第6話 最下層のボス
倉庫を出たジアドは、追いかけてきたアクトとリーリアを振り返り、まっすぐ上を指さした。
「早速だが、上に向かうぞ。目的地は二つ上の中流層だ。」
中流層は、別名“労働者層”と呼ばれている。
さらに上の上流層を支える労働者たちが暮らす都市群で、アクトたち最下層とは違い、裕福とまではいかないが、それなりの暮らしが約束されている層だ。
「中流層……でも、どうやって?」
アクトは首を傾げた。
中流層へ向かうには関門があり、最下層の人間は下層にすら簡単には上がれない。
ましてや、リーリアを連れてなど、それこそすぐに通報されてしまう。
「ねえ、そもそもジアドは、どうやってここまで来たの?」
深く考えずにリーリアが尋ねた。
確かにそうだ。上から下に行くのはまだ容易だが、それでも、ジアドのような目立つ夜眼が素通りできるはずがない。
「あんたまさか……殺した、のか……?」
アクトは一歩後ずさり、震えた声を漏らす。
それを見たジアドは、呆れたように深い溜め息をついた。
「そうそうこんな騒ぎを起こしてたりはせん。
今回は、貴様の頼みで仕方なく動いたに過ぎない。
数は少ないが、人間の中にも我らの協力者がいるのだ。」
「はっ!?協力者だって……!?」
アクトは思わず身を乗り出した。
未登録の夜眼の保護なんて、命をドブに捨てるようなものだ。
それに、人間をあれだけ疎んでいるジアドが、人間の協力者に頼るなど信じられなかった。
「あんた……人間を憎んでるんじゃねえのかよ?」
ジアドは上を見上げ、固く拳を握った。
その横顔には、普段の不遜な態度とは違う、どこか哀惜のようなものが滲んでいた。
「信念だけでは、何も守れんからな……」
王と名乗るジアドがそんなことを言うとは思わず、アクトは妙に納得させられた。
だが、まだ懸念は残っていた。
ガイアードファミリーだ──
息子であるクリプトを殺されて、ボスのルシウスが黙っているはずがない。
「……あんたはリーリアを連れて、どこかへ隠れててくれ。
どうせ、明るいデイタイムの間は迂闊に動けねえだろ?」
アクトはひとまず、二人に目立たない場所へ隠れるよう促し、自分は上を目指すための道具や作業員証、リーリアの着替えなどを家に取りに帰ることにした。
「一人で大丈夫か?」
珍しく、ジアドがアクトの身を案じた。
意外な言葉にアクトは目を見開くが、すぐに顔を引き締め、不敵な笑みを返す。
「ああ。なんとかしてみせるさ。
暗くなったら、街外れの岩壁にある足場付近で落ち合おう。」
「アクト兄……」
リーリアは顔を曇らせ、小さく呟いた。
もし、ガイアードファミリーや亜人管理局に見つかれば、アクトもただでは済まない。
言葉にできないほどの不安に、リーリアは胸を締め付けられていた。
「心配すんな。俺ぁ人間にしちゃあすばしっこいんだぜ?よく知ってんだろ?」
アクトが笑顔を見せると、リーリアも無理に笑い返した。
「絶対無事に戻ってきてよ!約束だからね!」
「ああ!」
そう言い残し、アクトは走り去る。
ジアドとリーリアも監視カメラを巧みに躱しながら、薄暗い路地の闇へと消えた。
◆◆◆
明け方の空──
そんな、今は見ることのできない光景を思わせる薄明かりが天蓋に灯り始める頃、アクトは無事家に辿り着いていた。
「あれと……これもだな。」
作業で使う工具や登岩装備、念のための作業員証、リーリアの衣類など、アクトは使えそうなものを手当たり次第カバンに詰める。
あとは、残った狭い隙間にありったけの札束を押し込むと、アクトは身を隠せる場所を探しに外へ向かおうとした。
その時──
ドアをノックする音が響いた。アクトは口を塞ぎ、息を殺す。
すると、外からは聞き覚えのある飄々とした声が聞こえてきた。
「すんませーん。お届け物なんすけどー?」
もちろん、そんな物は身に覚えがない。
間違いだとしても、このタイミングは明らかにおかしい。
《くっそ……ガイアードか!?
あれからまだ1時間も経ってねえぞ!!》
アクトはとにかく息を潜め、なんとかやり過ごそうとじっとしていた。
飛び出そうなほど心臓が跳ね上がり、静寂に響くかのような鼓動が身体を揺らす。
「なんだ、留守か……」
《そのまま帰れ……!》
アクトはほっと胸を撫で下ろした。
だが、次の瞬間──
「ドゴンッ!」という激しい音とともに、ドアがアクトの眼前を横切った。衝撃でアクトの髪は揺れ、飛び散った破片で切れた頬から血が滲む。
「なんだ、いるじゃーん。
返事してくれないから、ドア壊しちゃったよー?」
現れたのは、金髪を後ろで縛った青い瞳の長身の男。声はクリプトに似て甲高いが、彼にはない圧倒的な威圧感を宿している。
「てめえがアクトか?うちのクソガキがよぉ……
昨日の夜から見当たらねえんだけど、お前何か知らねえかなー?」
男の名はルシウス・ガイアード。
クリプトの父にしてガイアードファミリーのボス。今のアクトにとって、最も会いたくなかった相手だ。
「さ、さあ……俺は知りませんよ。」
「そっかー。てめえんとこに金せびりに行った後……
なんか、獲物捕まえて遊んでくるとか言ってたらしいんだけどなー?」
その顔は笑っているようで、目はまったく笑っていない。
返答を誤れば死ぬ。そんな確定した未来のような予感がアクトの頭をよぎる。
「確かに金は渡しましたけど……その後のことはわかりません。」
アクトが震えた声で答えたその時──
ルシウスの懐から携帯端末の着信音が響いた。
端末を開き、しばらく黙って聞き入るルシウス。やがて、端末をパタリと閉じた。
次の瞬間──
長い腕がアクトへ伸び、「ガツンッ!」と鈍い音を立てて壁に押し付けた。
「かはっ!?」
アクトは苦悶の声を漏らし、そのまま首を掴まれて持ち上げられる。
ただ縦に長いだけのクリプトとは違い、ルシウスの身体は分厚く、握力はまるで亜人のように強かった。
「今なぁ、すんげえ新鮮な知らせが入ったんだよ……
クリプトがな、倉庫で死んでたってよー?そんで倉庫にあったカメラに……
銀髪のガキとデケえ夜眼が映ってたらしくてな。それってお前じゃねえのかー?」
眉を吊り上げたルシウスの顔には、血管が浮き上がっていた。眉間に刻まれた皺は深く、その眼光は、今すぐアクトを絞め殺してもおかしくないほど禍々しい。
だが、ルシウスはアクトを床に放り投げ、外で待つ部下へ指示を飛ばした。
「おーい!こいつ車に乗せろー!」
「「はい!」」
返事とともに現れた黒づくめの部下たちは、暴れるアクトを無理矢理車に押し込んだ。
「くっそが!離しやがれええッ!!」
「元気だなー?そう暴れんなよー。
言い訳は、あとでたーっぷり聞いてやるからなー?」
そう言って高笑いしながら、ルシウスはもう一台の高級車に乗り込み、アクトを乗せた車はファミリーの拠点であるガイアードの屋敷へと向かった。




