第46話 返せるように、待ってもらう
「来年に回せば、来年の税と重なります」
マルセルが、紙の上へ指を置いた。
村から戻った翌朝。
机には、パウルの家の収穫と支払い、それから領の備蓄が並んでいた。
「今年の分を猶予し、商人への返済も延ばす。そうしますと、次の収穫では、その両方を払うことになります」
「うん。それで来年また牛を売るなら、先送りしただけだな」
俺は、翌年の欄へ引いた線を消した。
支払う日を変えるだけなら、紙の上では簡単だ。
だが、その日に使えるものが増えていなければ、困る日が変わるだけになる。
「収穫が落ちた分について、税を減らす。残りも、今年取れる量と、次に回せる量を分けたい」
「どこまで減らすか、理由を残す必要がございます」
「そうだね。パウルと話したから特別に、では困る。同じような被害の家も調べよう」
マルセルは、別の紙を寄せた。
すでに聞き取りができている家が、いくつか並んでいる。
俺が牛を見ていた間にも、彼らは次の家を見ていた。
「こちらは、働き手を失っています。返済を前提に麦を貸しても、返せる見込みが立ちません」
「それなら、食べる分の救済だ。借りたことにして帳簿へ残しても、解決しない」
「はい」
マルセルは、貸し付けの欄から、その家を外した。
助け方を、一つにそろえる必要はない。
今日の食事がない家と、売上が入るまで少し足りない家とでは、困っている理由が違う。
「全部の家へ同じだけ、というわけにもいかないな」
「全部の家に、同じだけ配れる量もございません」
俺は、備蓄の紙を見た。
館と兵の食料。
すでに約束した支給。
不測の事態に残しておく分。
そこを差し引いて、今、動かせる量を確かめる。
数が並んでいると、つい、足して使いたくなる。
だが、先に用途が決まっているものは、余りではない。
「この範囲で、まず急ぐ家へ。足りない分を買うなら、支払いの目途もつけてからだ」
俺が言うと、マルセルがうなずいた。
「ようやく、話が早くなってまいりました」
「前から、そのつもりだったけどね」
「領主様は、話の途中で、助けたい相手が増えますので」
否定しにくいことを言われた。
◇
約束した日の昼前、俺は村へ戻った。
今度はマルセルも同行している。
オットーが記録を持ち、トマたちが道を見てくれた。
パウルの牛は、小屋の前にいた。
今日は洗われていない。
首を伸ばして、柵の向こうの草を食おうとしている。
「逃げ出す支度では、なさそうだね」
俺が言うと、ヨストが綱を引いた。
「いつもです。自分の餌より、隣の草がうまく見えるらしくて」
牛が、こちらを見た。
反論はなかった。
パウルと妻、ヨスト、それから穀物商が集まった。
家の前の板へ紙を広げる。
前回より、人は多い。
だが、決めたいことは、前回より絞れていた。
◇
「まず、家に残すものを確かめたい」
俺は言った。
ヨストとパウルの妻が、食べる麦と豆、種に回す麦の量を示した。
冬の間だけでなく、次に収穫できるまで、どうつなぐか。
畑にあるもの、家にあるものを分け、まだ手に入っていない稼ぎは、当てにしない。
マルセルが、館へ持ち帰った記録と照らす。
「この分を残すと、今、返済へ出せる麦は一袋分です」
穀物商は、黙って聞いていた。
返す約束は四袋。
差は、小さくない。
「税は、どうなるんでしょう」
パウルが尋ねた。
「畑の被害と収穫を確認した分は、今年の税を減らす。残りについても、今、食べるものや種を取り上げる形では納めさせない。猶予する分は、来年の負担に入れて計算してある」
俺は、翌年の紙を示した。
「ただし、来年、豊作になる前提ではないよ」
パウルが、うなずきかけて止まった。
「来年は、もっと取ります」
「そのために何をするかは、一緒に考えたい。でも、気合いで増えた分を、先に返済へ入れるのはやめよう」
ヨストが、横から言った。
「畑は、返事を聞いて増やしてくれませんからな」
パウルの妻が、また深くうなずいた。
この家の計画を作るときは、この二人にもいてもらった方がいい。
◇
「牛を残す場合の、餌は?」
俺が聞くと、ヨストが自分の紙を出した。
文字は少ない。
代わりに、干し草の束を表す線が並んでいる。
「足りない分は、うちから一部を回せます。ただで全部というわけにはいきませんが」
「ヨスト、そこまで」
「お前の牛を、うちも使うんだ。使う分の餌を出すのは、おかしな話じゃない」
ヨストがパウルを制した。
牛を組ませて使う家にも声をかけたという。
畑仕事が遅れないことに、皆の利益がある。
誰がいつ牛を使い、その分、餌や世話をどう持つか。今まで曖昧だったところを、今回は決める。
「それで、冬まで持つ?」
「今ある分と、渡すと決まった分なら。保管して、傷ませないことが前提です」
マルセルが量を確かめ、記録へ加えた。
働く手の不足についても、秋の耕作を頼む相手と順番が決まっていた。
パウルが足を治しながらできる世話と、ほかの者が引き受ける仕事を分けてある。
「俺も、動けるだけは」
「動けるだけ動いて、また腫らすのは、仕事を増やす方だぞ」
ヨストが言った。
パウルは口を閉じた。
俺は、紙の上へ視線を落とした。
笑ってはいけない。
たぶん、俺も似たようなことを、館で言われている。
◇
次に、穀物商へ向き直った。
「粉屋への納入は、どうだった?」
「別の村から入る麦を、一部、先に回せます。そちらの買い手には、次の入荷を待ってもらえることになりました」
「君の方で、無理な約束にはなっていない?」
「待っていただく分、運ぶ手間をこちらで持ちます。損がないとは言えませんが、納入を落とすよりは」
俺は、うなずいた。
相手も、考えてきてくれた。
ここから先は、こちらの事情だけを並べるわけにはいかない。
「今、一袋。残る三袋を、次の収穫と、その次に分けて返す案を出したい。来年に二袋、その翌年に一袋だ」
商人は、すぐには答えなかった。
「待つ間の上乗せは?」
「この案では、追加しないでほしい」
彼の指が、帳面の端を押さえた。
「こちらばかり、待つことになります」
「そうだね。だから、待てば返ってくると言うだけでは、納得できないと思う」
俺は、並べておいた二枚の紙を向けた。
一枚には、牛を売った場合。
もう一枚には、残した場合。
「売れば、今回の四袋分は返せる見込みだ。ただ、耕す牛の当てはついていない。来年、また春に麦を借りに来たら、君は貸せるかな」
商人は、パウルを見た。
「……そのときの状況によります」
「牛を借りる先も、仕事の当ても決まっていない状態なら?」
「同じようには、貸せません」
パウルの顔がこわばった。
俺は、もう一枚を指した。
「残すなら、今の回収は減る。その代わり、耕す段取りと、種と、牛の餌を残せる。次の年も畑を続けられる見込みは、こちらの方が立つ」
「天気は、分かりません」
「分からない。俺が保証するとも言わない」
商人が、俺を見た。
「君が引き受ける危険は残る。だから、今年の返済を全くなしにする話ではなく、一袋は今返す。残る分も、一度に返せることにはしない」
次の収穫からは、家で食べる分と種、税、耕作の費用を引く。
ヨストが知っている普段の出来をもとに、そこから出せる量を見た。
多少、出来が落ちても、最初から全部が崩れる量にはしない。
それでも、二度の収穫が必要だった。
「途中で、畑が作れない、収穫が落ちそうだと分かったら、返す日の前に話す。そのときは、君にも来てもらいたい」
商人は、しばらく紙を見ていた。
「収穫の日になって、やっぱりありませんと言われるのが、一番困ります」
「俺もそう思う。パウル、できるか?」
パウルが顔を上げる。
「はい。必ず、返します」
「今、頼んだのは、必ず返すと言うことじゃない。難しくなりそうなら、早めに話してほしいんだ」
少し、間が空いた。
妻が、パウルの袖を引いた。
「私からでも、よろしいですか」
「もちろん」
俺が答えると、商人も小さくうなずいた。
「お二人から、聞けるなら」
◇
話が止まったところで、水を飲んだ。
子供が牛のそばへ行こうとして、妻に呼び戻される。
パウルは膝をさすり、商人は帳面をめくっていた。
俺は、黙って待った。
急いで返事を求めれば、領主への返事になる。
この人が、自分の取引として判断する時間が要る。
やがて商人が、口を開いた。
「一袋を、今。そのあと、二袋と一袋ですね」
「うん」
「最初に決めた四袋を、それ以上は増やさない。ただ、状況を確かめる際は、帳尻だけでなく、畑を見せていただきたい」
パウルは、強くうなずいた。
「構いません」
「それから、私が知らない間に、ほかで返せないほど借りていた、というのは」
「新しく借りる必要が出たら、その理由も含めて相談しよう」
俺が言った。
私生活を全部報告させる話ではない。
ただ、同じ収穫に返す約束が重なれば、今日の計画は使えなくなる。
商人は息を吐き、帳面を閉じた。
「この条件なら、お受けします」
パウルが頭を下げた。
妻も、続いた。
俺は、オットーへ顔を向ける。
「元の取り決めに、変更する内容を添えてくれ。誰が見ても、残る量と日が分かるように」
「はい」
紙に、言葉が置かれていく。
商人にも、パウルにも、読んで聞かせた。
元の紙を捨てて、なかったことにはしない。
何を変えたかが、後から分かるようにしておく。
最後に、パウルが尋ねた。
「それなら、牛は」
「残して、この計画でやっていこう」
彼は、牛の方を見た。
さっきから同じ草へ鼻を伸ばしている。
何も変わっていないような顔だった。
牛にとっては、それが一番いいのかもしれなかった。
◇
その場で、一袋分の麦を量った。
袋を一つ渡せば終わりではない。
取り決めにある升で量り、商人とパウルが確かめる。
オットーが、返した分と、残った三袋分を記録した。
次に、家へ残す種麦を分けた。
パウルが袋を持ち上げようとして、ヨストに止められる。
「お前は、どこに置くか言え」
「それくらいは」
「その言葉で、一昨日も腫らしただろう」
兵が代わりに持ち、妻に場所を聞いた。
食べる分とは、違う場所へ置く。
子供が、小さな板を持ってきた。
「これ、置いとく?」
妻がうなずいた。
板には、麦の穂らしい絵が描いてある。
「種の方って、分かるように」
オットーが、その板を見ていた。
「字だけでなく、こうして分けておくのもよいですね」
子供は少し得意そうに、袋の前へ板を立てかけた。
もう一方には、今夜も使う麦が残る。
これから何も困らない、と約束したわけではない。
それでも、鍋へ入れるたび、来年の畑まで減っていく状態には、しなくて済んだ。
◇
牛を見に来る予定だった相手には、使いを出した。
来てもらってから断るのでは、向こうの一日を無駄にする。
ヨストは、餌を回してくれる家へ知らせに行くという。
俺は、帰り支度をする穀物商へ声をかけた。
「調整してくれて、ありがとう」
「領主様に言われましたので、と申し上げた方がよろしいでしょうか」
俺は笑った。
「それだと、俺がいないところで続かなくなる」
商人も、少しだけ笑った。
「牛を売らせれば、今回は戻ります。ですが、次に困ったとき、あの家にはもう、大きく売れるものがない」
彼は荷車を見た。
「畑が続いて、また取引ができる方が、私にもよいです。ただ、これを全員にできるとは申しません」
「分かっている。待つだけでは立ち直れない家もあるからね」
彼は帽子をかぶり直し、会釈した。
味方になった、とまでは思わない。
だが、同じ紙を見て、次の話ができる相手にはなった。
◇
村を出る前に、取りまとめ役へも話をした。
今回の税の扱いは、パウルの家だけ、顔を知っているから変えたものではない。
畑の被害や働き手の状況が似ている家は、同じように確かめる。
今すぐ食べ物が尽きる家は、別に知らせてほしい。
返せる見込みを立てるまで、食事を待たせるわけにはいかない。
マルセルが、用意していた紙を渡す。
「急ぐ家には、まず短い期間の食料を手当てします。その先の分は、残っているものと合わせて確認します」
量と、届ける順は決めてある。
倉から出す分も、運ぶ段取りも、館へ戻ればすぐに動かせる。
別の家には、納入した仕事の代金が入るまで、少し足りないという事情があった。
そこは、代金の支払日を確かめてから、小口の穀物の貸し付けを考える。
一つの村の中に、違う困り方があった。
牛を残す案を、そのまま全部へ配ることはできない。
「俺が来るまで、言わずに我慢する必要はない。オットーへ知らせてくれ」
俺が言うと、取りまとめ役は何度もうなずいた。
◇
帰り道、マルセルが口を開いた。
「取れる税は、減りました」
「うん」
「備蓄も出します」
「うん」
俺は、続きを待った。
「ただ、来年の畑は残りました」
彼はそう言って、書類の袋を抱え直した。
「減らした分は、きちんと記録します。戻らないものを、戻ることにはいたしません」
「それで頼む。減らした税まで、来年の期待で埋めたことにしたら、今日の話が台無しだ」
マルセルが、うなずいた。
目の前の数字を少しきれいにするために、後ろへ困り事を積んでいく。
そんな仕事は、前の世界で十分に見てきた。
今回は、減るものは減ると認めた。
そのうえで、残せるものを残した。
オットーが、横から言った。
「商人の方、最後にはご自分から、次の取引のお話をなさっていましたね」
「ああ。そこまで考えてくれたなら、よかった」
「ただ、帰り際に、私へ」
俺は、少し身構えた。
「領主様と話すと、なぜこちらも宿題を持ち帰ることになるのか、と」
マルセルが、静かにうなずいた。
「よく分かります」
「君まで、そちら側なのか」
トマが、前を向いたまま笑った。
俺は手綱を持ち直した。
宿題は、俺にもある。
明日は麦を届ける。
次は、畑の水と、仕事の順を見直す。
返せるように待ってもらった以上、こちらも、その時間を使わなければならない。
村の方から、牛の声が聞こえた。
顔を向けても、もう小屋は見えなかった。
売りに行く声ではない。
今日も、あの家で餌を待っている声だった。




