第137話 地図を台帳へ
図を台帳へ載せる段でまず止まったのは番号だった。
ローデリクは目録の綴りを三冊卓へ並べて、指の腹で背を順に叩いた。
「入れる箱がありません」
「どれにも入りませんか」
「停止資産は一つの街の一つの設備を数える箱です。危険未確認基盤資産も同じ作りです。どちらも街の名で引きます」
一冊を開いて頁の頭を見せた。
「この図は十九の街にまたがります。同じ番号を十九ぶん振れば、どの街の台帳を引いても同じ一枚が出てきます。ですが街の台帳は街が直せます」
「十九の手が同じ一枚を書き換えられますね」
「三年もすれば違う十九枚になります」
ノラは卓の端で拓本の束を揃えていた。
「箱を新しく作るしかないわね」
筆の尻で図の縁をなぞった。
「街ごとに数える箱しか無いのは、街ごとに壊れる物しか台帳へ載せてこなかったからよ。街をまたいで一本で埋まっているものを、この帳面はまだ一度も数えたことがないの」
「頁は何で切りますか」
「継ぎ目一つで一枚よ」
ノラは拓本を一枚立てた。
「街で切ると、街の外の継ぎ目がどの頁にも入らないわ。野の真ん中で切られていたあの五つみたいなのがね」
欄は五つに割った。どこにあるか。どれとどれを繋いでいるか。いつ誰が確かめたか。今どうなっているか。その継ぎ目を受け持つ者の名。
四つ目の欄には三つの書き方しか許さないことにした。生きている。切られている。確かめていない。
「見た者のいない継ぎ目に、切られているとは書かせないわ」
紙を数え直したノラが息をついた。
「九十四枚になったわ」
五つ目の欄で手が止まった。
名の入る継ぎ目は街の周りに集まっていた。触れてよい者を立てた街の頁には名が書ける。街から離れた野の継ぎ目には、受け持つ手がまだいない。
「十一枚あるわ」
白いままの欄を並べて見せた。
「名の無い継ぎ目は未確認と同じ扱いで載せる。そう決めたのはあなたよ」
「決めました」
「では十一枚は未確認で載せるわ。……立てれば減る数よ、これは」
箱の名で少し揉めた。
「停止資産では通りませんか」
「止まっているとは書けません」
アシュレイは図の東の端へ指を置いた。
「王都の一つは受けています。止まっている物の箱へ入れれば、受けている一つまで止まっている物として数えられます」
「では稼働資産でもありませんね」
「動かしてもいません」
ノラが横から筆を回した。
「動いていないけれど繋がっている、でしょ。……長いわね」
戸口から声がした。
「長い名は現場で読まれません」
ハーケンが入ってきて卓の端に立った。
「半年後に私が引くのはその名です。引けない名は付けないでいただきたい」
しばらく誰も筆を動かさなかった。
「旧基盤系統。確認分」
アシュレイが言った。
「台帳の名はそれで結構です。現場へ回す紙には別の言い方を添えます」
「二つ名があるのは感心しません」
「一つにすると、どちらかが読まれません」
配り先の一覧を引き寄せた。
「継ぎ具を外した野の人たちは旧基盤系統という字を読みません。地面の下の一本と書いた紙なら読みます。同じものだと分かるように、両方へ同じ番号を刷ります。言い換えの控えはミレナが版で持ちます」
ハーケンは短く頷いただけだった。
昼を回ってエルリックとゲイルが来た。二人とも紙の束を抱えている。
「揺れた晩のぶんを日付順に貼り直しました」
エルリックは束を置いて上の一枚をめくった。
「頁の番号と同じ並びにしてあります。九本のどれに手がついた晩かで引けます」
ゲイルは自分の束を横へ重ねた。
「当直の日誌も写した。誰も触ってねえ晩に揺れたってのは、こっちの紙のほうが早く分かる」
王都の核をどの頁へ書くかが残った。
あれは十九の街のどれでもない。継ぎ目でもない。九本の登りの終端でもなかった。
「一枚だけ別に立てます」
アシュレイは白紙を取って束の端へ置いた。
「番号は最後。欄は同じ五つ。今どうなっているかの欄には、生きているとも切られているとも書きません」
「では何と」
「受けている、と」
ノラの筆が止まった。それから短く息を吐いてその一行を書いた。
夕方に統轄部からの一通が届いた。
ローデリクが封を切って読み上げた。当該図の台帳登載は不適当と認める。既に判断済みの事項である。それだけだった。末尾に長の署名は無く、書記官の名が一つあるきりだった。
「あの方の字ではありませんね」
ローデリクは紙を灯へ寄せた。
「代筆です。長の名で出すなら、名簿へ筆を入れた同じ手で書くはずです」
「返しますか」
「綴じてください」
アシュレイは紙を卓の中央へ戻した。
「原本の末尾へ、この一枚も一緒に綴じます」
「反対の意見をですか」
「載せるなという紙が載っている台帳のほうが、あとから読む者には正直です」
ノラは通し番号を振って束の最後へ回した。
「異議の欄を作るわ。賛成しか綴じない帳面は、結局その帳面を作った人の絵になるのよ」
三部が綴じ上がったのは翌日の夕方だった。ハーケンは背を順に見ていった。
「置き場は」
「監査院。統轄部。現場。現場の一部はイルダンの原本棚です」
「写しを取った者の名は」
「写した者と受け取った者の両方を頁の裏へ書きます。持ち出すときも同じです」
「街へは」
「街には、その街の頁だけを渡します」
ハーケンは第一頁をめくって指を止めた。
「期限を書きなさい」
爪の先が空の欄を叩いた。
「扱いの欄が空です。起こすのか、止め続けるのか、管理し続けるのか。空のまま何年でも置ける台帳は、伏せてある名簿と同じです」
「今は書けません」
「では、いつ書くかを書きなさい」
「それも書けません」
ハーケンはしばらく黙っていた。
「理由は」
「決める場がありません」
アシュレイは白い欄を見た。
「十九の街と統轄部と監査院と、順を継いだ人たちが同じ卓に着いたことは一度もありません。誰が決めるのかが決まっていないのに、いつ決めるとだけ書けば嘘になります」
「では空の理由をそこへ書きなさい」
ハーケンは筆を寄越した。
「空のままにした理由が書いてあれば、それは空欄ではありません」
王都を出て九日で街へ戻った。
オルセンは宿の裏の物置を借りていた。板の卓に順の写しが広げてある。リオネルの手勢は入口の脇に立ったままだった。
アシュレイは綴じ上がった一部を卓へ置いた。老人は頁を三十枚ほどめくって、それから手を止めた。
「出どころの欄を書いていただきたいのです」
「順の出どころか」
「どの紙が誰の手で写されたか。師から受け取った年。渡した年。分かる範囲で結構です」
老人は筆を取らなかった。
「載せて、それからどうする」
指が頁の縁で止まっていた。
「明るみへ置くと言った。置いた先で触るなと札を貼るなら、伏せてあるのと変わらん」
「頁を最後まで見てください」
アシュレイは五つ目の欄を示した。
「受け持つ者の名が入っています。封じる台帳に、触る者の名は要りません」
オルセンは十枚ほど繰って名の欄を追っていった。
「街には、その街の頁しか渡さんそうだな」
顔が上がった。
「全部を持つのは三部だけだ。……割ったのと、どこが違う」
アシュレイはすぐには答えなかった。
卓の上の頁は九十四枚ある。どの一枚を見てもその継ぎ目がどこへ繋がるかは分かる。だが並べなければ一本にはならない。分けて配ることと割って隠すことは、外から見た形が似ていた。
「頁の裏です」
アシュレイは一枚を裏返した。
「残りの写しがどこにあるかを、九十四枚ぜんぶの裏へ書いてあります。監査院に一部。統轄部に一部。イルダンに一部。誰に言えば見せてもらえるかも書いてあります」
「見せぬと言われたら」
「言われた者は監査院へ持ち込めます。半年ごとに見る者がいますので、渡さなかったこと自体が残ります」
オルセンは裏の一行を長いあいだ見ていた。
「……順のほうには、こういう字は無かった」
「無かったから四十年かかりました」
アシュレイは静かに続けた。
「あなたは残りの半分がどこにあるかを教わっていません。教われば、確かめてから起こせという一行の意味はその年のうちに分かったはずです」
老人は隅から布包みを取ってきた。四種類の紙の束だった。
「これは渡す紙だ。残す紙にした覚えはない」
「写しをお返しします」
アシュレイは包みを受け取らずに卓の場所を空けた。
「本紙は原本へ綴じます。同じものを写して、照合の印を押してお渡しします。印のあるほうが、これから先は本物として通ります」
「私の手を離れるな」
「離れます。ですが燃えません」
オルセンは紐を解いて、いちばん古い一枚を上にして卓へ載せた。
「あの三人へは、どう伝わる」
「配る紙へ一行足します」
アシュレイは一覧を出した。
「順を持っている人は、その街の頁の写しを見に来てよい。取り上げない。名も訊かない。……見に来た日付だけを書きます」
「名を訊かんのか」
「訊けば来ません」
老人の口の端がわずかに動いた。笑ったのかどうかは分からなかった。
「順の決まりと同じだ」
「同じにしました。そうしないと届きませんので」
出どころの欄は老人が自分で書いた。
師の名。受け取った年。四種類の紙のどれが誰の手か。分かる二つには丸を付け、分からない二つには線を引いた。最後の欄で筆が止まり、それから一行だけ足した。
――上は在らぬと確かめた。この順で起こしてはならん。
書き終えてから筆を置いた。
「渡すときに、これも一緒に渡してくれ」
その晩、宿の卓で第一頁を開いた。
扱いの欄は空のままだった。その下に、決める場がまだ無いため空けている、と自分の字で書いてある。
地図は燃やされもせず、誰か一人の手にも残らなかった。九十四枚として台帳へ載った。載ったものをどう扱うかは、まだ誰も決めていない。
いちばん古い頁の一行も、削られた白さのままだった。切れと言った手の名は九十四枚のどこにも無い。
誰が、いつ、どこでこの一本の扱いを決めるのか。それを書けるようになるには、十九の街をこの図の前へ立たせなければならなかった。まだ一度も開かれたことのない卓だった。




