第130話 動かすために地図を継ぐ者
セルマが荷の記録を広げてから三日後にアシュレイはリオネルと共に馬を進めていた。
行き先は名簿に載る街の一つだった。露出した継ぎ目を持つ街々をあの男は繋ぎ順どおりに正確に辿っている。セルマの記録が正しければ、次にその男が立つのはこの街だった。
「間に合いますかね」
リオネルが手綱を握ったまま言った。
「間に合わせます。あそこの継ぎ目を先に押さえておきたいので」
アシュレイは短く答えた。捕まえに行くのではない。継ぎ目に誰かの手が触れる前に封鎖線を張っておく。それだけの用向きだった。
街に着くと、継ぎ目のある区画はすでにリオネルの手勢が縄を張り終えていた。土から顔を出した金具の周りに木杭が並んでいる。急ごしらえだが、誰かがここへ命令を通そうとしても、まず縄を越えねばならない形にはなっていた。
その縄の外に老人が一人立っていた。
白髪を短く刈った、痩せた背中だった。革紐で束ねた古い図面を小脇に抱えている。振り返った顔に驚きはなかった。
「お前さんか」
オルセンは静かに言った。
「先回りとは、変わらんな」
「オルセンさん」
アシュレイは縄の内側から声をかけた。
「この継ぎ目を確かめに来たんですね」
「確かめるだけだ。まだ火は入れとらん」
オルセンは縄の縁に立ったまま動かなかった。
「土がひとりで痩せて、埋まっていたものが顔を出した。……ここまで来て確かめずに帰るほど呑気にはできとらん」
アシュレイは老人の抱える図面へ目を落とした。革紐の結び目に見覚えがあった。あの日、カダルの卓で広げられていた束と同じ結び方だった。
「その図面には繋ぎ順が書いてあるんですね」
オルセンの手が束をわずかに引き寄せた。
「どの核とどの核が地面の下でどう繋がっているか。……これがなければ、系統は継げん。お前さんの名簿にはこれが載っておらんはずだ」
言葉に迷いはなかった。だがその迷いのなさは隠す気のない迷いのなさだった。アシュレイは静かに頷いた。
「載っていません。統轄部の名簿には在り処しか残っていませんでした。繋がりの部分だけが決まって削られていたんです」
「知っておるとも」
オルセンは低く笑った。笑いに温かみはなかった。
「削ったのは向こうだ。だが繋ぎ順そのものは消えてなどおらん。当時これを扱った者たちの間で細く継がれてきた。……私はその末端の一人でな」
「地方を救うためにそれを継いできたんですね」
「他に理由があるものか」
オルセンは束を叩いた。
「地方の冬は待ってくれん。お前さんは繋ぎ順を持たん。私はそれを持っている。ならば話は簡単だ。私が繋げばいい。急いた真似はせん。だが待ちもせん」
アシュレイは縄の内側で少し間を置いた。ここで力ずくに出れば、この老人は縄の外へ回り、別の継ぎ目からまた繋ぎ始めるだけだ。止めても、また次の街で同じことが起きる。
「あなたが持っているのは繋ぎ順です」
アシュレイはゆっくりと言葉を継いだ。
「私が持っているのは在り処と――もう一つ、王都の旧式安全核が示している呼応です。遠くの核が震えると、王都の核も一緒に震える。二つを継げば、あなたが探している上の系統が本当に今も生きているのかどうか初めて分かります」
「探すまでもない。あるさ」
「あるかどうかをまだ誰も見ていません」
アシュレイは静かに、だがはっきりと返した。
「私も、あなたも、それぞれ半分の紙を持っているだけです。片方だけでは、系統は継げません。……継いで初めて見えるものがある。見てから動いても、遅くはないはずです」
オルセンの目が縄の内側の継ぎ目へ動いた。長く見ていた。それから図面の束をまた抱え直した。
「見てから動く、か」
老技師の目が縄の外の乾いた土へ落ちた。
「お前さんはいつもそうだ。載せろ、測れ、記録しろ、確かめてから――その台詞を私はもう幾つの街で聞いたか分からん。地方はその間も細っていくというのに」
「停滞だとまた言われますか」
「言うとも」
間を置かなかった。答えは前から決まっていた。
「動く核が目の前にあるのに動かさん。それを保守と呼ぶのは私にはまだ呑み込めん。……だが」
老人はそこで初めて言葉を切った。
「私が独りで継いで、独りで火を入れて、それで凶器になったなら――地方を救うどころか、地方を焼く。お前さんが前に見せた波形を私は忘れてはおらん」
沈黙が縄を挟んで落ちた。
「一度だけ卓を並べよう」
オルセンはやがてそう言った。
「お前さんの在り処と呼応を私の繋ぎ順に重ねる。それで系統の形が見えるなら、見てからでも遅くはない。……ただし」
「ただし?」
「見て繋がっていると分かったなら。そのときは私が繋ぐ。そこまでは譲らん」
アシュレイはその条件を頭の中で量った。全部は譲ってもらえない。だが同じ卓に着くという一点だけは確かに得られた。
「分かりました。まずは継いで、見てからです」
縄の内側へ老人を通した。リオネルが無言で杭の一本をずらし、通り道を作った。
街の会所へ移るまでに、まだ済ませておくことがあった。
ミレナが半日で刷り上げた告知の紙を区画ごとの掲示板と井戸端へ配って回った。書いてあるのは二行だけだった。地面の下の設備には触れないこと。誰かが触れているのを見たら、市庁の窓口へ知らせること。
「起こすなとだけ書くと、何を起こすなという話になるので」
ミレナは掲示板の前で紙の角を押さえながら言った。
「地図を継いでいる最中です、と書きました。継ぐまで待ってください、と。……待てと言うだけでは待ってもらえません。何を待っているのかを書けば、待つ理由になります」
その紙を読んだ住人の一人が、坂の上の空き家の脇で見かけない男が地面を掘っていたと窓口へ届け出た。行ってみると掘った跡は浅く、金具に届く前でやめてあった。オルセンではなかった。名も残っていなかった。
触れているのは一人ではない。その一枚の届け出が、それを先に教えていた。
その夜、街の会所の一室で三枚の紙が卓に並んだ。統轄部の名簿の写し、王都の呼応の記録、そしてオルセンの革紐を解いた繋ぎ順の図。ノラの代わりに持ってきた対照表の空欄へセルマが灯りを寄せた。
「あんたの資材の出所も、ついでに見せてもらったわ」
セルマがオルセンへちらりと目をやった。
「この街の測り棒、あんたが自分で作った品じゃないわね。どこかから回ってきた道具よ。……あんた一人でこんなに歩き回れる金があるとも思えないの」
オルセンは答えなかった。だがその沈黙は、否定の沈黙ではなかった。
アシュレイは三枚の紙の上に指を這わせた。在り処の点が並び、繋ぎ順の線がその間を結び始める。まだ半分も継ぎ終わっていない。だが最初の数本を繋いだところで線の先が――思っていたよりずっと早く途切れていた。
続きがあるはずの場所に何もなかった。
オルセンがその一点を覗き込んだ。老人の眉がわずかに寄った。
「……これは」
オルセンは自分の図をもう一度めくり直した。繋ぎ順の写しの側には続きが書いてある。この継ぎ目の先はこの継ぎ目へ行くと、几帳面な字で確かに記してある。だが在り処の側にその行き先が無い。
「写しが古いのではありませんか」
アシュレイが言うと、オルセンは首を振った。
「私の写しは繋がっていた頃の順だ。書いた者は嘘を書いておらん。……書いた頃には、あった」
紙の上では繋がっている。地面の上では在り処が消えている。二枚の半分は合わさったのに、合わさった先が無い。
灯りの下で三人はしばらく声もなく、途切れた線の先を見つめていた。




