第6話 普通は残ります
「領主様、そこは材料を置きます」
ハンスに言われ、俺は横へ動いた。
「そちらは、運ぶ道です」
今度は後ろへ下がった。
背中に、何かが当たった。
「鋸です。触らないでください」
俺は両手を胸の前へ上げた。
「……どこにいればいい?」
ハンスが辺りを見回す。
少し考えてから、木陰を指さした。
「あちらなら」
トマが椅子を運んできた。
少し前、兵に休憩を許した椅子だった。
今度は、俺が座る番らしい。
◇
見張り小屋の工事は、三日前に始まった。
ハンスに頼む金額と支払日を決め、着手分は渡してある。
材料は領地持ち。足りない板は町で切りそろえ、借りた荷車で何度か運んだ。
助手も二人、見つかった。
一人は以前ハンスと働いていた男。畑の仕事をしていたが、家族と相談して、この工事の間は戻ってきてくれた。
もう一人は、集落の若者だ。名はニルス。荷運びはできるが、大工仕事は初めてだという。
「印を、こっちへ向けろ。隠したら見えない」
「はい」
「押さえるのは、その先。指を切りたいのか」
「いえ!」
ハンスは一度、鋸を置いた。
ニルスの立つ位置と手の置き方を直し、それから作業を再開した。
怒鳴り続けるわけではない。
ただ、危ないときには必ず止める。
木陰から眺めていると、ニルスが次の板を運んできた。
今度は、印が見える向きに置いた。
「そこだ」
短く言われ、若者の背筋が伸びた。
俺が今日出した指示は、まだ一つもない。
受けた指示は、既に三つある。
だが、小屋は着実にできていた。
「お茶を持ってまいりましょうか」
トマに聞かれ、うなずきかけた。
目の前では皆が働いている。
「いや、俺だけというのも」
「では、水を」
「飲み物の種類の問題ではないんだが」
トマは少し考え、全員分の水を持ってきた。
そういう解決ができる人だった。
休憩に入ったところで、デニスが川の方から戻ってきた。
敵の姿はない。見張りは引き続き交代で置いている。
「よろしいでしょうか。中へ、槍を立てる場所が欲しいのですが」
ハンスが柱を指さした。
「長さは」
「このくらいです」
「そこに置くと、扉を開けた者が引っ掛けます。奥の壁なら」
「急に呼ばれたとき、取りに戻ることになりますね」
二人が小屋の入口へ移った。
ハンスが立ち位置を変え、デニスが槍を持つまねをする。
「なら、外の軒下に一本ずつ。休んでいる者の分は中へ」
「それなら、雨にも当たりませんね」
決まった。
俺には、聞かれなかった。
実に、ありがたかった。
◇
昼前には、屋根の最後の板が収まった。
小さな窓。川とは反対側の入口。
四人が横になれる床と、道具を寄せる場所。
見た目は、地味だった。
塔もなければ、立派な紋章もない。
その代わり、入口には泥を落とすための板が置かれていた。
「靴底をここでこすってください。中へ泥を持ち込むと、乾きません」
ハンスが説明する。
兵たちが、なるほどとうなずいた。
「それから、濡れた外套はそちらへ。寝る場所の上には掛けないこと」
壁に木の突起が並んでいる。
その下の床板は、ほかより短かった。
「長さが違うのは?」
「そこが先に傷むでしょうから。少ない板で替えられるようにしました」
床も、地面から少し上げてある。
下には風を通す隙間。小屋の周りには、水の流れる浅い溝。
俺が能力で作ったものにも、屋根と壁と床はあった。
でも、濡れた外套をどこへ掛けるかまでは考えていなかった。
「そこまで考えるのか」
「あとで直しに来るのも、私ですから」
ハンスは、扉の端を少し削った。
閉じる。開く。もう一度、閉じる。
さっきまで小さく引っ掛かっていた扉が、すっと動いた。
近所の桶を直していたときも、同じような手つきだった。
領主が見ているから丁寧にしている、という感じではない。
「領主様。こちらを押さえていただけますか」
ニルスが、薄い板を差し出してきた。
ハンスがすぐに振り返った。
「人を使う前に、何をするか言え」
「あっ、すみません。ここの印を――」
「それなら俺にもできる」
指定された端を押さえる。
ニルスが炭で印をつけた。
「ありがとうございます」
仕事をした。
ようやく、現場で役に立った。
少し離れた所で、兵がひそひそ話していた。
「領主様も、お建てになるんだな」
「若い者に、手ずから教えておられるのか」
逆だ。
俺が、手を置く場所から教わっている。
ニルスが顔を赤くして、板を受け取った。
「あの、私、領主様に」
「頼み方は今のでいい。俺にもできる仕事だった」
ハンスが鼻から息を出した。
少し笑ったようだった。
「では、次はこちらで。領主様の手を借りなくても、押さえられるようにしろ」
ニルスは短い木片を取り、板が動かないように置いた。
一度滑った。置き直した。
ハンスは手を出さず、見ていた。
俺は、その分だけ後ろへ下がった。
今度は、運ぶ道をふさがなかった。
◇
完成を確認したあと、デニスに使い方の説明を聞いてもらった。
雨漏りや扉の不具合があれば、まずハンスへ伝える。
床下へ物を詰め込まない。
小屋の中で、勝手に焚き火をしない。
当たり前に思えるが、説明されなければ誰かがやるのだろう。
「領主様も、勝手に改造なさらぬよう」
「なぜ俺だけ、名指しなんだ」
返事の代わりに、ハンスが小屋の周りを見た。
前の小屋があった場所である。
言い返せなかった。
皆が毛布を運び始めたところで、俺は《換算》を開いた。
発動の項目には触れない。
木材は対象外のまま、表示できる資産と消費順位を確かめる。
目の前の小屋が、一覧にあった。
だが、第一順位には入っていない。
先日消えた小屋の履歴と見比べた。
あちらには、術者依存の構造物、と表示されていた。
こちらは、それより後ろの順位に置かれている。
材料を出したのは俺だ。
工賃も、領地から払う。
建ててほしいと頼んだのも、俺。
違うのは、誰が形を考え、誰が手を動かしたか。
そして、壊れたときに誰が直せるか。
俺が建てた小屋は、俺にしか作れなかった。
目の前の小屋なら、ハンスが直せる。助手も作り方を知っている。ニルスにも、今日覚えたことがある。
それが、順位の違いにつながっているのかもしれない。
「領主様?」
トマに呼ばれ、顔を上げた。
「消しませんよね」
「見ているだけだ!」
ハンスまで、こちらを向いた。
俺は慌てて画面を閉じた。
後ろの順位だからといって、対象から外れたわけではない。
順番の前にあるものを使い切ったら、どうなるのかもまだわからない。
確かめるために、完成した小屋を差し出す気はない。
木材の換算は、引き続き止めておく。
ただ、覚えておこうと思った。
自分だけで作ったものと、人に任せてできたものを、この力は同じには扱わない。
◇
椅子が、小屋へ運び込まれた。
運んでいるのは、あの日の兵だった。
先ほど俺が座っていた椅子を、今度こそ屋根の下へ置く。
入口をくぐり、壁際で向きを変える。
床へ下ろす。
何も消えなかった。
兵が座った。
背もたれへ体重を預けた。
小屋は、あった。
「……残っている」
思わず言うと、ハンスがこちらを見た。
「普通は残ります」
知っている。
前の世界なら、俺もそう答えた。
「いや、よかった。本当によかった」
椅子の兵が背筋を伸ばした。
デニスも、深くうなずく。
「我々の休む場所を、それほどまでに」
「それもある」
それも、という言い方になってしまった。
屋根の下に人がいる。
風が吹いても、毛布が飛ばない。
当たり前の光景が、ようやくここにできた。
俺が木陰で座っている間にも、彼らが作ってくれたものだ。
ハンスに残りの工賃を渡し、受取を確認した。
彼はその場で助手たちへ賃金を分けた。
ニルスが、小さな銅貨を両手で受け取った。
「明日も来ていいですか」
「この小屋は終わりだ」
若者の顔が落ちかけたところで、ハンスが続けた。
「道具を片づけて、刃の手入れをする。工房には来い。その先は、家の仕事も聞いてからだ」
ニルスが、勢いよくうなずいた。
頼んだ小屋は一つ。
できたのも一つ。
それでも、渡した工賃で動いたものは、小屋だけではなかった。
帰り際、もう一度振り返った。
小屋は、残っていた。
「領主様」
「わかっている。普通は残るんだろう」
「いえ。馬が、そちらではない方へ」
手綱を持ち直した。
こっちは、まだ人に任せたい仕事だった。
◇
町の役所へ戻ると、リタとマルセルが待っていた。
机の上に、三冊の綴りが開いてある。
紙の端には、細い布が挟まれていた。
「お戻りになるまでに、一つ確かめられました」
マルセルが、椅子を引いた。
俺は座り、差し出された紙を読む。
商会の控えだった。
先月の検分に合わせて、二百袋の麦を三日間預けた記録。
入れた日と返した日は、倉庫で見つけた札と一致している。
「借りた分は、全部返されております」
「それで?」
リタが、もう一枚を隣に置いた。
「こちらは、領地の支払いです」
麦の保管調整費。
曖昧な名前だった。
日付と金額。その横に、支払いを認める印がある。
「商会に、何の代金か確認しました。二百袋を使えなくする三日分の借り賃と、往復の運び賃だそうです」
俺は、二枚の紙を近づけた。
金を払って借りる。
検分の日に並べる。
終わったら返す。
麦は残らない。
支払いだけが、領地に残る。
「これは、払ってあるんだな」
「はい。商会の受取も確認できました」
ハンスの十八枚は、何か月も止まっていた。
一方で、検分の日に備蓄を多く見せるための金は、支払われている。
ただ、借り賃の記録だけでは、誰が何を知っていたかまでは決まらない。
商会が事情を知っていたのか。役所では、何という説明で通したのか。
「この名目は、どこから見つけた?」
リタが、帳面を一冊引き寄せた。
「先に、麦を運んだ人を調べました。同じ日に二往復していたので、そちらの支払いをたどったら、この紙と一緒に綴じられていて」
麦の欄だけを見ていたら、見落としたかもしれない。
現物が動けば、人と荷車が動く。
彼女は、その方から追っていた。
「よく見つけた。元の紙は残して、照合したものをまとめよう」
マルセルがうなずく。
俺は、支払いを認めた印を見た。
知らない名ではなかった。
レオンの記憶の中で、いつも父の隣に書類を置いていた男だ。
「この支払いを認めた人に、話を聞こう」
小屋の工賃は、屋根になった。
この金でできたものは、何だったのか。
今度は、払った側に確かめる番だった。
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