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翌朝。僕は会社を休んだ。
会社に電話をかけると「わかりました。それでは、ゆっくり休んでください」と、会社の事務のお局さんに言われた(その言葉にやさしさのようなものは感じない)。
額に右手を当てると、とても熱く、熱がかなりあると感じた。立つのもやっとで、ふらふらする。インフルエンザかもしれないと一瞬疑ったが、時期としては少し早いような気もした。
考えることで、体調が良くなるとは到底思えなかった。僕は、とりあえず病院に行かなければと思い、なんとか着替えを済ませ、マスクをつけて家を飛び出した。
平日の朝9時に家の前を歩いているのも不思議な気がした。
サラリーマンになってから約2年が経ったが、なかなか仕事は慣れるものではなかった。
特に興味のある分野がなかった僕は、大学時代に友達が勉強していた会計を一緒に学んだ。学科も法学部であったのに、である。その友達はかなり会計学が得意で教えるのもうまかった。彼の話を聞いているだけで会計というものは面白いのかもしれないと思ったし、自分も得意な気がした。
得意な気がしても、他の人から見れば会計のセンスがあったというわけではない。でも、気がつけば経理部員となっていた。するすると面接が通っていった。僕としても不思議である。
経理部の仕事がつまらないわけではない。会社の人に嫌いな人がいるわけでもない(お局さんは僕に少し冷たいが)。
でもなれない。
大学生活が楽しかったから、その反動で仕事がつまらないということでもない。
本当に、慣れないのである。仕事というものは難しいなと痛感する日々だった。
咳が止まらなくなってきた。コホコホと最初のうちは咳をしていたが、そのうち何かを叩くかのような咳が出始めた。
体調が悪くなると、ネガティブなことを考え始めてしまうものだ。僕は、この生活の行く末をなんとなく考えてしまっていた。
病院は、大通りとは反対に、川沿いにしばらく歩いて行くとある。昔からある、個人の診療所で、地元の子供やおじいちゃんが待合室の椅子に大抵座っていて、わりと繁盛していた。こどもたちは、顔を真っ赤にしていつも辛そうにしている。反対に、おじいさんやおばあさんはあまり辛そうには見えなかった。普通に近くに座って話をしあっていたし、自分の病気の遍歴などを雄弁に語っておばあさんを口説いていたおじいさんもいた。
スタスタと川沿いを歩いて、病院へ向かう。冷えた外の空気が僕の耳たぶを冷やした。咳は酷くなるばかり。
僕は、いよいよ病院へたどり着かぬまま、その辺の地べたに倒れて死んでしまうのではないかと思うようになっていた。
朦朧とする意識の中で、不意に川とは反対側を見た。
反対側には、家が建っていた。見たこともないような建物だった。外観は、大きなガラス張り。中は、白い壁にたくさんの本棚が並んでいるように見えた。本屋かブックカフェだろうか。
いつもの元気な僕であるならば、気になって店内に寄るのだが、今の僕はそんな悠長なことをやっているほど余裕はなかった。
しかたなく、見なかったふりをして病院へと急いだ。
「うーん、多分、風邪ですね。薬出しときます。あ、とりあえずこれ飲んだら楽になるから飲んで」
この道、40年!とも言いたそうな貫禄のある髭に、フチなしの丸メガネ。
しかし【多分】というフレーズは、僕を不安にさせた。ただ、医者も神様ではない。なんでもわかるわけではない。患者からの数少ない元気のない回答から、答えを予測して薬を処方する。また、風邪という症状に絶対に効く薬があるわけではないと聞いたことがある。結局対処療法で、知らない間に勝手に自己回復するしかないのだろう。
「お大事に〜」
その診療所は珍しく、未だに薬を病院の受付で出してるところであった(最近は、薬局に処方箋を持っていくパターンが多いが)。
受付の若い白衣の女性に見送られながら僕は、処方された薬を握りしめて病院を出た。
歩いていると、だんだん薬が効いてきたのか、楽になっていくのがわかった。ナントカ効果とかいう薬が効いている気になっているだけなのかもしれないが、いずれにせよ僕の体調は良くなっていった。
僕は、またしても川とは反対側が気になり、視線をそちらに向けた。
すると、やはり先ほど気になった店があった。
なんとなく「入ってみるか」と思い、僕は店の方に体を向けた。




