第19話 白銀の夜眼
相対する狂った夜眼は、本能が剥き出しになってなお、その佇まいからは想像できない洗練された構えをとっていた。
それほどに、長い時間をかけて身体に叩き込まれた戦闘技術は、自分と同じかそれ以上の戦士であることを物語っていた。
《くっそ……!殺すしかないのか!?》
マーガレットがそんなことを考えていると、低く身構えた夜眼が大きく一歩踏み込んだ。
薬漬けで底上げされた脚力は凄まじく、一瞬でマーガレットは懐に飛び込まれる。
《はやいっ!?》
風を切るように撃ち込まれる打撃がマーガレットの頬を掠めた。歪んだ爪で抉られた頬に鈍い痛みが走る。
そのまま、次々と繰り出される拳や蹴りは、的確に急所を狙い撃つものばかりだった。
《だめだ……こっちがやられる……!》
ただ幸いだったのは、本能のままに動くその夜眼には、理性による駆け引きがないことだった。
野生的ではない洗練された動きは逆に読みやすい。フェイントなどのないその攻防に、センスに恵まれたマーガレットはすぐに慣れた。
「──すまない……」
そう呟き、爪に力を込めたマーガレットは、拳を空振りさせた隙を見て相手の首を引き裂いた。
とめどなく吹き出す血を眺め、崩れ去る哀れな同族の姿から目を逸らす。
「「おおおおおおおッ!」」
そんなマーガレットに、壁の上にいる観客からは感嘆の声が浴びせられた。
マーガレットの主人も、恍惚とした表情で満足そうに拍手を送っている。
「素晴らしい……!やはり私の目に狂いはなかった!」
《こんな……同族殺しはさせるために、俺を鍛えたのか……!!》
マーガレットは固く歯を食いしばった。
怒りで顔を歪めたマーガレットは、こちらを見下ろす主人を睨みつける。
だが、その視線を満足そうに受け取る主人は薄気味悪く微笑んだ。
「さあ……君が美しく穢れるまで、どんどんやってくれたまえよ!」
主人の言葉とともに再び黒鉄の扉が軋みを上げる。
中からは先ほどと同様に、変態主人に弄ばれた夜眼がゆっくりと闇から現れた。
「なっ!?まだやるのか……!!」
マーガレットは絶望に打ちひしがれた。どうやらこちらが死ぬか正気を失うまで続ける気でいるらしい。
しかし、生き残ったところで待つのは、目の前にいる夜眼と同じ末路。そんな途方もない苦渋の現実がマーガレットの心を折った。
「もういい……好きにしてくれ……」
その瞳から生気が失せる──
それを見た主人は興醒めした様子で眉間に皺を寄せた。
「はあ……一番つまらない結末だ。
やはり、見てくれが良いだけの凡愚だったか……」
それまでとは打って変わり、マーガレットをゴミを見るように見下ろす主人。
先ほどまで沸き立っていた他の観客も、がっかりした様子を見せ始めていた。
その時──
「ドゴンッ!」という轟音が響き渡る。
気づけば分厚い鉄の扉が壁へと吹き飛んでいた。
そして土煙が舞い上がる中、マーガレットが入ってきた側の暗闇から、大きな影がゆらりと現れる。
「今度はなんだ……!?」
マーガレットが驚いていると、影はゆっくりとこちらへ近づいてきた。
驚くことに、そこには白銀の髪と褐色の肌を持ち、2メートルほどはある巨体の夜眼が立っていた。
「おおおお!なんだあれは!?」
「こんな隠し玉がいたのか!」
「あんな夜眼は初めて見るな……」
マーガレットたちの姿にしらけていた観客も再び沸き立つ。
通常の赤茶髪の夜眼とは違ったその威容は、観客席にいる者全てを釘付けにした。
ただ──
マーガレットの主人だけは動揺した。
「なんだ……私は知らんぞ、あんなもの……」
その瞬間──
放たれていた狂った夜眼が、白銀の夜眼めがけて飛びかかる。
本能的にマーガレットよりも危険だと察知した夜眼は、怯えた様子で鋭い爪を突き立てた。
だが、スルリと躱した白銀の夜眼はそのまま腕を掴むと、狂った夜眼を地にねじ伏せる。
「……許せ。」
小さく一言呟き、剥き出しになった鋭い爪でその夜眼の胸部を突き刺した。
口から血を吐き身体を震わせるその夜眼は、やがて、瞳から消えた生気とともに動きを止める。
「グルルアアアアアアアアアアアッ!!」
白銀の夜眼は雄叫びを上げた。
それは闘技場の全てを揺らし、その場にいる全員を黙らせた。
一瞬、自分の死に様が浮かぶほどの殺気を孕んだその咆哮は主人や観客たちの足を竦ませる。
ある者は怯えた声を漏らし、ある者は失禁し、気を失って倒れ込む者までいた。
マーガレットもまた、その凄まじい迫力を前に冷や汗を浮かべ、その場で身構えているのがやっとだった。
《なんっだよ……この気迫……!》
すると、白銀の夜眼は壁の上へ鋭い眼光を向けた。
そして、低く屈んだと同時に足が膨れ上がるほどの力を込めたその夜眼は、一足飛びで壁の上へと飛び上がった。




