第5話 お支払いは領主様
帰り道、トマが二度ほど後ろを振り返った。
「何か忘れたか?」
「いえ。あの者は、いつまで椅子に座っていてよいのかと」
見張り小屋のあった場所で、休憩を許された兵のことだった。
「交代までだ。デニスもいる」
「承知しました」
俺も一度、振り返った。
もう渡し場は見えなかった。
今日の成果は、敵の偵察を追い払い、兵一人に青空の下で休憩を与えたこと。
消費したのは、小屋一棟。
報告書には書きにくい。
◇
今朝の集落へ戻ると、畑にいた男がまた走ってきた。
「領主様! 何か、粗相でも」
「違う。大工を探している」
一日に二度来ただけで、この警戒である。
もう少し気軽に寄れる関係になりたい。
「ハンスのことですかね。仕事を頼みに?」
「ああ」
男は、少し困った顔をした。
「腕はいいんですが……」
その先を聞く前に、工房へ着いた。
家の脇に屋根を延ばした、小さな作業場だった。
長い作業台。壁に掛けた鋸。刃を布で包んだ道具。
木屑は隅に掃き寄せられ、床は歩きやすく片づいている。
中にいた男が、腰掛けから立った。
四十歳くらいだろうか。肩幅が広く、袖から出た腕には細かな傷があった。
「こちらはフェルデン領主、レオン様だ」
トマの紹介に、男は道具を置いて頭を下げた。
驚いてはいたが、歓迎している顔ではなかった。
「ハンスと申します」
「急にすまない。見張りの兵が休む小屋を建てたい。仕事を頼めるだろうか」
返事は早かった。
「領主様のお仕事は、お断りしております」
俺は口を閉じた。
初対面で、取引停止になっていた。
「……理由を聞いても?」
「前のお支払いが、まだですので」
今度は、もう少し長く口を閉じた。
腕のいい職人を探しに来たら、未払いの請求先として迎えられた。
元銀行員として、非常に居心地が悪い。
◇
ハンスは家へ入り、細長い木箱を持って戻った。
中から、折りたたんだ紙を二枚出す。
「春に、用水の水門と渡り板を直しました。代官所の注文です。材料はこちら持ち。検めも済んでおります」
注文の内容と金額。
仕事を終えたことを認める署名。
銀貨十八枚。
紙を指で押さえ、支払う期日を見た。
夏に入る前の日付だった。
「何度か、確認した?」
「三度。最初は次の取りまとめで。その次は担当が不在。最後は、前の領主様がお亡くなりになったので、しばらく待てと」
心当たりのない借金だった。
だが、俺の知らないところで頼んだ仕事だから払わない、は通らない。
「この仕事は、どこで見られる」
「裏の用水です」
見に行くと、水路の分かれ目に木の枠が組まれていた。
ハンスが板を動かすと、水の流れる先が変わる。
「ここは、前の枠が腐っていました。傷んだ板だけ替えても、また外れる。枠から替えると話をして、承知をもらっています」
俺には、木組みの良し悪しまではわからない。
近くの畑にいた二人にも聞いた。
水が漏れなくなり、開け閉めも一人でできるようになったという。
「前は二人で引っ張ってたんだ。急に抜けて、あいつが尻もちついてな」
「それは言わんでいい」
実際に使っている人の話は、具体的だった。
ハンスは笑いもせず、板を元へ戻した。
「朝に見た板橋も、あなたが?」
「別の場所です。そっちは傷んだ板を何枚か替えただけで。下の支えも直さないと荷車は通せないと、伝えてあります」
途中で投げ出したのではない。
必要な工事と、できている応急処置を分けて話していた。
工房へ戻ると、近所の女が桶を持ってきていた。
ハンスは底を見て、台の下から細い木片を選ぶ。
「あとで持っていく」
「お代は?」
「このくらい、前にもらった豆で足りる」
女が帰ると、俺の視線に気づいた。
「仕事は、しておりませんよ。大きなものは」
「材料を先に買えないから?」
ハンスの手が止まった。
「……はい」
水門の材料代は払った。
手伝った者への賃金も、貯えから出した。
ところが、入ってくるはずの十八枚が入ってこない。
次の仕事を受ける金がなくなった。
注文があって、腕もある。それでも手が止まる。
前の世界でも、こういう事業者を見てきた。
そのときは、代金を払わない取引先を一緒に困ったものだと話した。
今日は、俺がその取引先だった。
「確認を待たせることになるが、役所の控えも調べる。明日の昼までに、支払いについて返事をする」
ハンスの顔は変わらなかった。
何度も聞いた言葉なのだろう。
「小屋を引き受けたら、ですか」
「いや。前の仕事の代金だ。新しい仕事を断っても、それは変わらない」
そこで初めて、彼は俺をまっすぐ見た。
「小屋の相談は、支払いの話をしてからにしよう」
急がなければならない。
だが、急ぐ事情を持っているのは、こちらだけではなかった。
◇
町へ戻り、マルセルに紙を見せた。
控えは見つかった。
注文も、完成確認も、未払いの額も一致した。
支払待ちの綴りに、挟まっていた。
「……ここに、ずっと?」
「はい」
マルセルが机へ置いた束は、薄くなかった。
俺は一度、椅子へ深く座り直した。
「ほかの分も、金額と期限を一覧にしてほしい。まず、この町で払うものから」
「承知しました」
今度は、麦の帳簿とは逆だ。
資産が多く見えていたうえに、払うべき金が見渡せていない。
現金の残りを確かめ、近い支払いを並べた。
食料代、運送賃、負傷者の手当てに使うもの。
そこから勝手に抜くわけにはいかない。
手を止めたのは、新しい荷車の購入予定だった。
デニスと修理をしている老人に聞くと、修理済みの一台と、借りた荷車を順番に回せば、しばらくはしのげるという。
ただし、木材の運搬は一度にまとめられなくなる。
購入を延ばし、借り賃と運搬回数の増える分を残す。
そのうえで、十八枚を用意する。
金が湧いたわけではない。
荷車を増やすより先に、働いた人への支払いをする。それだけだった。
「新しい小屋の工賃は、また別に必要ですね」
マルセルに言われ、うなずいた。
「わかっている」
小屋が消えた事情は、既に話した。
書記は羽根ペンを握ったまま、しばらく動かなかったものの、最後には一つだけ聞いた。
『失われた木材は、どの支出につけますか』
できれば俺にも、誰か教えてほしかった。
◇
翌朝、ハンスに町の役所まで来てもらった。
机の上で、銀貨を数える。
十八枚。
ハンスも一枚ずつ確かめ、受取の印をつけた。
「遅くなった。すまなかった」
彼は袋の口を縛った。
今度のうなずきは、昨日より深かった。
「それで、小屋の話ですが」
ハンスの方から切り出した。
「四人が休めるもの、と伺いました。雨を避けるだけでよろしいので?」
「床も欲しい。兵が眠れて、道具を乾かせるように。それから、勝手に消えない小屋を」
ハンスが止まった。
隣で、トマも止まった。
「……最後のは、どういう意味です?」
「普通の大工仕事なら、気にしなくていい」
「気になりますが」
もっともだった。
トマが説明を引き受けた。
「昨日、領主様が御力で小屋を建てられまして」
「建てられるのですか」
「そのあと敵が来たので、足を遅くする術を使われたら、小屋が消えました」
ハンスは、俺を見た。
「……建てたんですか、壊したんですか」
「順番に、両方」
言っていて、ひどい依頼主だと思った。
「見張りの兵は感心しておりました。敵を脅すためだったのだと」
「違うと説明しただろう」
「はい。ただ、私が今朝寄ったときには、一瞬で建てた小屋を惜しげもなく捨てた、と」
「惜しんだ! かなり惜しんだ!」
マルセルのペンが止まった。
ハンスは腕を組み、少し考えてから聞いた。
「私の作った小屋も、消されるので?」
そこは笑って済ませられない。
「まだ、仕組みを全部は確かめられていない。だから当面、木材を消費する術は使わない。確かめるにしても、人のいる建物を巻き込む試し方はしない」
個別に、この小屋だけ残すとは指定できなかった。
今は、木材そのものを対象から外してある。
「直す必要が出たときも、勝手に術でいじらず、相談してほしい」
「そうする」
ハンスはうなずき、机に板を置いた。
炭で四角を描く。
「川の風が、どちらから当たります」
仕事の話が、始まった。
◇
その場では、必要な広さと使い方まで決めた。
場所と木材は午後にハンスが確かめる。デニスには案内を頼んである。
部材の寸法を聞かれたとき、俺は少し考えた。
能力が作った形なら、思い出せる。
だが、あれと同じにする理由もない。
「直しやすい形にしてほしい。使う人に聞いて、あなたが考えてくれ」
「凝ったものにはできませんよ」
「普通の小屋で十分だ」
また言った。
ここ二日、俺は普通の小屋を熱望している。
材料は領地から出す。
工賃は見積もりをもらい、着手時と完成確認後に分ける。助手の賃金も含め、ハンスの持ち出しが生じない形にする。
マルセルが、支払う日と条件を紙へ書いた。
領主側とハンスが、それぞれ一枚ずつ持つ。
「手伝いは、二人欲しいです」
「以前、一緒にやっていた人は?」
「一人は別の町へ。もう一人は、今、畑を手伝っています。話はできますが」
彼らにも生活がある。
都合よく、呼べば戻ってくるとは限らない。
「空いている人にも声をかけよう。経験のない人なら、どんな作業を頼める?」
「運ぶ、押さえる、道具をそろえる。最初はその辺りです。切る場所を間違えると、木は戻りませんから」
トマが、俺を見た。
「なぜ今、こっちを見た」
「いえ」
ハンスは気にせず続けた。
「教えながらなら、その分、時間が要ります」
「それも見積もりに入れてくれ。次の修理で、少しでもできる人が増えると助かる」
国に仕事があっても、できる人が一人では、そこで止まる。
オズワルドがいなくなったあと、それを嫌というほど見た。
ハンスの手元を見て覚える人がいれば、彼は難しい仕事へ手を回せる。
領地のあちこちで、俺が小屋を出したり消したりするより、ずっといい。
「現場も、見に行っていいか」
「構いません。ただし、仕事場では私の言うことを聞いていただきます」
「もちろん」
「勝手に木を持たない。刃物に触らない。材料を消さない」
三つ目だけ、俺専用の注意事項だった。
話を終えたハンスが、受け取った金の袋を懐へ入れる。
「これで、刃を研ぎ直しに出せます。助手にも、声をかけてみます」
外へ出ていく足取りは、昨日より速かった。
トマが扉を見送り、小さく息を吐いた。
「領主様が直接お話しになると、職人も動くのですね」
俺は机に残った受取の紙を見た。
「いや、トマ」
そこは、美談にしてはいけない。
「まず、払うものを払ったからだ」
カクヨムでも連載中です。
領内地図・人物紹介などの補足も掲載しています。




