第115話 照会は部署を通せ
その報せは、商人ギルドのほうから先に来た。
セルマ・ローデンがイルダンの卓へ一枚の走り書きを置いたのは、朝のうちだった。北の交易路を行き来する荷馬車の御者から、又聞きの又聞きで拾った話だという。
「監査官。妙な話が回ってきた」
セルマはいつもの、損得を先に量る顔で言った。
「北のドランって街だ。冬の供給が細って、去年から難儀してる。……そこの誰かが言い出したらしい。イルダンは古い核を動かして街を甦らせた。うちもあれをやればいい、とね」
アシュレイは走り書きから、目を上げた。
カダルでひと月かけて正した噂だった。イルダンは核を動かしてなどいない。動かさないための条件を作り、地道な運用で凌いだ。その条件のほうが落ちた噂が、まだ別の街で独り歩きしていた。
「……条件は届いていないんですね」
「届くわけがないだろう」
セルマは短く言った。
「面白い話は勝手に広がる。地味な条件は、誰も運ばない。あんたがこの前、そう言ってたじゃないか。……でドランはもう手を出しかけてる。悠長に構えてる場合じゃないと思うよ」
---
アシュレイはすぐに動こうとした。ドランが名簿にあった街なら、抱えているのは同型の核だ。カダルでやったのと同じ切り離し条件を、条件ごと届けに行けばいい。
だがその足を、手続きが止めた。
昼過ぎにローデリクが、王都監査院からの正式な照会の返しを携えて訪ねてきた。カダルの一件を補則に乗せてくれた手続きの男は、めずらしく渋い顔をしていた。
「ドランへ動く前に、通さねばならない手が増えました」
ローデリクは一通の書付を、卓へ滑らせた。
「同型の外縁補助核を持つ都市の一覧――あれの照会は、王都の一部署を通せと。先の書付に添えられていた条件です。ドランがその一覧に載っている以上、正式に動くならまずその部署の許しが要ります」
「悠長な話ですね」
アシュレイの声に、常には出さない低いものが少しだけ混じった。
「ドランの核は待ってくれません。手続きを一つずつ踏んでいるあいだに、誰かがあれに命令を通してしまう」
「分かっています。ですが手続きを飛ばせば、次はあなたがまた私物化を疑われる。……カダルでやっと晴らしたばかりでしょう」
アシュレイは口を閉じた。ローデリクの言うことは正しかった。記録で身を守った男は、記録の外を勝手には歩けない。動かさないために動く手がたった一つきりだという事実は、この街に戻っても変わっていなかった。
---
その名簿の写しを、ノラが隅から隅まで眺めていた。
王都の部署から照会の前段として回ってきた、一覧の一部だった。度の強い眼鏡の奥で、監査官の目が細くなっていく。やがてノラは鼻を鳴らした。
「……妙ね、これ」
「何がです」
「様式だよ」
ノラは名簿の紙を、指で弾いた。
「うちの原本には確認欄がある。撤去欄も、更新日も、受領印もね。誰がいつ何を確かめたか。それがないと記録なんて、ただの言い張りだもの。……でもこの王都の名簿には、それが一つもない。ただどこに何があるか。在り処だけ。それを古い書式で、几帳面に並べてる」
アシュレイはその一覧を、あらためて見た。
言われてみれば、奇妙だった。核の劣化度も、危険度も、誰も測っていない。名前だけの街もいくつもある。危ないものを把握するための帳面なら、真っ先に要るはずの「状態」がまるごと抜け落ちている。数えてはいる。だが確かめてはいない。
「保守を軽んじてきた王都が」
アシュレイはゆっくりと、言葉にした。
「なぜこんな古い核の在り処だけは、まとめて数えているんでしょうね」
新規開発ばかりを重んじ、小さな異常を握り潰してきた、あの王都だった。壊れかけた古い設備の面倒をいちばん嫌がってきた王都が、地方に散らばった休眠核の在り処をこれほど正確に、これほど古くから押さえている。危険評価のためではない。では何のために。
「気に入らないわね」
ノラが写しを、ぱたりと閉じた。
「数えた理由を書いてない帳面は、たいてい書けない理由があるのよ」
---
王都の部署からの返事は、翌日来た。
部署はドランの核についての一覧を、すぐには開かなかった。代わりに一枚の方針書を寄越してきた。アシュレイはそれを読んで、しばらく動かなかった。
――地方に散らばった危険な休眠核は、各地で個別に管理するより、王都が一括して管理・集約するのが望ましい。ついては当該核の扱いは、今後当部署の方針に従われたい。
「集約ですか」
アシュレイはその二文字を、口の中で転がした。
危ないものを一箇所に集めれば、安全になる。理屈としては分かる。素人の暴走も、無断起動も、まとめて囲えば防げる気がする。だがそれは核が「どういうものか」を知らない者の理屈だった。あの核は現地の主基盤や生活系統と絡み合って、眠っている。引き剥がして集めることは、切り離し条件を無視した起動命令と紙一重だ。
「集めるというのは、配線から引き剥がすということです」
アシュレイは指先で、卓の上に見えない線を引いた。
「あの核はただ眠っているのではありません。現地の系統に繋がれたまま、主基盤からの合図を待っている。その線を無理に断って持ち出せば、核は合図を見失う。見失った核がどう暴れるか……それはカダルで見ました」
ローデリクはしばらく、その見えない線を目で追っていた。
「では王都の方針は、危険だと」
「善意だと思います。危ないものを専門の手で囲いたい。その気持ちは分かる。……ですが囲おうとするその手が、触れ方を知らないんです。いちばん危ないのは悪意ではなく、そこです」
「照会は情報をもらう場だと思っていました」
アシュレイはローデリクへ、静かに言った。
「違いましたね。これは相手が何をするつもりかを読む場でした。……王都はドランを救う気ではありません。ドランの核を集めに来る気です」
争点が入れ替わっていた。一覧をもらえるか、ではない。核を集めるのか、それとも条件ごとその場に残して分散して管理するのか。カダルで一つ条件を渡して救った、その次の問いが、今度は王国じゅうの休眠核をまとめて卓の上に突きつけられていた。
---
「王都へ行きます」
アシュレイはそう決めた。方針書の相手と直に会わねば、この話は動かない。ドランの危機は宙づりのままだ。だがその宙づりを解く鍵も、結局は王都のその部署が握っている。急いで馬を飛ばしても、名簿にも載らぬ北の外れへたった一人で乗り込めば、それこそ「よそ者がまた核を私的に扱いに来た」と言われる。ドランを止められる手は皮肉にも、その査察を送り出した王都の側にしかなかった。
支度を始めたアシュレイのもとへ、ミレナがもう一枚報せを持って駆け込んできた。ドラン発の、新しい報せだった。その顔は青ざめていた。
「監査官。……ドランにもう人が入りました」
ミレナは息を継いで、続けた。
「王都の査察団です。核の一括点検だと。……方針書を寄越すのと同じ日に、部署はもう査察団をドランへ送り出していたんです」
アシュレイは支度の手を、止めた。
照会を渋り、集約の方針を突きつけ、その裏でもう手を回していた。触れ方を知らない手が、条件を知らないまま劣化した核へ先に向かっている。悠長な手続きを踏んでいる場合では、とうになかった。
「――急ぎます」
アシュレイは外套を掴んだ。査察の手を止められるのは、それを送り出した部署のその責任者だけだ。ならば会いに行く先は、一つしかない。点検という名の手がドランの核に最初の命令を通してしまう前に。王都へ。




