第36話 次の約束を取り付けるのは必須なんだよ
砦を取り戻した翌朝、俺は壊れた盾を抱えていた。
正確には、トマが抱えていた。
俺はその横で、歪んだ金具を指している。
「こちらは昨日の攻撃で。もう一枚は、持ち手の付け根です」
「槍は?」
「穂先は回収できました。柄の方が折れています」
補給を預かる男が、実物を見ながら紙へ書きつけた。
エルンスト卿から話を通してもらった相手だった。
朝の報告で、改めて働きを認められた。
王都へ送る戦功の報告にも、フェルデン領の名を記すという。
ありがたい。
愚鈍と呼ばれていた若い領主が、兵を連れて働いた。
それが正式に残る意味はある。
ただ、褒め言葉を熱しても釘にはならない。
補充できる物について聞くと、卿は補給担当への取り次ぎをしてくれた。
何でも持って帰れ、という話ではない。
実際に壊れた物を確かめ、共通の予備で賄えるものは渡す。領へ帰って直すものについては、修理に要る材料を見てもらう。
「この留め金なら、こちらに予備があります。持ち手の方は、鍛冶の者に合わせてもらってください」
「助かる。いつ伺えばいいかな」
「昼過ぎでしたら。今は負傷者を運ぶ荷車を直していますので」
「そちらを先に頼む」
確認を終えると、男が俺の紙へ印をつけた。
全部が新しくなるわけではないが、帰ってから直すための材料と、交換する金具は確保できた。
《換算》で消えた鉄まで、ここへ混ぜる気はない。
使うと決めたのは俺だ。その分は、別に補充する。
「それで、鉄を売っている商人についても聞きたいのだが」
男が顔を上げた。
「お買い求めに?」
「ああ。修理の分とは別に」
「でしたら、ライナーという商人が。軍へ納めた物のほかに、自分の商いの荷も持ってきています」
「会えるだろうか」
「昼頃には、荷車のところへ戻るはずです」
俺は礼を述べ、場所を教えてもらった。
トマが盾を持ち直す。
「また、鉄をお買いになるのですね」
「使った分もあるし、農具にも荷車にも要るからな」
「マルセル様が」
「まだ買っていないよ」
どうして俺より先に、彼の顔を思い浮かべるんだ。
◇
ライナーは、荷車の後ろで縄を巻いていた。
四十前後だろうか。
袖をまくり、指先で縄の傷みを確かめている。
俺たちが名乗ると手を止め、布で手を拭いてから頭を下げた。
「フェルデン卿。昨日は、大変なお働きだったそうで」
「兵がよくやってくれた。君も、補給を運んでくれたと聞いたよ」
「いえ、私どもは商いですので」
穏やかな笑顔だった。
ただ、俺の後ろにいる妻を見て、一度だけ視線が止まった。
クラウディアは、いつもの上品な微笑みを返した。
「お邪魔いたしますわ」
「どうぞ、どうぞ。こちらへ」
噂は、既に届いているらしい。
荷車の脇に腰掛けを出してもらい、鉄を見せてもらう。
四角い塊を持ち上げようとして、腰掛けに置いたままにした。
見た目より、ずっと重い。
「鍛冶屋へ渡す鉄材か」
「はい。道具の修理や金具を作るのに使うものです。刃物向けの良い鋼とは、また別でございますが」
俺は表面を見た。
見たところで、品質までは分からない。
「買う前に、こちらにいる鍛冶の人にも見てもらいたい」
「構いません。軍へ納めた物とは、印も分けてあります」
荷台の奥を示される。
俺が見ている分は、まだ彼の所有する商品だという。
「四塊で、銀貨六枚。フェルデン領の館までお届けするなら、運び賃を二枚頂戴します」
「合わせて八枚か」
「はい。道が通れることが前提ですが」
買えない額ではなかった。
だからといって、欲しいだけ並べてよい額でもない。
領内に戻れば、職人への支払いも、兵への給金も待っている。
ここで調子よく仕入れれば、マルセルに会う前から胃が痛くなる。
「今後も、少しずつ買いたい。ただ、うちは一度に大量には買えない」
「そのようですね」
ライナーは言ってから、軽く頭を下げた。
「失礼いたしました。遠方へお届けする場合には、それなりの量がございませんと」
「気にしなくていい。金回りがよいように見せても、あとで困るだけだ」
彼の笑みが、少し変わった。
「では、率直に。今回は軍への納入で近くまで来ております。普段から四塊だけをお届けするとなると、同じ運び賃にはできません」
なるほど。
今日買える値段が、そのまま次の値段ではない。
「いつもは、どこまで回っている?」
俺は手帳を開いた。
◇
ライナーは、鉄だけを扱う商人ではなかった。
塩や金具、針、留め具。
町でまとめて仕入れ、街道沿いで売る。
帰りには、その町で欲しがられる品を買う。
「今回の迂回で、馬の餌も宿代も余分にかかりました。日数が増えれば、次の商いも遅れます」
「道が戻るのは、大きいな」
「ええ。ただ、フェルデン領へ寄るとなると、いつもの道から外れますので」
彼が地面へ、棒で線を引いた。
街道から領内へ入る道。
館までの道。
そこから戻る道。
「届けたあと、どこで次の荷を積む?」
「今のところ、町へ戻ってからです」
「うちで買うものがあれば?」
「それは、物によります」
返事が早かった。
「麦でしたら、今はほかで十分に集まります。羊毛も、買い手が欲しがるものか見ませんと」
「木材は?」
ライナーが棒を止めた。
「木材、と申しますと」
「領内で出せる木を調べている。既に売り始めた分もある。ただ、大きさも乾き具合も、何にでも使えるとは言えない」
「切ったばかりの大木を、というお話でしたら、私の荷車では」
「そこまで無茶は言わない。君の買い手は、どんなものを欲しがる?」
ライナーは少し考え、荷台から薄い板を持ってきた。
荷を仕切るために使っているものだった。
「例えば、このくらいの板です。木箱を作る職人が、いつも買っています。幅は多少違っても使えますが、厚みが大きく違うと手間になります」
「乾燥は」
「必要です。箱にしてから反られると、こちらへ文句が来ますので」
「節や割れは?」
「端なら切り落とせます。真ん中を大きく割っているものは、買えません」
俺は板を借り、寸法を書き留めた。
彼が指した節の位置も、簡単な絵にする。
切れば売れる、ではない。
どこへ売るかで、切り方も、置いておく期間も変わる。
「領内の人に、この条件で確認しよう。乾いた板を持っている者もいるかもしれないが、量までは今ここで約束できない」
「領主様の山から、お出しになるのでは?」
「領の持ち物もある。ただ、ほかの者の木や仕事まで、俺の物として話はできない。持ち主と、加工する人にも聞く」
ライナーが俺の手帳を見た。
「では、買う相手がまだ決まっていないのですね」
「そうだ。だから、売れると決めつけて運び賃を下げろとは言わない」
手帳の別の場所へ、銀貨八枚と書く。
「今回の鉄は、この条件で考える。次に来てもらうとき、帰りの荷が揃うなら、運び賃を見直せるか聞きたい」
ライナーは腕を組んだ。
今度は、俺の顔を見ていなかった。
地面に引いた道を見ていた。
◇
「帰りの荷だけでなく、売る先も増えるのでしたら」
しばらくして、ライナーが言った。
「館へ鉄をお届けして、そのまま帰るのではなく、町で塩や金具を売れれば、寄る意味はございます」
「買うかどうかは、町の人次第だよ」
「もちろんです。売ってよい場所を教えていただければ」
「そこは、現地の決まりを確かめて案内できる。ほかの商人を締め出して、君だけを優遇する話にはできないが」
「それは結構です。私も、毎日そこに店を構えるわけではございません」
言いながら、彼は地面へもう一本、線を加えた。
「ただ、木材をあちこちの村まで拾いに回るとなると、運び賃は下げにくいですな」
「積む場所を一か所にできれば?」
「それなら。待つ日が増えなければ」
「取りまとめと、そこまでの運搬の費用も必要だな」
俺はベルタの顔を思い浮かべた。
彼女が運べるかもしれない。
だが、予定を聞きもせず、空いた荷車があるものとして数えるわけにはいかない。
手帳へ、相談する内容を書き足す。
「何日も待たせずに積めて、買い手の条件に合う物がある。その場合、次の運び賃はいくらになる?」
ライナーが、こちらを見た。
「量によりますが……今回と同じ四塊でしたら、銀貨一枚半までなら」
「木材の買値は、それとは別に決める」
「はい。現物を見て、ということになります」
「分かった。安く仕入れるために木をただ同然で出したら、領内の誰かに負担を押しつけるだけだからな」
ライナーの口元が動いた。
「鉄をお安く、というお話ではなかったので?」
「君が利益を出したうえで、うちへ来られる話をしているつもりだよ」
俺は手帳を、彼にも見える向きへ回した。
鉄の代金。
届ける費用。
木材を揃える費用。
売れたときに受け取れる金。
「これで領内の手取りが残るなら、次も続けられる。どこかで無理をさせたら、二度目には誰も動かなくなる」
ライナーは、少し黙った。
それから、短く笑った。
「いつの間にか、寄るつもりで話しておりましたな」
「来てくれないのか?」
「行きますよ。ただし、今回は下見と思ってください」
俺も笑った。
「それで十分だ」
隣で、妻がこちらを見ていた。
目が合うと、なぜか嬉しそうに頷いた。
◇
話を終える前に、今回買う鉄をもう一度見た。
補給の仕事が一段落した鍛冶の男に頼み、使い道を伝える。
男は表面を確かめ、ライナーへ仕入れ先と、前に同じ物を扱ったときの様子を聞いた。
「金具や釘に使うなら、これでいいでしょう。四つとも、持って重さを比べてみます」
俺が形を眺めていた時間より、よほど役に立つ確認だった。
代金を数える前に、携行金の残りを書き出す。
帰りの宿と餌。
負傷した二人のために、途中で余分に泊まる場合の金。
御者への支払い。
そこを残しても、銀貨八枚は出せた。
追加で欲しくなった分は、買わない。
鉄の代金だけを先に払い、運び賃は館で荷を受け取ったときに支払うことになった。
四塊を分けて印をつけてもらい、受け取りの紙を交わす。
「木材が買えなくても、この鉄は届けます。ただ、次の運び賃については、そのとき改めて」
「それでいい。町の人が塩を買わなくても、俺が全部引き取るという約束ではないからね」
「承知しております」
ライナーは、今度は気兼ねなく笑った。
街道の確認が済めば、俺たちと一緒に南へ向かう。
彼の荷車に鉄を載せたまま、領内へ寄ってもらう。
うちの荷車は、予定どおり負傷者が楽に乗れるよう空けておける。
帰りに木材を買えるかは、現物を見てから。
使える物が揃っていなければ、条件だけ持ち帰ってもらう。
それでも、売る先が分からないまま木を切るより、ずっと前へ進んだ。
◇
「楽しそうでしたわね」
荷車のところを離れると、クラウディアが言った。
「そう見えたか」
「ええ。途中から、少し早口になっておいででした」
そこは、気をつけよう。
相手が置いていかれたら、楽しいのは俺だけになってしまう。
「話の通じる人だったよ。できないことも、はっきり言ってくれた」
「その方が、よろしいのですか?」
「あとからできないと分かるより、ずっといい。別の方法を考えられるからな」
妻が、俺の腕に手を添えた。
「私は、頼もしく拝見しておりました」
それは、素直に嬉しかった。
戦ではずっと、妻の背中を見ていたのだ。
少しくらい、こちらにも見せられるものがあってよかった。
トマが、後ろで小さく咳払いをした。
「何か気になったか?」
「いえ。ライナー殿が、お帰り際に」
「うん」
「穏やかなお方だが、曖昧な返事では帰していただけませんな、と」
俺は足を止めた。
「そんなつもりでは」
「はい。私も、奥様と似ていらっしゃると思いました」
クラウディアが首を傾げた。
「私と?」
「奥様は、相手が逃げる前に追いつかれますので」
俺は、次の言葉を待った。
「領主様は、お帰りになる前に、次のお約束をお取りになるのだなと」
妻が、くすりと笑った。
「まあ。では、似た者同士ですのね」
喜んでいる。
俺も喜んでいいのだろうか。
少なくとも、商人を追い回した覚えはなかった。
◇
その日の夕方、領地へ送る手紙を書いた。
『鉄を購入する話をまとめました』
最初の一行を見て、手が止まった。
この書き出しでは、続きを読む前にマルセルが頭を抱える。
紙を替え、書き直す。
『木材の買い付けを検討する商人が、帰路に同行する予定です』
その下へ、鉄四塊の代金と運び賃を書く。
携行金から支払った分と、館で渡す分も分けた。
キャスパーには、ライナーが欲しがっていた板の条件を伝える。
既に乾いた板を持つ者がいれば、売る意向があるか聞いてほしい。なければ、急いで切らせる必要はない。
持ち主、加工、集める場所、運ぶ人。
今ある仕事を止めずに話せる範囲で、候補を確かめてもらう。
ベルタへの相談も、予定と運賃を聞くところからだ。
仕事が増える話だからといって、ただ喜んで受けてくれるとは限らない。
最後に、兵のことを書いた。
全員、帰る。
二人は怪我をしているが、手当てを受けており、荷車で帰す。
その報告を先に書くべきだったと気づき、結局、もう一度清書した。
封をする前に、トマへ読んでもらう。
「これで、伝わるかな」
「はい。皆、安心すると思います」
「マルセルも?」
トマの目が、代金のところへ戻った。
「最後までお読みになれば」
やはり、そこは保証してくれなかった。
二日後、南へ戻る街道に通行の許可が出た。
先に出す使者へ手紙を託し、俺たちも帰り支度を始める。
ライナーの荷車には、印をつけた鉄が載っていた。
その横で、彼が帰り荷を積む場所を確かめている。
まだ、そこは空いている。
領内で待つ人たちと話し、その場所を埋められれば、次の鉄が来る理由になる。
「帰ろうか」
俺が言うと、クラウディアが頷いた。
兵たちの声が続く。
荷車が動き出し、車輪の金具が朝日に光った。




