第146話 全部は決められない
薄い束は三日のあいだ卓の端に置いたままだった。
異議の本紙を十九ぶん刷ったものだ。番号はこちらで振り、紐もかけてある。出せない理由はどこにもない。
ミレナが便の日を言いに来た。
「三日後です。峠の手前までなら今度の便に乗ります」
「間に合わせます」
「本紙だけでよろしいですか」
「一緒に出すものがあります」
アシュレイは紐の結び目を指で押さえた。
「まだ書けていません」
本紙には全員が当事者であるなら誰も止めない、と書いてある。読んだ街が次に何をすればよいかは一行も入っていない。反論は書かないと決めたのはこちらだった。ならば代わりに何を入れるかもこちらが出す。
昼を回る前にノラが来た。罫の頁を小脇に挟んでいる。
「卓の話でしょう」
「卓の話です」
「なら先に決めることがあるわ。何を決める卓なのよ」
アシュレイは新しい紙を一枚置いて上から順に書き出した。
地面の下の一本をこの先どう扱うか。掘り返しの跡が出たとき誰が止めるか。見て報せる者と二人目の費えをどこが持つか。掘る許しをどの役所が出すか。触れてよい者をどう増やすか。白いままの三枚と王都の一枚をどうするか。
「六つね」
「六つです」
「多いと思う」
「思いません。どれも決まらないと困るものです」
「じゃあ一つずつ潰しましょう」
ノラは番号の脇へ細い欄を引いた。十九のうち、その問いに答えを持っている街の数を入れる欄だった。
一つ目で筆が止まった。
「扱いの話ね。答えられるのは九つよ」
「渡す先の分かっている九つですね」
「そう。名前だけの十は自分の下がどうなっているかを知らないの。知らない街へ、止めるか動かすかを訊いてごらんなさい。返るのは黙りよ」
「九つも割れます」
アシュレイは自分で欄へ数を入れた。
「カダルは去年まで動かそうとしていた街です。冬の供給が細い街と、そうでない街とで、同じ答えにはなりません」
「割れるのは構わないわ。卓は割れるためにあるもの。……でも初めの一つで割れたら、二つ目まで誰も座っていないわよ」
二つ目は数が出せなかった。欄を空けたまま先へ進んだ。
三つ目の費えは書き入れる前に答えが決まっていた。
「カルネです」
「あそこは席を立つわね」
「立ちます。手当が月に四日ぶん出ていて年が明けたら六日にしてくれと現場が言っています。その話の続きが卓で始まると分かれば、供給担当は来ません」
「数えられる街は全部同じよ。数えられない街は数えられないから黙るの。……この一つで十九が全部消えるわ」
四つ目には筆すら入らなかった。街の外の野は領の地だが、街の下は街だ。十九の街をまたいだ一本はどの領の役所の綴りにも収まらない。監査院で綴りの頁を三つ開いて並べたときに分かったことだった。端が触れている部署は四つあり、四つとも自分の側から見ればあの一本は外にある。
アシュレイが五つ目を読み上げるとミレナが顔を上げた。
「触れてよい者の名が分かっていない街が十あります。増やし方を決める場に、まだ名の無い街が座ることになります」
「座らせて悪いことはないわ。……ただ、その十は口を利けないわね」
六つ目まで来てノラは筆を置いた。
「王都の一枚は五つ目の名が入らなかった頁よ。三枚は白いまま載せると自分で決めたんでしょう」
「決めました」
「なら卓に出す議題じゃないわ。出したら、決めたことを自分で崩しに行くのよ」
紙は消し跡だらけになった。書き直しの反故が卓の下へ落ちて拾う者もいないまま溜まっていく。数の欄で残ったのは空けたままの二つ目だけだった。
ミレナが版下の帳面を抱えて立っていた。
「刷るのでしたら、一つ伺います」
「どうぞ」
「この案は欄がいくつ要りますか」
「六つです」
「六つのうち、白いまま出せる欄はどれですか」
手が止まった。
台帳の頁は五つの欄で組んである。四つ目は三択しか入らない。見た者のいない継ぎ目に切られているとは書かせない。白いところは白いまま載せる。埋めるために推し量って書けば、台帳のほうが嘘になる。
そう決めて九十四枚を通した。
卓の案の六つはどれも白いまま出せない欄だった。
「逆をやっています」
アシュレイは反故の一枚を拾って表を返した。
「埋まらない欄を六つ並べてこれを埋めてくださいと十九へ配ろうとしていました」
「そうよ」
ノラは頁を閉じもしなかった。
「あなたね、決められないことを議題に入れているの。人はね、答えを持っていない問いの前には座らないのよ。座ったら答えられないところを見られるでしょう」
「では、答えを持っている問いを探します」
「探すの。作るんじゃなくて」
「探します。……こちらが立てた問いにはまだ一つも返っていません」
ミレナが綴りを取りに出て四つの紙を持って戻ってきた。控えの束から抜いてきたものだった。
一枚目は峠の街の触れてよい者の字だった。
――これは、どこへ上げればよいのでしょうか。
二枚目はカダルのコルトの字で、そこだけ大きくなっている。
――分からねえのは、その日にうちが何をすりゃいいのかだ。書いてねえぞ。
三枚目はバルクスのエルリックのもので、行がまっすぐ揃っている。宿から回ってきた紙を市庁の棚へ回すべきかどうかを訊きたい、とある。
四枚目はミレナの手で書き留めた聞き取りだった。ザルテの普請場で親方が言った一言が、そのまま入っている。
――で、これ、誰に訊けばいいんだ。あんた以外に。
「四つともこちらが紙に書いていない問いです」
ミレナは四枚を横へ並べた。
「頁の写しにはその街の下に何が通っているかしか書いてありません。四人ともそこから先を自分で書いてきています」
「同じことを訊いているわね」
ノラが四枚の上へ手をかざした。
「言い方は違うわ。上げる先、その日にすること、紙の回し先、訊く相手。……全部、跡が出たあとに誰のところへ行けばいいかよ」
「そこで止まりました」
アシュレイは空けてあった二つ目の欄を指した。
「峠の窪みも、届いた先で止まりました。私が紙を立てたのは止める場が定まらないからです」
ノラの筆が二つ目の行へ戻った。
「答えられる街の数を入れなさい」
「十九です」
「根拠は」
「費えが要りません。止めるのは一言です」
指を欄の下へ滑らせた。
「見張りを増やす話ではありません。手当も要りません。カルネの供給担当が数えた行は、この一つでは一行も立ちません」
「割れるかしら」
「掘り返されたい街はありません」
ノラはしばらく数を見ていた。それから欄の外へ小さく丸を書いた。
「一つだけ言っておくわ。一つしか決めない卓って、それ卓なの」
「一つでも決まる卓なら、二つ目を足せます」
「足せなかったら」
「そのときは一つだけ決まった卓です。いまより一つ多いです」
ノラは丸の脇へ点を打った。
「上の無い卓は、決まらなかったときに誰のせいでもなくなる、と私が言ったわね」
「伺いました」
「議題が一つなら、決まらなかったことも一つだけ残るのよ。……それなら、誰のせいかは分からなくても、何が決まらなかったかは残るわ」
アシュレイは紙の上から六つのうち五つを線で消した。残った一行を、ミレナが版下の中央へ写し取る。
――掘り返した跡が見つかったとき、誰が止めるか。
セルマが顔を出したのは日の傾く頃だった。版下を覗き込んですぐに眉を寄せる。
「これ、宿の主人には書けないわよ」
「書けませんね」
「前の紙は押すだけだったの。だから帳場で済んだわ。……今度のは街の中の誰かが答えないと返らないでしょう」
「返らなければ、書ける者のいない街だと分かります」
「分かるわね。分かってどうするの」
「そこから先はその街を数え直します」
セルマは版下を戻して指先で日数だけ数えた。
「十日で着くのが四つ。半月が六つ。峠の向こうと南は雪次第よ。……ただし今度は前より早く返るわ。宿の主人がもう束ね方を覚えているの。一度動いた道は二度目が早いのよ」
「返しの紙は」
「同じ形なら、荷にならないわ」
ノラが返しの紙の版下へ欄を足した。二つではなく三つ引く。
「出る。出ない。……三つ目は条件よ」
「二つでは足りませんか」
「足りないわ。二つしかない紙に、人は嘘を書くの。出ないと書きたくない街は黙るだけよ」
筆が三つ目の欄をなぞった。
「この一件だけなら出る。費えの話が出たら帰る。そう書ける欄を先に開けておきなさい。書かれたものは全部こっちの持ち物になるわ」
アシュレイは日と場所の欄をどちらも空けた。空けた下へ二行だけ入れる。いちばん遠い街へ紙が着いてから決めること。決めるときは遠い街の道に合わせること。
ミレナが版の位置を確かめた。
「白いまま出す欄が二つになります」
「理由をその下へ入れてください」
「入れます。……台帳と同じ形になりますね」
ガルドが戻ったのは戸の外がもう暗くなってからだった。土間で足を鳴らして荷を降ろす前に卓を覗き込む。
「一行か」
「一行です」
目を細めて口の中で読み直してから、ガルドは荷紐に手を掛けた。
「うちの都合で止まる形はどこにあるんだと、あんたに訊いたな」
「伺いました」
「これか」
「これです」
「答えは書いてねえぞ」
「書きません。書けば、私が決めた止め方になります」
ガルドは鼻を鳴らして荷を土間の隅へ寄せた。
「一行しか書いてねえ紙はな、たいてい途中で忘れられる。束の下敷きになってそのまま棚へ入るんだ」
「刷りは薄くなります」
「薄いのが悪いんだ。……近い四つは、おれが回るときに口で言ってくらあ。宿に一晩座ってりゃ、その街で核を見てる手は必ず顔を出す」
「呼ばないでください」
「呼ばねえよ」
ガルドは外套を掛け直した。
「訊くだけだ。あんたんとこの街で、跡が出たら誰が最初に手を止めさせるんだってな。……返事はあんたに渡す。おれの手には残さねえ」
版は二日で組み上がった。
束は三枚ずつになった。異議の本紙の写し。議題を一行だけ書いた紙。出る、出ない、条件の三つの欄を持つ紙切れ。
重ねて紐をかけると、はじめの十九通の半分ほどの厚みしかなかった。
その晩、第一頁を出した。
扱いの欄はまだ空のままだった。空にした理由の下へ、今度の紙の番号だけを書き足した。何を決める場を作ろうとしているかが、その番号を引けば出てくる。それだけで、扱いの欄が埋まるわけではない。
便は明け方に出た。三つの束が別々の日に別々の道を行く。
十九の街の手元へ残るのは、こちらの名前と、答えの入っていない問いが一つだけになる。
返る紙には初めてこちらの問いへの答えが書かれる。書ける者のいない街からは、今度も何も返らない。
どちらも数えられた。




