第49話 ありがたい注文にも、限度がある
「注文が来た」
俺が言うと、マルセルは顔を上げた。
「支払いではなく?」
「先にそちらを疑う癖は、そろそろ直したいね」
「直せる状況になることを、願っております」
返す言葉はなかった。
長靴を脱ぎ、手を洗い、着替えまで済ませた俺は、ようやくヴェーラー卿から届いた紙を広げた。
倉や荷車の修繕に使う鉄製品。
板材。
それぞれについて、欲しい数と、使う場所が記されている。
先日の街道の件で顔を合わせた際に出た話が、正式な注文の相談になったのだ。
ありがたい。
ありがたいが、紙の下まで読んで、俺は指を止めた。
「全部、冬までに?」
「先方のご希望は」
キャスパーが答えた。
マルセルは、紙へ身を乗り出している。
「これが、すべて売れれば」
「まず、作れるかだよ」
「分かっております。ただ、少しくらい期待させてください」
相当、金の入る話に飢えていたらしい。
気持ちは、痛いほど分かった。
◇
俺は、紙の余白へ項目を書き始めた。
領内の農具。
荷車の修繕。
冬の備え。
鍛冶場の手。
炭。
「鉱山から出せる量が増えても、鉄にするところが追いつくとは限らない。運ぶ分も、種まきの支度と重なるなら……」
「閣下」
キャスパーが、別の紙を机へ置いた。
そこには、俺が今から聞こうとしていたことが並んでいた。
鍛冶場で受けている仕事。
使える材料。
約束済みの納期。
運搬の空き。
俺は、自分の書きかけの紙を見た。
項目が、三つほど重なっている。
「いつ聞いた?」
「今日、使いが着いてからです。閣下が畑へお出かけの間に」
「……そうか」
「先方へお返事は、まだしておりません」
嬉しい。
非常に嬉しいのだが、考え始めてすぐ答えが出てくると、少し寂しい。
口には出さなかった。
自分がいなくても進むようにしたいと言ったのは、俺である。
キャスパーは、さらに紙を出した。
「明日の朝、エルゼ殿とベルタ殿が、直接お話しくださいます」
俺は書きかけの紙を裏返した。
「分かった。聞かせてもらおう」
◇
翌朝、エルゼは見本の金具を持ってきた。
机へ置くと、短く重い音がした。
マルセルが、机の表面へ目を落とす。
俺は間に布を敷いた。
「こちらで、今作っているものです」
エルゼは、注文の紙を引き寄せた。
「同じ寸法なら、まとめて進められます。ただ、こちらの蝶番は、穴の位置も要ります。向こうで直す戸が、全部同じとは思えません」
「数だけ引き受けたら、取り付けられないか」
「穴を開け直す手間が増えます。金具を曲げて合わせるにも、限度がありますから」
釘なら同じものを多く作ればよい。
俺は、そんな感覚で紙を読んでいた。
修繕用の品は、修繕する相手が違う。
「見本を先に送る。向こうにも、必要な寸法を出してもらおう」
エルゼはうなずいた。
「それと、この数を先にやれば、農具の直しが遅れます」
「領内の分は、どこまで約束している?」
彼女は、キャスパーの紙を指した。
日付が並んでいた。
その中には、昨日、溝さらいをした若者の村もある。
鍬の刃を直したいと言っていた顔が浮かんだ。
「そこは変えない。種をまく仕事を止めてまで、外へ売るつもりはないよ」
「なら、この分だけです。最初に出せるのは」
欲しいと言われた数より、かなり少ない。
それでも、確実に作れる数だった。
マルセルが口を開きかけ、閉じた。
「増やせると思った?」
「いえ。畑が遅れれば、来年の税にも響きますので」
ちゃんと、先を見ている。
ただ、その目が名残惜しそうに、注文の総額へ戻った。
◇
板材については、さらに話が違った。
ベルタが、紙へ横線を引いた。
「こっちは、同じ日に積めないよ」
「重さ?」
「重さも。長さも。それに、この量だと、帰りの荷が積めなくなる」
彼女が今動かしている便には、すでに客がいる。
領主の商売が始まったからといって、先に頼んでいた人を後回しにはできない。
「鉄は小分けで積める。板は、使う場所と長さを確かめて、別にする。ほかの御者にも声はかけるけど、同じ金額で行けるとは限らないよ」
「それで見積もってほしい」
板は、切ったその日に何にでも使えるわけでもない。
必要な乾き具合や用途は、大工に確認してもらうことになった。
こちらの建物の修繕用に確保していた分を、勝手に売り物へ数え直すのはやめた。
俺は、最初の注文の紙を見た。
売れそうなものが並んでいる。
その隣の紙には、売ったあと困る人の仕事が並んでいた。
両方を見ないと、利益の話はできない。
「最初は鉄の一部。板は条件を詰めて別便。残りの鉄は、次の納期を約束できる分だけにしよう」
キャスパーが書き留める。
「価格については、ライナー殿にも聞いております。先日お引き受けいただいた分と、今回の分は、材料も手間も分けてあります」
先に買ってくれた商人への約束を、新しい大口の注文で押しのけるわけにもいかなかった。
俺は、エルゼを見た。
「君たちの手間は、これで足りる?」
「穴の指定が増えたら、その分は変えます」
「そうしてくれ」
彼女は、そこで少し笑った。
「大きな注文だから、安くしろと言われるかと」
「まとめて作って安くなる分は、相談したい。ただ、違うものを急いで作るなら、安くなる理由がない」
マルセルが、横でうなずく。
「こちらの取り分も、なくさないでください」
「そこは君に見てもらう」
任された彼は、ようやく少し元気になった。
◇
先方の使いには、その日のうちに返事を渡した。
すぐに全部は納められない。
最初の品は見本と寸法を合わせる。
材料を用意するための前金を受け、残りは受け取りの確認後。
運賃は、品物の代金と分ける。
使いの男は、二度、紙を読み直した。
「領主様同士のお話であっても、前金が必要で?」
「必要だよ。作る者にも、食べるものは要るからね」
俺は、見本の金具へ指を添えた。
「支払いを疑っているからではない。注文を受けてから、代金が入るまでの間にも金が出る。そこを止めずに済めば、約束した日に作りやすい」
男は、キャスパーの書いた日程へ目を移した。
「こちらの期日も、お伝えしておきます」
「頼む。急ぐ品が違うなら、そこも聞かせてほしい。全部を同じ日に、と言われるより、先に必要なものが分かる方が助かる」
使いが帰ったあと、マルセルが肩を下ろした。
「お断りになるかもしれませんね」
「それなら、無理に受けない。売れて忙しくなったのに、給金が払えなくなる方が困る」
前世にも、そんな相談はあった。
注文はある。売上も増える。
だが、入金は先で、仕入れと給料は今だ。
景気のよい話を聞きながら、資金繰り表だけが冷たく見える。
今は、俺自身が支払う側にいる。
見ないふりをしても、誰も代わりに払ってはくれない。
◇
返事を待つ間にも、領内の仕事は進んだ。
農具は、順に持ち主へ戻っていく。
ヨストからは、溝の水が通っているという報告と、道具を借りる順を少し変えたいという相談が届いた。
鉱山の方では、ガルドが出せる石の量を絞っていた。
道の補修をせずに荷だけ増やせば、雨のあとに止まるという。
注文があるから掘れ、と言えば、目先の量は増えるかもしれない。
その荷を運ぶ道が崩れれば、結局は届かない。
俺は、その判断を変えなかった。
数日後、ヴェーラー卿から返事が来た。
最初に欲しいのは、倉の扉と荷車に使う品だという。
必要な寸法と、古い金具の一部も添えられていた。
前金の条件にも、応じる。
板材については急ぐ箇所を減らし、改めて数量を相談する。
紙の最後には、短い一文があった。
『できる数を先に知らせてもらえた方が、こちらも大工を待たせずに済む』
俺は、その箇所をマルセルへ見せた。
「よいお返事ですね」
「うん。無理を約束しなくてよかった」
彼は、前金を受け取った記録を机の中央へ置いた。
しばらく見ていた。
「どうした?」
「入ってくる方の記録を、確認しております」
「そんなに長く?」
「見落としがあってはいけませんので」
邪魔をしないことにした。
◇
鍛冶場を訪ねると、火の熱が戸口まで届いていた。
エルゼが、出来上がった品を布の上へ並べている。
同じ形の金具が、いくつも続いていた。
俺が覗くと、彼女は一つを脇へ除けた。
「これは?」
「穴が、少し寄っています。送る分には入れません」
俺には、並べてようやく違いが分かった。
指定した穴の位置を写した木片に合わせると、確かにずれている。
「作り直し?」
「使えるところはあります。だからといって、同じ代金で混ぜるわけにはいきません」
作った数と、納められる数は違う。
数字が増えたと喜ぶ前に、見る人が必要だった。
作業台の端には、直し終えた鍬が置いてある。
受け取りに来た若者が、刃を確かめていた。
村で溝をさらっていた男だ。
「間に合った?」
「はい。明日から使えます」
彼は嬉しそうに答えて、代金を渡した。
外の注文を受けても、ここを止めずに済んだ。
そのことが、俺には金具の列と同じくらい嬉しかった。
エルゼは、男が帰るのを見送ってから言った。
「大きな仕事も助かりますが、ああいう仕事がなくなると、うちも困りますから」
「来年も、持ってきてもらわないとね」
彼女はうなずき、次の金具を木片へ合わせた。
◇
出荷の日、俺が倉へ行くと、ベルタが木箱を閉じていた。
金具の数を確かめた紙は、オットーが持っている。
箱には品の種類を記した札をつけ、途中で擦れないよう中を詰めた。
「荷車は、一台?」
「最初の分ならね。向こうから戻す道具も聞いてある。まだ載せられると思って、追加しないでおくれよ」
「分かってる」
俺が答えたところへ、クラウディアが来た。
「運びましょうか?」
御者が、反射的に荷台を見た。
ベルタは、動じなかった。
「積むのは、その箱まで。こちら側へ、お願いしますよ」
「承知しましたわ」
妻は木箱を持ち上げ、言われた場所へ置いた。
前の麦の一件は、ちゃんと役に立っている。
積み終えたあと、御者は縄を締め直した。
ベルタが車輪を見て、馬の具合を確かめる。
その一つ一つに、時間がかかる。
能力で出した小屋が消えたときのように、瞬き一つでは終わらない。
だが、その時間の中で、誰かが不具合を見つけている。
「では、行ってくるよ」
「頼む。道が悪ければ、到着を優先して無理はしないでくれ」
「約束した品を、川へ落としたくはないからね」
ベルタは笑い、御者台へ上がった。
荷車が門を抜ける。
俺は見えなくなるまで、少しだけその場にいた。
◇
便が戻ったのは、予定から半日遅れてだった。
途中で雨に遭い、道の悪いところを明るくなるまで待ったという。
先方への到着は、約束した範囲に収まっていた。
ベルタは、受け取りの印が入った紙を置いた。
「全部、確かめてもらった。数も、寸法もね」
残りの代金も受け取っている。
マルセルが、金と記録を照らし合わせた。
オットーは納品済みの印をつける。
これで終わり、ではない。
運賃を払い、職人へ残りの加工代を渡す。
材料と炭、梱包の費用も引く。
最後に残った額は、最初に注文の紙を見たときの想像ほど大きくなかった。
「……少なくなりましたね」
マルセルが言った。
「最初から、全部が利益ではなかったからね」
「承知しております。ただ、ここへ置いたときは、あれほど」
彼は金を置いていた場所を見た。
随分、広くなっている。
俺は笑ってから、帳簿の残った額を指した。
「それでも、残った。約束した日に払って、次の仕事に回せる分がある」
今回の一便だけで、鉱山や鍛冶場に使った金が全部戻ったわけではない。
それは、別に見ていく必要がある。
だが、領の中で作った品が外へ出て、代金が戻ってきた。
その間に働いた人へ、金が渡った。
続けられる商売かどうか、ようやく実際の数字で話ができる。
キャスパーが、次の便の案を置いた。
「この範囲なら、引き続きお受けできると、エルゼ殿から」
今度は、俺が質問する前に、冬支度へ残す材料も書いてある。
ベルタの予定もついていた。
「よく話がついているね」
「皆様、ご自分の仕事が止まるのは、お困りですから」
俺はうなずき、最後の条件を確かめた。
ここまでそろっていれば、決めるのは早い。
「この内容で返事をしよう。頼む」
◇
夕方、マルセルの机には、まだ納品の記録が載っていた。
「今日は、片付けないの?」
「もう一度、見てからにします」
よほど嬉しかったらしい。
俺も、同じだった。
そこへ、キャスパーが新しい紙を持ってきた。
「次の材料の手配についてですが」
マルセルが目を閉じた。
「少しくらい、眺める時間をいただけませんか」
俺は思わず笑った。
「なくならないよ。今日の売上は、ちゃんと残っている」
「現物の方にも、少しお休みいただきたいのです」
金には、働いてもらわなければならない。
ただ、その管理をする人には、休みも要る。
「続きは、明日の朝にしよう」
そう言うと、二人とも紙をそろえた。
俺も自分の机へ戻り、届いていた村の報告を置いた。
増えた収入。
減った在庫。
これから出ていく支払い。
帳簿だけではなく、あちらでも変化が見えるだろうか。
誰もいなくなった執務室で、俺は静かに《換算》を開いた。




