第37話 とりあえず一段落…か?
町の門が見えたとき、荷車の上から声が上がった。
「着いたぞ!」
足を捻った兵が、身体を起こす。
隣に座っていた兵が、その肩を押さえた。
「お前は立つな。また転ぶぞ」
「転んでねえよ。踏み外したんだよ」
「一緒だろ」
腕に包帯を巻いた方も、十分に元気そうだった。
帰りは二人の具合を見ながら進み、来たときより一日多くかかった。
道中で傷が悪くなった様子はない。それでも、着いたら改めて診てもらうつもりだった。
門の兵が、こちらへ手を振っている。
俺は片手を上げた。
その後ろから、ブルーノが歩いてくる。
「お帰りなさい。皆さん揃ってるようで、何よりです」
「留守をありがとう。変わりは?」
「橋は無事です。館も、町も。ただ、俺から聞くより先に、馬を下りた方がよさそうですよ」
何事かと思って門の内側を見ると、兵の家族らしい人たちが待っていた。
子供が一人、走りかけて母親に襟を掴まれる。
「馬がいるでしょう!」
止められた子は、それでも懸命に手を振った。
荷車の上の兵が、照れたように振り返す。
俺たちは門を抜け、馬を脇へ寄せた。
帰ってきた。
その実感が、ようやく胸の中へ落ちてきた。
◇
アイナは、馬を下りたところで囲まれていた。
「おう。初陣帰り」
「初陣ではありません」
「うちでは初めてだろうが」
留守を守っていた兵が、彼女の肩を軽く叩く。
「手柄を立てたって?」
「誰から聞いたんですか」
「先に帰った使いが話してたぞ。味方を拾ってきたとか」
「拾ったわけでは……」
説明しかけたところへ、別の兵が顔を出す。
「で、今回は言わなかったんだろうな。くっころ」
「言いません!」
「よし。それなら、話を聞いてやる」
何の審査だ。
アイナは何か言い返そうとして、手綱を持ち直した。
「先に馬を休ませます」
「分かってるって。そっち、俺が持つ」
兵の一人が荷を受け取る。
からかっていた男も、馬の通る場所を空けた。
「お帰り、アイナ」
彼女の足が止まった。
ほんの少しだけ、間があった。
「……ただいま戻りました」
返事を聞いた兵は、それで満足したようだった。
話の続きだと言いながら、一緒に厩へ向かっていく。
俺の隣で、クラウディアが目を細めた。
「ちゃんと、馴染んだようですわね」
「ああ」
「少々、馴染ませ方に品がございませんけれど」
俺は妻を見た。
「何か?」
「いや。何でもない」
戦場での言葉遣いについて、今ここで振り返る必要はない。
無事に帰った日くらい、平穏に過ごそう。
◇
館では、マルセルが待っていた。
「お帰りなさいませ」
「留守中、苦労をかけた」
「まずは、皆様ご無事で何よりです」
そう言って、彼は深く息を吐いた。
俺も、少しだけ肩の力を抜いた。
その視線が、後ろの荷車へ移る。
「鉄は、あちらでしょうか」
「ああ。ライナー殿だ。手紙に書いた商人だ」
二人を引き合わせると、マルセルはすぐに受け取りの紙を開いた。
オットーも帳面を持って来る。
鉄材は四塊。
印を確かめ、荷台から下ろす。
既に支払った代金は銀貨六枚。今回渡すのは、運び賃の二枚だった。
兵の装備を直すために受け取った金具や材料は、それとは別に記録されていく。
「こちらも、鉄の代金に含めますか」
オットーの問いに、マルセルが首を振った。
「それは補給で頂いた分です。購入した物と分けましょう」
「はい」
俺が口を開く前に、話が進んでいた。
携行金の残りも渡し、途中の支払いを記した紙を添える。
マルセルは数字を見比べ、頷いた。
「これで合います」
「どうかな。今回は、必要な分に絞ったつもりだ」
「そのようですね」
あっさりと認められた。
少し拍子抜けした俺へ、マルセルが顔を上げる。
「領主様。私も、金が出ていけば何でも反対するわけではございません」
「それは分かっている」
「でしたら、毎回、叱られる前のお子様のようなお顔をなさらずとも」
後ろで、トマが咳をした。
クラウディアは、ライナーに庭の方を案内している。
聞かれずに済んだと思ったが、肩が少し揺れていた。
◇
報告は、昼食のあとにまとめてもらった。
ブルーノからは、橋の兵の交代と見回りについて。
デニスから届いた報告では、対岸に人影は見えたが、渡ろうとする動きはなかったという。
「こちらを見てる連中は、相変わらずいます。だから、兵は減らしてません」
「ありがとう。町の方は?」
「見回りに出す順を少し変えました。一人、家の者が熱を出しましてね。あいつに遠い持ち場へ行けと言っても、気が散るでしょう」
代わりに遠い持ち場へ出た者には、次の交代で調整する。
本人たちにも、既に話をしてあるという。
「橋への連絡は、遅れなかったか」
「そこは別の者に頼みました。全部を一人のついでにすると、ろくなことになりませんから」
俺は頷いた。
俺たちがいない間にも、当たり前に予定は崩れる。
それを、こちらの返事を待たずに直してくれていた。
クラウディアが、ブルーノへ向き直った。
「帰った兵から、今回の戦いについても聞いておいてくださいな」
「ええ。明日にでも。今日は飯を食わせて、休ませます」
「もちろんですわ」
妻は当然のように頷いた。
「私からも、あとでお話しいたします」
「奥様のお話と、後ろから見てた者の話は、両方聞いておきたいですね」
いい判断だと思う。
妻の説明だけでは、そこを進んで斬りました、で終わるおそれがある。
続いて、キャスパーが紙を出した。
急いで俺が決める必要のあるものは、二件。
既に処理したものは、その下に短くまとまっていた。
仕事が増えていないわけではない。
俺の机に戻ってくる仕事が、減っていた。
「こちらは、オットー殿が先に確認してくださいました」
キャスパーが指したのは、納入の遅れについての記録だった。
荷車の修理が延びると分かった時点で、届く先へ知らせ、受け入れの日を変えている。
オットーが、少し背筋を伸ばした。
「倉庫で待つ人を、呼ぶ前でしたので」
「助かった。誰かを待たせずに済んだのか」
「はい」
本人は、たいしたことではないと思っているようだった。
だが、こういう仕事が、何度もマルセルを走らせていたのだ。
俺は二件の相談を聞き、必要な返事をした。
まだ、お茶は温かかった。
◇
木材の話は、キャスパーから切り出された。
「町の板挽きに、手紙の条件に近い在庫がございました。売る意向もあります。ただし、全部ではありません」
「別の使い道が決まっている?」
「はい。修繕を頼まれている分は残すと。そこは先に分けていただきました」
候補は一軒。
近くのもう一軒にも尋ねたが、そちらは乾燥中だったという。
「明朝、ライナー殿に見ていただけます。板挽きの仕事場へ案内する予定です」
「もう話はついているのか」
「商人が来ることと、現物を見てから買うか決めることは伝えました。値段は、ご本人同士でお話しいただくつもりです」
俺は手帳を開きかけて、閉じた。
聞こうとしていたことの、大半が済んでいる。
「ベルタは?」
「明日の午後、町へ戻る便で運べるそうです。ただ、荷下ろしの時刻は変えられないと」
「そちらを動かす必要はないかな」
「そのように伝えてあります」
キャスパーが、紙をこちらへ向けた。
検品する場所。
運ぶ時間。
買わなかった場合には、運ぶ仕事も発生しないこと。
俺は思わず笑った。
「帰ってすぐ、動けるようにしてくれているな」
「いえ。領主様は、まずお休みください」
「明日の話だよ」
「ええ。今日、板を見に行かれる前に申し上げました」
よく分かっている。
俺はただ、少し様子を見ようと思っただけなのだが。
マルセルが、お茶を注ぎ足した。
「こちらは、領主様がお帰りになるまで止まっていたわけではございませんので」
それもそうだ。
俺は、せっかく温かいお茶を飲んだ。
◇
翌朝、板挽きの仕事場へ行くと、板が三つの山に分けてあった。
一つには、縄が掛かっている。
もう一つは、厚みを見比べられるように並んでいた。
残りは、壁際へ立て掛けられている。
「縄が掛かってるのは、先に受けた仕事の分です」
板挽きの男が言った。
髪に、白いものが交じっている。
「こちらは売れます。壁の方は、割れや反りがありますんで」
ライナーが頷き、売り物の板へ手を伸ばした。
一枚持ち上げ、端から眺める。
次を並べ、厚みを比べる。
俺も覗いたが、見ている場所が違うらしい。
「こちらは、少し薄いですな」
「箱の底には使えるだろう」
「私の買い手は、側板と同じ厚みで揃えたいんです。底だけ別だと、重ねる手間が増えまして」
男は顎を撫でた。
「なるほどね。そりゃ、こっちの都合じゃ分からん」
板が一枚、脇へ置かれる。
また一枚。
並んでいた二十六枚のうち、買う話になったのは二十枚だった。
六枚は残った。
男は少し渋い顔をしたが、ライナーが理由を示すと、それぞれに印をつけた。
「こっちは、短く切れば使えるんじゃないか」
「使えます。ただ、今回はこの長さを揃えて持ち帰りたいので」
「そうか。じゃあ、そいつは別の仕事へ回す」
全部買わなければ話が壊れる、ということはなかった。
買わない理由が分かれば、残った板にも次の扱いがある。
値段の話になると、男が俺を見た。
「領主様。これ、鉄の代わりに出すって話じゃないんですよね」
「違う。鉄は館が買った。この板は、君がライナー殿へ売る。代金は君が受け取る」
「なら、よかった」
男はライナーへ向き直り、さっきより少し高い値を告げた。
おい。
安心した途端、遠慮がなくなったな。
ライナーは笑わず、二十枚を指した。
「その値段ですと、私が次へ売るときに困ります」
「乾くまで置いておいた場所も、ただじゃないんでね」
俺は口を閉じた。
ここからは、二人の話だった。
◇
折り合いがついたのは、最初の値とライナーの出した値の間だった。
板挽きの男が売るのは、ここに並ぶ二十枚。
代金は、この場で払う。
積み込む前に枚数と状態を一緒に確かめ、受け取ってから運ぶ分はライナーが手配する。
ライナーはベルタの運び賃も聞き、紙の端へ何か書いた。
馬を何日も遊ばせる必要はない。
ほかの村へ荷を探しに回らなくてもいい。
「これなら、今回は積んで帰れます」
財布が開いた。
板挽きの男が、机に置かれた金を数える。
数え終えると、口元が少し緩んだ。
「次も、この厚みかい」
「次に欲しい量は、向こうの職人へ渡してみてからです。ただ、条件は今書いてお渡しします」
ライナーが紙を差し出す。
男は読めるところを拾い、寸法の箇所を指した。
「ここは、今の板と同じで?」
「ええ。あと、節はこちら側の端なら構いません」
俺が問いを挟まなくても、話が続いていく。
男は、買われなかった六枚へ目を向けた。
「これを合わせて削っても、代金に見合わないな。次に挽く分から、分けとくか」
「注文が決まる前に、大量には用意しないでくださいよ」
「分かってるよ。ほかにも売れる分しかやらん」
キャスパーが、俺の横で頷いた。
この木を切ったのは俺ではない。
乾かし、板にして、買い手に合う物を選んだのも俺ではない。
俺は、買いたい人を連れてきただけだった。
それで、机の上に金が置かれた。
板挽きの男が、次にどの木を使うか考えている。
俺は口元が緩むのを止められなかった。
「よい買い物でしたね、領主様」
キャスパーが言った。
「板を買ったのは、ライナー殿だよ」
「ええ。鉄のお話です」
そうだった。
四塊の鉄を買ったら、ここまでついてきた。
◇
午後、ベルタの荷車が来た。
約束した仕事を終え、こちらへ回ってきたところだった。
馬の首を撫でながら、板の山を見る。
「これで全部かい」
「ああ。二十枚だ」
「なら、聞いてたとおりだね。積もう」
買うと決まった板だけを、ライナーと男が数える。
ベルタは荷台へ当て木を置き、板が動かないように縄を通した。
「濡らしたくないんだろ。上に掛ける物は?」
「こちらに」
ライナーが油を引いた布を渡す。
ベルタは頷き、積み終わると出発した。
俺たちは少し遅れて、ライナーの荷車を置いた場所へ向かった。
着くと、既に積み替えが始まっている。
その横では、町の女が針を二本買っていた。
別の男は留め金の値段を聞き、首を捻ってから一つだけ買う。
売り物が全部なくなるほどの賑わいではない。
それでも、ライナーは客の手へ品を渡すたび、次に欲しい物を聞いていた。
「塩は、もう少し小さく分けて売れないかい」
「次に来るとき、そうできるようにいたしましょう」
次に来る。
その言葉を、俺にではなく、町の人へ向けていた。
ベルタが運び賃を受け取り、こちらへ来た。
「待たされずに済んだよ。あの人、話が早いね」
「また頼めそうか」
「日が分かればね。明日来いって言われても無理だよ」
「分かってる」
「領主様にも言ってるんだからね」
俺だけ、念を押された。
キャスパーが、次回は来訪予定を事前に知らせてもらうと伝える。
木材の持ち主とベルタへ連絡する役目も、その場で確かめた。
ライナーが、帰りの荷を揺すって固定を確かめる。
「向こうで売れましたら、次の数量をお知らせします。鉄も、必要な分を先に教えていただければ」
「こちらも、鍛冶屋たちと相談しておくよ」
俺一人の欲しい分だけではない。
町の仕事に要る分も分かれば、彼が来る理由は増える。
ライナーは礼を述べ、翌朝発つための支度へ戻った。
◇
館へ戻ると、マルセルが窓際でお茶を飲んでいた。
俺を見ると立ち上がりかけたので、座ったままでいいと手を振る。
「取引は、まとまったよ」
「キャスパーから伺いました。板の持ち主にも、ベルタにも代金が渡ったと」
「ああ。領内で仕事になった」
マルセルは頷いた。
「館の出費は、手紙にあった運び賃まででよろしいのですね」
「追加はない」
「それは何よりです」
ようやく、心から安心した顔をした。
机には、俺の返事を待つ紙が二枚あった。
朝に見たものとは別の紙だ。
だが、山にはなっていない。
廊下から、オットーが誰かへ受け取りの日を説明する声が聞こえる。
庭では兵たちが道具を片付けていた。
その中に、アイナの声もあった。
俺がいない間も、ここは動いていた。
戻ってきた俺が、全部を取り上げて動かし直す必要もない。
空いた椅子へ腰を下ろすと、クラウディアが部屋へ入ってきた。
「少し、お休みになれます?」
「ああ。今なら」
「では、お茶をご一緒しても?」
断る理由は、何もなかった。
妻が隣へ座る。
俺は差し出された杯を受け取り、ようやく、背もたれに身体を預けた。
マルセルも、まだ席を立たなかった。




