第18話 悲運の夜眼
40年ほど前の上流層──
当時は今より夜眼に対する扱いが酷く、そこにはまだ幼いマーガレットの姿があった。
男の夜眼はほぼ例外なく労働用の奴隷として扱われていたが、特に整った顔立ちだったマーガレットは変態趣味の金持ちに買われることになる。
亜人の生態はよく分かっていないが、繁殖は母体側が夜眼であれば問題なく行なえる。
そのため、男の夜眼は雑な扱いを受けて使い潰されることが多く、それまでのマーガレットも例外ではなかった。
「いやぁ、まさかの掘り出し物だ。
帰ったらお風呂に入れて、綺麗にしてあげないとねぇ……」
「……はい。」
マーガレットは全てを諦めていた。
これから何をされるかなんて大体想像がつくし、どうせ夜眼に待っている未来なんてロクなもんじゃない。
そんな思いが、マーガレットの荒んだ心を固く閉ざしていた。
マーガレットが連れて行かれたのは、上流層でも珍しい豪勢な佇まいの大きな屋敷。
そこは地下世界とは思えないほど、電気がふんだんに使われた煌びやかな世界が広がっている。
「君には、簡単な戦闘技術を学んでもらうよ。
その代わり、夜はたっぷりと可愛がってあげよう。」
「わ、わかりました……」
昼間は白兵戦中心の戦闘訓練を積まされ、夜は主人の相手をさせられる日々。
数年をかけて軍人並みの戦闘技術を叩き込まれたマーガレットは、もともとの身体能力の高さもあってか、並の軍人では歯が立たないほどに成長した。
「いやあ!まさかここまでとはねえ!本当にいい買い物をしたよ!」
「ありがとう、ございます……」
嬉しそうに声を弾ませる主人に、マーガレットはどこか安堵していた。
確かに訓練や夜の相手をさせられる日々は辛いことが多いが、恐らく他の奴隷に比べれば自分は大事にされている。
このまま期待に答えれば、自分はもっと大事にして貰えるかもしれない──
いつしかマーガレットは、そんな淡く希望めいた感情を抱き始めていた。
だが──
その微かな光を見出す感情も、マーガレットが買われた時に抱いた絶望すらも甘かった。
この日、ただの美少年好きの変態ならまだマシだったと思い知らせる。
「今日は、友人たちを招いて自慢の君を見せびらかしたくてね。
特別なパーティを開くことになっているから楽しみにしてておくれ。」
「は、はい……楽しみにしてます。」
いつも通りのはずの主人の笑顔。
しかしなぜか、その日だけは見慣れたはずの笑みが心の底から不気味に見えた。
やがて、マーガレットの部屋に執事がやってきた。いつも不機嫌そうな執事の顔が、今日はやけにご機嫌に見える。
少し疑問に思いながらも、彼に連れられたマーガレットは屋敷の地下室へと案内された。
「……やっと、お前の世話も終わりか……」
「……?」
執事がボソリと呟いた瞬間──
大きな黒鉄の扉が鈍い音を立てて開かれた。
そこには石壁に囲まれた円形の広場があり、壁の上には数人の上流階級らしき人間の姿がある。
彼らはいやらしい笑みを浮かべ、舌舐めずりをしながらマーガレットを見下ろしていた。
「ここは……?」
戸惑うマーガレットは、必死に主人の姿を探す。
すると、そんなマーガレットを慈しむかのような主人の声が響き渡った。
「さあ、皆様に見せてあげなさい!
嫉妬と羨望を誘う君の美しさに、私の惜しみない愛を捧げよう!」
「あ、愛……?」
主人は高揚した様子で頬を赤らめ、口角を上げてマーガレットに気色の悪い笑みを向ける。
「醜いものに穢された君は、さらなる美を手に入れる。
今日、もし生き残れたら……今夜はいつも以上に念入りに可愛がってあげるからね。」
「な、何をおっしゃってるんです……?」
マーガレットは状況が理解できずに後ずさるが、黒鉄の扉はすでに閉じられていた。
すると向かいにある分厚い扉が、床に擦れる鈍い音とともにゆっくりと口を開ける。
「ゔゔゔぅぅぅッ!があああああッ!!」
闇の奥から轟く唸り声──
そこには、目を血走らせて醜く涎を垂らす、理性のない獣と化した夜眼の姿があった。
「なっ!?」
マーガレットは目を疑った。こんな夜眼は、買われる前にも見たことがない。
掻き毟って露わになった皮膚や爛れた肉。壁や己を引っ掻き回したであろう爪は、鈍く歪んだまま伸びている。
明らかに常軌を逸したその姿は、とても自然に発生したものとは思えなかった。
「どういうことですか!?」
「うふふふ。その子はね……もう何匹も夜眼を殺してる傑作だ。
でも、精神に異常をきたした上に、薬を打ちすぎてそろそろ限界らしくてねえ……」
「ま……まさか……!?」
マーガレットは固く握った拳を震わせた。
薄く、嘲笑うように見下ろす主人を見上げ、これまで見せたことのない鋭い視線を向ける。
「そうだよ。君にその子を殺して欲しいんだ。
そしたら、今度は君が“新たな傑作”として、私の愛を一身に受けることになる。うふふふふふ。」
その視線すら楽しむように、主人は恍惚とした表情を浮かべていた。
ここは悍ましい殺し合いの舞台であり、壁の上からは人間たちの醜い視線が降り注ぐ。
マーガレットの胸に宿った淡い希望──
それはぐちゃりと鈍い音を立て、深い憎悪によって握り潰された。




