第103話 動かそうとした手はどこから来たか
イルダンの核の件を閉じた管理表の隣に、アシュレイは新しい白紙を一枚置いた。
昨日まで追っていたのは、外縁補助核そのものだった。どこへ繋がっているか、どう切り離せるか。設備の側の問いだ。今日からの一枚は、向きが逆になる。あの核を確認の前に動かそうとした手は、どこから来たのか。モノではなく、人とその経路を追う。
手がかりは、セルマが辿りついたあの別都市の倉庫印だった。先の起動企図に使われた魔力樹脂の一部が、イルダンの正規ルートではなく、よその都市の倉庫を経由していた。アシュレイはその倉庫印を、ローデリクの監査院ルートを通して正式に照会した。
返事は思いがけず早く、そして当人から直に届いた。
セルマが一通の手紙を手に、作業室へ入ってきた。
「アシュレイさん。例の倉庫印の主から、こっちへ先に便りが来ましたよ」
差出人はマルタ・ヴェイン。かつて消えた資材台帳を辿ったとき、別都市の倉庫を預かっていたあの主任だった。文面は丁寧だが、隠しきれない困惑がにじんでいた。
うちの倉庫印がまた旧鉱山がらみで出た、と聞いた。前のときに洗いざらい調べて、もう関わりはないはずだ。なのにまた同じ印が、よその騒ぎに使われている。いったい何が起きているのか――。
「向こうも困ってるみたいですねえ」
セルマは肩をすくめた。
「自分の倉庫の印が勝手に旅をしてる。前に一度痛い目を見てるから、よけいに気が気じゃないんでしょう」
その様子を市庁の役人が横から渋い顔で見ていた。
「アシュレイ殿。蒸し返すようだが、イルダンの核の件はもう片づいたのではないのか。台帳に載せて、条件まで書いた。なのに今度は、よその都市の倉庫まで追いかけるのか」
「同じ経路をまた洗い直すわけではありません」
アシュレイはその懸念を正面から受けた。
「消えた資材台帳と倉庫印の件は、前に一度もう辿りました。あれは誰が隠れて資材を運んだか、という調べでした。今回はそれとは違います」
「どう違う」
アシュレイはノラが照合した資材の一覧を卓に広げた。
「ノラさん。今回の資材は、前の起動企図のときと何が違いましたか」
「面白いのよ、これが」
ノラは一覧の一欄を指で叩いた。
「前に旧鉱山へ持ち込まれた資材はね、掘るための道具が中心だったの。坑道を広げて、奥へ入るためのね。でも今回、倉庫印を経由して動いた分は――掘る道具がほとんど入ってないのよ。代わりに多いのが、制御系の仮固定材と魔力樹脂。それもずいぶんな量だわ」
「掘るためではなく」
「ええ。これはね、掘って何かを取り出すための荷じゃないの。眠ってる設備を動かすための荷よ。起動の下ごしらえ。そういう匂いがするわ」
アシュレイはその一覧をしばらく見ていた。掘るのではなく、動かす。盗掘者が宝を掘り出そうとしているのではない。誰かが眠っている核を、起こそうとしている。
起こそうとしている、という見立てが、アシュレイの背筋をわずかに冷やした。丸ひと月をかけて確かめたことが頭をよぎる。外縁補助核は単独では動かせない。主基盤の合図がないまま起動すれば、踏ん張りきれずに暴走し、街の中心まで波及する。あれは起こしてはいけない設備だった。その起こしてはいけない設備を起こすための荷が、まとまった量でどこかへ流れている。
「ノラさん。一つ確かめたいことがあります」
アシュレイは一覧から顔を上げた。
「この荷は、イルダンの旧鉱山の核と同じ種類の設備を動かすためのものに見えますか。それとも、まったく別物ですか」
「そこなのよね」
ノラは腕を組んだ。
「仮固定材の規格も樹脂の質も、イルダンで企図に使われた分とほとんど同じなの。同じ種類の設備を同じやり方で動かそうとしてる、って読むのがいちばん素直だわ」
「同じ種類の設備」
アシュレイは低く繰り返した。イルダンと同じ核。イルダンと同じ、起こしてはいけない設備。それを動かすための荷が、別の宛先へもっとたくさん流れている。先の起動企図は、イルダンの核が踏ん張って寸前で止まった。だが止まったのは、イルダンの分だけだったのかもしれない。
「経路をまた端から洗うのはやめます」
アシュレイは白紙の一枚に最初の一行を書いた。
「倉庫印は犯人の署名ではありません。ただの照合の鍵です。それは前に倉庫印を辿ったときと、同じ見方です。けれど今回は、鍵の先にあるものが違う。前は『誰が隠れて運んだか』でした。今度は『誰が何を動かそうとしているか』です」
アシュレイはノラとセルマを順に見た。
「資材の中身が起動の下ごしらえなら、この荷の行き先には動かしたい設備があるはずです。ノラさん、発注の名義を。セルマさん、マルタさん経由で荷の本当の届け先を。――この荷が最後にどこへ着いたのかを知りたいんです」
調べは半日で最初の形を見せた。
セルマがマルタ・ヴェインの倉庫の出入り記録を、本人の協力で辿り直した。すると、起動企図の資材はそのすべてがイルダンへ来ていたわけではなかった。
「アシュレイさん。妙ですよ」
セルマの声が少し低くなった。
「イルダンの旧鉱山で使われた分。あれは全体の半分もありません。残りの大半は――イルダンには来てないんです。別の宛先へ向かってます」
「別の宛先」
「ええ。同じ倉庫印を経由して、同じような起動の下ごしらえの荷が、イルダンとは別の場所へもっとたくさん流れてる」
アシュレイはその別の宛先の名を、記録から探した。ノラが照合した発注名義のいちばん奥に、その名前はあった。
届け先――カダル市当局。
個人でも、休眠業者の名義でもなかった。一つの都市のおおやけの窓口の名が、起動の下ごしらえの荷の最後の届け先になっていた。
市庁の役人がその名を覗き込んで、声を落とした。
「カダル……聞いたことはある。中央からの供給が細くて、冬越しに苦しんでると。だがなぜ、よその街の役所がこんな物騒な荷を」
「それを確かめなければなりません」
アシュレイは白紙の二行目に、その都市の名を書き入れた。
「役人さんの言うとおり、イルダンの核はもう台帳に載せました。条件も書いた。けれどそれは、イルダンの核を眠らせただけです。同じ種類の核をよその街が同じ手順で起こそうとしているなら――私たちがイルダンで止めたのは、危うさを消したのではなく、よそへ追いやっただけになる」
「追いやっただけ」
「再発を防いだとは言えません。芽をこちらの土から抜いて、よその土へ植え替えただけです。保守の仕事は、目の前の一台を直して終わりではありません。同じ壊れ方がよそで繰り返されないところまでが、ひと続きです」
役人は反論しかけて、口を閉じた。カダル市当局という表の名の前では、よその街の事情だと切り捨てる言葉がうまく出てこないようだった。
「都市の名前ですか」
アシュレイは低く呟いた。イルダンで止めたはずの起動企図は、止まったのではなかった。半分以上は最初からイルダンを通り過ぎて、よその都市へ向かっていた。そしてその荷を受け取っていたのは、隠れた誰かではなく、一つの街の表の窓口だった。
動かそうとした手はどこから来たか。問いの答えは、思っていたよりずっと大きかった。それは一人の盗掘者の手ではなく、おそらく供給に困ったもう一つの街の、まるごとの手だった。イルダンの地下で芽を摘んだはずの危うさは、芽のまま、よその街の土に植え替えられていたのかもしれなかった。




