第39話 鉄がどうできるかなんて詳しくしらないよ…
「ここは入りません」
ガルドは、山に開いた黒い穴を見て言った。
入口の上に、斜めになった丸太があった。
その片側は土へ沈み、下には拳より大きな石がいくつも落ちている。
素人目にも、歓迎されている感じはしなかった。
「分かった」
俺は頷いた。
隣を見ると、トマが既に俺の前へ半歩出ていた。
「俺が勝手に入ると思ったか?」
「少し」
「信用がないな」
「興味がおありのときは、歩くのが速くなりますので」
言い返せない。
水車小屋へ行くときも、気づけばキャスパーより前を歩いていた。
ガルドが、俺たちのやり取りを横目で見た。
「奥へ入らなくても、石を見る場所はあります。こちらへ」
俺は今度こそ、彼の後ろを歩いた。
◇
朝に館を出て、西の村で馬を預けた。
そこからは歩きだった。
古い道には、車輪の通った跡が残っている。
だが途中で水に削られ、荷車一台分の幅がない場所もあった。
ガルドはそこで立ち止まり、上の斜面を指した。
「水の逃げ道が詰まってます。石を並べるだけじゃ、また流されます」
同行した手伝いが、草に埋もれた溝を探る。
護衛の兵も周囲を見ながら、足場の悪い場所を教えてくれた。
昼を回って着いた鉱山には、屋根の落ちた小屋があった。
土へ半ば沈んだ荷台。
錆びた輪のついた桶。
山の仕事が止まったあとも、雨だけは通い続けていたらしい。
出立前に確かめた記録では、ここは領の直営で動かしていた鉱区だった。
地図の線と、ガルドが示す境を照らす。
使われていた道も、ほぼ記録どおりだ。
ただ、紙に描かれた小屋には、まだ屋根がある。
「ここで、荷を揃えていた?」
「ええ。多いときは、あの辺りまで積んでました」
ガルドが草むらを指した。
近づくと、黒褐色の石がまとまっている。
「最後に掘った分です。全部、捨てたわけじゃない」
「持っていく人が来なくなったのか」
「はい。掘った分の数だけは、毎日つけてたんですがね」
俺は石の山を見た。
帳面には、採れた数が並んでいたのだろう。
仕事をした記録も、成果もある。
だが、炉へ届かなければ、給金を払う金には変わらない。
前世でも、倉庫いっぱいの商品を見せられたことがあった。
売り先が決まっている分と、売れるはずで作った分が、同じように積まれていた。
ここでは、売る前に作ることさえ止まっていた。
「ガルド。今日は、どこから採る?」
「昔、浅く掘っていた場所へ。残った山の石だけじゃ、今も採れるか分かりませんので」
俺は頷いた。
彼は既に、その違いを考えていた。
◇
斜面を回ったところに、土を削り取った跡があった。
ガルドは近づく前に上を見た。
崩れそうな石や木がないか確かめ、手伝いへ立つ場所を示す。
以前、一緒に働いていた男だという。
俺とトマは、少し下がった場所で待った。
道具が石を打つ。
乾いた音が、山へ返った。
ガルドは剥がれた石を拾い、割れた面を見せてくれた。
「この筋です。昔、選んでいたのは」
掌へ載せてもらう。
ずっしり重い。
だが、俺に分かるのはそこまでだった。
「これで鉄になる?」
「なるはずです。どれだけ取れるかは、焼く者に見てもらわないと」
言い切ってはくれなかった。
その返事の方が、俺にはありがたい。
採った場所を分けて袋へ入れる。
古い集積場の石も、別の袋へ。
持ち帰れる量が揃ったところで、作業を止めた。
ガルドが、袋の口を縛りながら言った。
「少し掘るだけなら、ここからできます。坑道の奥を直すより、先にこっちでしょう」
「続けられそうか」
「表に近い分が、どこまであるかです。今日見えた分を全部と思っても、山全部にあると思っても、困ります」
「まずは、掘った分を鉄にしてみよう」
俺は、崩れた坑口の方へ目を向けた。
「あっちを全部直してから試す、では遅いからな」
ガルドが頷く。
「試して、続けることになったら。現場を任せたい」
男の手が止まった。
「俺にですか」
「ああ。掘る場所も、入ってはいけない場所も、君が判断する。人数や道具の話は、一緒に詰めよう」
ガルドは、縛った袋を持ち上げた。
肩へ載せ、少しだけ山を見た。
「呼べる者が、何人かいます」
「声を掛けられるか?」
「試した結果が出れば。今度は給金が遅れないか、聞かれるとは思います」
そこは、俺の仕事だった。
「答えを用意するよ」
帰り道、俺も小さな袋を持った。
大きな袋へ手を伸ばしかけたところで、トマに渡されたものだ。
「こちらをお願いします」
「少なくないか」
「途中で増えたように感じますので」
村へ着く頃には、その意味がよく分かった。
◇
翌日、町へ戻った俺は、鍛冶屋へ鉱石を持ち込んだ。
男は袋の中を覗いた。
俺を見た。
もう一度、袋を見た。
「これで、鉄を作れるか」
「俺は、鉄で物を作るんです」
しばらく、金槌の音だけが聞こえた。
「……そうか。君のところでは、石からはやらないのか」
「ええ。炉も違います。ここへ放り込んで、剣が出てくるわけじゃありません」
「そこまでは期待していないよ」
槍も、釘も、まだ期待していない。
今はまず、鉄である。
製鉄と鍛冶が別の仕事なのは知っていた。
ただ、この町では誰がどこまでやるのかを、俺は知らなかった。
鍛冶屋は一つ石を取り、ガルドへ顔を向けた。
「前に焼いてたのは、誰だった?」
「エルゼだ。親父さんが亡くなってからは、あいつが炉を見てた」
「まだ向こうの町にいるのか」
「この春に会ったときはな」
話が、俺を挟まず進み始めた。
「来てもらえるだろうか」
ガルドは俺へ向き直った。
「頼んでみます。ですが、あいつは安請け合いしませんよ」
「それは、会ってみたいね」
鍛冶屋とガルドが、顔を見合わせた。
何か、変なことを言っただろうか。
◇
五日後、エルゼが来た。
四十代くらいの女だった。
髪を頭の後ろできつくまとめ、荷を下ろすなり、並べてあった石を手に取った。
ガルドからの手紙と、使者が持参した見本を見て、一度試す仕事なら、と来てくれたのだ。
旅費と滞在中の手当については、先に話をつけてある。
「エルゼと申します。領主様」
「レオン・フェルデンだ。来てくれてありがとう」
女は一礼した。
そして、挨拶の続きより先に、鉱石の袋を指した。
「混ぜてませんね?」
「採った場所ごとに分けてある」
「なら、いいです」
別の石を手に取る。
割れたところを見て、指で擦る。
「炭は?」
「試験に必要な分を買うつもりだ」
「炉を手伝う人は?」
「何人要るか、聞いてから集めたい」
エルゼは石を置いた。
「じゃあ、まだ石しかないですね」
そのとおりだった。
反論の余地がなくて、かえって気持ちがいい。
俺が笑うと、エルゼが少し眉を寄せた。
「叱ってるんですが」
「分かってる。だから、君に来てもらった」
横で、キャスパーが紙を開いた。
必要な物を聞く準備が、既にできていた。
◇
エルゼは、半日で町の鍛冶場と、その裏の空き地を見て回った。
古い山の炉をいきなり使い直すのではなく、町で小さな試験をする。
使わせてもらえる道具を確認し、炉を築く場所を決めた。
鍛冶屋も、仕事の合間に手を貸してくれることになった。
それから十日ほど、俺が見るたびに準備は違う形になっていた。
土を練っていた場所に、炉が立つ。
乾かす間に、鉱石が選り分けられる。
袋で届いた炭を、エルゼが手に取って確かめる。
彼女が以前ともに働いた男も、一人、試験に加わった。
残る手伝いは町から雇ったが、火を見る仕事をいきなり任せることはしなかった。
俺は、準備の様子を毎日見に行かなかった。
その代わり、進んだことと、金や人が足りずに止まることだけ、キャスパーから聞いた。
一度、炭の量が当初の見込みより増えた。
エルゼは石を全部使おうとせず、試す量を減らした。
「今日は、どこから採った石がどう焼けるかを見る。たくさん焼いた顔をしても仕方ないでしょう」
報告を聞いた俺は、次の増額を頼まれるつもりで開いていた帳面を閉じた。
現場にも、こちらの財布を見ながら考えてくれる人がいる。
ありがたいことだった。
◇
火を入れた日は、朝から空き地が熱かった。
エルゼの声が飛ぶ。
手伝いが動く。
炉へ入れるものを量り、空いた籠を脇へ重ねていく。
俺とマルセルは、邪魔にならない場所にいた。
キャスパーは、使った物の記録を取っている。
最初のうちは、皆で火を眺めていた。
だが、眺めているだけでも暑い。
昼になる前に、俺は上着を脱いだ。
マルセルも額を拭いていた。
「領主様。炭が、また一籠」
「見えてるよ」
「はい」
少しして、また籠が運ばれる。
マルセルは何も言わなかった。
言わない代わりに、目で追っていた。
気持ちは分かる。
黒い炭が、だんだん銀貨に見えてくる。
俺が炉の方へ一歩寄ると、エルゼが振り返った。
「そこで見ていてください。今、前を横切られると困ります」
「分かった」
俺は戻った。
山ではガルドに止められ、炉の前ではエルゼに止められる。
領主という仕事は、思ったほど自由ではない。
少し遅れて、クラウディアが来た。
兵の訓練を終えたところだという。
「進んでおります?」
「進んでいるらしい」
「見たところ、火ばかりですわね」
「ああ。今は、金も燃えている」
マルセルが、深く頷いた。
◇
夕方近くになって、エルゼの声が鋭くなった。
「そっちを空けて。道具を」
人が動く。
炉の下の方で、作業が始まった。
俺は思わず背筋を伸ばした。
真っ赤な鉄が、流れ出すのかと思っていた。
そうはならなかった。
引き出されたのは、黒いものをまとった、赤く光る塊だった。
形も悪い。
石と燃え残りを無理に固めたように見える。
あれだけ運んだ鉱石の量を思うと、ずいぶん小さかった。
「……あれが?」
「まだです」
エルゼが答えた。
こちらを見てもいなかった。
鍛冶屋が場所につく。
塊が運ばれる。
金槌が落ちた。
鈍い音とともに、周りの黒いものが剥がれた。
また打つ。
火へ戻す。
取り出して、打つ。
エルゼも道具を持ち、鍛冶屋と短い言葉を交わしている。
誰も、できましたとは言わない。
俺は黙って見た。
塊は、さらに小さくなった。
その代わり、形がまとまっていく。
表面の色が変わり、角ができる。
鍛冶屋がその一部を延ばした。
曲げ、確かめ、また打つ。
ようやく、顔を上げた。
「これなら、金具には使える」
俺は息を吐いた。
いつから止めていたのか、自分でも分からなかった。
◇
冷めるのを待って、手に取らせてもらった。
小さな、いびつな鉄だった。
ライナーから買った鉄材のようには揃っていない。
これだけで槍を何本も作れるわけでもない。
だが、掌の上に、鉄があった。
ガルドが見つけた筋から採った石。
男たちが袋へ詰め、山から下ろした石。
それをエルゼたちが、ここまで変えた。
「できたな」
俺が言うと、ガルドが頷いた。
「ええ」
男は鉄から目を離さなかった。
大きな手を出しかけ、俺を見たので、そのまま渡す。
ガルドは掌へ載せ、重さを確かめた。
「また、出せたか」
小さな声だった。
エルゼが布で顔を拭きながら、そばへ来た。
「量は、まだ駄目です。石の選び方も、火の扱いも、合わせ直さないと。このまま売ったら、炭代を食います」
マルセルが顔を上げた。
俺も頷く。
「どこを変えればいい?」
「まず、混じり物の多い石を、山でよける。町まで石ころを運んでから捨てるのは、もったいない。それと炭。届いた物を何でも同じに使うわけにはいきません」
ガルドがすぐに口を挟んだ。
「選ぶ場所は山に作れる。雨を避ける屋根は要るが」
「だったら、選ぶ者にも見せたい。この残ったものを」
「持っていくよ」
二人が、炉の脇で話し始めた。
俺はキャスパーの記録を見た。
出た鉄の量。
使った炭。
雇った人の手間。
ここから先は、出るかどうかだけではない。
続けて出せるかどうかだ。
「ガルド」
呼ぶと、男が顔を上げた。
「まず、浅い採掘箇所で次に試す分を頼みたい。道の手入れと、選り分ける場所も含めて、現場を任せる。危ないと判断したら止めてくれ」
ガルドは一度、手の中の鉄を見た。
「承知しました」
今度の返事は、山へ案内すると言ったときより強かった。
◇
片付けが始まると、手伝いの一人が肩を回した。
鍛冶屋は水を飲み、空になった器を伏せる。
長い一日だった。
俺は、皆へ礼を言った。
試験の手当は、鉄が出た量に関係なく、約束したとおりに払う。
それを伝えると、エルゼが初めて少し笑った。
「それなら、明日も話ができますね」
「明日は休んでもらうつもりだけど」
「休みますよ。領主様と話をするだけです」
彼女は布を肩へ掛けた。
「続けるなら、呼びたい連中がいます。炉を任せられる者と、炭を焼ける者。今の仕事があるので、すぐには動けませんが」
「君も、ここで続けることを考えてくれるのか」
「給金と、仕事の進め方が合えば」
俺は頷いた。
遠慮のない返事が、今は嬉しかった。
「条件を聞かせてくれ」
「まず、家です」
俺は手帳を開いた。
「宿ではなく?」
「試す間なら宿でいいです。暮らすなら、家族を呼びます。ほかの連中にも、子供がいますので」
マルセルが、隣で目を閉じた。
ヒトが見つかった。
モノも、ようやくできた。
すると今度は、住む場所と、そこへ金を入れる順番が要る。
机の上の話だけで済まないところまで、進んだのだ。
「分かった。宿のマルタにも、明日、話に入ってもらおう」
俺は、手帳の新しい頁へ書いた。
エルゼたちの住まい。
山と炉で働く人。
鉄を売るまでに払う金。
クラウディアが、横から覗き込んだ。
「鉄ができたら、剣も作れますの?」
「今日の分では、まだ小さな金具だそうだよ」
「では、次ですわね」
妻の目が、山から来た鉄へ向いた。
山へ行く前は、あんなに興味がなさそうだったのに。
エルゼが、俺に聞いた。
「……ご注文の順は、誰が決めるんです?」
俺は、ゆっくり手帳を閉じた。
鉱山より先に、こちらを整理する必要がありそうだった。




