第105話 成功の噂が先に着いていた
カダルの街に入ってすぐ、アシュレイは空気の冷たさに気づいた。
まだ冬には早い時季だ。それでも街の辻には薪を高く積んだ荷車が何台も止まり、人々が順番待ちの列を作っていた。魔力の街灯は半分ほどが灯っていない。灯っている分も、光が細い。中央からの供給が細って冬越しに苦しんでいるという話は、聞いていたとおりだった。いや、聞いていたよりもずっと切実だった。
「思ってたより冷えてますねえ」
同行したセルマが外套の襟を寄せながら言った。最小限の人数で来ると決めて連れてきたのは、物流の目を持つセルマひとりだ。ノラにはイルダンに残って、流れた資材の照合を続けてもらっている。
「この寒さで、あと二月もすりゃ本格的な冬ですよ。街ぐるみで藁にもすがりたくなる。……その藁が地下で眠ってる核だってんなら、なおさらだ」
薪の列に並ぶ人々の何人かが、通りかかったアシュレイたちを期待のこもった目で追っていた。イルダンからえらい人が来る。地下の核を起こして、うちの街もあの街のように立て直してくれる――そんな囁きが、行列の端から端へ細く渡っていくのが分かった。まだ何ひとつしていないのに、街はもうアシュレイを救い手として待っていた。その眼差しの温かさが、かえってアシュレイの胸を重くした。
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アシュレイの一行が着くという報せは、先に届いていたらしい。
市庁の前まで来ると、供給担当だという役人がわざわざ表まで出て待っていた。レンツと名乗った。冬支度の疲れを目の下に溜めた、実直そうな男だった。
「よくぞおいでくださった」
レンツはアシュレイの手を両手で握った。
「イルダンの監査官殿がじきじきに来てくださるとは。街じゅうがこの日を待っておりました。あなたのお力添えがあれば、うちの核もきっと目を覚ます。この冬は越せます」
「お力添えというのは」
「決まっているではありませんか。旧い核の起動です」
レンツの目に迷いはなかった。
「イルダンは地下に眠っていた古い核を見事に起こして、街を立て直したと聞いております。うちにも同じ核がある。同じように動かせれば、この供給難も一冬で終わる。監査官殿なら、その手順をご存じのはずだ」
アシュレイは握られた手を静かにほどいた。掛け違いの正体が、その一言ではっきりと形になった。
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「レンツさん。一つ確かめさせてください」
アシュレイは努めて穏やかに切り出した。
「イルダンがあの核をどう扱ったか。どんな話として、こちらへ届いていますか」
「古い核を動かして、街を救ったと。細っていた供給を、眠っていた核の力で一気に取り戻した――そう聞いております。違いますか」
「半分は合っています。半分は違います」
アシュレイは言葉を選んだ。頭から違うと突き放せば、この切実な男は耳を閉じる。
「イルダンで私たちがやったのは、核を動かすことではありません。あの核を動かさないための条件を作ることでした」
「……動かさないため」
レンツの顔に、初めて戸惑いがよぎった。
「あの核は単独では動かせません。無理に起こせば、踏ん張りきれずに暴走して街の中心まで壊す。だから私たちは動かさずに眠らせて、どういう条件が揃うまでは決して触るな、という取り決めを台帳に書きました。街が立ち直ったのは核を動かしたからではなく、危ないものを危ないまま正しく寝かせておく仕組みを作ったからです」
レンツはしばらく言葉を失っていた。
「聞いていた話と、まるで逆だ」
「逆になって届いたんだと思います」
アシュレイは静かに続けた。届いていたのは結果だけだった。イルダンが立ち直ったという事実だけがひとり歩きして、どうやってが抜け落ちた。動かさない条件を作ったという肝心のところが、伝言の途中で動かして成功したに反転していた。成果だけが伝わって、条件が消えていた。
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その日の夕刻、セルマが街の商人筋から仕入れた話を持って戻ってきた。
「アシュレイさん。これは思ってたより進んでますよ」
声が低かった。
「カダルの核の起動は、もう絵空事の段階じゃない。倉庫印を経由して来た仮固定材は、とっくに現場へ運び込まれてます。据え付けの下ごしらえが、半分がた終わってるんです。冬に間に合わせようって、みんな本気だ」
「据え付けが半分」
「ええ。しかも行き当たりばったりじゃない。ちゃんと段取りを組んで、順を追って進めてる。素人が寄ってたかってって感じじゃないんです。誰か手順を知ってる人間が仕切ってますよ」
「いつ起こすつもりなんでしょう」
「本格的な冬が来る前にって話です。逆算すると、そう猶予はない。据え付けが済めば、あとは火を入れるだけ。……こっちがのんびり調べてる間に、向こうは着々とその日に近づいてるんです」
アシュレイは卓の上で指を組んだ。歓迎されている。手伝ってほしいと請われている。だがその裏で、起動の下ごしらえは止める間もないほど進んでいた。頭ごなしに「やめろ」と言えば、冬に追われたこの街はよその監査官の言うことなど聞かず、そのまま起こしてしまうだろう。そして暴走する。
「否定から入っては駄目です」
アシュレイは自分に言い聞かせるように呟いた。
「この人たちは、悪いことをしようとしているんじゃない。冬を越したいだけです。その気持ちごと否定したら、耳を塞がれる。……まず確かめます。誰がこの起動を仕切っているのか」
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その名は翌朝、マルタ・ヴェインが繋いでくれたカダル側の窓口からあっさりと出てきた。
別都市の倉庫を預かるマルタは、自分の倉庫印が使われた責任を感じて、カダルの現場の人間関係まで丁寧に辿ってくれていた。
「起動の段取りを仕切っているのは、外から呼ばれた技師だそうです」
マルタの便りには、そう書かれていた。
「名をオルセン。かつて地方都市群の基盤系統を渡り歩いた、古い技師だと。若い頃に非常時の起動手順というものを正式に叩き込まれた世代の人間らしいのです。カダルはその手順を知る者として、彼を頼った――」
「非常時の起動手順」
アシュレイはその一節を二度読んだ。
思い描いていた絵と、また少し違った。カダルの核を起こそうとしているのは、無鉄砲な素人でも欲に駆られた盗掘者でもなかった。かつて正規の手順として起動を学んだ、本物の技師だった。素人が思いつきで触るより、そのほうがいっそう質が悪いかもしれなかった。正しい手順を知る者は、自信を持って迷わず核を起こしにかかる。
「手順を知ってるというのが、いちばん厄介です」
アシュレイは便りを卓に置いた。
「知らない人なら、危ないと言えば手が止まる。でも正しい手順を身につけた人は、自分のやり方が正しいと信じている。その正しさがいつの手順で、どんな前提のうえで正しかったのか――そこを確かめないうちは、止める言葉も届きません」
止めに来たはずの街で歓迎され、そして今、正規の手順を持つ技師と向き合うことになる。ほどくべき糸は、噂の掛け違いだけではなかった。かつては正しかったはずの手順そのものが、今この街で凶器に変わろうとしていた。アシュレイはオルセンという名を、白紙の綴りに静かに書き入れた。まずその手順がいつの、どんな前提のうえに立っていたのかを確かめるところからだった。




