第20話 先先代の王
壁の上に飛び上がった白銀の夜眼は、倒れ込む観客たちに侮蔑の視線を向けた。
普段の傲慢な態度からは想像もつかない無様な姿を晒す彼らは、目に余るほど醜かった。
「ひ、ひいいいッ!」
「こ、こ、こんなの聞いてない!!」
白銀の夜眼が一歩進むたび、虫が引くように道が空く──
彼はマーガレットの主人めがけ、一直線に重い足音を響かせた。
「わ、私が誰だか分かっているのか!?
……私の父は亜人管理局の幹部なんだぞ!!」
主人の遠吠えが響きわたる。だが白銀の夜眼の歩みは止まらず、ついに主人の目の前に立ち塞がった。
間近で見るその巨体は凄まじい迫力を放つ。全身の盛り上がった筋肉は、人間では歯が立たないことが明白だった。
「亜人管理局か……」
「そ、そうだ!貴様などすぐに──うっ!?」
白銀の夜眼は、容赦なく主人の顔面を鷲掴みにして持ち上げる。
そして、さも当然のように主人に向けて言い放った。
「ちょうどいい……貴様も、その父も……
亜人管理局ごと俺様が八つ裂きにしてやろう。」
重たく低いその声は心臓を揺らすほどに空気を震わせた。
白銀の夜眼は、そのまま掴んだ手にギリギリと力を込めていく。
「あがっ!!があ!?……ああああッ!やめ、て……くれ──」
鋭く太い爪が主人の頭を軋ませる。硬いものが割れる音が鈍く響き、口から泡を吹き出した主人は気を失った。
白銀の夜眼は力が抜けてダラリとなった主人の身体を闘技場に向けて放り投げる。主人はぐしゃりと音を立て、闘技場の床に頭から叩きつけられた。
「貴様らに告げておく!このような児戯を繰り返すならば……
その時は、貴様らの命がその代償になると覚悟するがいい!!」
その怒号は闘技場そのものを揺らすほどに、空気を重く震わせた。
大きく鼻息を鳴らし、再びマーガレットの元に降り立った白銀の夜眼は彼に告げる。
「俺様はガイアス──夜の国を統べる夜眼の王。
貴様は見所がある……俺様の下でその力を振るってみる気はないか?」
変態主人に買われたマーガレットは、主人のコネで管理ナンバーが抹消されていた。
つまり、彼は“存在しないはずの夜眼”。マーガレットが返事に迷うことはなかった。
「ああ。俺なんかでよければ使ってくれ。」
「いい眼だ……気に入ったぞ。はははは。」
これがマーガレットと、当時の夜眼の王であったジアドの父、ガイアスとの出会いだった。
「でも、あんたの存在が知られたらまずいんじゃないか?」
マーガレットは壁の上を一瞥すると、爪に力を込めながらガイアスに尋ねた。
確かに、夜眼の王などと名乗るガイアスの存在が亜人管理局に知られるのはまずい。
「……ふん。それは問題なかろう。
ここにいる腰抜けどもも、漏らせば命がないことくらい分かるはずだ。」
そう──その心配はなかった。ここで行われていたことは度を過ぎていたからだ。
知られれば、亜人管理局から重い処罰が下るのは明白だ。主人の父という存在もただでは済まず、口外する者は誰一人いなかった。
こうして、運命的な出会いを果たしたガイアスとマーガレットは、ともに未登録夜眼の捜索と救出を行うことになった。
◆◆◆
「これが私と、ジアドのパパとの出会いよーん。
つまり私は、夜眼の王の右腕って訳。すっごいでしょー?うふふふ。」
ものすごい事実を楽しげに語るマーガレットに、アクトは言葉を失っていた。
そんなに前から夜眼の王と名乗る夜眼がこの地下世界を訪れていたなんて、全く耳にしたことがない。
「そんな昔から、何のために……?
じゃ、じゃあ……マーガレットは地表にある夜眼の国を見たことがあんのか?」
「……うふふ。あるわよーん。
と言ってもまあ……30年くらい前だけどー。」
「ほんとにっ!?」
マーガレットの言葉にリーリアは目を輝かせて身を乗り出した。
その瞳には、ずっと信じてきた御伽話が真実だったことへの感嘆が滲む。
「だから、我が散々あると言っているではないか。」
腕を組むジアドは不満そうに鼻息を鳴らした。
リーリアはジアドを見ると、頭を掻きながら舌を出して苦笑いを浮かべた。
「いきなり信じろって言われてもねー。
私だって最初はガイアスに、何言ってんのこいつーって思ったわよーん。うふふふ。」
そう言って茶化すマーガレットに、ジアドは再び不満げに鼻息を鳴らす。
だがアクトの胸には、自分でも驚くほどの高揚感が広がっていた。
《夜眼の国が本当にある……そこならリーリアも安全に暮らせる……!》
アクトは固く拳を握る。
その様子を見たマーガレットは呆れた様子で微笑んだ。
「あなた……本当にリーリアが大切なのねえ。
でも……あなたは受け入れられるか分からないわよー?」
それはもっともだ。人間であるアクトが夜眼ばかりの国で受け入れられる保証はない。
場合によっては殺されたっておかしくないはず──それでも、アクトの意志は変わらなかった。
「それでもいい……リーリアに安全な自由が手に入るなら、俺はどうなっても構わねえよ。」
アクトがそう言うと、隣で黙って聞いていたリーリアが大きな声を上げた。
「アクト兄のバカッ!!」
「は!?バカって何だよ!」
「どうなってもいいなんて言わないで!
私はアクト兄と一緒にいられたらそれでいいのに!!」
「な、なんだよ!俺はお前のために──」
「アクト兄も無事じゃなきゃ意味ないでしょ!?」
「……っ!」
二人のやりとりを見たマーガレットは大声で笑った。
マーガレットの声は楽しげでありながら、親が子を見守るような温かみも宿していた。
「あっはははは。あなたたち相思相愛じゃないのよー!本当に気に入ったわーん。
アクトを蔑ろにする奴は、夜眼だろうが私が叩きのめしてやるから安心しなさい!うふふふ。」
マーガレットがアクトの肩を叩き、アクトは苦笑いを浮かべた。その横でリーリアは照れくさそうに頬を赤らめる。
そんなアクトの表情は、これまでにないほどの期待に溢れていた。
「さて、そろそろ本題に入るぞ。」
ジアドが不敵な笑みを浮かべて告げる。
その声は、どこかこの状況を楽しむかのような彼らしい不遜さを帯びていた。




