第44話 戦いよりもこっちだな
関所を発つ前に、俺はもう一度、門を振り返った。
見張り台には、隣領の兵が立っている。
道を塞いでいた木は脇へ寄せられ、通る荷車があれば、兵が声をかけていた。
取り戻しただけで、空にして帰るわけではない。
隊長からは、周辺の確認と、残る者への引き継ぎが済んだと報告を受けた。
山へ逃げた賊は、こちらの領境にも気を配りながら探すという。
俺たちも、前日のうちにできる範囲で協力した。
今日は帰る。
腕を切られた兵は、荷車へ乗っていた。
「歩けますが」
「知ってる。だからといって、歩かせる理由にはならないよ」
本人は少し不満そうだったが、隣へ座った兵に背中を押され、おとなしく収まった。
隣領の怪我人も手当てを受けている。今朝の時点でも、命を落とした者はいないと聞けた。
それが、何よりだった。
出発しようとすると、使者が馬を寄せた。
「主が、ぜひお目にかかりたいと。帰り道に近い町まで、出向いております」
礼と、今回の費用の確認。
それから、先に伝えていた交易の話もしたいという。
俺はクラウディアを見た。
「少し、寄り道になる」
「ええ。ご挨拶は必要ですわね」
妻は、きれいに微笑んだ。
盾は荷車に積んである。
剣も、もう鞘の中だ。
今日は俺が、少し多めに働く番だった。
◇
隣領の主、ヴェーラー卿は、俺よりひと回り以上、年上に見えた。
迎えに出てきた姿に、派手な飾りはない。
俺たちを部屋へ通す前に、負傷兵の休む場所を従者へ確認していた。
「まず、礼を言わせてほしい。村の者まで助けていただいた」
向かい合って座ると、彼はそう切り出した。
「戻った者の家族から、もう話が届いている。もう少し遅ければ、ほかの村も同じ目に遭っていたかもしれない」
「こちらも、道が使えなくなるのは困ります。無事に戻せてよかった」
ヴェーラー卿はうなずき、クラウディアへ顔を向けた。
「奥方のご活躍は、隊長の報告にも詳しく。閉まりかけた門へ入られたとか」
「後ろから、兵の皆様が押してくださいましたので」
「ご謙遜を。敵の頭目を一合で倒されたと聞いた」
クラウディアが、少し首を傾げた。
「何度か打ち合いましたわ」
「どちらにしても、見事なものだ。奥方お一人で、あそこまで」
「そちらの兵が、左右を押さえてくれました」
俺は、そこで言葉を添えた。
「妻だけでは、門を開けながら、捕らわれた方々まで守れません。村人を盾にしようとした賊を押さえてくれた兵もいたそうです」
「ええ。あの方が手を離さずにいてくださったので、踏み込めました」
クラウディアも、うなずいた。
ヴェーラー卿は、そばに控えていた書記へ目を向けた。
「その者の名を、隊長に確かめておいてくれ」
書記が書きつける。
俺は、杯を手に取った。
◇
費用の確認は、長くかからなかった。
あらかじめ決めた負担。
先に受け取った分。
現物で用意してもらった食料と馬の餌。
使者と隊長が、それぞれの記録をそろえていた。
帰還後に届く旅程の記録と照らし、残額を送るという手順を、ここで改めて確かめる。
「武具も傷んだだろう。こちらの工房で、応急の手入れはさせてほしい」
ヴェーラー卿の申し出に、クラウディアが顔を上げた。
「剣も、見ていただけますか」
「もちろん」
妻が俺を見た。
俺は、うなずいた。
「それで、交易についても話があると聞いたが」
俺は杯を置いた。
「関所と村を直すのに、必要なものはありませんか」
ヴェーラー卿が少し考え、書記を見た。
「まずは戸と柵だな。奪われた道具もある。木材はあるが、使える形にするには時間がかかる」
「釘や金具は?」
「不足する。だが、軍の使うものが先になっている」
俺は、持っていた紙へ書きつけた。
関所の戸。
村の修繕。
道具。
「うちでは、少しずつ鉄が作れるようになりました。板を作る仕事も動いています。全部は無理ですが、一部なら役に立てるかもしれない」
「それは、ありがたい。どのくらい送れる?」
「必要な品と、数と、欲しい時期を出していただけますか。作る者と運ぶ者に確かめて、返事をします」
ヴェーラー卿が、わずかに眉を上げた。
「領主殿が、ここで決めるのではないのか」
「先に約束すると、帰ってから職人に怒られますので」
向こうが笑った。
俺も笑ったが、冗談だけではない。
炉を増やす話をしただけで、エルゼに腕の本数を確認されたばかりだ。
「領の鉄を売る分と、職人や商人が品物にして売る分があります。後者まで、俺の一存で値を決めるわけにはいきません」
「なるほど」
「同じ戸でも、金具を直せば済むのか、木から替えるのかで違うでしょう。現物を見せていただければ、無駄なものを運ばずに済みます」
ヴェーラー卿が書記へ言った。
「必要なものを書き出して、現場も見られるようにしてくれ」
話が、具体的になった。
「運ぶ日が決まるなら、帰りに積める荷も相談したい。空で戻るより、運賃を抑えられるかもしれません」
「こちらからは、何を?」
「今、取引のある商人にも聞いてみます。俺たちが知らない買い手がいるでしょうから」
ヴェーラー卿は、しばらく俺の紙を見ていた。
「フェルデン殿は、戦の話より、こちらの方が楽しそうだ」
「得意な話になりましたので」
横を見ると、クラウディアが静かにお茶を飲んでいた。
目が合うと、にこりと笑う。
「私は、今のお話を邪魔せず伺っております」
分かっている。
俺も昨日、戦い方の相談では、だいたいそうだった。
◇
領主同士で決めたのは、品物の値段ではなかった。
街道のどの区間を、どちらの兵が見回るか。
賊の目撃があれば、どこへ知らせるか。
荷を止めるとき、通行の決まりを誰が説明するか。
「関所を取り戻したからといって、その場で兵が勝手に通行料を決めるようでは、商人が戻りません」
俺が言うと、ヴェーラー卿は口元を引き締めた。
「それは困るな。徴収するものは明らかにしておこう。今回の費用を、通る者から気まぐれに取り返すつもりはない」
「こちらも、窓口を決めます」
話が終わる頃、工房へ運ばれていた妻の剣が戻ってきた。
欠けは小さく、手入れをすれば使えるという。
「よい剣ですので、まだ十分に」
職人の言葉に、俺はうなずいた。
「それはよかった」
「ええ。とても」
クラウディアも笑っていた。
少しだけ、間があったことには触れなかった。
◇
館へ戻ったのは、出発から九日目だった。
門の前へ来ると、見張りが声を上げた。
中から兵が出てきて、馬を受け取り、荷車へ手を貸す。
「戻ったか!」
「そっちは、どうだった?」
あちこちで声が重なる。
腕に布を巻いた兵が荷台から下りようとすると、二人が先に手を伸ばした。
「大したことない」
「分かったから、こっちの肩を使え」
アイナは馬を預けてから、俺たちのところへ来た。
「道中の見張りについて、報告を」
「先に、馬と自分の水を済ませておいで。急ぎの異変はないね?」
「はい」
彼女は一礼して、戻っていった。
途中で、留守を守っていた兵に囲まれる。
「今度は、助ける側だったって?」
「以前も、助けていました!」
「そうだったな。悪い悪い」
笑いながら肩を叩かれ、アイナも口元を緩めた。
俺は、その横を通って館へ入った。
帰ってきた。
ようやく、そう思えた。
◇
報告は、少し休んでからにした。
クラウディアも、肩の様子を見てもらった。腫れが強いわけではないが、今日は無理をしないよう言われている。
無理の範囲について、妻と周りの者で多少の食い違いがあった。
少なくとも、戻ったその日に兵と打ち合う必要はない。
そこは俺も、止める側に回った。
夕方、アイナを呼んだ。
「今回、よかったと思うところを伝えておきたい」
俺が言うと、彼女は背筋を伸ばした。
「逃げる敵だけでなく、遅れていた味方を見ていた。兵を呼んで、助けるところまでつないだ。それから、見えなかったものを、分かったように報告しなかった」
アイナは、少し戸惑った顔をした。
「ですが、もう少し早く動ければ」
「それは、次にどうするかを考える話だね。できたことまで、なかったことにしなくていい」
クラウディアが、横から続けた。
「槍を合わせたとき、馬を近づけすぎました。あそこは、あとで確かめましょう。ただ、追わずに味方との間へ入った判断はよかったわ」
「はい」
彼女が、小さく息をついた。
「これからも、少人数の連絡や見張りをまとめてもらう機会を作りたい。ブルーノにも、今回のことを伝える」
俺が言うと、アイナはもう一度、頭を下げた。
「務めます」
クラウディアが、俺へ笑いかける。
「レオン様も、約束どおり後ろにいてくださいました」
俺は、黙った。
トマが、扉のそばで目を伏せた。
石積みから少し身を出した件は、どこまで伝わっているのだろう。
「……トマが、よく見てくれていたからね」
アイナの肩が、小さく揺れた。
領主も、部下に助けられて帰ってきたのだ。
◇
翌朝、マルセルとキャスパーから、留守中の報告を受けた。
オットーも、記録を持って来ている。
「炉の炭は、予定どおり届いています。給金の支払いも済んでおります」
「山の方は?」
「雨で一日、運び出しを止めたそうです。ガルド殿の判断です。道の水を逃がしてから再開し、今のところ、次の納入には間に合います」
キャスパーが答えた。
エルゼからは、前回より手を入れ直す鉄が減ったという報告があった。
増産の話ではない。
同じ仕事を、少し無駄なくできるようになった。
「俺への確認は、必要なかった?」
「決めていただいた範囲でしたので」
キャスパーが、当然のように言った。
俺は、うなずいた。
留守の間、止まっていなかった。
机に積まれた紙はある。
だが、その全部が、俺の返事を待っているわけではない。
終わった仕事を、知らせるための紙も混じっている。
マルタからの報告は、オットーが預かっていた。
移ってきた家族の一人が、町で仕事を探したいと相談したらしい。
ただ、小さな子がいるので、長い時間は家を空けられない。
「宿で、朝の片付けを手伝ってもらうことになったそうです。ご家族が家にいる時間に合わせて」
「マルタのところで?」
「はい。まずは短い時間で、お互いに続けられるか確かめると」
俺は少し笑った。
「領の金は?」
「使っておりません。宿の仕事ですので、宿から代金を払うとのことです」
マルセルの声が、わずかに明るくなった。
来た人の困り事と、町にある仕事がつながった。
俺が一件ずつ、働き口を作らなくてもいい。
「それは、よかった」
思ったより、強く口に出た。
◇
俺からも、隣領で話したことを伝えた。
費用の確認。
街道の巡回と、知らせの送り先。
修理に必要な品の相談が、これから届くこと。
マルセルは途中まで聞いて、こちらを見た。
「品の数と値段は」
「約束していない。職人と商人に確かめてから返事をすると伝えた」
彼の肩が、少し下がった。
「承知しました」
「出発前に、勝手な約束はしないと言っただろう」
「はい。無事にお戻りいただけて、何よりです」
今の返事には、二つくらい意味がありそうだった。
キャスパーが紙へ書き込む。
「依頼が来ましたら、こちらの修理や出荷と重ならないか、まず確かめます。ライナー殿にも、取引の形を相談してよろしいですね」
「頼む。ベルタたちの運搬も、空いているつもりで予定を入れないように」
「もちろんです」
話が進む。
俺が一人で抱えて帰ってきたものが、机の向こうへ渡っていく。
ようやく、お茶へ手を伸ばしたところで、キャスパーが別の紙を出した。
「こちらは、領主様に判断していただきたい件です」
まだ温かい杯を、俺は置いた。
◇
紙には、村の名と、麦の量が並んでいた。
すでに刈り入れを終えた分。
乾かしている分。
脱穀を待っている分。
同じ収穫でも、今すぐ袋に入れて運べるものばかりではない。
キャスパーは、それを分けて書いていた。
「現物まで確認できていない村もあります。今は、聞き取った量を含んでいます」
「うん」
「領全体で、直ちに麦が尽きるという報告ではありません。ただ、こちらをご覧ください」
一つの村の、その先に、家ごとの聞き取りが添えてあった。
納める予定の麦。
家で食べる麦。
次に播く麦。
俺は指で数字を追った。
それから、収穫の見込みへ戻る。
「これ、三つとも、同じ麦を当てにしているね」
「はい。合計すると、残る見込みを越えます」
納める分だけ見れば、納められる。
食べる分だけ見れば、今はある。
種も残すつもりだと言う。
だが、その三つを同時にはできない。
「理由は?」
「畑の出来が悪かった家もありますが、それだけではありません。働ける者が減った家、前に借りた麦を返す家。村の合計からは、見えない事情がございます」
マルセルが、別の紙を寄せた。
「納税の時期までに売る予定の家畜もあるようです。ただ、それで冬の食べ物や、次の仕事に影響がないかまでは、まだ」
俺は、しばらく黙った。
前世でも、帳簿の資産を足せば、借入を上回る会社はあった。
しかし、来月の支払いに使える金はない。
売れば金になるものでも、売ったあと仕事ができなくなるなら、同じようには数えられない。
今、目の前にあるのは、その家で暮らす人たちの冬だった。
領内に麦がある。
それと、各家の食卓に麦が届くことは、別だった。
「この聞き取りをしたのは?」
「村へ連絡を運んでいる者です。オットー殿が、聞く項目をそろえてくださいました」
オットーが、少し居心地悪そうに座り直す。
「足りるかとだけ聞くと、今はあると返ってきますので。何に使うかを、別々に聞いてみました」
「それで、見えたんだな」
俺は、紙をそろえた。
「村へ行こう。税を下げれば済むのか、麦を融通すればいいのか、それとも別の手当てが要るのか。まだ、ここでは決めない」
種を食べさせないために、何ができるか。
今の冬を越すためと、次の収穫を増やすためでは、打つ手も違う。
その順番を、現場で確かめたい。
キャスパーがうなずく。
「村へ、先に知らせます」
「畑の仕事を止めさせなくていい。こちらが、空く時間に合わせよう」
俺はようやく、お茶を飲んだ。
今度は、少し冷めていた。
扉が開き、クラウディアが顔を出す。
「次のお出かけのお話ですか?」
「村の、冬支度の話だよ」
妻は、少し考えた。
「荷を運ぶ人手が必要でしたら、兵の訓練と合わせられるか、相談しますわ」
俺は顔を上げた。
「……それは、助かるかもしれない」
「では、必要な量が分かりましたら」
彼女は微笑んだ。
剣を振るう人にも、帳簿を読む人にも、できることがある。
今度の相手は、寒くなるまでの時間だ。
俺は、村の名の横へ、訪ねる順番を書き始めた。




