第116話 集めれば安全と信じる理由
王都の朝は地方の朝より明るく始まる。
夜通し馬を替えて着いたアシュレイをその明るさは少しも労わってはくれなかった。魔導灯がまだ消え残る大通りを抜け監査院の紹介状を携えて目当ての建物へ入る。廊下の突き当たり古い樫の扉に真鍮の札が掛かっていた。
――基盤資産統轄部。
聞き慣れない名だった。ローデリクが扉の前で声を落とす。
「五年ほど前にいくつかの古い部署を束ねて作られました。表向きは王都と地方の使われていない基盤設備の台帳を一手に預かる部署です」
「台帳を預かるだけの部署が」
アシュレイは札の古びた文字を目でなぞった。
「地方の核を集めて管理すると言い出したわけですか」
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部屋の主は白髪を短く刈った痩せた男だった。歳は五十を越えているだろう。名をマーロウといった。
卓の背後の棚には古い帳面が隙間なく並んでいた。アシュレイは案内された椅子に腰を下ろしながらその背表紙をひととおり眺めた。どれも在り処を数えるためだけの帳面に見えた。確認欄も更新日も受領印もない。ノラがイルダンの卓で言った言葉がそのままこの部屋に積み上がっていた。妙に古く妙に正確。数えてはいる。だが確かめてはいない。
マーロウは来訪の礼も遠回りの前置きも省いた。
「地方に散らばった休眠核はどれも素人が手を出せば街を一つ落としかねない代物です。現に無断で触れようとする者があちこちで後を絶たない」
男の声は乾いていて揺れがなかった。
「ならば答えは一つだ。危ういものは素人の手の届かぬところへ。王都が専門の手で一箇所に集めて囲う。それがいちばん確かでしょう」
アシュレイはすぐには答えなかった。理屈の芯だけを取れば間違ってはいない。危ないものを囲いたい。その気持ちは分かる。分かるからこそどこで道が分かれるのかを丁寧に見極めねばならなかった。
「先だって北の街で同じ核が動きかけました」
アシュレイは静かに切り出した。
「動かさずに止めました。集めて囲ったからではありません。その街に触れてよい条件を置いてきたからです。切り離してよい線と切ってはならない線を。……集めなくても条件を渡せば核はその場で止まります」
マーロウはしばらくアシュレイの顔を見ていた。それからゆっくりと卓に肘をついた。
「それはあなたがやった」
短い言葉に妙な重さがあった。
「あなた一人がその場にいてあなた一人が線を引いた。立派なことです。……だが続きますか。あなたが倒れたら。あなたが次の街へ発ったら。その条件をいったい誰が守る。個人の腕に頼る仕組みはいつか必ず破れる。……違いますか監査官殿。あなたこそそれをいちばんよく知っているはずだ」
アシュレイは口を閉じた。
男の指はこちらの弱いところを正確に押していた。属人化は破綻する。それは自分がずっと口にしてきたことだった。誰か一人の熟練に頼る運用はいずれ壊れる。その信条をいま集約の理屈の側から突きつけられていた。
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「論点を二つに分けましょう」
ローデリクが間へ手続きの声を差し入れた。
「一つ地方の核を危険と見るか。これは双方同じです。二つその危険をどう管理するか。統轄部は集めて囲う。監査官はその場に条件を置く。……争うべきは後者だけです」
整理された論点の上でアシュレイはもう一度口を開いた。
「集めるとおっしゃいますが。あの核をどうやって運ぶおつもりですか」
「切り離して運ぶ。専門の技師が」
「その切り離す線を間違えれば」
アシュレイは卓の上に見えない線を指で引いた。
「核は暴れます。あれはただ地面に埋まっているのではありません。現地の系統に繋がれたまま上の基盤からの合図を待って眠っている。生活を底支えする線合図を受け取る線――それを街ごと核ごとに見分けて一本ずつ順に切らねばなりません。半日ずつ影響を見ながら」
男の眉がわずかに動いた。
「街から引き剥がしてまとめて運ぶ。それはその見分けをまとめて飛ばすということです。切り離し条件を知らないまま核に触れることはそのままいちばん危ない起動命令になる。……集めることがいちばん核を刺激するんです」
アシュレイは懐から折り畳んだ紙を取り出し卓へ置いた。イルダンを発つ前にガルドが走り書きで渡してくれた見立てだった。
「うちの現場をいちばん長く見てきた職人がこう書いています」
紙の無骨な字をアシュレイはそのまま読み上げた。
「――各地の核は据わった場所ごとに癖が違う。繋がってる先も切れる順もみんな違う。だからどこにでも通じる一括の点検手順なんてものはそもそも書けねえ。書けると言う奴は現場を見てねえ」
部屋が少し静かになった。
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マーロウが椅子を引いて立ち上がった。窓へ歩み寄り明るすぎる王都の街並みへ背を向けたまましばらく黙っていた。
「……素人に触らせるなと。私がそう言うのには理由があります」
乾いていた声に初めて別の色が混じった。
「昔南の小さな街でした。冬の供給が細って。……手順書を一冊だけ握った男が核に触れた。街を越冬させるつもりで。悪気はなかった。ただ条件を知らなかった。それだけだ」
男は窓の外を見たまま言った。
「私の目の前でした。……人を喪いました。一人ではない。それきり私は決めたんです。二度と素人に触らせない。危ういものはまとめて専門の手で囲ってしまうと」
アシュレイはその背を静かに見ていた。集約の理屈の芯には勝ち負けではないものが埋まっていた。否定して押しのけて済むものではなかった。
「……その方は」
アシュレイは痛みには触れないように言葉を選んだ。
「触れてよい条件を知っていましたか」
マーロウは答えなかった。それが答えだった。
「集めてもそれは防げません」
アシュレイは続けた。声を荒らげはしなかった。
「あなたが囲いきれなかった街では結局誰かが触ります。あなたが間に合わなかったあの日のように。……防げるのは囲うことではありません。触れてよい条件をその誰かの手に先に渡しておくことです」
男がゆっくりと振り返った。
「属人化はあなたの言うとおり問題です」
アシュレイはその目をまっすぐ受けた。
「私一人が線を引くやり方は続きません。それは認めます。……ですがその答えは核を一箇所に集めることではないんです。核に触れてよい者を条件ごと増やすこと。誰がどんな条件を満たせば触れてよいか。それを私一人の腕からでなく仕組みから決める。あなたが恐れたものは集めるのではなく条件を配ることで防ぐしかないんです」
マーロウは長いあいだアシュレイを見ていた。頷きはしなかった。だが扉を叩き閉じるような拒み方もしなかった。
「……理屈は聞きました」
男はそれだけ言って卓へ戻った。
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部屋の外が急に慌ただしくなった。
若い官吏が扉を叩いて伝令を差し入れた。マーロウがそれに目を落とし表情を変えぬまま紙をアシュレイの側へ滑らせた。
「北のドランへ送った査察団が街へ入りました。予定どおりです。……ご覧になりますか。これが送り出した一括点検の手順書だ。素人仕事ではない。きちんとした正式な点検です」
アシュレイはその手順書を受け取った。そして読み進めるうちに指先が止まった。
待機している核へ確認命令を通し応答の波形を測る。まずこの線を確かめ次にこの合図線へ順に問いかける。――手順そのものは整っていた。整いすぎていた。
それは点検の手順ではなかった。
カダルでオルセンが信じていたあの旧い正規手順。主基盤が健在だった頃に核を目覚めさせるために踏んだ起動確認の段取り。その一つ一つとこの査察の手順書は書き手が違うだけでなぞる線が通す命令がほとんど見分けがつかなかった。
点検のつもりでこの街はいちばん危ない一手を踏もうとしていた。
「――ローデリク」
アシュレイは手順書を握ったまま立ち上がった。ドランの核があと一度の起動命令に踏ん張れるかどうか。それを査察団は知らない。




