第4話 この世界の小屋は消えるものなのか
エマの父親は、椅子に座らなかった。
集会所の小部屋で、帽子を両手に持ったまま、俺の話を聞いた。
戦場で使った力のこと。その代償として六人が消え、エマの名も記録にあったこと。
「戻す方法は、まだ見つかっていません」
口にしてから、言い直した。
「見つかると、約束することもできません。私が使った力です。申し訳ありません」
帽子の縁を握る指が、白くなっていた。
「娘が、何かしたんですか」
「いいえ」
「では、なぜ」
信頼していたから。
そんな言葉を、そのまま渡していいものか迷った。
だが、隠したところで答えは変わらない。
「私を信じていた人の中から、選ばれる力でした。誰が選ばれるか、私には決められませんでした」
長い間、返事はなかった。
「……妻にも、あなたから話してください」
「はい」
その日のうちに、夫妻へ同じ話をした。
許すとは、言われなかった。
俺も、言ってもらうための説明を重ねることはしなかった。
ほかの遺族にも、確認できた事実を伝えた。
生活に困ることがないよう手配する。それを受け取ることと、俺を許すことは別だと、マルセルにも話した。
話を聞いた書記は、しばらく机を見つめていた。
「お伝えしたことは、口止めいたしません」
「ああ」
秘密にしておいてほしいとは、頼めなかった。
◇
四日後、俺は馬の上で、領地経営の重大な問題に直面していた。
尻が痛い。
道が悪い。
馬は悪くない。横を歩くトマも悪くない。
では何が悪いかというと、たぶん俺の座り方だった。
「肩に力が入っています、領主様」
「抜くと落ちそうなんだが」
「入れていても、その座り方では落ちます」
救いがない。
頭の痛みは引き、短い外出の許しが出た。
渡し場の防備を確かめるついでに、脇道沿いの集落を一つ見ていく。そう決めたのは俺だ。
机で聞くだけではわからないと、立派なことも言った。
荷車より馬の方が道を選ばないと勧められたとき、なぜ素直にうなずいたのか。
乗り方の記憶は、あった。
足を掛ける場所も、手綱の持ち方もわかった。
だが、それで馬と息が合うかは別問題らしい。
視界の先で、畑と林が交互に現れる。
低い石垣。水路に渡した板。軒先に干された豆。
見覚えがなかった。
景色に触れれば、レオンの記憶が出てくると思っていたが、何も浮かばない。
「俺は、ここへ来たことがあったか?」
「私は存じません。お館と町の周りには、よくおいででしたが」
なるほど。
若いレオン君に、領主の息子として各地へ足を運べというのも大変だったのだろう。
道はこれだし、町も村も一つではない。訪問先では挨拶やら何やらもある。
……いや。
これから、それを全部、俺がやるのか?
前世は三十五歳。
外回りには慣れている。工場、農場、倉庫、社長の自宅。呼ばれればどこへでも行った。
営業車で。
背もたれがあり、空調があり、道案内までしてくれる車で。
この馬は、どれも標準装備していない。
「若さだけでは、どうにもならないな……」
「領主様は、お若いでしょう」
「身体はな」
「身体は?」
「独り言だ。気にしないでくれ」
トマが妙な顔をした。
その顔には、ここ数日、何度も出会っている。
傷が治ったことだけではない。
返事の仕方、質問の数、何を自分で確かめたがるか。
以前のレオンを知る人ほど、俺を見て一度考える。
「……だいぶ、お変わりになりましたね」
トマが、小さく言った。
「そうか」
「前でしたら、お話を聞いて、持ち帰ってからお決めになることが多かったので」
「今は?」
「持ち帰る前に、領主様が出かけてしまわれます」
苦情かもしれなかった。
集落の入口で馬を止めると、畑から男が走ってきた。
「領主様、自らこちらへ!?」
「少し様子を見せてほしい。困っていることはあるか」
男は口を開け、そのまま後ろを振り返った。
柵の向こうに、二人の女が立っていた。
「あれが新しい領主様?」
「そりゃ、見たことないものね」
「お父上には似てるねえ」
よく聞こえた。
代替わりして数か月。俺が村を知らないように、村も俺を知らない。
名前と税の取り立てだけで覚えられる前に、顔を出せてよかったと思うことにした。
男が挙げた困り事は、水路の板橋だった。
荷車を通すと沈むので、収穫物を途中から人が担いでいるという。
すぐに直すとは言わず、場所と、何台が使うかを聞いた。
トマが持ってきた板へ書き留める。
「書くのは、私がやりますので」
「助かる」
「領主様は、手綱を持っていてください」
いつの間にか、馬が道端の草を食べに行こうとしていた。
◇
渡し場では、デニスが待っていた。
川向こうに敵の大きな動きはない。
ただ、遠くに騎兵の姿が見えることはあり、見張りは減らせなかった。
「夜露を避ける場所が欲しいんです」
デニスが指さした先には、杭に渡した布があった。
雨が降れば、横から吹き込む。交代の兵が眠るにも、武器を乾かすにも足りない。
麦の方は、少しだけ時間を買えた。
商会と交渉し、預かりの麦の一部を町の資金で買い取った。船が動くまで保管料を軽くする条件もつけたが、安くはならなかった。
帳簿の調査は、リタとマルセルが記録を突き合わせている。
王都へ人材派遣を求める書状も出した。
食料の次は、防備。
どちらも待ってくれない。
「大工は呼べるか」
「町の修理に取られております。来てもらうまで、せめて屋根だけでも」
近くには、柵の補修用の木材が積まれていた。
領主の山から切り出して保管していた分を、昨日運ばせたという。
俺は《換算》を開いた。
まず、《人》が対象外であることを確認する。
そのうえで木材を選び、防壁形成から続く項目をたどった。
《簡易建築》
必要な木材量。
組み上がる形。
屋根、壁、床。
複雑な家は選べないが、小屋なら作れる。
完成形を変えると必要量も変わる。入口を川の反対側へ置き、川を見るための窓をつけた。
「四人が休める広さで足りるか?」
「はい。二組が入れ替わりますから」
「この場所は、水が上がらない?」
「そこなら。もう少し川へ寄ると、春に浸かります」
聞いてよかった。
能力は、小屋を建てたあとの春まで心配してくれない。
木材を使っていいか、デニスと残りの補修予定を確認する。
量は足りている。柵に回す分も残る。
人を下がらせて、誰もいない地面を指定した。
発動。
積まれていた木材の一部が、ほどけるように消えた。
その先で柱が立ち、板が並び、屋根が閉じる。
数度、瞬きをするうちに、小屋ができていた。
「おお……!」
デニスが窓をのぞき、扉を開けた。
床へ片足を載せ、そっと体重をかける。
「本当に、建っている」
「乱暴に使わないでくれ。俺も、この形で作るのは初めてだ」
後ろで、兵たちが声をひそめた。
「領主様がこんな魔法を使うとこ、見たことあるか」
「そりゃ見たことないよな」
「俺、新領主様自体、今日初めて見た」
また、その段階の話か。
「聞こえてるぞ」
三人が一斉に背筋を伸ばした。
怒ってはいない。
できれば小屋だけでなく、俺の顔も覚えて帰ってほしい。
「では、毛布と椅子を。交代の者から使わせます」
デニスが指示を出した。
俺は少しだけ、肩の力を抜いた。
これなら雨が降っても休める。工事を待つ間に兵を弱らせずに済む。
今度は、使ったものも、できたものも確かめられた。
「川向こう! 騎兵、四!」
見張りの声が飛んだ。
◇
対岸の木立から、四頭の馬が出てきた。
大軍の先頭という様子ではない。止まってはこちらを見て、また少し進む。
「偵察でしょう。新しい小屋を見つけたか」
デニスが俺の前へ出た。
兵たちが盾を持つ。トマも俺を土塁の陰へ促した。
ここで先日の力を使うつもりはない。
ただ、好きに近づいて調べられるのも困る。
《移動阻害》
これか。
浅瀬へ近づく馬の進路を選ぶと、範囲が表示された。
こちらの兵はいない。射程にも入っている。
使用対象を木材だけに絞る。
必要量は、運び込んだ残りで足りる。
《第一順位より消費》
優先する材料があるらしい。
新しい材からか、加工しやすいものからか。細かい順番まではわからないが、積んだ木材のどこから取られても、量は同じだ。
俺は、川向こうを見たまま発動した。
馬の足取りが鈍った。
地面がわずかに沈み、先頭の馬が首を振る。騎兵が手綱を引き、残りも足を止めた。
よし。
背後で、兵が変な声を出した。
「あ」
振り返った。
小屋がなかった。
「……ん?」
右を見る。
左を見る。
建てた場所を見る。
地面だった。
「ん!? いや、えっ!?」
毛布を抱えた兵が立っている。
椅子を持った兵も立っている。
その前にあるはずの入口も、壁も、屋根もない。
「待て待て待て! 今! 今そこに建てたよな!?」
「はい!」
「あったよな、小屋!」
「ありました!」
確認は取れた。
何の解決にもならない確認が。
視界の端に、文字が浮かぶ。
《消費完了》
《第一順位:術者依存の構造物》
それか!?
そっちから取るのか!?
補修用の木材は、きちんと積まれたままだった。
実に行儀よく、何も減っていない。
「材料、こっちにあるだろうが……!」
思わず指をさしたところで、デニスが叫んだ。
「敵が退きます!」
川向こうの騎兵が、馬首を返していた。
一人がこちらを指さし、何かを怒鳴っている。
足場の悪い範囲を抜けると、そのまま木立へ駆け戻っていった。
デニスは、小屋の跡を見た。
そして、俺を見た。
「……なるほど」
何がだ。
「敵は、先日のことを調べに来たのでしょう。そこで目の前の建物が消え、馬の足まで止まった。次は自分たちだと考えたか」
兵の一人が、はっとした顔をした。
「そのために、小屋を!」
「違う」
「おお、領主様! 戦わずして!」
「待ってくれ。小屋は普通に使うつもりだった」
敵は追い払えた。
そこは、よかった。
だが俺は、兵に屋根を渡しに来たのである。
「では、あの驚かれたお声も……」
「本気だ。俺が一番驚いた」
トマが口元を押さえた。
肩が震えていた。
「笑っていい。俺の確認不足だ」
「いえ、領主様。その、あまりに」
ついに、こらえきれない息が漏れた。
隣の兵にも移った。
椅子を抱えた兵だけが、真剣な顔で聞いた。
「これは、どちらへ?」
俺は空を見た。
広かった。
さっきまで、この一部分には屋根があった。
「ひとまず、布の下へ戻してくれ」
能力を使えば、もう一度建てられる。
だが、同じ扱いなら次も消える。今度は誰かが中で寝ているかもしれない。
仕組みを確かめるまで、建て直す気にはなれなかった。
「デニス。大工を探そう」
「町の大工は、修理で手が埋まっておりますが」
トマが顔を上げた。
「それなら、今朝の集落で聞いてみては。あの板橋を直していた人が、今は仕事をしていないと」
俺が尻の痛みと戦っている間にも、彼は話を聞いていたらしい。
「案内を頼めるか」
「はい。帰りに寄れます」
デニスが小屋の跡へ目をやり、少し考えた。
「普通の小屋で、よろしいので?」
「普通の小屋がいい」
俺は、念を押した。
「まず、建てた場所に残っていてくれるやつを頼む」
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