第53話 戦をするにも、支払いがいる
「兵は、何人でしょうか」
俺の質問に、ブルーノは対岸を見た。
「こちらから見える人数だけでは、決められません。天幕の数を、そのまま人数へ直すのも危ういです」
橋へ着いたのは、報告を受けた翌朝だった。
クラウディアとトマを連れ、兵を増やすためではなく、備えと相手の様子を確かめに来た。
対岸の道に、荷車が一台見える。
後ろを、兵らしい者が歩いていた。
橋へ攻め寄せてくる気配は、まだない。
だが、荷が入る場所は、以前のままではなかった。
道の脇に、新しい柵がある。
「少ない方へ見積もって、備えを削ることはしません」
ブルーノの声は落ち着いていた。
デニスも、交代の兵を送り出してからこちらへ来る。
弓に使う矢。
水と食料。
怪我をした者を下げる場所。
橋を離れて追わない範囲。
見せてもらうと、それぞれに準備があった。
俺が山へ出ている間も、ここは動いていたのだ。
「兵を引かなかったのは、正解でしたね」
トマが小さく言った。
「うん。正解にしてくれたのは、ここにいる人たちだ」
俺が答えると、ブルーノは短く頭を下げた。
◇
小屋で、報告を見せてもらった。
いつ、何台通ったか。
どちらへ向かい、戻ったときに荷があったか。
見えた範囲の記録だ。
途中から、荷車の横へ短い線が増えていた。
「これは?」
「荷を引く馬です。行きと帰りで、頭数が違った日がありまして」
デニスが答える。
それだけで、何が起きたかは分からない。
馬を置いてきたのか、別の道へ回したのか。
ただ、前と違うことが残っている。
俺は紙をめくり、日付へ指を置いた。
「この日は、雨だったね」
「はい。夕方の車が、道で止まっておりました」
俺たちの荷車も、雨には弱い。
相手の荷車だけ、都合よく走れるわけではない。
クラウディアが紙を覗いた。
「荷をためてから、来るつもりでしょうか」
「その可能性はある。ただ、兵を置いているだけでも、毎日減る」
俺は、天幕のある方へ目を向けた。
そこに何人いるかは、まだ分からない。
しかし、誰も食べなくてよいということだけは、なかった。
◇
館へ戻ると、キャスパーが話を集めていた。
俺が橋で確かめている間に、ライナーと、街道を行き来する商人へ聞いたという。
敵の陣へ忍び込ませたわけではない。
取引の話として、見聞きしたことを集めてもらった。
どの話も、そのまま事実にはしない。
商人同士で同じ噂を回しているだけなら、口が三つあっても、元は一つだ。
「こちらは、本人が注文を受けた話です」
キャスパーが、一枚を指した。
「飼料を急ぎで買いたいと。ただ、支払いは兵を引いたあと、と」
「引く日は?」
「決まっていないそうです」
俺は、少し笑った。
楽しい話ではないが、耳に覚えがありすぎた。
「それで、売った?」
「断ったと。代金を回収できるか分からないので」
別の商人は、対岸側の村で荷車を集めていると聞いていた。
こちらは伝聞だ。
誰が見たかまでは、まだ確かめられていない。
俺は紙を分けた。
「金がない、と決めるのは早いね。単に、払うのを後へ寄せたいだけかもしれない」
「はい。ただ、買いたいという話と、荷を運ぶ車が増えたことは、重なっております」
キャスパーは、橋の記録を隣へ置いた。
兵を集める。
食わせる。
馬も食う。
雨が降れば運ぶ手間が増える。
こちらへ攻めてくるかどうかに関係なく、すでに金のかかることをしている。
◇
アイナにも、話を聞いた。
「今の部隊のことは、分かりません」
彼女は最初に、そう断った。
俺はうなずいた。
「昔のことでいい。食料が足りないとき、どう報告していた?」
アイナの顔が、少し硬くなる。
「まず、持ち場を維持できるかと聞かれます」
「食料の残りより先に?」
「はい。維持できないと申し上げると、なぜできないのか、と」
答えたくなくなる順番だった。
「もちろん、上官にもよります。ただ、私のいたところでは、配る量を減らして、あと何日持つと報告することがありました」
兵が腹を空かせた分だけ、紙の上では日数が増える。
その紙を上へ出せば、さらに上では、まだ余裕があることになる。
俺は、短く息を吐いた。
前世にも、数字をよく見せるために、必要な支払いを先送りした会社があった。
帳簿の残高は残る。
その間に、仕入れ先が離れ、現場が動かなくなる。
残っている数字だけを見れば、悪くなった理由が分からない。
「今もそうだとは、限らない」
自分にも聞かせるように言った。
「ただ、確認するところは分かった。ありがとう」
アイナは、少し表情を緩めた。
クラウディアが、隣から言う。
「こちらでは、足りなければ言いなさい。槍で戦う前に、空腹と戦わせるつもりはありません」
「はい」
俺は、妻の方を見た。
「訓練のあともね」
「お食事の時間は、取っております」
アイナが真面目にうなずいた。
そこは、本当らしかった。
◇
ヴェーラー卿への手紙には、こちらで確かめた動きと、まだ分からないことを分けて書いた。
援軍を全部こちらへ送ってくれ、とは頼まない。
街道を一緒に守り、物資を通し続けたい。
こちらが橋を守る間、領内と隣領を結ぶ道が不安定になれば、互いに困る。
巡回の日時と、連絡の受け渡し。
こちらの荷車が止まったとき、どこで知らせるか。
必要な費用は、それぞれが出す範囲を決める。
キャスパーが文面を読み、うなずいた。
「兵の数を増やすより、先に効くかもしれません」
「援軍が来るから大丈夫、だけで済ませたくない。食べ物と矢が届く方を、相手にも見せよう」
王都にも、国境の状況を報告する。
返事が来るまで、橋の判断を止めるわけにはいかないが、何も知らせずに国同士の条件を決めるつもりもなかった。
土地を渡さない。
国境を変えない。
敵の軍を通さない。
その範囲で、まず目の前の攻撃をやめさせる話をする。
相手が聞く気になるかは、これからだ。
◇
数日後、橋へ使いが来た。
武器を持たない男と、少人数の護衛。
向こうの領主の印がある書状を持っていた。
こちらの橋の警戒を緩め、物資の通行を認めること。
対岸に集めた兵を維持する負担について、こちらも応分に配慮すること。
俺は、館でその文面を読んだ。
「兵を連れてきたので、飯を出せ、と読めるね」
「少し、言葉を整えてありますが」
キャスパーが答えた。
クラウディアは、笑っていた。
目だけが、笑っていない。
「お返事を、お届けしましょうか」
「剣を置いてからなら」
妻は、残念そうに口を閉じた。
俺は書状を机へ置いた。
怒るところは分かる。
ただ、こちらが怒るような要求を出してきたことにも、意味がある。
何を欲しがっているかを、向こうから書いてくれた。
「まず、使いと会おう」
◇
面会は、橋のこちら側にある小屋で行った。
クラウディアは外の警戒を見てもらい、部屋にはキャスパーとトマを入れる。
相手の護衛にも、決めた場所で待ってもらった。
使いの男は椅子へ座ると、書状と同じ説明を始めた。
こちらの警戒が強いため、対岸でも兵を置かざるを得ない。
双方の負担を減らすため、物資の供給について話したい。
俺は、最後まで聞いた。
「説明は分かった。確認したいのだが、そちらへ必要なのは食料だけかな」
男が、わずかに眉を上げた。
断られると思っていたのだろう。
「馬の餌も、含まれます」
「どのくらいの期間?」
「兵を引くまでの」
「その予定は?」
「閣下が、こちらの条件をお受けになれば」
俺は、うなずいた。
「では、条件を受けたあと、何日で引くかは決められる?」
男は、すぐに答えなかった。
「具体的な日程は、主へ」
「なるほど。今日は、数量や期日を決める権限まではないんだね」
男の指が、膝の上で動いた。
「私の役目は、まず御意向を伺うことです」
「分かった。それなら、持ち帰ってもらう話を整理しよう」
キャスパーが、静かに紙を出した。
◇
「こちらの倉から、そちらの兵へ食料を出すことはできない。領民の冬の分だからだ」
俺は、先に伝えた。
男の顔に、警戒が戻る。
「しかし、衝突になれば、そちらにも被害が」
「あるだろうね。だから、衝突を避ける話には応じたい」
机へ、書状を置く。
「そちらの兵を維持する負担を、こちらに分けてほしいという話だった。維持する人数や期間が決まらなければ、こちらは引き受けられない」
男が、口を開いた。
俺は、言葉を待った。
「……当面の負担が軽くなれば、話を進めやすくなると」
「それは、今日の食料が足りないという話かな。それとも、冬の間も兵を置くための話かな」
少し、間が空いた。
「短い期間で結論が出ることを、主も望んでおります」
俺は、そこで頷いた。
相手が困っていると、確定したわけではない。
ただ、長く兵を置くつもりだと言い切らなかった。
「それなら、同じだ。こちらも、返事を延ばすために会っているわけではない」
男の肩が、ほんの少し下がった。
「必要な食料は、すでに手配しておりますので」
「届いている?」
「手配は、済んでおります」
同じ言葉を、繰り返した。
俺は追い詰めるように笑わず、紙へ目を落とした。
「承知した。では、こちらも、届いていないものを届いたことにはしないで話そう」
キャスパーの筆が、一度止まった。
使いの男は、椅子へ座り直した。
◇
面会の途中、外を荷車が通った。
こちらの橋の兵へ届ける荷だ。
使いの視線が、窓へ動く。
わざと見せるために倉を空にした荷ではない。
決まっていた便を、止めずに通しただけだった。
「そちらも、ご負担でしょう」
男が言った。
「もちろん。だから、こちらも費用と日程を見ている」
ヴェーラー卿からは、街道の巡回と連絡に協力する返事が届いていた。
その事実だけを伝える。
援軍が何百人も来るなどとは言わない。
「街道の仕事は、隣領とも続ける。橋を警戒している間に、こちらの商売が全部止まるわけではないよ」
男は、黙って俺を見た。
相手が勝手に諦めてくれるほど、甘い話ではない。
それでも、少し脅せば倉を開ける領地だとは、思わせたくなかった。
俺は、条件を書いた紙を向こうへ寄せた。
「話をするなら、まず橋へ軍を寄せる動きを止めてほしい。こちらも、話し合いのために来る者へ手は出さない」
「兵を、すべて引けと?」
「今日、そちらにその権限はないだろう。正式な面会の日と、そこで何を決められる人が来るかを、先に決めたい」
話を、今決められるところへ戻す。
軍の通過は認めない。
冬の食料も出さない。
その代わり、橋周辺で互いに攻めない期間を設ける相談には応じる。
通商については、安全が確かめられる範囲を、別に詰める。
「何も得ずに兵を引く話だ、と主が受け取られるかもしれません」
男は、率直に言った。
最初の整った言葉より、ずっと話しやすかった。
「その間、そちらの村も襲われず、商人も予定を立てられる。守れるものまで、何もないとは言わないでほしい」
俺は、窓の外へ一度目を向けた。
「ただ、そちらの主が何を必要としているかは、ご本人か、決められる人から聞きたい」
◇
使いは、その日のうちに戻った。
帰る際の護衛と、橋を渡る時刻を決める。
向こうへ着くまで兵を近づけず、こちらの見張りも持ち場から動かさなかった。
約束をする前に、小さな約束を一つ守る。
それが何の意味も持たない相手なら、次も慎重にする必要がある。
男の姿が対岸へ消えると、キャスパーが言った。
「手配と到着を、分けてお聞きになりましたね」
「そこが違えば、待てる時間も違うから」
「商人の話を、ご存じだとは伝えずに」
「知っていることを全部並べる必要はないよ。本人がどう説明するかも、聞きたかった」
トマが、俺を見ていた。
「何かな」
「いえ。途中まで、相談に乗っておられるように見えましたので」
「乗っていたよ。話し合いで済ませたいのは、本当だからね」
キャスパーが、小さく笑った。
「そのつもりで話しているうちに、持ち帰る条件が決まっておりましたな」
仕事を褒められたのだと思う。
トマの顔が少し引いていたことは、考えないでおいた。
◇
返事が来るまで、橋の備えは変えなかった。
弓を片付けず、兵も減らさない。
対岸の荷車の記録も続ける。
その間、こちらの荷は予定どおりに届いた。
村の修繕も、鍛冶場の仕事も止めない。
キャスパーが館を回し、マルセルが支払いを確かめる。
俺が橋で相手の顔を見ていても、後ろの仕事を抱えて戻らずに済んだ。
数日後、相手から正式な返事が届いた。
橋に近い場所で、面会する。
領主の代理として、停戦の条件を決める権限を持つ者を出す。
そのことを示す書状も、持参するという。
面会までの間は、橋へ兵を近づけない。
こちらも、合意した護衛人数を超えて会場へ入れない。
春まで静かになると、まだ決まったわけではない。
だが、次は「主へ持ち帰る」だけでは終わらない相手が来る。
俺は、日付を確かめた。
「準備しよう」
クラウディアが、横でうなずく。
「今度は、私も同席いたします」
「頼む。ただ、話している間は」
「分かっておりますわ。レオン様が、お話しになるのでしょう」
妻は、優雅に微笑んだ。
頼もしい。
そして、相手には少しだけ願っておきたい。
こちらの話を聞く前に、余計な一言を足さないでくれ。
俺は、集めた紙を順番にそろえた。
今度の戦いでは、これを持って席につく。




