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第30話 妻を任せられる人を探しています

 俺が口を開くと、親方が手を止めた。


 ルッツも、止めた。


 キャスパーは、まだ何も言っていない俺を見た。


「……今日は、見ているだけだ」

「そうしていただけると」


 親方は短く答え、荷車の下へ戻った。


 信用というものは、積み上げるには時間がかかる。

 仕事中の職人へ話しかけた実績は、一度で覚えてもらえた。


 ルッツが働き始めて、六日になる。

 仕事場の入口には、修理を終えた荷車が置かれていた。片方の車輪だけ、木の色が明るい。


 その横で、ベルタが車輪をのぞき込んでいた。


「領主様。ちょうどよかった」

「不具合か」

「逆です。これが戻るので、借りてた車を返せます」


 荷車の持ち主は彼女だった。

 手伝いの男が、荷台へ空の袋を乗せている。


「予定より、早かったのか」

「二日。こっちは助かるんですが」


 彼女は、奥の親方を見る。


「急がせて、どこか省いたんじゃないでしょうね」

「省けるなら、とっくに省いとる」


 荷車の下から返事が来た。


 ルッツが笑いかけ、親方に木片を渡した。


「こちらを組んでいる間に、親方がほかを見られましたから」

「一人だと、順番にしかできんのでな」


 親方が這い出して、腰を伸ばす。


「ただし、何でも倍になると思うなよ。金具を待つ仕事は、二人いても待つ」

「そこまで言っていない」

「言いそうな顔でしたので」


 どんな顔だ。


 キャスパーが紙に何か書いた。


     ◇


 作業の切れ目を待ってから、ルッツに声をかけた。


「暮らす方は、どうだ」

「部屋は借りられました。朝、ここへ来るのにも近いので」

「困ったことは」

「刃物を研ぐ場所を聞いたら、家主に台所へ連れていかれました」


 俺は少し考えた。


「包丁も、頼まれたか」

「二本ほど」


 親方が、鼻で笑った。


「顔を覚えてもらえたな」

「ええ。今朝は、隣の方からも」


「頼まれたからと、何でも引き受けなくていい。仕事にするなら、代金も含めて話してくれ」

「はい。こちらの仕事が終わってから、できる分だけと」


 答えを聞き、親方へ目を向けた。


「仕事の方は」

「手は動く。分からんところは聞く。今のところは、な」


 親方は、作業台に置いた細長い板を指した。


「それより、村から来た材だ」


 森の近くで、乾かしていた木。

 以前、俺たちが話を聞いた作り手と、町の職人の間で、寸法や使い道を確かめていたものだった。


「使えたか」

「全部じゃない。こっちは小物に使う。車輪の方は、別の材が要る」


 違う板を示す。

 俺には、木目の違いまでしか分からない。


「それは、向こうへ伝えてある?」

「ああ。次はこれより長く取ってくれ、と。何に使うかも、話した」


 ルッツが、壁際の板へ目を向けた。


「短い方も、何本か欲しいです。修理のときに、部品を仮に支えるものを作れます」

「では、俺が――」


 言いかけて、止まった。

 親方が、こちらを見ている。


「……二人で、必要な分を相談してくれ」

「そうします」


 早かった。


 俺はキャスパーと、仕事場の外へ出た。


「順調ですね」

「ああ。必要な話が、俺を通さずに進んでいる」

「お寂しいですか」

「まさか」


 言ってから、少しだけ振り返った。

 ルッツが材を持ち、親方へ何か説明している。


「……何を作るのかは、気になるが」

「完成してから、お尋ねになっては」


 正しい。

 今日のキャスパーは、特に正しい。


     ◇


 ベルタとは、仕事場を離れたところで少し話した。


 荷車が早く戻れば、借り賃が減る。

 ただ、それで空いた時間を全部、新しい依頼で埋めるつもりはないと言う。


「馬まで新しくなったわけじゃありませんからね」

「それはそうだ」

「休ませる日を戻せるのが、一番です」


 彼女は手綱を持つ男へ声をかけ、先に荷車を進めてもらった。


「前に、支払う日を決めてくれと言っていた取引先は?」

「二軒は決まりました。一軒は、まだ。そっちの次の依頼は、返事をもらってからにしています」

「最初に聞いていた分の入金は」

「入りました。馬の餌代と、修理代を払えます」


 よかった。

 売上が増えているのに、手元の金が足りない。

 その話を聞いた日の、彼女の硬い顔を覚えている。


「それと、帰りの荷も一度、積めました」


 町へ運んだ木材の話だった。

 元から戻る予定の日に、荷台の空いた分だけ載せたという。


「儲かったか」

「運賃はもらいました。でも、積むのに思ったより時間がかかったので」

「次は、どうする」

「出発までに道端へそろえておけるか、向こうに聞きます。できないなら、待つ分も含めた話にしないと」


 俺はうなずいた。


 自分で仕事を見て、次の条件を考えている。

 最初の計画に書いた数字より、今の返事の方が頼もしかった。


「ちなみに、領主様」

「何だ」

「今のは、四半期ごとの報告に入りませんよね」

「まだ先だな」

「でしたら、今日は立ち話ということで」


 彼女は笑い、荷車の方へ歩き出した。


「その顔で聞かれると、帳面を持ってこなかったのが悪い気がするんですよ」


 俺は頬へ手を当てた。


 普通に、うれしかっただけなのだが。


     ◇


 館へ戻ると、オットーが新しい応募者との面談日を調整していた。


 荷の扱いに慣れた者からの問い合わせだ。

 経験を聞きたいという商人が見つかり、今度はその店で会うことになった。


「私も、行こうか」


 言うと、オットーが予定を書いた紙を見た。


「領主様は、その時間、マルセル様とお約束が」

「そうだったな」

「条件の確認は、私が伺います。判断に困れば、持ち帰りますので」


 俺は、口を閉じてうなずいた。


 奥の机では、マルセルが支払いの紙を分けていた。


「修理の荷車が、一台戻ったそうだ」

「はい。ベルタから、修理代の支払いもできると」

「話が早いな」

「こちらにも関係する支払いですので」


 彼は紙をそろえ、別の束をこちらへ寄せた。


「こちらは、橋へ届ける縄と、補修に使う釘の分でございます」


 町で荷車が動けば、橋へ運ぶ物も届く。

 ただし、荷車が直ったからといって、縄や釘が無料になるわけではない。


 紙に目を通していると、廊下から鎧の音が聞こえた。


 その直後、入口の兵が姿勢を正した。

 背筋というより、全身が伸びた。


「奥様がお戻りです!」


 報告の声が、やけに大きかった。


     ◇


「ただいま戻りました、あなた」


 クラウディアは、にこやかに入ってきた。


 館の外で兵の稽古を見ていたはずだ。

 頬が少し赤い。機嫌がよい。


 後ろには、盾を抱えた兵が二人いた。

 片方は、盾を持つ腕をもう片方の手で支えている。


「お疲れさま。稽古はどうだった」

「皆、よく頑張ってくれましたわ」


 兵がうなずいた。

 二人とも、ものすごく深くうなずいた。


「怪我は」

「ありません!」


 答えがそろった。


 よいことだ。

 よいことなのだが、その返事だけでは安心しにくい。


「手当てが必要なら、先に受けてくれ」

「必要はありません。ただ、少々、腕が」

「受けてきなさい」


 兵たちは頭を下げた。


「では、午後は左右を替えてみましょうね」


 クラウディアが言った。


 二人の足が止まった。


「奥様」


 年上の方が、慎重に口を開く。


「午後は、装備の手入れと、休息をいただいております」

「あら。そうでしたわね」


 彼女は少し考え、うなずいた。


「では、次の稽古で。今日はきちんと休んでくださいな」

「ありがとうございます!」


 今度の返事もそろった。

 廊下へ出た二人が、互いの肩をたたき合ったのが見えた。


 勝ったのか。

 何に。


 俺は妻へ椅子を勧めた。


「兵の予定を覚えていて、君にも言える者が必要だな」

「ええ。そのお話をしようと思っておりました」


 クラウディアは、差し出された水を飲んだ。


「わたくしの副官の件です」


     ◇


 以前から、頼まれていたことだった。


 橋を守る者はいる。

 館や町を守り、道を見回る者もいる。

 その上に、クラウディアが動ける。


 だが、彼女が前へ出たとき、残る兵をまとめる役が薄い。


「デニスがいると、助かりますの。こちらが頼む前に、後ろを見てくれますから」

「ただ、橋からは簡単に動かせない」

「はい」


 キャスパーが、橋から届いた報告を出した。

 デニスが書記に書かせたものだ。


 交代の配置。届いた物資。修理に出す装備。

 負傷していた兵が、どの仕事まで戻れたか。


 軍事の報告を読んでいるはずなのに、担当者の名前に同じ男が何度も出てくる。


「デニスが見張りの交代を確かめる間、物資を受け取る者が判断を待っています。受け入れを見ている間は、稽古の開始が遅れることがあるようです」


 キャスパーが言った。


 怠けているわけではない。

 それぞれ必要な仕事で、同じ時間に来る。


 町の親方が、さっき言っていた。

 一人だと、順番にしかできない。


「君が代わりに出るわけにもいかないな」

「兵を率いた経験はございません。届く日を合わせることと、矢の飛ぶ中で人を動かすことは、別ですので」


 キャスパーの返事は明確だった。


「アイナは、いかがです?」


 マルセルが尋ねた。


「周りはよく見ていますわ。馬も扱えます。ただ、こちらの兵と一緒に動き始めたばかりですもの」


 クラウディアが答える。


「一人でできることと、人にさせられることは違います。今、兵を預けるのは早いですわ」


 俺はうなずいた。

 彼女にも、覚える時間が必要だ。


「副官に欲しいのは、君に次いで強い者か」

「強ければ、なおよろしいですけれど」


 妻は水の杯を置いた。


「わたくしが前を向いている間、後ろを任せられる方です」


 その返事で、話すべきことが見えた。


     ◇


「橋だけを見ていれば済むなら、まだよいのですが」


 クラウディアは、机に広げた領内の図へ指を置いた。

 森に近い村と、そこから町へ続く道だった。


「こちらは、魔物の出ることがありますでしょう」


 レオンの記憶にも、その言葉はあった。

 家畜を襲うもの。森で人が出合えば、引き返さなければならないもの。

 ただ、俺自身はまだ見ていない。


「今、何か出ているのか」

「襲われたという新しい知らせはありません。ですが、道を使う者が増えるなら、見回りを減らすわけにもいきませんわ」


 木材を売る。

 運ぶ荷が増える。

 働く人が来る。


 紙の上では、喜ばしい話だ。

 その人たちは、実際の道を歩いてくる。


 橋へ兵を寄せすぎれば、ほかが薄くなる。

 村へ出れば、橋は遠くなる。


「君を二人に分けるわけにはいかないからな」

「わたくしが二人いたら、あなたのおそばに一人残れますわね」


 妻は、少しうれしそうに言った。


 廊下で、何かが壁へ当たった。

 先ほどの兵が、盾を抱え直していた。


 聞こえていたらしい。


「まずは、副官を一人だ」


 俺は紙を引き寄せた。


 少人数でも、兵を率いた経験があること。

 命令を渡すだけでなく、動けているか確かめられること。

 補給と休息を見て、無理があれば上へ言えること。


「それから、必要なら君を止める」


 クラウディアが眉を上げた。


「わたくしを?」

「君が前へ出た方がよいときもあれば、待ってもらう必要があるときもあるだろう」


 少し、間があった。


「理由が通っていれば、聞きますわ」

「頼む」

「ですが、ただ危ないというだけでは困ります。戦場ですもの」


 正論だった。

 止めれば仕事をしたことになる、という役でもない。


「では、進めるために必要なことも言える者だな」

「ええ。任せて前へ出られるなら、わたくしはその方がうれしいです」


 にこりと笑った。


 後ろを任せたい。

 そういう話なのだが、最終的に前へ出たいというところは変わらない。


     ◇


 軍の募集については、民間の仕事とは分けて条件を出すことにした。

 領の兵を預ける。給金も、領が払う。


 マルセルが、さっそく紙を引き寄せた。


「また、金が出ていきますな」

「ああ。ただ、今の仕事を続けるためにも必要な人だ」

「承知しております。先に、払える額を確かめます」


 ため息のあとに、筆が動く。


 俺はキャスパーへ目を向けた。


「心当たりを探せるか」

「人を募る話をした商人に、護衛を雇っている方がおります。兵の仕事を離れた者がいないか、聞けます」

「まずは会いたい。経歴は、本人だけでなく、一緒に働いた者にも確かめよう」

「承知しました」


 クラウディアが、当然のように言った。


「腕の方は、わたくしが見ますわ」


 入口の兵が、こちらを見た。


 先ほどとは別の兵だったが、表情はよく似ていた。


「……君に勝つことを、採用の条件にはしないでくれ」

「もちろんですわ」


 妻は、少し不思議そうに首をかしげた。


「それでは、いつまでたっても決まりませんもの」


 否定する者はいなかった。


     ◇


 三日後、商人から返事が届いた。


 国内の別の領で兵を率いていた男が、今は荷の護衛に加わっている。

 次の荷を届けたあと、面会することはできるという。


 俺は紙を読み、キャスパーへ渡した。


「会える日を決めてくれ。クラウディアにも、空けてもらおう」

「はい。ただ、こちらに一つ」


 彼が、添えられた言付けを示した。


 男は、前の主から、臆病者と呼ばれて職を離れたらしい。


 俺は、もう一度、紙を見た。


「臆病者を、荷の護衛に雇っているのか」

「商人は、帰り着くところまで任せられる男だと」


 なるほど。

 同じ人物への評価が、ずいぶん違う。


 何を命じられ、何をしなかったのか。

 何を守り、何を失ったのか。


 そこを聞かずに、臆病という一言で片付けるつもりはなかった。


「では、その商人にも話を聞こう」


 キャスパーがうなずく。

 俺は面会の予定へ、妻の名を書き足した。


 ただ、話を聞くのが楽しみになった。


「領主様」

「何だ」

「先方が警戒なさらぬよう、最初は普通のお顔で」


 俺は、筆を置いた。


 だから。

 楽しみなだけなんだよ。

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