です。座ると数のうちに入ります」
ハーケンは来なかった。来ないと先に書いて寄越していた。
ノラが輪の外から声を出した。
「議長はいないわ。私は書記よ。決めるのはそこの十五で、私は決まったことと決まらなかったことを書くだけ」
コルトが片手を挙げた。
「訊いていいか」
「どうぞ」
「あんたイルダンの人だろ。書記がイルダンってのは、どうなんだ」
ノラは筆を置いた。
「もっともね。……なら、こうしましょう。私の書いたものはその日のうちに十五ぶん写して配るわ。違っていたら次の卓で直させなさい」
「次があるのか」
「あるかどうかも、あなたたちが決めるのよ」
ノラは条件の一覧を先に読み上げた。十八行ある。
「これは私たちの枠じゃないわ。あなたたちが書いて寄越したものよ」
費えの話は出さない。夜になる話は出さない。宿の払いは各々。ほかの話が始まったら帰ってよい。番号だけを追って読み、どの街が書いたかは読まなかった。
議題の紙が輪の上を回っていった。
――掘り返した跡が見つかったとき、誰が止めるか。
遠い順に一言ずつ、とノラが決めた。着いた順でも席の順でもない。紙が着くのに日数のかかった順である。
初めはネスカだった。
「うちは決めてある。以上だ」
二番目からは同じ言葉が並んだ。決まっていない。決まっていないと思う。宿へ言づけが来たらどこへ回すかも決まっていない。
カルネの供給担当は数を先に出した。
「うちは見て報せる者を一人立てました。立てたところまでは紙に書いてあります。……その先に、月に四日ぶんの手当が」
言い終わる前に輪の反対から声が飛んだ。
「六行目だ」
コーレンのゲイルが刷り物を指で弾いた。
「番号しか載ってねえから誰が書いたかは分からん。……分からんまま守るんじゃなかったのか」
カルネの男は自分の手元を見てから口を閉じた。
「六行目です。取り下げます」
名簿の写しから名だけを移した街の一人が、そこで初めて口を開いた。
「書くのはいい。書いても止まらんぞ」
男は自分の膝を一度叩いた。
「うちで名を書いたところで、普請を出すのは領の役所だ。おれが走って止めろと言って、鍬が止まると思うか」
バルクスのエルリックが行の揃った紙を出した。
「市庁の名では出られないので、私は個人として来ています」
「だから何だ」
「止まらなくても、言った日付が残ります」
エルリックは自分の紙の余白を指した。
「去年、市庁の棚へ回せない紙を三度受け取りました。三度とも手控えへ日付だけ書いています。四度目に市庁が動いたのは、三度ぶんの日付があったからです」
マーロウが広間へ入ってきたのは昼を回った頃だった。
外套を供へ渡し、椅子を勧められても座らない。輪のいちばん広いところで立ち止まった。
「私は十九のどれでもありません。座る席がない」
「述べるのですね」
「述べます」
男は自分の紙を開かずに二行目を言った。
「全員が当事者であるなら、誰も止めない」
誰も何も言わなかった。
「在り処を数える仕事を長くしております。数えた紙の上では、どこでも何も起きておりません。起きていないのではない。報せる先が無いだけです」
マーロウは輪の中を端から端まで見た。
「集めろとは申しません。決まらないなら、決まる形のところへ預けろと申し上げている。私が替わっても、次の長が同じ紙を出します」
アシュレイが口を開く前に、別の声が落ちた。
「その通りだ」
ネスカの男が荷の脇で顔を上げていた。
「うちは全部が当事者だ。余所者は一人もいねえ。それでも止まる」
アシュレイは輪の外から訊いた。
「なぜ止まりますか」
「言う者が決まってるからだ」
「決めたのはどなたです」
「決めた者はいねえ」
男は膝の上で手を組んだ。
「掘る話が出たら、みんなが同じほうを見る。見られたやつが言う。それだけだ」
「その者が言えない日は」
隣の男が石の粉のついた手を挙げた。
「おれが言う」
「あなたを選んだのは」
「誰でもねえ」
二人は顔を見合わせもしなかった。
マーロウはしばらく黙っていた。
「順があるわけですな」
「ある」
「紙は」
「無い」
「では、あなたの街が明日そっくり忘れたらどうなります」
「忘れねえよ」
「忘れます」
声が一段低くなった。
「私の見た街も忘れませんでした。忘れる前に、覚えている者がいなくなっただけです」
男は初めて相手の顔を見た。
「あんたのとこは何人だ」
「三人です」
「……うちの穴にも入ってる」
そこから先を、二人とも言わなかった。ノラの筆は動かなかった。
マーロウが輪の外へ下がった。
「もう一つ伺いたい。ここにおられる街のうち、その順を持っておられるところは」
手は挙がらなかった。
「持っていない。だから私は同じことを申し上げているのです」
「決まってねえのは、うちの外だ」
ネスカの男はそれだけ言って荷の紐を締め直した。
コルトが椅子を鳴らして立ち上がり、慌てて座り直した。
「じゃあ書きゃいいんだろ。うちも二人書く」
「誰と誰よ」
「おれと、去年おれが立てた手だ」
「あなたが選ぶの」
「……おれが選んだら、おれの紙になるのか」
ネスカの男が横から一言だけ落とした。
「自分で書くな」
「あ?」
「自分の名は自分で書かねえ。隣に書かせろ」
ノラの筆が初めて速くなった。
「揃えるわよ。街ごとに一枚。書くのは二つ。宿へ入った言づけを回す先の一人と、その者が言えない日に次に言う一人。名だけでいいわ。役は書かないで」
「名は誰が書きますか」
「本人以外の一人よ。二人で互いの名を書き合いなさい。そうすれば、その紙は誰か一人のものにならないわ」
ローデリクが柱の脇で綴りを持ち直した。
「監査院は受け取ります。半年ごとに読みます」
彼は綴りを開かなかった。
「止めた日と、止められなかった日を同じ紙へ書いてください。片方だけの紙は読めません」
「止められなかった日を、ですか」
「触れてよい者の綴りが同じ欄を持っています。形が同じなら、こちらで並べられます」
書いても止まらんと言った男が顔を上げた。
「読んでどうなさる」
「並べます。決めるのはこちらではありません」
紙は日のあるうちに回った。
その場で二つの名を書けたのは十一だった。四つは書けなかった。理由は同じではない。立てる相手が街の中にいない街が一つ。二人目が街の外にいる街が一つ。市庁を通さないと名を出せない街が二つである。
「持ち帰りね。次の卓までよ」
ノラは四つの名を、決まらなかったことの頁へ移した。
その頁のほうが長かった。費え。地面の下の一本をこの先どう扱うか。白いままの三枚と王都の一枚。統轄部の権限。領の役所との掛かり。掘る許しを誰が出すか。
「六つね」
「六つです」
「一つ決まって、六つ残ったわ」
日だけは決めた。ネスカの便が四度出たあと、同じ宿の同じ広間である。ミレナがその場で日を紙へ入れ、写しの数を数えた。
「十五ぶんと、監査院と統轄部で十七です」
「街のぶんは十九にしてください」
「返っていない四つにもですか」
「四つにもです」
人が減って、広間には輪に組んだ卓だけが残った。
マーロウは袖を通してから、輪の内側を一度だけ見回した。四隅には椅子が無い。
「決まったのは一つですな」
「一つです」
「六つ残った」
「残りました」
「取り下げはしません。うちの紙のほうが早いことに変わりはない」
「承知しています」
男は戸口で足を止めた。
「……開いたな」
それだけ言って出ていった。
ガルドが輪の外に一つだけ残っていた椅子を隅へ寄せていた。
「あんた、今日は一度も座らなかったな」
「座りませんでした」
「今日だけか」
「今日はそうしました」
ガルドはそれ以上訊かなかった。
ミレナが控えの束を抱えて戻ってきた。
「第一頁を出しますか」
「出してください」
扱いの欄はまだ空だった。空にした理由の下には、番号が二つ並んでいる。
見分けの日まで二十日あった。
その欄へ入れられる言葉が、この日の終わりに一つだけ手元にあった。




