第147話 一行の手紙
返りは二十日目から来た。
初めの十九通のときは二十二日目に一枚戻り、そこから細く続いた。今度は三日のうちに束で入った。
ミレナが袋を三つ並べて宿の印の形だけを先に確かめた。
「置き場所を覚えています」
「帳場のことですか」
「帳場です。前の紙の隣へ置いて番号の並びまで揃えて返してきました。同じ版が二度目に着くと、こうなります」
ノラは紙切れを卓へ並べ始めた。欄が三つある。出る。出ない。条件。
「十四よ」
並べ終えてから、指の腹で列の端を揃えた。
「三つが十四になったわ。……数える前に中を読みなさい」
出るの欄に丸があるのが十一。出ないに丸があるのが二つ。どちらにも丸の無いものが一枚だった。
条件の欄はほとんど埋まっている。
カダルのコルトの字はすぐに分かった。この一件だけだ、と大きく書いてある。その下へ細く、ほかの話が始まったらおれは帰る、と足してあった。
バルクスのエルリックは行を揃えて三行あった。市庁の名では出られないので個人として出る。市庁の印は押せない。押せない理由も書いておく。
メレンのテオは一行だけだった。十日ごとの測りの日と重ならなければ出る。
カルネの紙は出ないに丸が付いていた。条件の欄には字が詰まっている。手当の話がこの一件の続きで出ないと分かれば、そのときは出る。
ノラが二枚を手前へ寄せた。
「出ないに丸を付けて、条件まで書いた街が二つあるわ」
「二つですね」
「欄が二つしか無い紙なら、この二枚は返ってきていないの。出ないに丸を付けるためだけに紙を出す街は無いのよ。……黙るわ」
「三つ目の欄が要ると伺いました」
「言ったわね。当たったからって私が偉いわけじゃないわ。この二枚が偉いのよ」
丸の無い一枚はドランだった。書記の字で、条件の欄に一行だけある。音を聞く晩は動けない。ほかの晩なら出る。
「出ると読みます」
「読み過ぎよ」
「読み過ぎです」
アシュレイは紙を列の上の段へ置いた。
「ですが日を選べば出られると書いてあります。書いていない街と同じ扱いにはできません」
条件の写しをどうするかをミレナが訊いてきた。
「呑みます」
「全部ですか」
「全部です」
ノラの筆が止まった。
「十一のうち九つが、費えの話が出たら席を立つと書いているのよ。呑んだら卓で費えの話ができないわ」
「できません」
「困らないの」
「困りません」
アシュレイは条件の欄だけを目で追った。
「こちらが決めたのではありません。向こうが書いたものです。……卓へ載せてはいけない題が十四の手で並びました」
「議事の枠を、来る側が書いたわけね」
「書きました。持ち物になると伺っています」
ノラは鼻から短く息を抜いてから墨を継ぎ足した。
「一つ言っておくわ。呑んだ条件はこっちが破れなくなるのよ。二つ目の議題を足したくなった日に、いちばん先に立つのが今の十一よ」
「その日が来たら、足すかどうかを十四で決めます」
条件の一覧は二日で刷り上がった。書いた街の名は入れず、条件だけを並べる。届いた側が自分の書いた行を見つけられるように、番号だけをそのまま残した。
ミレナが版の位置を確かめた。
「返しますと、条件が増えます」
「増えたら足します」
日と場所の欄は空のままにした。十四のうち九つが、いつどこかと訊いてきている。
アシュレイは版下から目を上げなかった。
「入れれば十四は動きます」
ノラは筆の先を空欄の上で止めた。
「動くわね。……で、入れないのね」
「入れません。いちばん遠い街へ紙が着いてから決めると、その下へ書きました。書いた通りにしないなら、初めから空けておく要がありません」
返っていないのは五つだった。
ミレナが名を読み上げていく。ザルテと、名簿の写しから名だけを書き移した街が三つ。最後の一つが南だった。
「ザルテは印を返した街ですね」
「返しました。今度は返っていません」
セルマが道の割りを畳んで卓の端へ置いた。
「前の紙は押すだけだったの。今度のは中の誰かが書かないと返らないでしょう。……言った通りになったわね」
「なりました」
「威張るつもりは無いわよ。あそこは書ける者がいないだけだわ」
「四つとも同じだと思います」
アシュレイは四枚ぶんの控えを綴りから抜いて四つ目の欄だけを並べた。どれも確かめていないとある。ザルテだけは一枚が生きているに変わり、もう一枚は白いままだ。
「返らないことで分かったことがあります。この四つはこちらの問いに答えられないのではありません。答えを紙にする手が街の中にいません」
セルマが指先で四つぶんを数えた。
「数え直すのね」
「数え直します。宿の主人に書かせるのは筋が違います」
南の一枚だけが列に収まらなかった。
ミレナが古い綴りを持ってきて、六枚の写しを卓へ広げた。同じ季節に査察団が同じ日に入った六つの街の、止めた記録である。触る前に測る。待機の帯を紙へ写す。死んだ赤の枝を一本だけ切る。半日置いて観る。二人目の署名。六枚とも並びまで同じだった。
「五枚は査察団が通りへ入ったあとの日付です」
ミレナが指で日付をなぞっていく。
「南の一枚だけ二日早く書かれています」
「来る前に止めた街ですね」
「来る前です。……もう一つあります。ほかの五枚は二人目の名の脇へ役が書いてあります。南の一枚は名だけです」
ノラが眼鏡を外して、その一枚を灯りへ寄せた。
「肩書きが要らなかったのよ。この街の中ではその名で通ったの」
卓の上には十四枚の紙切れと、この一枚があった。
「十九のうちでこちらが訊く前に止めた街です」
アシュレイは紙を戻した。
「その街から二度とも一枚も返っていません。受け取ったという印すら返っていません」
「書けないんじゃないわね」
「書けない街ではありません」
ガルドは土間で荷を締め直していた。近い四つを回って戻り、外套はまだ乾ききっていない。
「行くのか」
「私は行きません」
「なんでだ」
「私が行って、その場で出ますと言われたら、それは十九の卓ではなくなります」
アシュレイは版下の空いた欄を指した。
「呼んだ者の卓になります。呼んだ者が倒れれば、次の年には開きません」
ノラが筆を置いた。
「それ、あなたが座らない話にも聞こえるわね」
「そこはまだ決めていません」
「決めなさいよ。……今日じゃなくていいわ」
セルマが道の割りを開き直した。
「南への便は月に一度しか出ないの。だから紙が一月かかるのよ。歩けば十五日だわ。峠を越えないほうの道よ」
「雪は」
「北ほど積もらないわ。ぬかるみのほうが厄介ね」
ガルドは掌で首の後ろを掻いた。
「近い四つでやったのと同じことを、遠くでやりゃいいんだな」
「同じです」
「呼ばねえのは分かってる。前に言ったろ」
「伺いました」
「訊く言葉を決めとけ。おれは覚えたことしか言わねえぞ」
アシュレイは紙へ二行だけ書いた。跡が出たとき、その街では誰が最初に手を止めさせるか。その者の名は、その街の紙のどこかに書いてあるか。
ガルドは二行を口の中で読み直してから懐へ入れた。ミレナが束をもう一組持たせる。異議の本紙の写し。議題を一行だけ書いた紙。欄の三つある紙切れ。
ガルドが門を出た朝は霧だった。
その後の二十日で返りは一枚も増えなかった。増えたのは条件のほうで、一覧を受け取った街のうち二つが新しい行を足して寄越した。夜になる議題は出せない。宿の払いは各々で持つ。
ミレナが一覧の版下を抱えて入ってきた。
「足しました」
「足してください」
「これで十六行です」
峠から三度目の言づけが入ったのはその頃だった。窪みの土は動いていない。返しの紙には、見たと控えたと書いた。その先の欄はまだ無い。
ノラは異議の綴りを開いて、二通目の番号の脇へ日付を入れた。
「待っていて間に合うの」
「間に合わせます」
「間に合わなかったら」
「そのときは遠い街の道に合わせると書いた紙のほうが残ります」
ガルドが戻ったのは発ってから三十二日目の晩だった。
土間で足を鳴らす音がして、荷を降ろす前に卓の脇まで来た。荷の口から紙を一枚出してそのまま卓へ置いて手を引く。
「返事だ」
欄が三つある紙切れだった。出るにも出ないにも丸が無い。条件の欄に一行だけ入っている。
――うちは、もう決めてある。誰が止めるかは、うちの中で決まってる。
ミレナが灯を寄せた。字は太く、迷いのない書き方だった。
「読みましたか」
「歩きながら一度だけ読んだ」
ガルドは椅子を引かずに立っていた。
「あんたの二行はそのまま訊いた。跡が出たら誰が最初に手を止めさせるんだ、ってな」
「返りは」
「宿に六人いた。六人とも同じほうを見た」
「見られた方は」
「何も言わねえ。……こっちを見て、それから隣のやつに紙を書かせた」
ノラがその一枚を十四枚の列の脇へ置いた。列の紙はどれも丸が付いている。丸の無い紙が二枚になった。片方は音を聞く晩は動けないと書いた街で、もう片方がこれだった。
「答えていないわね」
「答えていません」
アシュレイは一行の上に指を置いた。
「こちらは、跡が出たとき誰が止めるかを決める場を作りますと書きました。この街は、それはうちではもう決まっていると返しています」
「訊いたことに答えてないのに、こっちが欲しかったものが全部入っているわ」
「入っています」
名簿の写しでは南の端に名が一つ書いてあるだけの街だった。核の劣化度を測った者はいない。触れてよい者の綴りにも名が無い。それでいて、査察団の通りへ入る二日前に手が止まっている。
日と場所の欄はまだ空のままだった。決めるときは遠い街の道に合わせると、自分でその下へ書いた。
その道を、まだ自分の足で測っていない。




