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第41話 剣になるとは限らない

「こちらが、領内へ残した分です」


 鍛冶屋の主人が指した鉄を、クラウディアが見つめていた。

 俺の隣で、実にうれしそうな顔をしている。


「では、いよいよ装備を?」

「まず、荷車の金具だね」

「……剣は?」

「それから、修理に使う釘と、戸の金具」

「剣は」


 二度聞かれた。


「今のところ、戸の金具に負けている」


 妻は、台の上に置かれた小さな金具へ目を落とした。

 ただ、そんなに大したものなのかと、じっと見ている。


「これ、橋の物置に使うんだ。戸が傾いて、雨が吹き込むと聞いてね」

「矢を置いているところですか?」

「そう。兵が毎回、置き場所を変えているらしい」


 クラウディアの表情が変わった。


「それは、先に直してくださいませ。いざ必要なときに、矢を探すわけにはいきません」


 話が早い。

 戦いに関わると分かった途端、金具が味方になった。


 主人が、横から口を挟む。


「それに、この鉄を、そのまま奥様の剣にできるわけじゃありませんので」

「そうなの?」

「用途が違います。刃に使うものは、別に考えませんと」


 俺も、うなずいた。

 鉄が採れたから、何でも作れるようになったわけではない。

 買わなければならないものは残る。そのためにも、売る分を用意したのだ。


「じゃあ、荷車を直して、必要なものを買って、運んできてもらうのね」

「そういうこと」


 クラウディアは、しばらく考えた。


「遠回りですわね」

「俺もそう思うよ」


 剣までの道のりに、車輪と戸が挟まっている。

 だが、そこを飛ばすと、剣が届かない。


     ◇


 数日後、館の裏へ、荷車が戻ってきた。


 以前は片側が沈み、積む量を減らして使っていたものだ。

 車輪と軸の具合を確かめ、必要な木の部材を替え、金具を取り付け直してある。


 荷台へ麦の袋が載せられた。

 御者がゆっくり馬を歩かせる。


 少し離れたところで、ルッツが車輪を見ていた。

 修理を請け負った親方も一緒だ。

 彼らは一度止めさせ、荷の載り方を変えてから、もう一度動かした。


「これで、前と同じだけ積めるのか?」


 俺が尋ねると、親方は首を横に振った。


「前というのが、どこまで積んでいたかによります」


 御者が、そっと目をそらした。


 なるほど。

 修理の前に、運用を直す必要もあるらしい。


「この量までなら、という目安を、御者にも伝えてくれ。道で違うなら、それも」

「承知しました」


 ルッツが荷台の縁を指し、御者へ何か説明し始めた。

 任せてよさそうだったので、俺は横へ退いた。


 マルセルが、手元の紙を見せる。


「こちらが戻りましたので、借りていた荷車を一台、返せます」

「借り賃が減るな」

「はい。それと、二度に分けていた荷も、道によっては一度で済みます。ただし、今の注意を守ればですが」


 最後だけ、御者に聞こえる声だった。


 修理の費用は、もう払っている。

 これから減るのは、借り賃と、余分に往復する手間だ。

 今日の帳簿に大きな儲けが立つわけではない。けれど、明日から同じ仕事をするたびに、少しずつ違ってくる。


「金が出ていく話ばかりでも、なかっただろう?」

「出ていったことに、違いはありません」


 マルセルは即答した。

 ただ、紙を畳む顔は、いつもより少し柔らかい。


「戻す当てのある出費が増えたことは、ありがたく思っています」


 俺は、うなずいた。

 この人の口から聞くと、ずいぶん心強い。


     ◇


 橋へは、修理した荷車を含む二台を出すことになった。


 麦と塩。補修用の金具と釘。柄を直した工具。

 鍛冶屋で刃先を修理した道具も載せるが、こちらは新しく採れた鉄だけで賄えたわけではない。


 道具一つを使えるようにするにも、人の手と、別々の材料がいる。

 鉄だけ数えていた頃より、俺の紙はずいぶん賑やかになった。


「道中の護衛は、アイナにまとめさせます」


 出発の前日、クラウディアが言った。


「兵を四人つけて。いつもの道ですが、荷車の間を空けすぎないことと、先を確かめる者を勝手に離れさせないこと。それは、伝えてあります」

「アイナ自身を含めて、五人だね」

「ええ。私たちも同行しますけれど、まずは彼女に」


 俺たちが橋の様子を見に行く便と、輸送を合わせる。

 見に行く側が、任せた仕事を横取りしないようにしたい。


「君から見て、どう?」

「馬の扱いは問題ありません。自分より遅い者のことも、見ています」


 クラウディアは、一度言葉を切った。


「ただ、気にするあまり、自分で全部拾いに戻ろうとするところがあります。人を動かすのは、これからですわね」


 俺の妻は、前へ突っ込むことしか考えていないわけではない。


「何か?」

「いや。いい機会になると思って」


 余計な感想は、口にしないでおいた。


     ◇


 翌朝、門の前でアイナが兵を集めていた。


 普段より背筋が伸びている。

 手には、行き先と荷の内容を記した紙。

 何度も見たのだろう。折り目のところが、少し柔らかくなっていた。


「先を確認する者は、あの曲がり角までで止まってください。後ろの荷車が――」

「はいよ、隊長」

「隊長ではありません!」

「今日は、お前に従えって言われてるんだぞ」


 兵が笑った。

 アイナの顔が、少し赤くなる。


「ですから、その、役職の話ではなく……」

「はいはい。頑張れよ、アイナ」


 見送りに出ていた別の兵が、肩を叩いた。

 アイナは息を吸い直し、もう一度、全員を見た。


「荷車を無事に橋まで届けます。勝手に先へ行かないでください」

「分かった」


 今度の返事は、短かった。

 からかっていても、そこは聞く。


 俺が馬へ乗ると、トマが手綱を確かめてくれた。


「今日は、荷車に合わせますので」

「ありがたいね」

「急に脇へ行かれませんよう」

「俺は護衛の仕事を増やさないつもりだよ」


 トマは、返事をしなかった。


     ◇


 初めのうちは、何事もなかった。


 アイナは前と後ろへ目を配り、荷車の音が変わると振り返った。

 兵の一人が少し前へ出すぎると、呼び戻す。

 そのたび、自分の馬まで動かしかけて、止めていた。


 俺は、少し後ろから見ていた。

 クラウディアも口を出さない。


 道が狭くなる手前で、隊列が止まった。


 先を見に行った兵が戻ってくる。

 向こうから、薪を積んだ荷車が来ているという。

 坂の途中では、すれ違えない。


「向こうを下がらせるか?」


 兵の一人が言った。

 俺の方を、ちらりと見る。


 領主の一行が来た。

 だから道を空けろ。

 それで済ませられる場面では、あるのだろう。


 アイナは、すぐには答えなかった。


「向こうの荷車は、どこまで来ていますか」

「曲がった先。馬が一頭で、かなり積んでる」

「後ろへ戻れる場所は?」

「しばらく、狭い」


 アイナは、自分たちの後方を見た。

 少し前に通ったところが、広くなっている。


「こちらを、そこまで戻します。先の一台だけ動かしても、後ろが残りますから。二台とも、広いところへ」


 兵がうなずいて動き出す。

 アイナ自身も前へ行きかけたが、途中で止まった。


「あなたは、先方へ。こちらで待つと伝えてください。そこの二人は、後ろの荷車をお願いします」


 役割を分けてから、御者へ声をかけた。


 後ろの荷車が動く。

 その車輪の外側にいた兵へ、アイナの声が飛んだ。


「そこは駄目です。道の縁が崩れています。内側へ!」


 兵が足を引く。

 車輪の跡より外に、草で隠れた欠け目があった。


 俺は、黙って馬を寄せた。

 ここで領主が理由を聞き始めたら、全員が俺を見る。

 説明を受けるのは、終わってからでいい。


 やがて、薪の荷車が通った。

 御者の男は、俺に気づくと慌てて頭を下げた。


「申し訳ありません、領主様。こちらが先に」

「もう通れる。気にしなくていいよ」


 馬の足元へ、細い枝が一本落ちた。

 アイナがそれを拾い、荷台へ戻す。


「縄が緩んでいます。次の広いところで、締め直してください」

「あ、はい。ありがとうございます」


 男が去ったあと、兵の一人が言った。


「領主様がいらっしゃるのに、こっちを下げてよかったのか?」


 アイナの顔が固まった。

 それから、俺を見る。


「……申し訳ありません。戻す方が、安全だと思い」

「それでいい。どちらが早く、安全に通れるかを見たんだろう」

「はい」

「次も、そうしてくれ」


 彼女は、少し遅れてうなずいた。


 昔いた国では、どうだったのだろう。

 そんなことが頭をよぎったが、ここで聞く話ではない。


 クラウディアが、アイナへ声をかけた。


「後ろまで、よく見えていましたね」

「ありがとうございます!」

「では、出発を」

「はい!」


 返事が、さっきより大きくなった。


 妻が俺の横へ戻ってくる。


「一番後ろの兵が、疲れていることにも気づいていました。休む場所を早めに決めたようです」

「よく見ているね」

「ええ。あとは、見つけたものを全部、自分の手で直そうとしなければ」


 前方で、アイナが兵に枝をどけるよう頼んでいた。

 今度は、自分で馬を下りなかった。


     ◇


 途中の村で夜を過ごし、翌日、橋へ着いた。


 荷車を見るなり、兵たちが集まってくる。

 麦の袋を受け取る者。

 工具の包みをのぞく者。

 物置の金具だと聞いて、早く持ってきてくれと呼ぶ者。


「剣より歓迎されていますわね」


 クラウディアが、小さく言った。


「あの戸、そんなに困っていたのか」

「風の強い日は、押さえる者が必要だったようです」


 それは、早く直してやるべきだった。

 兵が一人、戸を守っていては仕方がない。


 デニスが、アイナから道中の報告を受けていた。

 どこで止まり、何のために順を変えたか。

 遅れはどのくらいか。


 途中で、同行した兵が口を挟む。


「道の縁に落ちかけたのを、止められました」

「落ちかけたのか」

「まだ、落ちてはいません」

「それは、見れば分かる」


 デニスが返すと、周りが笑った。


 アイナは笑わず、道の欠けていた場所を説明した。

 次に荷を運ぶ者にも知らせておきたいらしい。


「分かった。記しておく。よく周りを見ていたな」


 そう言われた瞬間、彼女の肩が少し下がった。

 ようやく、息をつけたようだった。


     ◇


 橋では、ブルーノが補修の順を決めていた。


 腐った木まで、金具で無理に持たせようとはしない。

 替えるものは替え、まだ使えるものを締め直す。

 見張りの足場、物置の戸、持ち運ぶ柵。

 必要な作業を、兵と職人で分けている。


「守りの者まで、全員、修理へ回すわけにはいきませんからね」


 ブルーノは言った。


「工具がそろえば、一つを待って何人も手を止めることが減ります。そっちの方が助かります」

「人を増やすまでにも、できることはあるんだな」

「ええ。ただ、人も要ります」


 俺は、うなずいた。

 そこを、ごまかすつもりはない。


 クラウディアが橋の向こうへ目を向けた。

 今は、敵の姿は見えない。

 見えないからといって、いないことにはならなかった。


「私が離れている間も、任せられるようにしておきたいの」

「今も、そのためにやっております」


 ブルーノは答えた。


「奥様が戻るまで待つだけでは、守れませんので。知らせを送る者と、ここで指揮を執る者は分けます」


 デニスが、手元の板を示した。

 見張りの交代と、異変があった場合の動きが記されている。

 いつ誰がいるか。知らせを受けたら、誰が兵を集めるか。


 俺は分からないところだけ、聞いた。

 敵が来たら全員で迎える、と言って済ませる話ではなかった。

 休んでいる者も、荷を受け取っている者もいる。

 その状態から、どう守る形に戻すのか。


 金具が届くことと、人が動けること。

 どちらもそろって、ようやく防備になる。


 作業を見ている間に、物置の戸が取り付け直された。

 兵が何度か開け閉めし、最後に強く引いた。


「閉まった!」

「戸なんだから、閉まるだろう」

「今までは閉まらなかったんだよ!」


 笑い声が上がる。


 俺も笑った。

 こんな当たり前のことが、一つずつ戻ってくる。

 国力という数字が増えるのは、たぶん、こういうときなのだろう。


 隣で、クラウディアも満足そうにうなずいていた。


「これなら、少し遠くまで出ても――」

「何の話かな」

「巡察ですわ」


 返事が早い。


 守りが固まったことを、喜んでいる。

 外へ出られることも、喜んでいる。


 たぶん、両方だ。


     ◇


 橋には、その夜も泊まった。

 翌朝、まだ残る補修をブルーノたちに任せ、帰路につく。

 戻りの荷車には、町で直す道具が積まれていた。


 アイナは出発前に、全員の顔と、荷の固定を確かめている。


「帰りも、よろしくお願いします」

「任せろ。今度は落ちない」

「行きも落ちていません」


 兵が笑う。

 今度は、アイナも少し笑った。


 道の狭いところでは、指示が早くなっていた。

 急に立派な隊長になったわけではない。

 それでも、一度任せたことで、次に任せられる仕事が見えてくる。


 俺も、次の仕事を考え始めた。

 橋への連絡。少人数の護衛。馬を使う兵のまとめ役。


「領主様、何か?」


 トマに言われ、口を閉じた。


「……考えごと」

「聞こえておりました」


 しまった。

 キャスパーがいないと、油断する。


     ◇


 館へ帰り着くと、そのキャスパーが待っていた。


「お戻りになったところ、恐れ入ります」

「何かあった?」

「隣領から、使者が参っております。こちらが書状です」


 旅の埃を払う間もなく、俺は封を確かめた。


 挨拶。

 先の戦いへの言及。

 クラウディアの武勇を称える言葉。


 妻が、俺の横から身を寄せる。

 その先へ目を進めると、軍事的な協力を求めたいとあった。

 詳しい事情は、使者から直接説明するという。


「いつ来たんだ?」

「昨日です。お帰りをお待ちすると」

「宿は?」

「手配しております」


 俺は書状を読み直した。

 何が起きているかも、どれだけの兵が必要かも、これだけでは分からない。

 わざわざ使者を寄越した以上、挨拶だけでは済まないだろう。


 隣を見る。

 クラウディアは、実に落ち着いた顔をしていた。


「まだ、引き受けるとは決めていないからね」

「もちろんですわ」

「まず、事情を聞く」

「ええ。大切なことです」


 素直だった。

 あまりにも、素直だった。


 妻が、通りかかった兵を呼び止める。


「私の鎧ですが――」

「クラウディア」

「手入れです。普段のお手入れですわ」


 兵は俺を見て、妻を見た。

 俺は額を押さえた。


「手入れは、しておいてくれ」

「はい!」


 兵が去る。

 キャスパーが、何事もなかったように尋ねた。


「使者との面会は、明朝でよろしいでしょうか」

「ああ。先方の話を聞こう」


 剣を新しくする余裕は、まだない。

 それでも、隣領から声がかかるところまでは来た。


 問題は、何を頼まれ、何を背負うことになるかだ。


 俺は書状を畳んだ。

 隣では妻が、明朝という言葉を、たいそううれしそうに繰り返していた。

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