第27話 売れた分だけ、金がない
ベルタの仕事場には、荷があった。
荷車の横に、布をかけた包み。
壁際には、空の籠が重ねてある。
男が一人、縄を確かめながら、積む順を入れ替えていた。
前に来たときより、動いている。
俺が声をかけると、ベルタは荷車の向こうから顔を出した。
「悪いね。こっちから相談しておいて」
「構わん。忙しそうだな」
「仕事は増えたよ。待ってもらってるものもある」
そう言ってから、荷台を見た。
うれしい話のはずだ。
だが、その顔は、手放しで喜んでいるようには見えなかった。
「馬を休ませる日は、取れているか」
「取ってる。こいつが倒れたら、全部止まるからね」
厩の方へ顎を向ける。
「人の方も?」
「そっちは、少し後回しになってる」
ベルタは笑った。
俺は笑わなかった。
「そちらが倒れても、止まるだろう」
「……そうだね」
彼女は、手についた埃を払った。
「中へどうぞ。紙はそろえてある」
◇
借りた机へ、ベルタが記録を広げた。
運んだ件数。
運ぶ物。
受ける代金。
終えた仕事と、これからの仕事。
細かい帳面をすべて持って来いと頼んだわけではない。
だが、相談したいところが分かるように、用意してくれていた。
キャスパーが隣へ座る。
トマは、外の荷車が邪魔にならない場所を教えてもらっていた。
「件数は、前より増えているな」
「ああ。同じ道で、まとめて頼まれることが増えた。村でも、次はいつ来るか聞かれる」
「運ぶ順を決めた効果は」
「ある。前は、行ってから荷ができるのを待ったりしたからね。締め切りを伝えておけば、そこは少し減る」
ベルタは、指で記録をたどった。
「もちろん、間に合わないこともある。雨が降ったとか、作業が遅れたとか。でも、それを先に聞けるようにはなった」
予定が、ただの押しつけになっていない。
そこは、よかった。
「それで、相談は」
「金が足りなくなりそうなんだよ」
彼女は、別の紙を出した。
「仕事はある。代金も、前より多い。なのに、手元に残ってない」
俺は、二枚の紙を見た。
一方には、働いた記録。
もう一方には、払った金。
ベルタが、少し声を落とした。
「最初に見せてもらった計画じゃ、しばらく赤字だったろう。それは分かってたつもりなんだけどね。仕事が増えれば、その分は楽になると思ってた」
俺は、うなずいた。
「何が先に出て、いつ戻るか。今日は、そこも確かめよう」
◇
まず、終えた仕事を見せてもらった。
受けた代金が書いてある。
ただ、その横に、まだ印が付いていないものがあった。
「この印は?」
「受け取ったもの。付いてないのは、まだ」
「こちらは、運び終わっている?」
「ああ。先方が、ほかの頼んだ分も合わせて払うと言ってる」
「いつ」
「次の締めのあとだね」
俺は、別の行を指した。
「こちらも?」
「そっちは、町の商人。何度か頼まれてるから、まとめてでいいかって」
「支払う日まで、決めているか」
「次に顔を合わせたときに、と」
キャスパーが、わずかに顔を上げた。
俺は、紙へ目を戻した。
「次に会う日は、決まっている?」
「……決まってない」
ベルタは、口を結んだ。
「信用できない相手だと思ってるわけじゃないよ」
「そこは、分けて考えよう。払うつもりの相手でも、こちらと同じ日に払うつもりとは限らん」
俺は、運び終えた日の横へ目を移した。
仕事を終えた日。
請求した日。
受け取る日。
全部が同じなら、話は簡単だ。
だが、ここでは違っている。
「餌は、いつ払う?」
「買うとき」
「修理代は」
「終わったら。細かいものなら、その場でだね」
「手伝ってくれる人の分は」
「決めた日に払ってる」
返事は早かった。
ベルタは、そこで二枚の紙を見比べた。
「こっちは先に出る」
「ああ」
「こっちが戻るのは、あと」
「そうだ」
俺は、椅子へ座り直した。
受注が増えました。
売上も伸びています。
前世で、そう話してくれた法人があった。
工場を見れば忙しい。
従業員も増えた。
社長も、仕事を断るのが惜しいと言っていた。
その後、材料代を払う金の相談が来た。
材料は先に買う。
仕事をして、品を納める。
代金を受け取るのは、そのあと。
売れるほど、次の品を作るために出る金も増える。
売上の伸びだけ見て、よかったですねと帰ってはいけない。
あのとき、それを改めて教えられた。
「仕事が増えた分、餌や修理の支払いも増えているか」
「餌は増えた。縄も買い足した。荷車は、壊れる前に直してもらったよ」
「必要だった?」
「ああ。途中で止まったら、荷も届けられない」
「なら、その修理自体が悪かったとは思わん」
ベルタの肩が、少し下がった。
「無駄に使ったつもりはないんだ」
「そうだろう。だから、何に使ったかだけでなく、いつ使ったかも見たい」
俺は、紙を手前へ引いた。
「今ある金と、これから入る金を、同じところへ書いていないな?」
「分けてる」
「よし。では、まだ受け取っていない分を、入る日ごとに並べよう」
◇
ベルタが、机の上で紙を動かした。
今、持っている金。
先に払わなければならないもの。
受け取る日が決まっている代金。
日が決まっていない代金。
最後のところで、彼女の手が止まった。
「こいつを当てにしていたね」
「いつ入るか分からない金を?」
「ああ。運び終えたから、もうあるような気になってた」
ベルタは、額へ手を当てた。
よくある。
だから軽く扱ってよいわけではないが、珍しい失敗でもない。
「先方へ、支払う日を確認できるか」
「できる。今からでも」
「今回の約束を、一方的に変えるつもりで聞くんじゃないぞ。こちらが、日を決めずに受けた分もある」
「分かってるよ」
ベルタは、少し笑った。
「今さら、今日払えとは言わない」
「早めに一部を払ってもらえれば、助かるか」
「助かる」
「なら、事情を伝えて相談することはできる。ただ、必ず応じてもらえる前提では、支払いを組まないようにしたい」
彼女は、うなずいた。
キャスパーが、日付のない紙を見た。
「まとめて払う方は、代金の内訳を、もうお受け取りでしょうか」
「控えは渡してる」
「先方も、その金額で確認済みですか」
「そこまでは聞いてないね」
俺は、キャスパーを見た。
運んだ。
控えを渡した。
だから、払う準備も進んでいるはずだ。
その、はずの部分を確かめてくれる。
ベルタが、別の紙へ書き留めた。
「日と、金額だね」
「ああ。食い違いがあるなら、今のうちに知りたい」
◇
「次からは、どうする?」
俺が尋ねると、ベルタは少し考えた。
「全部、先に払ってもらえば楽だろうけど」
「それで、今の客は頼んでくれるか」
「分からないね。何度も頼んでくれてる相手に、急に言えば、何かあったのかとは思うだろう」
ベルタは、指を組んだ。
「初めて頼む人なら、先に条件を伝えられる」
「そうだな」
「全部でなくても、先に出る金の分くらいは、受け取っておくとか」
俺は、うなずいた。
「どの仕事でも、同じだけ先に金が出るか」
「違う。近くで、いつもの道なら、大した違いはない。遠くへ行くとか、普段と違う支度が要るときは出る」
「なら、その仕事の条件として考えられるな」
ベルタが、次の依頼を見た。
「特別に頼まれた分は、支度に金がかかる。先にそこを受け取れるなら、引き受けやすい」
「相手にも、何のためか説明できそうか」
「できるよ。荷を置いていけと言われて、こっちが全部先に払って走るよりはね」
俺は、笑った。
言い方は強い。
だが、本人が自分の仕事で説明できる形になっている。
「何度も頼む相手は?」
「まとめるとしても、日を決める。そのときに、払う側が困らない日も聞く」
「毎回、顔を合わせるまで待つよりは、こちらも予定を立てやすいな」
「ああ。取りに行くなら、その道も考えておける」
ベルタは、記録の端へ書いた。
初めての依頼。
いつもの依頼。
特別な支度が必要な依頼。
同じ運搬でも、条件は違う。
全部を同じにしないと面倒だ、と思えば、どれかの仕事で無理が出る。
ただ、分けすぎれば、説明するだけで疲れる。
「まずは、自分で覚えて伝えられるくらいにしておこう」
「そうだね。荷を運ぶ前に、言い争いを運びたくはない」
ベルタは書き直し、紙をこちらへ向けた。
俺は、それを読む。
「この、受け取りの日は、もう決めた?」
「いや。次に話すときに」
「なら、相談する案だと分かるようにしておいてくれ」
「はいはい」
返事をしてから、彼女はキャスパーを見た。
「この人、いつもこうかい?」
「楽しそうなときほど、よくお尋ねになります」
俺は、顔を上げた。
キャスパーは、真面目な顔だった。
ベルタが、納得したようにうなずく。
「笑ってるから、終わったのかと思うと、まだ続くんだね」
話が進んでいる。
自分の仕事について、自分で案を出してくれている。
楽しそうに見えるのは、間違っていない。
ただ、その二人のうなずき方は、少し違う気がした。
◇
「あと、もう一つ聞かせてくれ」
ベルタが、天井を見た。
「ほら、まだある」
「今度は、代金の決め方だ」
運搬の依頼には、別々の行き先があった。
同じ道でまとめて運べるものと、荷一つのために道を外れるもの。
「こちらの仕事は、ほかの荷と合わせられるか」
「難しい。受け取る日を指定されてる」
「待つ時間は」
「あるね。支度ができるまで、待たされる」
「その分は、代金に入っている?」
「……最初に言った額のままだ」
ベルタは、記録を見た。
「何度も頼まれるから、断りにくくて」
「頼まれること自体は、ありがたい。だが、その間に別の仕事を受けられないなら、見ておきたいな」
「次から、待つときの話も先にしないとね」
彼女は、すぐに続けた。
「今、約束してる分は、このまま運ぶよ」
「ああ。これから受ける分で、考えよう」
件数が増えた。
その一言だけでは、どの仕事が増えたかは分からない。
待つ時間の長い仕事も、いつもの道で一緒に運べる仕事も、一件になる。
受け取る金の時期を直しても、仕事をするたびに足りなくなる値付けなら、また苦しくなる。
「今、決めた支払いの条件と、次の依頼の代金。その両方を確かめたい」
「金を受け取る日だけの問題ではないかもしれない、と」
「そうだ。ただ、今日の話だけで、全部の代金が安いと決めたくもない」
ベルタは、紙をそろえた。
「次に引き受けるときは、もう少し聞くよ。待つのか、ほかの荷と合わせていいのか。頼まれるまま、はいはいとは言わない」
「それがよい」
俺がうなずくと、彼女は小さく笑った。
「質問が多い方が、後で困らないわけだね」
キャスパーが、こちらを見た。
俺は、見なかった。
◇
「それで、領から、もう少し出してもらうことはできるかい」
ベルタは、まっすぐ尋ねた。
俺も、彼女を見た。
「今日、すぐに追加の約束はできない」
「そうだろうね」
「ただ、追加が必要かどうかも含めて、確認はしたい。まず、まだ入っていない代金の日を聞いてくれ。そこが分かれば、足りなくなる期間と額を、もう少し正確に見られる」
今ある金。
先に払うもの。
受け取りを当てにしすぎなければ、現時点で、決まった支払いはできる。
だが、次の仕事の支度まで考えると、余裕は薄い。
急に馬の具合が悪くなることもある。
荷車が傷むこともある。
そのたびに、誰かへの支払いを遅らせるような仕事にはしたくない。
「引き受ける仕事を、少し待ってもらうことはできるか」
「まだ約束してないものなら。相手に、いつなら運べるか伝える」
「今は、約束済みの仕事と支払いを守ることを優先しよう。全部受けてから、誰かに待ってもらうよりよい」
「分かった」
ベルタは、少し息を吐いた。
「せっかく増えてきたんだけどね」
「増えたことは、よい変化だ。その仕事を続けられる形にするために、相談している」
「……ああ」
彼女は、机の上へ両手を置いた。
「金が足りないと言えば、使い方を叱られるかと思ったよ」
「何に使ったかは聞く。だが、先に連絡をくれたことを叱って、次から黙られたら困る」
「じゃあ、また困ったら言う」
「困りそうなときに頼む」
ベルタが笑った。
俺も、少し笑った。
いいことだけ話して契約を取った部下と、一緒に謝りに行ったことがある。
今回は、始める前に赤字の見込みも話した。
それでも、始めてから分かることはある。
説明をしたから、あとは本人の責任だ。
そんなふうに、席を立つつもりはなかった。
◇
話を終えて外へ出ると、荷車には荷が積まれていた。
ベルタが、積み方を確かめる。
手伝いの男へ一言伝え、縄の位置を直した。
俺は、その手際を見てから尋ねた。
「今日は、帰りにも荷があるのか」
「こっちの道はある。だが、森の方へ行く日は、空で戻ることが多いね」
「村まで届けて、そのまま?」
「ああ。持って帰るものがあれば、先に聞くけど」
俺は、キャスパーを見た。
彼も、こちらを見ていた。
森林。
運ぶ道。
木材を必要とする仕事。
昨日、机の上で見ていた線が、目の前の荷車まで伸びてくる。
「その道では、木を扱っているか」
「扱ってるよ。村の外に、切った木を置いてある」
「運ぶ依頼は、来ない?」
「たまにね。ただ、こっちの荷車で何でも運べるわけじゃない。長いものを積めば、道の曲がりで困る」
ベルタは、荷台の端を叩いた。
「重さもある。空で帰るから、ただで持ってこられるわけでもないよ」
「分かっている」
分かっている、と言ってから、俺はもう一度荷車を見た。
空いている荷台。
そこに、木を積む。
頭の中では、簡単だ。
だが、実際には積む者が要る。縄も要る。
重くなれば、馬への負担も変わる。
「積むのに時間がかかれば、その日のうちに戻れないこともあるか」
「ある。向こうが支度してくれていれば、まだいいけどね」
ベルタは、俺の顔を見た。
「何か、思いついた?」
「まず、村で話を聞きたい。何を作って、どこへ売っているのか。置いてある木が、売るためのものかも知らん」
キャスパーが、静かにうなずいた。
「修理をする方が求める寸法も、確かめております」
「なら、それを持っていこう。ただ、決まった注文のように伝えないでくれ」
ベルタが、声を上げて笑った。
「今度は、この人にも質問かい」
「いや。確認だ」
「違うのかね」
俺は、返事を少し考えた。
キャスパーが、先に答えた。
「まだ、指示が増えていない分、違うかと」
ベルタが、もう一度笑った。
俺は、荷車を見た。
仲よく仕事をしている。
それは、よいことだ。
ただ、どうも俺が話の種になっている。
◇
帰り道、キャスパーが言った。
「追加の金をお出しになるとは、おっしゃいませんでしたね」
「必要かどうかを、確かめてからだ」
「はい」
彼は、少し間を置いた。
「仕事が増えているなら、先に支えた方がよい場合もあるかと」
「あるだろう。だが、いつ代金が入るかも分からないまま足せば、次も同じ話になるかもしれない」
俺は、道の先を見た。
「待つ間の金が足りないのか。仕事をするたびに足りないのか。そこを一緒にしないで見たい」
「支払いの条件も、代金の決め方も」
「ああ。ベルタ自身が考え始めた。あとは、相手に相談したらどうなったかを聞きたい」
キャスパーは、うなずいた。
遠くに、木々が見えた。
あの先にも、働いている者がいる。
物があっても、売れない事情があるかもしれない。
荷車が、空で帰る。
その道に、売れずに残っている物がある。
もしそうなら、つなげる余地はある。
だが、その二つを知っただけで、うまい事業を思いついた気になるのは早い。
ベルタが困っていたのも、仕事がなかったからではない。
仕事が増えた、その先だった。
「村へ行く日を、合わせよう」
俺が言うと、キャスパーが答えた。
「まず、先方の都合を伺います」
俺は、うなずいた。
紙の上では、線一本だった。
その線を引く前に、両端で働く人の話を聞きたい。




