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 僕は、机に置かれたマグカップに触れた。もう、暖かくはなく冷え切っていた。結構時間が経っているのだと思った。


「君はさ、いじめられたことってあるかい?」


 店主は僕を真っ直ぐ見つめてきた。その瞳の奥は澄んでいるようにも濁っているようにも見えた。


 店主は、昔、外資系のコンサルティング会社に勤めていたようだ。昔から勉強が得意で。外国語もしゃべれる。そんな人物だったようだ。


 しかし、会社に入ってから体験したことのない出来事に遭遇した。上司から意地悪を受けるようになったという。


 最初は、単なる嫌味だと思った。しかし、次第にいじめはエスカレートしていく。できるはずもない仕事量を週末になげてきては休み明けにはもってこいと要求したり、クライアントの前で彼を恥をかかせるような言動が増えた。


 困り果てた店主は、周りの同期や先輩に相談したらしい。しかし、元々その上司は短気で、(自分より)仕事ができそうな後輩をいびってはダメにしていく。そんな人だったようだ。


 真面目だった店主は、自分の能力が足りないからであると思った。しかし、思えば思うほど、体調はどんどん悪くなっていた。


 蕁麻疹がでるのは日常茶飯事で、過呼吸になって病院に運ばれたこともあったようだ。


 そんな風に体調が悪くなっていく店主を見て、周りは逆に彼を避けるようになった。理由は簡単だ。


 『次は、私が、僕が標的にされるかもしれない』


 面倒ごとはごめんだ。当たり障りのない言葉でこの話を切り抜けたい。私に、僕に相談をしないでくれ。こんな態度の同期や上司が増えていった。


 店主は、ひどく落ち込んだ。信じていた同期、上司が次第に自分を避けるようになっていった。


「わたしは、本当に驚いたよ。まさか大のおとながいじめをするとはね。こういうのは学生の頃にされる仕打ちだと思っていたけど、大人になってされるなんて思ってもみなかった」


 店主は、苦笑いで僕に話しかけていた。


 しかし、店主はそんな上司のいじめにも負けず必死に働いたらしい。蕁麻疹が出ようとも、過呼吸になろうとも。


 すると、周りからの信頼も回復をしていって、仕事も頼まれるようになった。

 

 彼は、自力で切り抜ける道を選んだ。


 しかし、世の中とは残酷だ。彼が、活躍すればするほど、上司は面白くないらしい。


 しばらく関わりはなかったのだが、とある案件を担当した時に、その上司と働く機会があった。


 自分の評判も聞いていたのだろう。彼は、案件のチームのみんなの前で、またしても僕の評判を落とすような行動に出た。僕は、顔が真っ青になり、そして床に倒れた。


「自分で言うのもなんだけど、なかなかハンサムだと思うし、勉強もできる。嫉妬されても仕方ないのかもしれない。でも、これがこの国の現状さ。何歳になってもこんな感じ。他人が妬ましい。仕事なんて、商品を作って、運ぶなりして、売る。それだけのことさ。えらいことなんてない。その役割に誰かが収まっているだけで、僕らは、みんなで生きるために働いている。誰かが働くのをやめたら、焼きそばすら作れないかもしれない世の中なんだ。それでも、他人より優位に立ちたがる奴がいる。本当にアホらしくなったよ」


 店主の言葉にはどこか力強さがあった。低い声で、淡々と喋る。でも、話の内容に重みがあった。


「この経験から全ての人が嫌いになった。でも、もう一度初めから人を好きになりたいと思った。だから、この店を始めたんだ。結局、コンサルティング会社よりも長くやってるよ」


 店主は一通り話したいことは話せたのか、マグカップを手にして、口にコーヒーを流し込んだ。


「それは大変でしたね」


 僕は、何を言って良いのかわからず、当たり障りのない感想を述べてしまった。


「ははは。なんか初対面なのに重い話をしてしまって悪かったね」


「とんでもないです」


 僕は、時計を見た。すでにお昼を回っていた。


「ああ、もうこんな時間。すいません、僕そろそろ失礼させてもらいます」


「そうか。また来てくれるのを待っていますよ」


 僕は「また来ます」と言って席を経ち一礼をして店を出た。


 歩きながら、僕は一つだけ考え事をしていた。


 本当にこの店は、前からあったのだろうかと……

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