第43話 時間が惜しいらしい
「左右の弓を黙らせてから、門へ進みます」
クラウディアが、地面に描いた図へ小石を置いた。
門の前に一つ。
その両脇に、二つ。
「正面の兵は、すぐに近づかないで。向こうが射てば届く場所で、立って待つ必要はありません」
隣領の隊長が、うなずいた。
今度は、妻が一人で門を破ることだけを当てにした顔ではなかった。
左右には、それぞれ盾を持つ兵と弓兵を回す。
石垣の裏へ近づく道は、案内の者に確かめてもらった。
回り込める場所はある。ただし、誰にも見つからずに全員が進めるほど、都合よくはできていない。
「途中で見つかれば、その場から知らせてください。門の前へ出る合図は、私から。左右のどちらかが進めなければ、正面も止めます」
俺は、隊長へ尋ねた。
「知らせを持って戻る者は、決めてあるね?」
「はい。それぞれ一人ずつ」
「その人まで戦いに入って、誰も戻ってこないことがないように頼む」
隊長が、そばの兵へ顔を向けた。
兵たちがうなずく。
作戦の中身は、妻と彼らの仕事だ。
俺が気になるのは、誰かが伝えたつもりになり、誰かが届いたつもりで動くところだった。
戦場でまで、あの「はず」を増やしたくない。
「捕らわれている村人がいる可能性もある。建物へ火はつけない。逃げてくる者は、一か所で受け入れてほしい」
それを聞き、隊長が予備の兵の配置を変えた。
武器を捨てた賊と、助け出す人々を混ぜないようにする。
怪我人を運ぶ場所も、道の後ろに決めた。
手間は増える。
だが、門の中へ入ってから考え始めたら、もっと困る。
アイナには、騎乗する兵二人とともに、左右の連絡と、こちら側へ下りてくる道の見張りを任せた。
関所の裏まで三人で塞ぐわけではない。
見える範囲を確かめ、何かあれば知らせる。
「逃げる者を見つけても、三人だけで追わないこと」
「はい」
妻が念を押すと、アイナは真っすぐに答えた。
昨夜のうちに、武器を置いて出てくるよう、声はかけてある。
返事の代わりに、矢が一本飛んできた。
今朝は、こちらが進む番だった。
◇
クラウディアは、馬を後ろへ預けた。
門前の障害物と石の散った斜面を考え、徒歩で行くという。
兵が鎧の留め具を確かめ、最後に盾を渡す。
彼女は剣を少し抜き、刃を見て戻した。
「レオン様」
「うん」
「終わりましたら、お迎えにまいります」
朝の散歩へ誘うような声だった。
ただ、着ているものが散歩向きではない。
「気をつけて。俺は、トマたちと後ろにいる」
「ええ。前へ出てはいけませんよ」
「今日は言われる側か」
妻が笑った。
それから兜をかぶり、兵の方へ向き直る。
「私の後ろへ。倒れた者が出たら、置いて進まないこと。道を塞ぐものは、後ろから来る者のために退けて」
こちらから連れてきた兵が応じた。
隣領の兵も、少し遅れて声をそろえる。
俺はトマとともに、道の曲がり角の手前へ下がった。
ここなら正面の一部が見え、斜面の上からは狙われにくい。
それでも、石積みの陰から不用意に出るなと言われた。
従う。
俺まで運ぶ荷物になっては、今日の計画が一つ増える。
◇
先に動いたのは、左だった。
木々の間で、男が叫ぶ。
短く笛が鳴り、盾を打つ音が続いた。
門の上に、人が現れる。
こちらを見て、何か怒鳴った。
正面の兵は動かなかった。
待つ。
これが、思っていたより苦しかった。
見えない場所で味方が戦っている。
早く進めば、その分だけ助けになる気がする。
だが、右から矢を受ける場所へ飛び込めば、別の怪我人を増やす。
クラウディアは、盾を構えたまま待っていた。
左から、伝令が戻る。
「石垣の手前を押さえました! 弓の者は、奥へ下がっています!」
少しして、右からも知らせが来た。
こちらは倒木に足を取られ、進むのが遅れたという。
妻は続きを聞き終えるまで、顔を上げなかった。
「射る場所を空けさせました。こちらの弓で、石垣から出られないようにしています」
クラウディアが剣を抜いた。
ようやく、合図が出た。
◇
「来るぞ!」
門の方から声が上がった。
障害物の後ろに、槍が並ぶ。
クラウディアは走り出したが、後ろの兵を置き去りにはしなかった。
木を組んだ柵の手前で盾を上げる。
矢が一本、盾へ当たった。
乾いた音がした。
俺の肩が、勝手に動いた。
妻は止まらない。
「隠れてないで出てこい、雑魚ども!貴様らごときにかける時間が惜しい!」
よく通る声だった。
隣領の伝令が、俺を見た。
俺は前を見ていた。
今、説明する時間はない。
槍が突き出された。
クラウディアは盾で外へ押し、柵の隙間から相手の腕へ剣を走らせた。
悲鳴が上がる。
すぐに、後ろの兵が木の端へ手をかける。
妻が間へ踏み込み、次の槍を押さえた。
柵が傾き、道の脇へ引きずられていく。
巨大な木を剣で真っ二つにするのではない。
近づく者を追い払う槍を、妻が使わせない。
その間に、兵が道を作る。
空いたところへ、隣領の盾持ちが進んだ。
門は閉められかけていた。
外に残った賊が怒鳴る。
中の者と押し合う、その隙間へクラウディアが盾をねじ込んだ。
「おいおい、仲間がまだ外だろうが!」
盾が軋んだ。
彼女が足を踏み込み、後ろから兵が加わる。
閉まりきらなかった門が、逆に押し戻された。
その向こうから、大柄な男が出てくる。
鉄を張った盾と、短い斧。
足の置き方が、周りと違った。
男が何か叫んだが、俺には聞き取れなかった。
クラウディアの声は聞こえた。
「そうだ。逃げんなよ」
ものすごく、楽しそうだった。
男の斧が、彼女の盾を叩いた。
一度。二度。
クラウディアが半歩下がる。
俺は息を止めた。
次の瞬間、男の足が大きく前へ出た。
妻が身体をずらし、盾の縁を押し上げる。
剣が、低いところを走った。
男が膝を折る。
起きようとした肩へ、クラウディアの盾が落ちた。
後ろにいた賊が、門の内側へ逃げた。
「まだ立つか!」
返事はなかった。
妻は男の武器を蹴り遠ざけ、後ろの兵へ短く指示を出した。
縛る者が二人、進み出る。
俺の隣で、伝令が呟いた。
「あれが、奥方様……」
そうだよ。
昨日、君たちの挨拶に、にこやかに会釈していた人だよ。
◇
門が開いても、戦いは終わらなかった。
正面の兵が中へ入る。
それと同時に、左の石垣の裏から、何人かが下りてきた。
関所へ戻れなくなり、道の下へ逃げようとしているらしい。
アイナの馬が、こちらへ向きを変えた。
一緒にいた兵を一人、後ろへ走らせる。
「左から、武器を持った者が四人! 道へ下りてきます!」
彼女自身は、斜面の上へ追わなかった。
馬を道の広いところへ寄せ、槍を構える。
予備の兵が、盾を持って駆けつけた。
そのとき、左の攻め手から遅れて下りてきた味方が、膝をついた。
片足を引きずっている。
すぐ近くに、逃げてきた賊の一人がいた。
アイナが馬を進める。
賊へ突っ込むのではなく、その間へ回った。
「槍を捨ててください!」
相手は、短い槍を振り回した。
馬が首を上げる。
俺には、アイナの姿が一瞬、大きく揺れたように見えた。
それでも、彼女は手綱を離さなかった。
相手の槍へ自分の槍を合わせ、馬を斜めに進める。
逃げようとした賊の前へ、駆けつけた盾持ちが入った。
「武器を捨てろ!」
今度は、賊が従った。
アイナが、後ろを振り返る。
「怪我をした方を! そこの木の脇です!」
兵二人が走り、倒れた味方の肩を抱えた。
彼女はそれを見届けると、門の方へ目を戻した。
追えば、逃げる背中へ届いたかもしれない。
だが、そうすれば、あの兵を助けるまでに間が空いた。
自分の手柄より、誰が取り残されているかを見ている。
それが、アイナの強みなのだろう。
トマが、俺の肩へ手を置いた。
「領主様。少し、お下がりを」
前へ出たつもりはなかった。
ただ、よく見ようとして、石積みから身を出していた。
「……すまない」
俺は、素直に戻った。
人に任せるのは、ここでも難しい。
◇
門の中から、別の声がした。
「下へ! 頭を下げろ!」
クラウディアだった。
何が起きたかは、見えなかった。
すぐあとで、武器がぶつかる音と、男の悲鳴がした。
俺は、伝令を待った。
長く感じた。
やがて門から、丸腰の男が二人、走り出てきた。
兵が止め、決めていた場所へ誘導する。
一人は昨日、袋を運ばされていた男だった。
顔に血がついている。
手首には、縄の跡があった。
「ほかにもいるか?」
隊長の部下が尋ねると、男は何度もうなずいた。
「小屋に。奥の、小屋に……」
知らせが門へ運ばれる。
武器を持たない人間がいると分かった途端、攻める側にも止まる判断が要る。
勝っている勢いのまま、全部を押し潰していいわけではない。
俺は、用意した水を運ぶよう頼んだ。
男が杯へ手を伸ばし、途中で止める。
誰に許しを求めたらいいのか、分からないような顔だった。
「飲んでいい。ゆっくり」
男は両手で杯を持った。
水が、指の間へこぼれた。
門の中では、まだ怒鳴り声がしていた。
俺はそちらを見てから、目の前の男へ戻った。
俺が今、見ていられるのはこちらだ。
◇
戦いが終わったという知らせは、隊長の部下が持ってきた。
門と建物を押さえた。
抵抗を続けた者は倒れ、残りの多くは武器を捨てた。
山側へ逃げた者もいるが、兵をばらばらにして追ってはいない。
「捕らわれていた者は?」
「小屋から六人。先ほど出た二人と合わせて、八人です。今、ほかの建物も調べております」
俺は、息を吐いた。
まだ怪我の確認も、人数の確認も終わっていない。
それでも、門の上に立つ兵が、こちらの旗を上げるのが見えた。
通れなかった道が、開いていた。
◇
安全が確かめられてから、俺は関所へ入った。
門の裏に、折れた槍が転がっている。
板に血がついていた。
倒れた者には布がかけられ、武器を捨てた者は、離れた場所で座らされている。
勝った場所は、きれいではなかった。
トマに案内され、怪我人のいるところへ向かう。
うちの兵は一人、腕を切られていた。
布を巻いてもらいながら、俺を見ると立とうとする。
「そのままでいい」
「浅いですので」
「浅いかどうかは、手当てしている人に聞く」
そばの男が、うなずいた。
兵が座り直す。
隣領には、矢傷を負った者も、歩けなくなった者もいた。
運ぶ順と、村へ送る手配を、隊長が決めている。
今のところ、味方に死者は出ていないという。
この先も、そうであってほしかった。
アイナは、馬の首を撫でていた。
肩が上下している。
「よく戻したね」
声をかけると、彼女が振り返った。
「いえ。少し、馬を驚かせてしまって」
「君も、馬も、戻った。助けた兵もね」
アイナの視線が、手当てを受ける男へ動いた。
男が手を上げる。
「助かったよ」
彼女は、少し困ったように笑った。
「……間に合って、よかったです」
その返事を、覚えておこうと思った。
◇
「レオン様」
クラウディアが戻ってきた。
兜を脱ぎ、額に張りついた髪を払う。
盾には矢が刺さり、縁が大きく傷んでいた。
「怪我は?」
「ございません。少し、肩が重いくらいで」
「それも、あとで見てもらって」
「はい」
彼女は素直にうなずいた。
その後ろで、隣領の兵が、恐る恐る近づいてくる。
「あの、奥方様」
「何でしょう」
「先ほど、小屋の前で。その……助けていただいて」
妻は少し考えた。
「ああ。あの人を押さえていてくださった方ね。おかげで、村の方を離せました」
あとで聞くと、賊が村人の襟をつかみ、前へ押し出そうとしたらしい。
妻は村人へ伏せるよう叫び、隣の兵が男の腕を押さえた隙に、踏み込んだという。
「いえ、私などは」
「手を離さずにいてくださったでしょう。ありがとうございます」
兵が赤くなった。
そのまま、深く頭を下げる。
妻がこちらへ向き直ると、男は隣にいたトマへ小声で聞いた。
「普段は、あのようなお方なのか」
「ええ」
「戦っておられたときは、その、言葉が」
トマは、少し考えた。
「よく通りますから」
声の話にした。
うまい逃げ方だった。
◇
昼を過ぎると、近くの村から人が来た。
捕らわれていた者の家族だ。
顔を見るなり走り寄る者も、途中で足が止まる者もいた。
昨日、蹴られていた男は、子供を抱き上げようとして、手当てを受けた腕を押さえた。
代わりに膝をつくと、子供の方が首へしがみついた。
俺は、そちらへ行かなかった。
隊長と、関所に置く兵を確認する。
奪われていた荷は、村の者を交えて持ち主を調べることになった。
勝手に兵へ配らないよう、倉へ番を置く。
逃げた賊を探す仕事も残る。
だが、それをすべて俺たちだけで引き受けるために来たのではない。
「こちらは、明日まで周辺の確認に協力する。負傷した兵を休ませてから、帰路につきたい」
「承知しました。残る者への引き継ぎも、今日のうちに」
隊長が答えた。
初めに話を決めておいてよかった。
夕方、道の障害物が脇へ寄せられた。
村へ戻る荷車が、門の下を通った。
兵たちが左右へ退く。
荷台には、取り戻した袋が積まれていた。
大きな軍旗も、金銀もない。
けれど、その荷を待っている家がある。
車輪が、石の上で小さく跳ねた。
俺は、その音を聞いていた。
「開きましたわね」
クラウディアが隣で言った。
「ああ。ありがとう」
彼女は、少しだけ肩を寄せた。
「お役に立てて、何よりです」
「盾は、直さないといけないね」
妻が、自分の盾を見た。
それから、ゆっくりと俺へ顔を戻す。
「では、新しい剣も」
「剣は、今、何か関係あったかな」
「一緒に見ていただければ、手間が省けるかと」
後ろで、トマが咳をした。
なるほど。
まとめて頼めば効率がいい。
どこかで聞いた理屈だった。
「まず、今の剣を見てもらおう」
「はい」
妻は、今日一番と言っていいほど、いい返事をした。
隣領の隊長が、感心したようにこちらを見ていた。
「奥方様のお言葉を、あれほど穏やかに収められるとは」
俺は、返事に困った。
戦場から戻った妻と、買い物の相談をしていただけなのだが。




