表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第14章:十九の街の卓〜抱えるな、決める場を作れ〜
PR
139/157

第139話 決める場が無い

 白い紙の名は五つで止まっていた。


 イルダン。カダル。カルネ。メレン。バルクス。そこから先が進まない。名簿の写しには十九そろって並んでいるが、並びは在り処の順で、卓へ呼ぶ順ではなかった。


 どの街から書くかを決める理由がこちらの手元にない。


 ミレナが湯を置いた。


「峠の二つは、どちらを先に書きますか」


「決めていません」


「では空けておきます」


 空けたまま並べると紙に穴が二つできた。穴のある紙は誰にも見せられない。


 継送が着いたのは昼を回ってからだった。


 峠の宿の印が押してある。中の紙は二枚で、一枚は宿の主人の字、もう一枚はその街の触れてよい者の字だった。


 ミレナが日付を読み上げた。


「言づけが宿へ入ったのが四日前です。宿から街へ回ったのが翌朝。街からこちらへ出したのが二日前です」


「早いですね」


「荷運びが宿を出る前に言づけています。次の宿まで持ち歩いていません」


 ノラが二枚目を先に取った。


「罫のとおりに動いたわ」


 束の縁で紙を叩いた。


「触ってないの。近づいてもいないわ。見たのは土だけよ。……こっちが書いたとおりのことしか書いてないもの」


 セルマが遅れて入ってきて外套の雪を払った。


「その荷運びなら知っているわ。峠の油と塩を運んでいる人よ。月に四度あの脇を通るの」


 卓の紙を覗いてから顔を上げた。


「損をしていないわね。宿で一言置いただけだもの。……これなら続くわよ」


 書いてあることは短かった。


 野の継ぎ目の一つだった。名の入った六枚のうちの一枚で、月に四度あの荷運びが脇を通る。街道から見て左の窪みで土が掘り返してあった。幅は人が一人しゃがめるほど。深さは膝より浅い。継ぎ具そのものは見えていない。新しい土が山になって残っていた。


 雪の前に掘った跡ではない。雪の上に土が乗っている。


「三日以内ね」


 ノラの指が日付をなぞった。


「言づけが四日前で、荷運びが通ったのはその朝よ。降ったのは五日前だわ」


「掘った者はまだ近くにいる可能性がありますね」


「あるわね。……で」


 ノラが顔を上げた。


「これ、どうするの」


 二枚目の末尾に、街の触れてよい者が一行だけ足していた。


 ――これは、どこへ上げればよいのでしょうか。


 アシュレイはその一行を二度読んだ。


 男は正しく動いている。触らなかった。近づかなかった。日付を控えて上へ回した。回した先で答えが返らないので、こちらへ書いてきた。


「その街の権限では届きません」


 アシュレイは管理表を開いた。


「窪みは街の境の外です。街の触れてよい者が動けるのは、自分の街の核とその周りまでです」


「領の役人は」


 ミレナが顔を上げた。


「野は領の地です。ですが領の役人が止められるのは、掘る許しを出した相手だけです。許しを取らずに掘っている者はそもそも帳面に載っていません」


「統轄部は」


「名簿を持っています」


 アシュレイは少し置いた。


「ですが台帳の登載に異議を出した側です。異議の綴りが片づく前にあの部署へ止めてくださいと書けば、名簿はやはり自分たちの手にあると読まれます」


「監査院は」


「量る側です。当事者になりません」


 アシュレイは指を止めた。


「……それに、あちらへ上げるのは筋が違います。ハーケン殿には、止め手は各地の触れてよい者ですと申し上げました。台帳が通ったのは、その一行があったからです」


 ノラが手を止めた。


「通した条件が、いま欠けてるってことね」


「欠けています。……街の中では欠けていません。欠けているのは街の外です」


 ノラが眼鏡を押し上げた。


「じゃあ、うちは」


「イルダンには、他所の街の外の野を封じる筋がありません」


 卓が静かになった。


 継送の紙は届いた。経路は動いた。罫は書いたとおりに機能した。


 そして届いた先で止まっていた。


 セルマが手袋をはめ直した。


「一つだけ言っておくわね」


 戸口の手前で足を止めた。


「あの人たち、返事を待つのよ。言づけたことがどうなったかを、次に寄ったときに宿で訊くの。……何も起きていませんでした、が二度続いたら、三度目からは黙って通るわ」


「損はしないのに、ですか」


「損はしないわ。意味がないと思うだけよ」


 外套の襟を立てた。


「無駄なことをさせていると思われたら、そこで終わり。罫は残るけれど、誰も通らない罫になるの」


 戸が閉まってから、しばらく誰も口を開かなかった。


 領へ出す紙は書き出しで詰まった。


 差出人の欄に何と書くかで止まる。イルダンの監査官として書けば、イルダンが他所の野へ手を出す形になる。台帳の名で書けば、台帳には差出人になる資格がない。九十四枚は紙であって人ではない。


「台帳の名では出せませんか」


 ミレナの手が止まっている。


「出せません」


 アシュレイは筆を置いた。


「台帳は、誰かが決めたことを書き留める紙です。……決める側の欄が、まだ空いています」


 リオネルが来たのは夕方だった。


「掘り返しの件と伺いました。手勢は出せます」


「どこの手勢ですか」


「イルダンの見張り隊です」


 彼は言ってから自分で口をつぐんだ。


「……峠の野は、うちの受け持ちではありませんね」


「出せば、翌月からイルダンが野を見張ることになります」


 アシュレイは首を振った。


「一度出した手は、次に出さなかったときに責められます。冬に十一日かかる道へ毎月出し続けられる隊はありません」


「では放っておくのですか」


「放っておきません」


 アシュレイは新しい紙を引いた。


「私が止めます」


 書いたのは三行だった。


 その窪みの周りへ人を近づけないこと。掘りかけの土をならさないこと。次に通る者が同じ場所を見て日付を控えること。


 署名は自分の名で入れた。役職も添えた。


 ミレナが読んでから筆を止めた。


「監査官のお立場で、野を封じる権はありますか」


「ありません」


「……ありませんね」


「ありませんので、そう書きます」


 アシュレイは紙の下へもう二行足した。


 ――止める場が定まらないため、暫定で監査官が止めた。これは権限に基づく処置ではない。


「異議の欄の隣へ綴じてください。番号は別に振って結構です」


「別に振ります」


 ミレナは版の番号を確かめてから紙の隅へ小さく書き入れた。


「同じ番号のものが、峠の宿にもう一枚要ります」


「刷ってください。読み上げる人は宿の主人で構いません」


 ノラは自分の罫の頁を開いたまましばらく黙っていた。


 それから筆を置いて卓の向こうから真っすぐこちらを見た。


「あなた、いま何をしたか分かってる?」


「越権です」


「それはあなたが書いたわ。私が言っているのは別のことよ」


 ノラは三行の紙を指した。


「それ、あなたが倒れたら止まらないやつよ」


 答えられなかった。


「触れてよい者は増やしたわ。二人目の決まりも作ったし、見て報せる者も立てたわね。……止め方も配ったわ。全部あなたがいなくても回るようにしたのよ」


 筆の尻が紙の隅を叩いた。


「なのに止める判断だけが、まだあなたのところにあるじゃないの」


「そのとおりです」


「そのとおりですで済ませないでちょうだい」


 ノラは頁を閉じた。


「これ、あの日の続きよ。決めない人が抱えていると、決める日は来ないって言ったでしょう。……いまのが抱えたほうよ」


 夜になってから第一頁を出した。


 九十四枚の頭の紙で、五つの欄の並びと、番号の刻みと、扱いの欄がある。扱いの欄は空で、空にした理由がその下に書いてある。


 これまでこの欄は、まだ書けない欄だった。決める場がないので書けない、と自分で書いた。書けないことを書いたのだから間違ってはいない。


 今日その欄は別のものに見えた。


 書けない欄ではない。無いせいで、報せが届いた先で止まった欄だ。


 継送の紙をもう一度読む。土が掘り返してあった。新しい土が山になっていた。次に通るのは月に四度の荷運びで、いちばん早くて七日後になる。


 七日のあいだあの窪みに立つのは三行の紙だけだ。紙を立てたのは権限のない一人で、その一人はいまイルダンにいる。


 名の紙は五つで止まったままだった。


 どの街から書くかの理由が要ると昼には思っていた。理由なら今日できた。


 止まった場所にいた者から順に書けばいい。


 筆を取ると、六つ目に入れる名はもう決まっていた。あの宿のある峠の街だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ