第131話 二つの半分が合う時
線の途切れを見つけた夜、アシュレイは三枚の紙をそこで伏せた。
「まだ半分も継いでおらんぞ」
オルセンが灯を寄せたまま言った。
「あと少し写せば先が見える。ここまで来て閉じるのか」
「閉じません。手順どおりにやります」
アシュレイは紙の角を揃えた。
「継ぐ卓には必ず二人以上つく。片方は監査院の者を入れる。継ぎ上がった写しは三部作って、私の手元には一部も置かない。……その決まりを書いたのは私です。私が最初に破るわけにはいきません」
オルセンは鼻から息を抜いた。
「三日か四日を待つ間にも、街は薪を減らしとる」
「四日で済むなら安いものです」
アシュレイは灯の芯を落とした。
「ここで私とあなただけで継ぎ上げたら、この図は私とあなたの頭の中だけのものになります。……そうなった地図は、誰にも止められません」
老人は答えなかった。だが灯を吹き消す手つきに、渋々ながらの了解が混じっていた。
ノラとローデリクが街へ着いたのは四日後だった。
会所の広間に長机を三つ並べ、窓を塞いで灯を増やした。ノラは対照表を広げ、その脇に白紙の大きな一枚を留めた。ローデリクは机の端に控え、写しが何枚出て何枚戻ったかを数える役に回った。
「はじめる前に決めておくわ」
ノラは筆を三本並べた。
「写すのは私とローデリクさんの二人。オルセンさんの図はこの机から動かさない。読み上げるのはオルセンさん本人。……写し違いを一つ残らず潰したいの。地面の下の話は、一本ずれるとそれだけで別の街へ繋がってしまうもの」
オルセンは革紐を解いて図面を机へ置いた。長く抱えてきた紙だった。角が擦れて丸くなり、折り目のところは幾度も継ぎ当てがしてある。
「読み上げれば、写される」
老人は束の上へ手を置いたまま少し止まった。
「これを他人の手で書き写すのは、受け取ってから初めてだ」
「戻せなくなりますか」
「戻せんな」
オルセンは手を離した。
「だが抱えたまま死ねば、この紙は土に還るだけだ。……読むぞ」
読み上げが始まった。
声は低く、番号と符号と方角を淡々と並べていった。ノラが在り処の点を白紙へ落とし、ローデリクが通し番号を控えていく。点と点のあいだに細い線が引かれる。一本引くたび、三人が同じ行を指で押さえて確かめた。
途中でオルセンが言い直す場面が幾度かあった。書いた者の言葉づかいが今と違うのだという。街から離れて奥へ伸びる線を、その図では登りと呼んでいた。
「上へ渡す線だ。横に走る線とは扱いが別でな」
オルセンは指で紙面をなぞった。
「昔の連中は、登りだけは番号を大きく振っておる。……大事だったのだろうよ」
半日で北側が繋がった。次の半日で東の四つが繋がった。
二日目の朝、会所の戸口に住人が二人ほど立って中を覗いた。ミレナが刷った告知の紙を手に持っている。地図を継いでいる最中だという、あの二行の紙だった。
「まだかかるのかね」
「あと一日か二日です」
アシュレイは戸口まで出て答えた。
「できたら市庁の窓口へ写しを一部置きます。下に何が埋まっているかは、住んでいる方が見られるようにします」
二人は納得したふうでもなかったが、覗くのはやめて坂を下っていった。
二日目の午後になると、白紙の上の点はもう点ではなくなっていた。
アシュレイは机の端へ回って全体を眺めた。
名簿に並ぶ十九の街の名は、これまでただの一覧だった。どこにあるかは分かっていても、互いに何の関わりもない十九の孤立した印でしかなかった。それが今は違って見えた。イルダンからカダルへ、カダルから南の二つへ、東へ回ってドランへ。線は街の大きさとも街道の便とも無関係に、地面の下だけの理屈で結ばれていた。
街が先にあって設備が置かれたのではなかった。先に一本が張られていて、その上に街が乗っていた。
「……こんな形をしていたのね」
ノラが筆を置いた。
「一つずつ見ていたときは、古い設備が方々に転がっているだけだと思っていたわ。散らばっていたんじゃないの。散らばって見えていただけよ」
アシュレイは旅嚢から王都の綴りを出した。エルリックが半月ごとに送ってくる、旧式安全核の待機波形の記録だった。揺れた晩には日付と刻限が朱で囲ってある。便りの末尾に一行だけ添えてあった。
――揺れた順に地方の街を並べてみてください。私はこの並びに見覚えがあります。
ノラが日付を読み上げ、アシュレイが継ぎ上がった図の上を指でたどった。
最初に揺れた晩の街。次の晩の街。その次。
指は線の上から一度も外れなかった。王都の核は地面の下の繋ぎ順どおりの順で震えていた。
どこからたどっても、指はやがて同じ方角を向いた。北でも南でもなく、王都の下へ。
「前にエルリックさんが名簿の頁を見て言ったことがあったわ」
ノラが低く言った。
「束の寄る先は王都の旧式安全核の方角だ、って。あのときは符号の並びからそう読めるというだけだったのよ。……今は図と波形の両方が同じ方を指しているわ」
アシュレイは繋がった線の束を目でたどり直した。
街と街を横に結ぶ線は、どれもきれいに通っていた。切れているのは横ではない。それぞれの束が上へ渡るはずの登りの線が決まって途中で終わっていた。
九本あった。九本とも終わりの先がない。
「ここです」
アシュレイは登りの一本の先を指した。
「あなたの写しには続きが書いてあります。この先はどこそこへ繋がる、と。ですが在り処の側に、その行き先がありません」
「私の写しが古いのではない」
オルセンは食い気味に返した。
「書いた者は繋がっていた頃を見て書いた。書いた頃にはあったのだ」
「ええ。あったのだと思います」
アシュレイは頷いた。
「私が引っかかっているのは、無くなり方のほうです」
九本の登りを並べて見た。終わっている場所がどれも似ていた。街から離れた野の下、分かれ道の少し手前、何本もの枝が寄り合って一本にまとまった直後。ちょうどそこから先が無い。
「揃いすぎています」
アシュレイは指を九本の終端へ順に落とした。
「古い設備が朽ちるなら、朽ちる場所はばらつきます。弱いところから抜けて、抜け方も一本ずつ違うはずです。この九本は枝がまとまった同じ形の場所で揃って終わっています」
ノラが顔を上げた。
「……一本切れば全部が離れる場所ね」
「そう見えます」
言ってから、アシュレイは自分の言い方を戒めた。図の上でそう見えるというだけだ。線は紙の上の線であって、地面の下の管そのものではない。
「図だけでは断じられません。九本の終端の地面を実際に掘って見なければ。……崩れて落ちたのか切られたのかは、切り口が知っています」
オルセンは長いこと図を見ていた。
白髪の下の目が九本の終端を一本ずつ追っていた。彼が探し続けてきたものは、この九本の先にあるはずだった。地方の冬を越させるだけの上の系統。手順書の前提。半年の道と幾つもの街を歩いた理由。
その先が、九本とも紙の上で終わっている。
「……無いのか」
声はほとんど独り言だった。
「お前さん。ここまで継いで、無いのか」
「今日分かったのは一つだけです」
アシュレイは急がなかった。
「あなたの写しと私の名簿を継ぐと、上へ抜ける線は九本とも途中で終わる。無いと決まったわけではありません」
「だが繋がってはおらん」
「繋がってはいません」
オルセンは机に手をついた。それから思いのほか強い声で顔を上げた。
「切られただけなら、繋ぎ直せる」
机の上の九本を、老人はまだ手放していなかった。
「繋ぎ直した先に何があるかを、まだ誰も見ていません」
アシュレイは静かに返した。
「上の系統が生きているなら、繋ぎ直せば合図が返ってきます。死んでいるなら返ってこない。返ってこない相手に合図を出した核がどうなるかは、あなたも私もカダルで見ました」
オルセンは答えなかった。だが手は九本の上から動かなかった。
その夜、写しは三部に分けられた。一部は監査院へ、一部は統轄部へ、一部は現場へ。ローデリクが封をして、通し番号と写した者と立ち会った者の名を記した。アシュレイの手元には一部も残らなかった。
ノラは残った灯の下で、九本の終端の位置を帳面へ書き写していた。
「アシュレイ。掘るのならガルドさんを呼んだほうがいいわ」
筆を止めずに言った。
「あの人は崩れた坑道と壊された坑道を見分けられるもの。……それと、もう一つ」
ノラは対照表の最初の頁をめくった。統轄部の名簿の写しの、いちばん古い綴りだった。
「切り口の古さが分かったら、この頁の日付と並べてみたいの」
「名簿を数え始めた年ですか」
「ええ」
ノラは眼鏡を押し上げた。
「符号の右半分が削られたのがいつだったのか、私はまだ知らないの。……切られた頃と、数え始めた頃と、削られた頃。三つが同じ年のあたりに並んだら、偶然では済まないわ」
灯の下に、九本の終わりの点が並んでいた。地面の下の一本は、どこかで誰かに終わらされている。あとはその終わり方が、崩れたものか断たれたものかだった。




