第33話 もうくっころすんなよ!
「兵を出す方向で考えている。ただ、その前に確かめたい」
俺が言うと、王国の使者は姿勢を正した。
机へ置いた紙を、こちらへ向ける。
「お答えできることであれば」
「集まった兵を、誰が指揮する?」
「王国から派遣される、エルンスト卿が。各領の部隊は、その指示に従っていただきます」
「食料は」
「集合地で支給します。そこまでの分は、各領でご用意を」
「何日分を、どこへ運ぶ予定だ」
使者の指が止まった。
「私が預かっているのは、集合後、十日分を用意するという通知です。倉へ届いた数までは」
「では、届いているかどうかは、まだ分からないんだな」
「はい。到着の確認は、現地の兵糧担当へお願いいたします」
俺はうなずいた。
知らないことを、知っているふりで埋めない。
それだけで、話は進めやすかった。
「その担当の名と、受け取り場所を教えてほしい。兵以外に、御者と馬も連れていく」
隣でキャスパーが書き留める。
給金は各領持ち。集合後の食料と馬の飼料は、届け出た人数と頭数に応じて支給。
武具の修繕や補充は、勝手に買って請求すれば済むわけではない。
「長引いた場合は?」
「追加の輸送を行う予定ですが、期日までは決まっておりません」
「分かった。そこは現地で、指揮官に確認する」
使者は、少し息を吐いた。
「ご出兵いただけるのですね」
「必要な戦いだとは思っている。だからこそ、着いてから食べる物がない、では困る」
前世でも、契約を結んでから、肝心の設備が間に合わないと分かった案件があった。
書類にある予定と、現場にある物は違う。
今回は、空いた腹で槍を持つことになる。
「我が領にも、国境を守る兵が要る。人数だけを求められても応じられない」
「事情を添えて、出兵の内容をご報告します」
その返事を聞き、俺は隣へ目を向けた。
クラウディアは、静かに座っていた。
膝の上で組んだ指が、時々、ほどける。
早く続きを、と言いたいのだろう。
今も、十分に続けているのだが。
◇
使者を送り出してから、領内の配置を確かめた。
連れていく兵は、アイナとトマを含めて十人。
クラウディアが指揮し、俺も同行する。
荷車には別に御者を雇い、戦う兵を荷の扱いだけで使い切らないようにした。
集合地までは、荷車に合わせて三日の見込み。
集合期日には余裕がある。道中の食料に予備を足しても、領内に残す分を割らずに済むことをマルセルと確かめた。
ただし、現地でいくらでも居続けられるわけではない。
補給の約束が崩れたら、黙って自領の備蓄を注ぎ込む前に協議する。
「ブルーノには、残ってもらいたい」
俺が言うと、クラウディアが彼を見た。
「せっかく、後ろを任せられる方が来ましたのに」
「ええ。ですから、残るんです」
ブルーノは地図の橋を指した。
「奥様が帰る場所まで空けちゃ、困るでしょう」
妻は、少し黙った。
それから、うなずく。
「そうですわね。お願いします」
橋そのものの指揮は、デニスに任せる。
ブルーノには館を拠点に、増援、交代、見回りをまとめてもらう。
「出発前に、デニスと話してきてくれ。誰がどこへ知らせるか、兵を動かすときに何を残すか。現場を見て決めてほしい」
「明朝、発ちます。こちらで決めたことを押しつけるより、早いでしょう」
魔物の出た村へ残した兵も、そのままにはできない。
見回りを続ける者と、館へ戻す者を分ける必要がある。
留守の内政はキャスパー。
マルセルが財政、オットーが記録と連絡を支える。
領地全体を一人へ預けるのではない。
誰に何を聞けばよいか、出ていく前に合わせておく。
「北の道を使っていた商人にも、話を聞けました」
キャスパーが、別の紙を出した。
「今は西へ迂回しています。荷車で往復四日ほど余計にかかるそうです」
「鉄と塩も?」
「はい。荷をまとめ、便を減らしている者も」
俺は、砦の印を見た。
敵が橋へ来なくても、こうしてこちらの商いを削れる。
鉄を買う金があっても、届く日が延びる。修理が止まり、運べる荷が減る。
取り戻す意味はあった。
ただ王国に言われたから出る、という話ではなかった。
◇
アイナと面会したのは、四日後だった。
川沿いの町で勤めていた彼女には、出兵の候補として館へ来るよう、先に使いを出してあった。
到着したばかりの外套には、道の土がついている。
「そろそろ、戦場での働きも見せてもらいませんとね」
クラウディアが言うと、アイナの背が伸びた。
「私も、お連れいただけるのですか」
「ええ。馬を扱えますし、こちらの合図も覚えたでしょう?」
「はい!」
声が、部屋の隅まで届いた。
俺は彼女の手元を見た。
「手首は、もう支障ないか」
「ありません。剣も、手綱も扱えます」
手当てをした者にも確かめると伝え、椅子を勧めた。
「任せたいのは、まず連絡と周囲の警戒だ。隊長を任せるわけではない」
「承知しています」
「それと、相手は君がいた国の兵だ。以前の仲間と会う可能性もある」
アイナの顔から、少しだけ笑みが引いた。
「それでも、行くか」
すぐに返事をしろとは言わなかった。
彼女は膝へ目を落とし、やがて顔を上げた。
「知っている顔があれば、迷うかもしれません」
「ああ」
「でも、今、一緒に帰りたいのは、こちらの人たちです。私も行きたいです」
俺はうなずいた。
「分かった。顔見知りがいたら報告してくれ。一人で片付けようとしなくていい」
「はい」
クラウディアが、彼女へ言った。
「まずは、命じた仕事を。手柄を急ぐ必要はありませんわ」
「はい、クラウディア様!」
返事の大きさが、戻った。
戦いへ出してくれる上官を見る目だ。
それにしては、少し輝きすぎている気もする。
妻が俺へ向き直った。
「レオン様のことも、よく見ていてくださいね」
「はい。この方が――」
アイナの視線が俺へ移る。
クラウディアが、わずかに目を細めた。
「……仕事の話ですわよ」
「仕事のつもりでした!」
俺も、仕事のつもりで聞いていた。
◇
翌日、オットーに案内されて、町の宿を訪ねた。
女将のマルタに、人の相談を頼めないかという話だった。
宿の忙しくない時間を選んだはずだが、食堂の隅では、男が二人、向かい合っている。
「だから、荷を運べると言っただろう」
「倉で袋を積んだとは言いました。馬を引いて村まで行けるとは、言ってません」
一人は商店の主人。もう一人は、仕事を求めて来た若い男だった。
マルタは二人の間へ杯を置いた。
「ちょっと待っとくれ。店で困ってるのは、荷を運ぶ人かい。馬を扱う人かい」
「両方だ」
「今まで、両方やっていたのは?」
「うちの弟だ。腰を痛めた」
「馬を引くのも、無理なのかい」
主人が黙った。
「……袋を持ち上げるのが、駄目なんだ」
「だったら、弟さんにも聞いてごらん。一緒に行って、この人が積み下ろしをする形でできないか」
若い男が顔を上げた。
「それなら、できます」
「できると決めるのは、荷を見てから。何袋あって、何日働くのかも聞いとくれ」
マルタは主人へ目を戻した。
「同じ一人でも、頼む仕事が変わるなら、給金の話ももう一度だよ」
主人は、うなずいた。
男へ、明日、弟と一緒に会おうと言う。
俺はオットーを見た。
「紹介する前に、もう仕事をしているな」
「以前から、助けていただいております」
二人が出ていくのを見送って、マルタがこちらへ来た。
四十代半ばほどの女だった。前掛けを外し、椅子へかける。
「お待たせしました、領主様。お話ってのは?」
「今のような相談を、領の仕事として頼めないかと思っている」
女将は、俺とオットーを順に見た。
「宿は、閉められませんよ」
◇
宿の朝と晩は忙しい。
娘が帳面と部屋の手配を見ているが、女将が丸一日いなくなる前提にはできない。
そこで、まず週に二度、昼の決まった時間だけ相談を受けてもらう話をした。
宿の食堂の一角を借り、場所代と仕事の代金を払う。
「採用まで、私が決めるんですか」
「いや。仕事先と本人が決める。その前に、お互い何を頼みたいか、何ができるかを聞いてほしい」
「住むところは?」
「それも相談に乗ってほしい。ただ、君の宿しか選べない形にはしない」
マルタが笑った。
「うちでずっと暮らされたら、給金が残りませんよ。長くいるなら、部屋を貸してる家の方がいい」
貸せる家と家賃を、オットーの記録と合わせる。
住まいも仕事も、空いていると聞いた日を残す。古い話で人を歩かせないためだった。
「人の噂なら、いろいろ聞くよ。でも、全部が本当かは分からない」
「分からないものは、そのままにしてくれ。確かめる必要があれば、オットーへ回してほしい」
俺は、さっきの若い男が座っていた椅子を見た。
「仕事に就いたあとも、困っていないか聞けるとありがたい」
「雇った方にも?」
「ああ。どちらかだけでは分からない」
マルタは少し考えた。
「では、まず一か月。娘と、こちらの昼の仕事を合わせてからで」
「頼む」
「それと、相談の日以外に来た人は、次の日時を伝えることになるよ。鍋を見ながら、込み入った話は聞けない」
俺はうなずいた。
決まった時間の仕事として頼む以上、それ以外まで善意に頼るわけにはいかない。
「オットー。急ぐ相談は館で受けよう。二人で連絡の仕方を決めてくれ」
「承知しました」
女将が前掛けを手に取った。
「領主様も、相談に来るんですか」
「俺が?」
「人が足りないと、一番おっしゃってるそうじゃないですか」
オットーが、杯を持ち上げた。
間違ってはいない。
「そのときは、よろしく頼む」
「では、ほかの人と同じように、何をしてほしいかから聞きますよ」
◇
出発までの数日で、留守の仕事を渡した。
木材については、森を知る男と町の職人が、村で会う日を決めた。
キャスパーが、持ち主の確認と、運ぶ道の調査を合わせる。
俺の紙には、大きく「森」としか書いていなかった場所だ。
そこへ、人の名前と、確かめる仕事が書き足されていく。
「伐る量まで、先に約束しないでくれ。使える材と、残す木を見てからだ」
「はい。搬出の費用も、併せて確かめます」
キャスパーは答え、次の紙を出した。
俺へ確認が必要なものと、自分たちで進めるものが分けてあった。
「戻るまで、全部待たせる必要はない。決めた予算の中なら進めてくれ」
「承知しております」
彼は、少しだけ口元を緩めた。
「領主様も、こちらを気にして毎日指示を増やされませんよう」
「報告は読みたい」
「それは、お送りします」
読むことと、仕事を取り戻すことは違う。
分かっている。
出発の前日には、ブルーノが橋から戻った。
デニスと確認した連絡路と、動かせる兵の配置を広げる。
「橋で敵を見たら、館への知らせと、川沿いの町への知らせを別に出します。一人が全部回ると遅い」
橋の判断はデニス。増援の手配はブルーノ。
使う道が塞がれた場合の伝え先も、紙に残してある。
「館へ返事を取りに来るまで、デニスを待たせない。その範囲も合わせました」
「ありがとう。頼む」
ブルーノは、遠征する兵の名を確かめた。
「こちらの年長の兵には、道中の列と点呼を頼んであります。奥様が前へ出るときは、残る兵をまとめる役です」
自分と同じことが、すぐにできるとは言わなかった。
何を任せ、何はクラウディアへ聞くかまで、本人と話してくれていた。
「奥様にも、無理をさせすぎんように」
「本人は、まだ出る前から元気だが」
「兵の方です」
そうだろうと思った。
◇
出立の朝、荷車の傍らで、アイナが馬具を確かめていた。
川沿いの町から交代で戻った兵の何人かが、見送りに来ている。
彼女が鐙の革を引くと、横から男がのぞき込んだ。
「やっとか。馬の世話だけで終わるかと思ったぞ」
「ちゃんと、ほかの仕事もしていました」
「知ってるよ。お前が手入れした馬、機嫌がいいからな」
アイナの口元が、少し緩む。
「奥様ばっかり見て、足元を見落とすなよ」
「見落としません!」
笑いが起きた。
年上の兵が、彼女の荷へ手を伸ばす。
「ここの紐、もう一度だ。揺れると緩む」
締め直し、余った端を挟んだ。
アイナが、手元を見ながらうなずく。
「ありがとうございます」
「頑張れよ、アイナ」
別の兵が、肩を軽くたたいた。
「無茶すんな。帰ったら、向こうの話を聞かせろよ」
「はい。あの、皆さんも――」
「あと、くっころすんなよ!」
彼女の顔が、一気に赤くなった。
「しません! というか、いつまで言うつもりですか!」
「帰ってきたら、もう一回くらいは」
「今ので最後にしてください!」
俺は少し離れたところで、そのやり取りを見ていた。
紐を締めた兵が、最後に留め具を引く。
からかった兵が、アイナの馬の前を空ける。
彼らは、俺の許可を待って仲間になったわけではなかった。
一緒に馬を世話し、食べて、働いている間に、こうなっていたのだ。
アイナが鞍へ上がった。
俺に気づき、慌てて背を正す。
「準備、できております!」
「ああ。よろしく頼む」
それだけ言った。
あの輪の中へ、領主の説明を足す必要はなかった。
◇
最後に、人数と荷を確かめた。
クラウディアが馬上から振り返る。
「皆様のお役に立てるとよろしいですわね」
「まずは、揃って着くことだ」
「はい」
返事は、たいへん上品だった。
ブルーノが、残る兵と並んでいる。
キャスパーたちも、門の脇へ出てきていた。
「留守を頼む」
「お任せください。こちらも、仕事を進めておきます」
その返事を聞き、手綱を握り直した。
俺がいない間にも、人を迎える相談が進む。
森の木を確かめる者がいる。
橋を見て、必要なら兵を動かす者がいる。
ようやく、外へ向かえる。
列が動き出した。
車輪が門の敷居を越える。
「行ってきます!」
アイナの声がした。
「おう! 帰ってこいよ!」
後ろから声が返った。
俺たちは北へ向かった。
あの道を、もう一度荷車が通れるようにする。
今度は、そのために兵を進める。




