第140話 十九通
名の紙が十九まで埋まったのは三日あとだった。
六つ目へ峠の街を入れてから先は迷わなかった。掘り返しの跡が出た継ぎ目にいちばん近い街。その次に近い街。街道でそこへ繋がっている街。止まった場所からの遠さで並べていくと、九つ目までは筆が止まらない。
残りは名簿の写しから書き移した。
ミレナが書き上がった紙を卓の中央へ置いた。
「手が分かるのは九つです」
左の列を上から順に指でたどった。
「イルダン。カダル。カルネ。ドラン。リーデン。メレン。バルクス。コーレン。峠の一つ。この九つは、誰へ渡せばよいかが綴りに書いてあります」
「名だけ分かるのは」
「二つです。峠のもう一つと南の一つです。街の名は知っていますが、核の近くに誰がいるかは書いてありません」
「残りは」
「八つです。名簿の写しにある名を、そのまま写しました」
ノラが左右の列を見比べた。
「右の八つは、こっちが一度も足を入れていない街よ。核がどれだけ傷んでいるかも誰も測っていないわ」
紙の縁を弾いた。
「名前だけ数えてある状態は、名簿が来てから一つも動いていないの」
「動かす紙を出します」
アシュレイは版下を引き寄せた。
「十九へ同じものを出します。中身は二枚です。その街の頁の写しと、地面の下の一本と書いた一枚です。日付はその二枚目に入れます」
ミレナが筆を止めた。
「頁の写しなら、もう刷り上がっています」
「刷ってあるだけですね。届いているのは近い四つだけです」
「四つです。峠から先は雪待ちで止めてあります」
版下の上の段が宛名の欄になっている。ミレナはそこを指で押さえた。
「肩書きはどう入れましょう。市庁の供給担当あてが無難かと思いますが」
「肩書きは入れません」
アシュレイはその欄を鉛筆で消した。
「市庁の誰それ宛にすると、紙は市庁の棚へ入ります。棚へ入った紙は核の近くまで歩きません」
「では宛名は」
「街の名だけで結構です。届け先は宿にします」
セルマが外套を掛けながら口を挟んだ。
「宿ならこっちで押さえてあるわよ。荷が必ず寄る宿は十九のうち十七まで分かるわ。残る二つは冬に便が入らないの」
「読み上げは頼めますか」
「頼めるわね。あの人たちは元から掲示を読んでやっているもの。……ただし読んで聞かせるだけよ。走らせようとしたら断られるわ」
「走らせません」
文の言葉はミレナが直した。図面の言い回しを全部落として、継ぎ目という語も避けた。街の下を通っている一本があり、それがこの街のどこを通っていて、今どうなっているか。それ以外は入れなかった。
ノラが版下を裏返した。
「呼ぶ一行はどこへ入れるの。日付の下でしょう。この日に集まってください、と」
「書きません」
「書かないの」
「書きません」
アシュレイは日付の欄を指した。
「入れるのは一行です。この日に第一頁が開かれます。扱いの欄は今のところ空です。それだけです」
「それで誰が来るのよ」
「来てくださいと書けば、返ってくる答えは二つになります。行くか行かないかです」
筆の先を右の列へ移した。
「行かないと書いた街は、次にこちらが出す紙を開けません。一度断った相手から届く紙は、断った側には催促に見えます」
「じゃあ何を待つの」
「読んだかどうかだけです」
ノラは紙を裏返して、また表へ戻した。しばらく何も言わなかった。
「一枚も返らなかったら」
「そのときは読まれていないと分かります。分かれば、次の紙の出し方を変えられます」
ノラは筆を取って新しい罫を引いた。細い欄を二つ並べる。受領の印が返った街と、返らなかった街。
「受け取ったと書くだけの紙を入れておくわ。字が書けなくても印だけ押せる形にするの」
「返送の手当ては」
「宿へ寄る便のついでよ」
セルマが答えた。
「一枚の紙切れなら荷にならないわ。宿の主人が束にして次の便へ渡せば、誰も一日も損をしないの」
「では、そう組んでください」
「組むわ。……ただし押すのは宿の主人よ。街の誰かじゃないわ。誰が読んだかは、そこには残らないの」
監査院の使いが着いたのは版が刷り上がった翌日だった。若い書記が一人で、継送の便に乗ってきた。
ローデリクの書面は短かった。
――十九へ同じ紙を出すのであれば招集の権限が要る。監査官にその権限はない。権限の無い招集は私信の束にすぎない。
「招集ではありません」
アシュレイは書面を戻した。
「写しの送付です。台帳は三部に分けて配ると決めてあります。監査院と統轄部と現場です。十九の街は現場です」
「配布であれば番号と受領の記録が要ります」
「番号は振ってあります。受領の記録も今日から罫にしました」
書記は刷り上がりの一枚を手に取って、日付の一行のところで指を止めた。
「この一行が難しいと存じます」
「難しいですか」
「読む側は呼ばれたと受け取ります。送り状の面にこれが入っていると、体裁として招集になります。フェイン様が案じておられるのはそこです」
「呼ばれたと受け取られるのは構いません」
アシュレイは一枚を裏返した。
「呼んだとこちらが書かなければ、来なかった街は断ったことになりません。私が避けたいのはそちらです」
書記はしばらく紙の裏を見ていた。頁の裏には写しの所在と請求先を書く欄が刷ってある。
「でしたら、この一行は裏へ回してください」
欄の下の余白を指した。
「裏は写しをどこで請求できるかを書く面です。監査院の見分けの日をそこへ書くのは、様式の中に収まります。表に出ていれば招集の紙ですが、裏にあれば、いつ誰が何を見るかの断り書きです」
「同じ日付ですね」
「同じ日付です。ですが半年後に綴りを引く者は、様式のどこに書いてあったかで読み方を決めます」
ミレナが版の番号を確かめた。
「刷り直します。末尾の数字を変えれば、前の刷りとの違いが残ります」
「二百枚近くありますが」
「二日で刷れます」
書記は帰りの便まで一晩泊まった。発つ前に、綴じ込む控えの写しを一部だけ請求していった。
刷り直した紙が乾いたのは五日後だった。
ミレナが十九の束を作った。裏へ日付を入れた頁の写し。地面の下の一本と書いた一枚。受け取ったと押すだけの紙切れ。三枚ずつを同じ順に重ねて、番号を突き合わせてから紐をかける。
セルマが道の割りを持ってきた。
「十日で着くのは四つよ。半月が六つ。峠の向こうは雪が緩むまで動かないから、早くて一月半だわ」
「南の端は」
「いちばん早い便でも一月ね。あそこは冬に南回りしか通らないの」
ガルドは野の五つへ出たまま戻っていない。帰りは早くて十日後になる。
差出人の欄は、あの三行のときと同じ一行で済んだ。今度は十九枚ぶんある。
束を土間へ運ぶとき、セルマが一つ持ち上げて重さを確かめた。
「宿の主人が最初に訊くのはね、これは誰から来た紙かってことよ」
紐の結び目を指で弾いた。
「そこに一人の名前しか書いていないと、あの人たちはその一人の紙として扱うわ。読み上げもするし、印も返してくれるでしょうね。……でもそれは、あなた個人へ返しているのよ」
「そうなります」
「分かって出すのなら止めないわ」
荷は明け方に出た。三つの束に分かれて、別々の日に別々の道を行く。門の外の雪はまだ締まっていない。
十九通の裏には同じ日付が入っている。表には同じ名前が一つずつ入っている。
決める場ができるまでのあいだ、十九の街の手元に残るのはその名前だけだった。
いちばん早い一通が着くのは十日後になる。返る印があるとすれば、それも同じ一人のところへ返ってくる。




