第35話 拠点奪還作戦
「落としてほしいのは、ここだ」
エルンスト卿の指が、西の道に置かれた。
昨日の偵察兵が、低い石壁を見つけた場所だった。
「砦ではなく、この陣地を?」
「そうだ。砦の西門へ続く道を押さえている。ここを失えば、敵は正面だけを見ているわけにはいかなくなる」
卓には、各隊を預かる者が集まっていた。
俺の隣では、クラウディアが行儀よく座っている。
先ほど膝に置いた手は、妻に握られてしまったので、書き物をするふりをして取り戻した。
「正面は、別の隊が攻める。貴隊には盾兵と弓兵をつける。陣地を取ったあとは、こちらの兵に守らせる」
卿に呼ばれ、斜め向かいの男が頷いた。
西側の後続部隊を指揮する者だという。
「狭い道です。前が詰まれば、後ろから押しても進めません。石壁の手前を空けていただければ、順に兵を入れます」
「妻たちが突破したあと、取り残されることはありませんね」
「そのために我々が続きます。ただし、合図を待たずに砦まで進まれては、追いつけません」
視界の端でクラウディアが頷くのが見えた。
察してくれたようだ。
進む合図。退く合図。
負傷者を下げる場所。
後続の隊が動けなくなった場合には、誰がこちらへ知らせるか。
ひとつずつ確かめていくと、後続部隊の指揮官が、地図の脇へ印を加えた。
「ここまで戻れば、弓で援護できます。退く場合には、この岩を目印に」
「承知しました」
戦場の地図を前にして、俺が敵の配置を論じても仕方がない。
だが、引き受ける仕事の範囲と、その先を誰が受け持つのかは聞ける。
エルンスト卿が、最後に妻へ尋ねた。
「できるか」
「はい」
答えに迷いがなかった。
「後ろの皆様が来られる場所を、空ければよろしいのですね」
間違ってはいない。
なぜか、掃除を頼まれた人の返事に聞こえた。
◇
夜明け前、兵たちが装備を確かめていた。
盾の持ち手を締め直す者。
槍の穂先を布で拭く者。
黙って、足の指を揉んでいる者もいた。
十人のうち、トマは俺の護衛に残る。
アイナは前方と後続の連絡を担うため、途中まで皆と歩く。馬は、道幅のある場所で待たせることになった。
クラウディアとともに前へ出るのは、残る八人だ。
そこへ連合軍の盾兵が加わる。
俺は目の前に、《換算》を開いた。
使えるものを眺めるだけなら、いくらでも強くなった気になれる。
問題は、支払ったあとに領地へ何が残るかだった。
人の項目には触れない。
木材も、外したままだ。
鉄を使う補助を選び、対象を絞る。
自領の兵が使う盾と鎧。その防護を、一時的に高める。
《対象:フェルデン領兵・前衛8名》
《効果時間:10分》
《消費予定:鉄材2塊》
短い表示の下を、さらに開いた。
換算元には、館の備蓄にある鉄材が出ている。
持ってきた予備の槍や、兵が身につけている鎧ではない。
出立前、マルセルと確認した備蓄の内訳を思い返す。
これを使えば、帰ってから回せる鉄は減る。
まだ購入の約束ができていない分を、買えるはずだと数に入れるわけにもいかない。
だが、鉄を惜しんで兵を失うために、ここまで来たのではなかった。
クラウディアが俺のそばへ来た。
「補助をお使いに?」
「ああ。ただ、始めるのは射られる場所へ出る直前だ。効いている時間を、歩いて使い切りたくない」
「それで十分ですわ」
「君には、つけていない」
妻は表示を見られない。
だから、はっきり伝えた。
「今回は、後ろの兵を守る方へ回したい」
「ええ。その方が助かります」
少しも不満そうではなかった。
「皆がついてきてくれれば、私も前を向けますもの」
俺は頷いた。
「無理はしないでくれ。本当に心配している。」
先ほどの会議前にほどいた手を握る。
クラウディアは目を丸くした。
「あ、あなたも、前へ出すぎませんように」
そこは心配しなくていい、と言いかけてやめる。
心配する側からすれば、本人の大丈夫ほど当てにならないものもない。
「気をつけるよ」
妻は満足したように微笑んだ。ほのかに顔が赤い。
それから兜を受け取り、兵の方へ向かう。
「盾を上げれば終わりではなくてよ。足元も見なさい。転んだら、後ろまで止まります」
返事が揃った。
俺は、発動を待つ表示を視界の端へ寄せた。
◇
西の道は、地図で見るより狭かった。
崩れた石が、道の端へ積み重なっている。
古い石切り場の跡には、切り出しかけたような大きな岩が残っていた。
その陰まで進んだところで、先頭から手が上がった。
石壁が見える。
人の胸ほどの高さだが、こちらより高い場所にある。
壁の上から、兜と槍先が覗いていた。
砦の方で、角笛が鳴った。
少し遅れて、声が広がる。
正面の攻撃が始まったらしい。
弓兵が、岩の陰から位置を確かめていた。
指揮官の手が動く。
弦の音が続いた。
石壁の上にいた敵が、一度頭を引っ込める。
「行くぞ!」
クラウディアの声。
俺は、発動を選んだ。
《換算実行》
《防具補助:有効》
《残り時間:09:59》
兵の盾に、淡い光が走った。
すぐに消え、見た目は元に戻る。
先頭の兵が一瞬こちらを振り返りかけたが、年嵩の兵に肩を叩かれた。
「前だ。領主様が見てくださってる!」
余計なことまで期待するなよ。
見ているが、矢を手で掴めるわけではない。
俺はトマと岩の陰へ入った。
その先を、兵が進む。
矢が落ちた。
盾に当たる音が、思っていたより重い。
うちの兵が肩を揺らした。
だが、盾は割れず、足も止まらなかった。
隣を進む連合軍の兵には、補助がかかっていない。
彼らは弓の援護を待ち、先頭との間を詰めすぎないよう進んでいる。
能力だけで、全員を覆えるわけではない。
上から射る敵を押さえてくれている者も、後ろの順番を守らせている者もいる。
その列の先で、妻が盾の陰へ身を寄せた。
敵の大剣が振るわれる。
盾が受ける。
金属の擦れる音がした。
「なんだ!?かてえぞ!」
敵の声とともに妻が、動いた。
◇
石壁の切れ目へ、クラウディアが踏み込んだ。
大剣の先を剣で外へ流し、その柄へ踏みつけるように足を掛ける。
持っていた敵が前のめりになったところへ、妻の肩が入った。
男が壁の向こうへ倒れる。
「そこ、空けろ!」
次の敵が剣を抜いた。
振り下ろすより先に、妻の剣がその腕を打った。
悲鳴。
後ろから伸びた槍を、妻は倒れた男を避ける動きのままかわした。
石壁の切れ目が、一瞬、空いた。
うちの兵が盾を押し込む。
隣の兵が槍を出す。
そこで初めて、敵の列が崩れた。
妻が一人で、全部を薙ぎ倒したわけではない。
妻を止めようと向き直った敵の横へ、うちの槍が届いていた。
「よし! そのまま押せ!」
前へ進んだ妻の姿が、石壁に隠れた。
剣が上がる。
誰かの盾が、空へ弾かれた。
「あらあら! さっきまで上から偉そうにしてたたはずでは!」
姿が見えなくても、場所はよく分かった。
後ろで待つ連合軍の兵が、ぽつりと言った。
「あれが、奥方様……」
「昨日、ご挨拶いただいた方だよな」
「別の方じゃないのか」
俺は説明しなかった。
説明したところで、納得までには時間がかかる。
石壁の上へ、味方の槍が立った。
前へ入った年嵩の兵が、腕を大きく振る。
アイナが動いた。
壁の切れ目まで進み、身を低くして中を確かめる。
前の兵と言葉を交わすと、すぐに引き返してきた。
「陣地の入口は確保しました! 右奥の斜面に、まだ弓兵がいます。壁沿いに入ってください!」
後続の指揮官が顔を上げた。
「クラウディア殿は?」
「奥の柵の手前です。そこで敵を止めています!」
「よし。前へ! 入ったら左へ広がれ、入口で止まるな!」
兵の列が動き出した。
アイナは、先頭の兵へ手で進む位置を示した。
壁の切れ目に転がっていた槍を脇へ蹴り、後ろへ目をやる。
誰かが詰まるたびに、声を掛けていた。
取った場所へ、味方が入っていく。
これなら、妻たちをそこに置いたままにはならない。
俺は残り時間を見た。
《残り時間:03:12》
思わず、息を吐いた。
肩に力が入りすぎていたことに、ようやく気づいた。
◇
外の陣地を取っても、戦は終わらなかった。
砦の西門から、敵が出てくる。
だが、今度はこちらが石壁を使える。
狭い道を上がってくる敵へ、後続の弓兵が矢を送った。
俺たちは、岩陰から陣地の手前へ移った。
負傷した兵が二人、下がってくる。
一人は、うちの兵だった。
腕を押さえ、指の間に血が滲んでいる。
「歩けるか」
「はい。脇から槍を入れられまして」
声は出ている。
トマが手当てをする者の場所を示すと、兵は頭を下げた。
盾や鎧を強くしても、隙間まで消えるわけではない。
俺はその背を見送り、顔を戻した。
補助の時間が切れた。
前の兵へ、あらかじめ決めていた声が渡る。
うちの兵が一度下がり、連合軍の盾兵と入れ替わる。
クラウディアも、柵の陰まで戻ってきた。
「後ろは入りましたわね」
「ああ。交代もできた。君は?」
「問題ありません」
妻は水を受け取り、少しだけ飲んだ。
剣を持つ手に、震えはなかった。
俺の方が、杯をうまく持てそうにない。
伝令が来た。
「正面の隊が、外柵を破りました! 西側は、その場を維持。門から兵を出させるなとのことです!」
妻の目が、西門へ向いた。
出てくるなら相手をする。
出てこないなら、ここで待つ。
そういう命令だった。
「……承知しましたわ」
ちゃんと返事をした。
そこは褒めていいと思う。
西門の敵が、再び動いた。
盾を並べ、こちらへ進もうとする。
妻が杯を返した。
「では、少し行ってまいります」
「今度は後ろもいる。任せられるところは任せてくれ」
「はい」
兜をかぶる。
「来るぞ! 槍を揃えろ! こいつらを戻すな!」
声が、道に響いた。
敵の先頭が止まった。
後ろから押され、盾がぶつかる。
そこへ味方の矢が落ちた。
クラウディアが前へ出ると、盾の列が一段下がった。
彼女を避けようとして脇へ寄った敵が、味方の槍に阻まれる。
今度は、妻の後ろに何列も兵がいた。
◇
砦の旗が下りたのは、日が高くなる前だった。
俺の位置から見えたのは、西門へ引き返す敵と、その上で動く兵の影だけだった。
正面で何が起きたのかは、あとで聞いた。
西へ兵を回した間に、正面の隊が門際まで迫った。
敵は北側へ撤退を始め、エルンスト卿が残していた隊を進めたという。
逃げ遅れて武器を捨てた者もいた。
砦を確保したとの知らせが届いて、ようやく周りの兵が声を上げた。
クラウディアが、遠ざかる敵の方を見ていた。
「追撃は、別の隊だそうだよ」
「存じておりますわ」
俺は妻の横顔を見た。
「よく止まってくれた」
「戦のあとで褒めていただくのが、そこですの?」
少しだけ、拗ねた声だった。
「もちろん、働きもだ。君が開けてくれた場所を、皆が守れた」
妻がこちらを見た。
俺はその手から、兜を受け取った。
「ありがとう。戻ってきてくれて、安心した」
クラウディアは、何か言いかけた。
それから口を閉じ、俺の袖を指先でつまんだ。
すぐ後ろで、アイナが慌てて横を向いた。
「アイナ、報告は?」
「は、はい! 全員、所在を確認しております!」
年嵩の兵と確かめた人数を、順に報告してくれる。
うちの死者はいない。
腕を傷めた者と、足を捻った者が一人ずつ。ほかに打ち身や擦り傷があった。
連合軍では、亡くなった者もいるという。
手放しで笑える報告ばかりではなかった。
俺は、負傷者を帰路で歩かせずに済むよう、荷車の積み方を見直すことにした。
壊れた装備も集めてもらう。
消費した鉄材は、表示どおり二塊。
それとは別に、歪んだ盾の金具や折れた槍が残った。
勝ったことで、支払いがなくなるわけではない。
ただ、名前を呼べば、返事がある。
今はそれを、一人ずつ確かめたかった。
◇
午後、砦の門をくぐった。
エルンスト卿は、まだ忙しそうだった。
負傷者の収容。捕虜の見張り。逃げた敵の確認。
そこへ、こちらの報告を短く済ませる。
「西の陣地は、よく取ってくれた。後続を入れるときの連絡も助かったと聞いている」
「アイナが走ってくれました。前を任せた兵たちも、持ち場を守ってくれました」
「奥方の働きは、言うまでもないな」
妻は、静かに一礼した。
「皆様のお力添えがあってこそですわ」
近くにいた兵が、妙な顔をした。
内容は正しい。
声との組み合わせに慣れていないだけだろう。
俺は門の外へ目を向けた。
正面の道には、倒れた柵と折れた車輪が転がっていた。
その先へ、街道が伸びている。
鉄も、塩も、本来はこちらを通って来るはずだった。
「荷車を通せるようになるまで、どれくらいかかりそうでしょう」
卿は俺を見た。
「まずは道を確かめてからだな。逃げた敵が近くに残っているかもしれん。傷んだ橋や、崩した場所も調べさせる」
「復旧を見込んで、商人へ話をしても?」
「準備は構わん。ただし、通れると約束するのは待ってくれ」
「もちろんです」
約束できることと、まだできないこと。
そこを間違えなければ、先に進められる仕事はある。
俺が手帳を開くと、妻が覗き込んだ。
「もう、お仕事ですの?」
「鉄を使ったからな。補充の相談くらいはして帰りたい」
「楽しそうですわ」
言われて、顔を上げる。
妻は笑っていた。
「あなたも、ようやく出番ですわね」
なるほど。
さっきまでの君を見ていた俺は、こんな顔をしていたのか。
俺は手帳へ、商人に確かめたいことを書きつけた。
今度は、こちらが道をつなぐ番だった。




