第133話 系統を起こすな
東の街の掘り返し跡へ着いたのは届け出の翌日の昼だった。
石の函は天井まで土が除かれていた。脇に新しい材木が三本と巻いた継ぎ具の束が二つ置いてある。巻きの革はまだ黒く艶が残っていて雨に打たれた跡もなかった。
リオネルの手勢が周りへ縄を張り直して四隅に杭を打った。
「昨日の朝までは何もなかったそうです」
リオネルは土の縁を靴の先でなぞった。
「掘ったのは二人か三人。荷車の轍が街道から入って北へ抜けています。追いますか」
「追わなくて結構です。轍の向きだけ控えておいてください」
アシュレイは函の底へ灯を下ろした。
切り口は先日のものと同じ形だった。両側で面が揃い、あいだの一尋ほどがまるごと無い。
その無い部分へ、新しい継ぎ具が一本、すでに渡してあった。革の巻きはまだ黒く、合わせ目に泥が入っていない。
脇に積まれた材は、渡し終えて余ったぶんだった。
三日のうちに同じ届け出が二つ続いた。
南の街の野に一箇所。西へ回った丘の下にもう一箇所。どちらも登りの終端にあたる位置で、どちらにも新しい材木と継ぎ具が残されていた。
会所の卓へ系統図の写しを広げ、ノラが届け出のあった場所へ順に印を落としていった。
「四箇所目よ」
筆を置いて眼鏡を押し上げた。
「南と西は同じ日の朝に見つかっているわ。……一人の足では無理ね。少なくとも三組は動いているわ」
「継ぎ具のほうも見たわよ」
セルマが荷の綴りをめくった。
「同じ寸法の巻きが半年で七十本動いているの。仕入れたのは名義だけの小さな組合よ。代金は方々の街から少しずつ集まっているわ。……年寄りが一人で歩いて集めた額じゃないわね」
「継いできた人たちがいるということですね」
「継いできて、今いっぺんに動いたのよ」
アシュレイは図の上の四つの印を見た。九本の登りのうち四本に手がかかっている。残る五本の終端はまだ誰も見ていない。
王都からの便りが着いたのは翌朝だった。
エルリックの字はいつもより急いでいた。旧式安全核の待機の帯がこの八日で六度揺れた。揺れの幅も前より大きい。戻るまでの時間はさらに延びている。末尾に揺れた日と刻限が並べて書いてあった。
ノラがその列を届け出の日付の横へ写した。
「重なっているわ」
筆先が二つの列の間を行き来した。
「掘り返しが見つかった日の前の晩に必ず一度揺れているの。順番まで同じよ。……向こうで一本繋がるたびに王都が震えているわ」
筆が列の下で止まった。
「揺れは六度。見つかった掘り返しは四つよ。……まだ誰も見ていない継ぎ目が、二つあるわ」
アシュレイはしばらく図を見ていた。
「繋いだ先に上の系統があるなら、震えるのは繋いだ先のはずです」
「そうね」
「震えているのは王都の核です」
図の上で九本の登りは途中で終わっている。終わりの先に何も無いのなら、繋ぎ直された枝が合図を求めて寄れる相手は一つしか残らない。
「返す相手を探して、残っている一つへ寄っているのね」
ノラの声は低かった。
「今は推測です」
アシュレイは綴りを閉じた。
「ですがこの推測が当たっているなら、繋ぐほど王都の核ひとつへ荷が寄ります。……受けきれなくなった時に落ちるのは王都だけではありません」
ミレナが名簿の写しを開いた。指が上から下まで名前を追った。
「十九です」
声は落ち着いていたが早かった。
「切り離し条件が届いているのは十九ぜんぶです。ですが継ぎ目の場所まで知っているのは、私たちと、あちらだけです」
その日のうちに卓の面ぶれが替わった。
ガルドがイルダンから回ってきて、紙の裏へ炭で線を引き始めた。
「繋いだ跡は素人でも見分けがつく」
引いた線の脇へ短い印を三つ足した。
「革の巻きが新しい。土が乾いてねえ。継ぎ具の合わせ目に泥が入ってねえ。この三つが揃ってりゃ昨日今日に渡された線だ」
「外してよいものですか」
「昔から埋まってた線を切るなとは言った。だが昨日渡された線は昔からの線じゃねえ」
ガルドは炭を置いてアシュレイを見た。
「あんたが去年決めた通りだ。無断で足された臨時の線は切ってよい線に入る。……ただし一本ずつだぞ。二本まとめて外させるな。外したら半日座って見てろと書いとけ」
「二人で立つことも足します」
「そりゃ書かんでも守るさ。もう身についてる連中だ」
見つかっていた四つは、その日のうちに一本ずつ外された。外して半日置くと、待機の帯はどれも元の高さへ戻った。
配り先の一覧を前にして、ミレナの筆が止まった。
「継送では届かない街があります」
指が下の三つへ落ちた。
「東の三つは早くて十日。峠を越える二つは半月です。……今から書いても、繋がるほうが早いです」
誰もすぐには言い返さなかった。
「ですから今から届けるものは諦めます」
ミレナは顔を上げた。
「もう配ってあるものに賭けます。去年配った四つの条件の紙と、止めた記録の型は十九の街ぜんぶに届いています。受領印も揃っています。……足すのは一行だけにします。長い紙は読まれる前に繋がってしまいますから」
アシュレイは頷いた。
「新しく渡された線を見つけたら一本だけ外して半日待つこと。二人で立つこと。……それだけでいいですね」
「それだけなら早馬で追い越せます」
ノラは写しの束へ通し番号を振り始めた。
「止めた記録の綴じ方も先に決めておくわ。あとから集めると必ず形が揃わないの。……型が止めたと読める形で書いてもらわないと、また腕や運の話にされてしまうもの」
誰がどこへ回れるかを、卓の面ぶれで一つずつ埋めていった。
カダルからならコルトが南の二つへ二日で入れる。ドランのヨナスは自分の街から動かさない。あの街の継ぎ目は名簿でいちばん奥にあり、代わりに入れる手が近くにいない。東の二つには去年の査察で二人目に立った設備番がそのまま残っている。王都ではエルリックとゲイルが安全核の帯を測り続ける。
「私はここです」
アシュレイは図の一点へ指を置いた。
「一箇所にしか立てません。……そのぶん、いちばん戻せない継ぎ目の前に立ちます」
西の丘の下の終端で、アシュレイは初めてその男に会った。
三十を少し過ぎたくらいの痩せた男だった。手にしていたのは継ぎ具ではなく写しの帳面で、開いた頁に几帳面な字が並んでいた。オルセンの図と同じ書き癖だった。
「ヴァルターといいます」
男は名乗ってから帳面を閉じた。
「監査官殿でしょう。……脅しに来られたのなら、聞くだけは聞きます」
「脅しません。図を見てもらいに来ました」
アシュレイは継ぎ上がった系統図の写しを縄の上へ広げた。九本の登りの終端に印がある。
「あなたの写しにある続きは、在り処の側にありません。九本ともです」
「切られただけです」
男は図を一瞥しただけだった。
「切られただけなら繋ぎ直せる。……先生も同じことを言われました」
「その先が生きているかどうかを、まだ誰も見ていません」
「見なくても分かります」
ヴァルターは初めて声を強めた。
「地方は現に凍えています。見てから決めろと言われているあいだに、私の生まれた街は人が半分になりました。……あなたの紙は正しいのでしょう。ですが正しい紙は薪になりません」
リオネルの手勢が縄の外を回った。踏み込めば取り押さえられる位置だった。アシュレイは片手を上げてそれを止めた。
男は帳面を懐へ入れて坂を下っていった。
その夜、東から早馬が入った。
メレンの継ぎ目に一本渡されたという報せだった。渡したのは夜明け前で、渡した者は日の出を待たずに去っていた。核の待機の帯が朝から跳ねたという。
届いた紙には五行が並んでいた。
触る前に測った。帯を紙へ写した。新しく渡された線を一本だけ外した。半日置いて観た。二人目の署名を入れた。テオとハイムの名が下に並んでいる。
帯は昼過ぎに元の高さへ戻っていた。
「……止まっているわ」
ノラは紙を灯へ近づけて二度読んだ。
「相談する暇なんてなかったはずよ。それでも去年の六枚と同じ形で書いてあるわ。……型が止めたのよ、これは」
「同じ形で書けるように配りましたから」
アシュレイはそう言ってから卓の図へ目を戻した。四本のうち一本は押さえた。残りにも同じ紙が届いている。
残る五本の終端のうち、ノラの指は一本の上で止まった。
「ここだけ手がついていないわ」
五つの枝が寄り合って一本になっている場所だった。寄る本数がどこよりも多い。
「本命だから最後に残してあるのよ。……ここを一本繋げば、あとの四本も全部その先へ繋がる形になっているもの」
「繋がれると後戻りができませんね」
「一本ずつ外して回れる数じゃなくなるわ」
馬を替えて二日走った。
着いたのは日の落ちる前で、縄はまだ張られていなかった。野の真ん中の土が四角く開いている。石の函の天井は外され、脇に継ぎ具の束が三つ降ろしてあった。
函の縁にオルセンが立っていた。若い男が二人、束の革紐を解いている。
リオネルが手を挙げて手勢を止めた。
「踏み込みますか」
「待ってください」
アシュレイは馬を降りた。
「半端に渡るのがいちばん危ない。揉み合いの弾みで継ぎ具の片端だけが噛むと、外すのに手間がかかります」
「お前さんか」
オルセンは振り返らずに言った。
「先回りは、もう驚かんな」
「オルセンさん。継ぎ具から手を離してください」
アシュレイは函へ近づいた。
「あなたが繋ごうとしている要の先に、束ねる上の系統はもうありません」
「切られておるだけだ」
「切られています。そこは私も同じに見ました」
アシュレイは旅嚢から二つの綴りを出した。継ぎ上がった系統図の写しと、王都の待機の帯の記録だった。
「ですが切られた先に何があるかは、切り口を見ても分かりません。分かるのはこちらです」
図と記録を函の縁へ並べて置いた。
「あなたの筋が四本繋いだ晩、王都の核は四度揺れました。繋いだ順と同じ順です。……繋いだ先が生きているなら、揺れるのは向こうの端のはずです。揺れているのはこちらの端だけです」
オルセンの手が止まった。
若い男の一人が革紐を握ったまま顔を上げた。
「脅しだ。数字などいくらでも並べられる」
「並べたのは日付と刻限です」
アシュレイはその男の顔を見た。
「合っていないなら、合っていない日を一つ挙げてください。一つでも挙がれば私はここで引き下がります」
男は答えなかった。
「これを起こせば、合図の返らない核が十九、同時に暴れます」
アシュレイは老人へ向き直った。
「一つの街ではありません。十九です。あなたが救おうとしてきた街も、その中に入っています。……起こすのではなく、まず全体を継いで確かめてください。継ぐ卓には、あなたにも入っていただきます」
オルセンは長いこと黙っていた。
野の風が図の端をめくり、老人は指でそれを押さえた。押さえた指が九本の終端をひとつずつ辿っていった。
「四十年だ」
声は静かだった。
「私の師は、その先にあるものを見た者から順を受け取った。師は見ておらん。私も見ておらん。……見ておらんものを、私は四十年抱えてきた」
「見ていないから、確かめるんです」
「見ておらんから、繋ぐのだ」
老人は函の縁へ手をかけた。
「切られた線は繋げば戻る。戻らんのは焼けた線だ。……これは焼けておらん」
「オルセンさん」
その手はもう止まらなかった。
束の一端が函の中へ下ろされ、切り口の面へ合わされた。革の擦れる音がして、噛み合った金具が短く鳴った。
アシュレイは函の脇へ据えた測りの具へ目を落とした。
半日動かなかった待機の帯が、下から押し上げられるように持ち上がっていた。上がりきらずに震え、また持ち上がる。針の向きは核の側でも旧鉱山の側でもなかった。
この野からずっと東の、王都の方角だった。
「……いま」
アシュレイは自分の声が乾いているのを聞いた。
「いま向こうで、あの核ひとつが全部を受けています」




