第104話 カダルという鏡像
カダルという都市の名は、アシュレイにとってほとんど白紙だった。
名前だけは聞いたことがある。中央からの供給が細く、冬越しに苦しんでいる街。知っているのはそれくらいだった。だが起動の下ごしらえの荷が、その街の表の窓口へまとまって流れている。白紙のままには、しておけなかった。
アシュレイはローデリクの監査院ルートを通して、カダルの都市基盤を正式に照会した。横断監査官の立場でなら、他都市の基盤台帳を事故防止の観点でなら照会できる。返ってきた綴りを開いて、アシュレイの手が途中で止まった。
カダルにはイルダンの旧鉱山と同じ種類の設備があった。
外縁補助核。街の縁に据えられた、休眠中の古い設備。イルダンで丸ひと月かけて確かめたあの「単独では動かせない」核と、系統も規格もほとんど同じものが、カダルの外れにも眠っていた。
「鏡に映したみたいね」
綴りを横から覗き込んだノラが、低く言った。
「イルダンと同じ核。同じ持病。しかも向こうは、冬の供給がうちよりもっと細いときてる。……いやな符合だわ」
「同型と言い切れますか」
「規格書の型番が、そっくり同じなのよ。地方都市規格の第七型。うちの旧鉱山で誰かに削り取られてた、あの分類符号と同じ系統だわ」
ノラは綴りの図と別都市倉庫印の荷の一覧を並べて、指した。
「それにね、カダルへ流れた仮固定材――あの寸法が、この核の据え付け座にあつらえたみたいにぴたりと合うの。ありもので間に合わせた荷じゃない。この型の核を起こすために、寸法を測ってあつらえた荷よ」
「あつらえた」
「ええ。だから、いやなの。行き当たりばったりの盗掘じゃないわ。カダルの核がどんな寸法で、どんな据わり方をしてるか、誰かがちゃんと知ってて、それに合わせて荷を用意してる。素人の思いつきじゃ、こうはならない」
「同じ核がよそにもある」
アシュレイは綴りの一枚を指で押さえた。イルダンの核は台帳に載せた。切り離し条件も書いた。眠らせた。確かにイルダンの分は片づけた。だが同じ持病を抱えた核が、よその街にもある。そしてその核を起こすための荷が、イルダンで使われた分の倍もそちらへ流れている。
背筋がひやりとした。
イルダンで止めた起動企図は、止まったのではなかったのかもしれない。芽をこちらの土から抜いて、よその土へ植え替えただけ――そう自分で口にした言葉が、綴りの上で現実の形になっていた。カダルには同じ核と、それを起こす荷と、そして起こしたいと思うだけの切実な冬がある。三つが揃っていた。
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アシュレイはローデリクへ折り返しの便りを書いた。
カダルへ正式に照会と訪問をかけたい。根拠は二つ。一つ、カダルにイルダンと同型の外縁補助核があること。一つ、その核を起動する下ごしらえの資材が、イルダン経由の企図と同じ規格でカダルへ流れ込んでいること。これは他都市への口出しではない。事故の再発防止だ。イルダンで作った――危険未確認基盤資産は、接続先を確かめ、切り離せる条件を整えるまで単独で動かしてはならない――あの補則を、まさに今必要としている現場がよそにある。
ローデリクからの返答は慎重で、しかし明快だった。越権ではない。同型設備の事故防止監査は、横断監査官の正規の職掌に収まる。ただし、と一言釘が刺してあった。くれぐれも手順を踏め。カダルの核をこちらから起こしに行くように見えてはならない、と。
セルマも物流の側から一つ付け加えた。
「アシュレイさん。カダルへ流れた荷、まだ止まってませんよ。倉庫印を経由した分が、今も少しずつあっちへ向かってます。運び方が急いでるんです。冬が来る前にどうしても間に合わせたい――そういう荷の動かし方です」
「冬の前に」
「ええ。向こうにしてみりゃ、のんびり待ってる余裕がないんでしょう。中央の供給が細くて、今年の冬を去年みたいには越せない。だから眠ってる核にでもすがりたくなる。……気持ちは分からんでもないですけどね」
急いでいる。その一言が、アシュレイの中で静かに重みを増した。相手は悪意で核を起こそうとしているのではない。冬に追われて、間に合わせようとしている。悪意なら、止めるのはまだ易しい。切実な善意ほど、止めるのは難しかった。
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ミレナは別の糸を手に取っていた。
「一つ引っかかっているんです」
ミレナは住民告知の控えを整理する手を止めた。
「なぜカダルは、よりによってイルダンと同じ核を起こそうとしているんでしょう。同じ持病の設備なら、よそだって下手に触れば危ないことくらい分かりそうなものです」
「知らないんだと思います。危ないということを」
アシュレイは静かに答えた。
「イルダンがこの核をどう扱ったか。台帳に載せて、切り離し条件を作って眠らせた――その中身までは、たぶんよそへは伝わっていません。伝わったのは、もっと短い都合のいい形だけです」
「都合のいい形」
「イルダンは街を立て直した。そこだけがよそへ届いている。どうやって立て直したかが抜け落ちて、結果だけが噂になって歩いている。ミレナさん、それを確かめてほしいんです。イルダンの話がどんな形になって、カダルまで届いたのか。その噂の通り道を」
ミレナは頷いて、新しい綴りの表に「伝播」と書き入れた。街の中で情報がどう届くかを守ってきたこの街の記録係が、初めて街の外へ流れ出た話の形を追いはじめた。
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その段取りを、市庁の役人がやはり渋い顔で聞いていた。
「アシュレイ殿。よその街の、それも役所の設備にまで首を突っ込むのか。イルダンの核でさえ、片づけるのに丸ひと月かかった。それをよその街でもやるというのか」
「やるとはまだ言っていません。確かめに行くと言っています」
「同じことだ。悪く取る者はこう言うぞ。イルダンの監査官が、あちこちの街で古い核を勝手にいじって回っているとな。街を救うためだと言っても、外から見れば一人の男がよその都市の基盤まで私的に握り広げているように映る」
その懸念は的外れではなかった。アシュレイはそれを正面から受けた。
「だからこそ、手順を踏みます。私一人の判断では動きません。ローデリクさんの監査院を通して、正式な照会として記録に残る形でだけ、カダルに関わります。私物化と疑われないためのいちばん確かな盾は――全部開いて記録することです。イルダンでそうしてきたのと同じように」
役人はまだ何か言いたげだったが、記録に残すという一言の前で口を閉じた。
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カダルへの照会状を正式に発したのは、その翌日だった。
返信は思いのほか早く届いた。だがその中身は、アシュレイが身構えていたものと少し違っていた。カダル市当局は照会を警戒も拒みもしなかった。それどころか――歓迎していた。
文面にはこうあった。イルダンが眠っていた旧い核を動かして、見事に街を立て直したと聞いている。同じ悩みを抱える我が街も、ぜひその手順にあやかりたい。イルダンの監査官殿が来てくださるなら、こちらの核の起動を手伝ってもらえるものと期待している――。
アシュレイはその一文を二度読んだ。
起動を手伝ってもらえる。カダルはそう書いていた。イルダンがやったのは、核を動かさないための条件を作ることだった。それがよそへ渡るころには、核を動かして成功した英雄譚にすり替わっている。カダルはその反転した噂を信じて、自分たちの核を今まさに起こそうとしていた。
止めに行くつもりの相手から、手伝ってほしいと歓迎されている。掛け違いはもう始まっていた。アシュレイは歓迎の文面を卓に置き、その上をしばらく見つめた。急がなければならない。だが急いで飛び込めば、私物化の疑いが待っている。ほどくべき糸は二本。カダルの核と、自分にかけられかけているその疑いと。




