第132話 線は切られていた
九本の終端のうち最も近い一本は街道から半日ほど北へ入った野の下にあった。
ガルドがイルダンから着いたのは掘る場所を決めた二日後だった。荷から道具を下ろすより先に、その足で縄を張った内側をひととおり歩いて土の色を見て回った。
「掘るのは一箇所だけにしとけ」
ガルドは足の裏で地面を軽く踏んだ。
「あちこち開けると、どれが昔の掘り返しでどれが今の掘り返しか分からなくなる。分からなくなりゃ、あとは何を見ても言い訳がつく」
「一箇所で足りますか」
「足りるかどうかは掘ってから言う。図の上の線を信じて掘るんじゃねえ。土を見て掘る」
リオネルの手勢が縄の外を回り、野を横切る小道へ立て札を出した。掘り出した土は一箇所へ積み、積んだ順に杭を打った。ノラが杭の番号を控え、掘った深さと出てきたものを一行ずつ帳面へ落としていく。
オルセンは縄の内側に立って黙って作業を見ていた。
半日で最初の石が出た。
石は野面のまま組まれていて四角い函の形をしていた。人がひとり這って通れるほどの高さがある。天井にあたる石が何枚か落ち、その下は土で埋まっていた。
「崩れているように見えますね」
「見えるだけだ」
ガルドは落ちた石の一枚を持ち上げ、裏返して土を払った。
「見ろ。石の下に土が入ってる。上から落ちてきた石なら、土は石の上に乗る。下に入るはずがねえ。……この石が落ちたときには、もう下に隙間があった」
土を掻き出すのに丸一日かかった。函の底には太い束が二列で走っていた。革と樹脂で幾重にも巻かれた、腕ほどの太さの継ぎ具だった。
その束が函の途中でぷつりと終わっていた。
アシュレイは灯を近づけた。
切り口は乱れていなかった。束を巻いた革が同じ高さで揃って断たれ、中の芯まで面がひとつになっている。手前の側も向こう側も同じ形に終わっていた。あいだの一尋ほどが、まるごと無い。
「引きちぎれた面ではありませんね」
「ちぎれた面はこうならねえ」
ガルドは切り口へ指を這わせた。
「岩に潰されりゃ束は先が広がる。革も芯もばらける。引き抜かれりゃ抜けた方向へ毛羽が寝る。これは寝てもいねえし広がってもいねえ。刃を当てて、当てたところで止めて、また当てて回した目が残ってる」
「一度で切っていないということですか」
「一度で切れる太さじゃねえ。何度も当てて、丁寧に回してる。……急いだ手じゃねえな。段取りを踏んだ手だ」
ノラが灯を寄せ、切り口の目を写しに取った。
ガルドは函の壁を見て回り、切り口の手前で足を止めた。壁の石に四角い窪みが二つ並んでいる。
「支保を抜いた跡だ」
「支保……天井を支える柱ですか」
「そうだ。ここには柱が入ってた。柱を抜けば天井が落ちる。……切ったあとで柱を抜いて上から埋め戻したんだろうよ」
「埋め戻し」
ノラが顔を上げた。
「崩れたように見せたということ?」
「見せたかどうかはおれの口からは言えん。だが埋めた土は上から降ってきた土じゃねえ」
ガルドは函の中の土を一掴み取り、外の掘り上げた土の脇へ並べて置いた。並べると色が違った。函の中の土は赤みがあり、掘り出した土は白っぽい。
「赤いのはこの野じゃ二尺より浅いところの土だ。それが函の底に入ってる。……上の土が下に来てる。誰かが運んで入れたのさ」
オルセンが縄の内側で身じろぎした。老人はそれまで一言も口を挟まなかった。しゃがみ込んで切り口の面を長いこと見つめてから指の腹でその面を撫でた。
「……切られておるだけだ」
声は低かった。
「焼けても溶けてもおらん。芯まで生きたまま断たれておる」
アシュレイはその横顔を見た。老人が何を確かめているのかは言われなくても分かった。
二本目の終端はそこから東へ二日の街の外にあった。
同じように掘ると、同じものが出た。石の函。落ちた天井。運び込まれた土。そして切り口の面。ガルドは二つの切り口の写しを並べ、灯の下でしばらく黙っていた。
「刃の目が同じだ」
やがて指で二枚の同じ位置を押さえた。
「ここに欠けがある。刃こぼれだ。同じ癖が二本とも同じところに出てる。同じ道具か、同じ拵えの道具を使ってる」
「二日離れた街の下で、ですか」
「二日どころじゃねえ。あんたが数えた終端は九つあるんだろう。全部見りゃ全部同じ癖が出るぜ、たぶんな」
ノラは帳面を開いたまましばらく筆を動かさなかった。
「一人の思いつきじゃないわね」
筆の先を切り口の写しへ向けた。
「道具を揃えて、順に回って、埋め戻して、崩れたことにする。……段取りを組んで人をやった仕事よ、これは」
街の会所へ戻ってから三日をかけて年代を詰めた。
ガルドは切り口の錆の厚み、函の石の目地に使った膠の残り方、運び込んだ土の締まり具合を並べて見立てを出した。
「七十より新しかねえ。百より古くもねえ。おれの指の見立てだ。書きつけるならそう書いとけ」
ノラは統轄部の名簿の写しをめくり、最も古い綴りの頁を開いた。
「名簿を綴じ始めた年は七十二年前の秋よ」
眼鏡を押し上げて削られた符号の列を指でなぞった。
「それともう一つ。この頁の削り跡の上に在り処の字が書いてあるでしょう。削ってから書いたのか、書いてから削ったのかはインクの沈み方で分かるの。……削ったあとの荒れた紙に書いた字よ、これは。つまり符号を削ってから在り処を書き入れて綴じ始めたということになるわ」
アシュレイは三つの数を口の中で並べた。
地面の下で束が切られた時期。名簿が綴じ始められた年。符号の右半分が削られた時期。三つが同じあたりに寄っている。
「偶然では済みませんね」
「済まないわ」
ノラは帳面の新しい頁を開いて三本の線を横に並べて引いた。
「切ったのと、消したのと、数え始めたのが同じ頃なら、順番はこうよ。地面の下で線を切る。紙の上で繋がりを消す。残った在り処だけを数えて綴じる。……三つで一つの仕事なの。別々の話じゃなかったのよ」
王都からの返書が届いたのはその翌日だった。
ローデリクは監査院の古い書庫を三日かけて浚ったと書いていた。統轄部が五年前に束ねた古い部署のうち、いちばん古い一つの設立を記した書類が一枚だけ残っていた。設立の年は名簿の最古の綴りと同じ年。目的の欄には、所在把握とだけ書いてある。四文字だけだった。
どういう危険を、なぜ数えることにしたのか。それを書いた欄は初めから設けられていない。設立を裁可した上の綴りは、書庫の目録には載っているが、綴り自体が棚に無かった。
その返書を追いかけるようにマーロウが王都から着いた。
照会の立ち会いのために来たのだと男は言った。だが会所の卓に並んだ切り口の写しを見つけると、それきり用向きの話をしなくなった。
白髪の男は写しを一枚ずつ手に取り、順に見ていった。
「……崩れたのでしょう」
「崩れたもんはこうならねえ」
ガルドはそっけなく返した。
「崩れた坑道ならおれは数え切れんほど見てる。石に潰された束は先が広がる。これは広がってねえ。切って、柱を抜いて、上から土を運んで埋めてある。順番まで見える。……崩れたことにしたかった手の仕事だ」
マーロウは写しを卓へ戻さなかった。手に持ったまま指の関節が白くなるほど強く縁を握っていた。
「私の部署は」
声が乾いていた。
「危ないものを数えてきました。どこにあるかを押さえ、誰にも触らせぬようにしてきた。前の者もそうしてきた。それが仕事だと」
「あなたはそのとおりにされてきたんだと思います」
アシュレイは静かに言った。
「頁の在り処の欄は一つも欠けていませんでした。あれだけ長く一つも欠かさず数え続けるのは、几帳面な手でなければできません」
「……ならば」
マーロウは写しを卓へ置いた。置いた指がわずかに震えていた。
「ならば私が几帳面に数えてきたのは、誰かが切って回った、その後始末だったということですか」
誰も答えなかった。答えを返すには、ここには紙と土と切り口しかない。
アシュレイは継ぎ上がった系統図を卓の上へ広げた。
十九の街の印を、地面の下だけの理屈で結んだ線が走っている。横に走る線はどれも通っていた。上へ抜ける登りの線だけが九本とも途中で終わっている。
「この一本は、王都が夜通し灯を落とさなくなるより前のものだと思います」
アシュレイは図の上へ指を置いた。
「街が先にあって設備が置かれたのではありませんでした。先に一本が張られていてその上に街が乗っていた。……当時は王都から配っていたのではなく、地面の下で分け合って配っていたんでしょう」
「配り方を変えた、と」
「変えたのだと思います。中央から配ることにしたなら、この一本はもう要りません。ですが要らなくなった設備を、王国じゅう掘り返して壊して回るには金も人手もかかりすぎます」
アシュレイは九本の終端を順に指した。
「だから全部は壊さなかった。上へ抜ける要だけを切った。切ったうえで地図を二つに割って、繋がりの順を紙から消し、どこにあるかだけを数えて綴じた。……在り処だけの帳面では、誰も継げません。継げなければ、誰も起こせない」
「壊すより安いのね」
ノラが低く言った。声に温度がなかった。
「壊すより安くて、忘れさせるのは早いわ。……七十年もあれば、理由を知っている人はいなくなるもの」
マーロウは長いあいだ図を見ていた。
「私は」
やがて口を開いた。
「あの街の男に二度と触らせぬために名簿を握ってきたつもりでした」
「その気持ちを否定するつもりはありません」
アシュレイはその横顔から目を逸らさなかった。
「ですが、伏せることでは防げていませんでした。繋がりの順は消えていません。消された半分は、消せなかった側の外で継がれてきました。……伏せるほど、繋ぎ順は明るくないところで継がれます」
男は答えなかった。反論する言葉を探している顔でもなかった。
その夜、オルセンの部屋の灯は早くに落ちた。
翌朝、老人はいなくなっていた。
卓の上に、抱えていた図面の束は置かれていた。革紐だけが解かれ、そのまま几帳面に揃えて置いてある。持ち出されたものは何もなかった。読み上げは済んでいて写しはすでに三部に分かれている。持ち出す必要がもう無かった。
紙の隅に鉛の芯で一行だけ書いてあった。
――切られておるだけだ。
アシュレイはその一行を長く見ていた。
昼過ぎに二つの報せが重なって届いた。
一つはエルリックの便りだった。王都の旧式安全核の待機の帯がこの十日で四度揺れている。前の月は十日に一度だった。揺れの間隔が詰まっていて、揺れたあとに戻るまでの時間も延びていると書いてあった。末尾の一行はいつもより短かった。
――強くなっています。急いでください。
もう一つは二日離れた東の街の窓口からの届け出だった。
掘り返した跡が二箇所。どちらも縄の外側で、ちょうど登りの線の終端にあたる位置だった。浅く掘っただけではなかった。石の函の天井までは土が除かれていて脇に新しい材木と、巻いた継ぎ具の束が置かれていたという。
置かれていた継ぎ具は地面の下の束と同じ太さだった。
ノラが帳面から顔を上げた。
「……繋ぎに来たのね」
アシュレイは系統図の九本の終端を見た。切られた線は焼かれても溶かされてもいなかった。芯まで生きたまま断たれ、断たれた面が両側で揃っている。
あの切り方は繋ぎ直せる形の切り方だった。




