第26話 絵がうまくなるチートがほしかった
館へ戻ると、マルセルが俺の顔を見て、それからキャスパーの顔を見た。
「お帰りなさいませ」
「ああ。留守の間、変わりは」
「急ぎのものは、こちらに」
差し出された紙を受け取る。
支払い。
返事待ち。
町からの問い合わせ。
オットーが付けた日付と、マルセルが書いた短い説明が並んでいた。
俺が出る前より、読む順が分かりやすい。
「助かる。橋で聞いてきた話もあるが、まず、こちらを確かめよう」
「橋で」
マルセルが、その言葉だけ拾った。
俺は顔を上げた。
「見積もりを頼む話だ。建てると決めてきたわけではない」
「そうですか」
返事に、わずかな安堵が混じった。
キャスパーが、持っていた紙を机へ置く。
「休息の場所と、荷の置き場についてです。今の場所を使い直して足りるかも含め、確認をお願いしております」
「それなら、費用を見てからですね」
「ああ」
マルセルは、紙の端へ書き留めた。
俺が外へ出ると、何かを持って帰ってくる。
物資か、人か、支払いの相談か。
今のところ、最後のものが多い。
疑われるだけの実績は、積んでしまっていた。
◇
翌日の午後、急ぎの返事を片付けてから、キャスパーを部屋へ呼んだ。
地図を机に広げる。
書きためた紙を、その隣へ並べた。
先に荷車の絵の下へ、荷車、と書いた。
これで、最低限の誤解は防げる。
「これが、昨日話したものだ」
「失礼します」
キャスパーは椅子へ座り、まず地図を見た。
森。
石を取る場所。
畑と村。
川と道。
その上には、俺が聞いたことを書いた紙が置いてある。
『運ぶ道の状態を確認』
『量は不明』
『使っている者に聞く』
『修理できる者はいるか』
まだ、埋まっていないところの方が多い。
キャスパーは一枚ずつ目を通したあと、少し顔を上げた。
「資源を増やす、と伺っておりましたが」
「ああ」
「取れる量だけでなく、保管や運搬までお考えなのですね」
俺は森の辺りを指した。
「木があると聞いても、欲しいときに使える木材が届くとは限らん。切る者も、加工する者も要る。切ったあとに、どう置いているのかも知らない」
「はい」
「石も、ここにあるからといって、橋まで安く運べるとは限らない。領内の資源だというだけで、使う者まで俺の思いどおりに動くわけでもない」
キャスパーは、紙の端へ指を置いた。
『誰の持ち物か』
『誰が仕事をしているか』
『代金は誰が払うか』
何度か書き足した部分だ。
「領が買い上げることも、ございますか」
「必要なものは買う。ただ、俺が買い続けなければ成り立たない仕事ばかり増やしても、国庫が先に尽きる」
「ほかの買い手にも売れるようにしたい、と」
「そうだ。橋で使う木材を作れるなら、町の修理にも使えるかもしれない。だが、そう考えているだけで、売れると決まったわけではない」
キャスパーが、地図へ目を戻した。
木を増やす。
石を増やす。
鉄を増やす。
能力の項目だけを見れば、そういう話になる。
だが、そのために働く人たちは、項目の中に住んでいるわけではない。
畑もある。
家族もいる。
今引き受けている仕事もある。
国力を増やしたいから、明日からこちらをやってくれ。
そんな話だけで動くはずがなかった。
◇
「こちらは、何でしょう」
キャスパーが、別の紙を引き寄せた。
円がいくつか。
線が何本か。
その先に、四角いもの。
俺は、紙を見た。
「水車の回転を、別の作業に使えないかと思ってな」
「粉を挽く以外に?」
「例えば、重いものを持ち上げるとか。繰り返し同じ動きをする仕事に使うとか」
キャスパーの指が止まった。
紙には、回る円と、その動きを受ける部分が描いてある。
前世で見た機械の記憶を、何とか形にしたものだ。
何とか、である。
何の木を使うのか。
軸をどう支えるのか。
どれだけの重さに耐えるのか。
そこまでは、分からない。
そして俺が作り出したものはいざというとき最優先で『消される。』
「ここが回るのですか」
「そのつもりだ」
「こちらは」
「上下に動かしたい」
キャスパーは、少し黙った。
「……回る力を、違う動きに使う」
小さく言って、紙を見直す。
「人が持ち上げているものを、これで」
「できれば、だ。作れると決めて話してはいない」
彼は、俺を見た。
「領主様ご自身で、仕組みをお考えに?」
「知っているものを思い出して描いた。だが、これを見せられて、すぐ作れる職人はいないと思う。必要な部分が抜けている」
前世では、機械を使う企業の話を聞いた。
工場も見せてもらった。
設備の導入費。
作業時間。
維持費。
生産量。
そこは聞いた。
だが、分解して一から作れと言われても困る。
融資した設備を、自分で組み立てて帰る銀行員はいない。
「今ある水車の仕事を止めてまで試す気もない。まず、扱っている人に聞きたい。これを見て、無理だと言われるかもしれん」
「それでも、伺う価値はあるかと」
キャスパーの目が、もう一度紙へ落ちた。
「力の使い道を、今の仕事から広げる。その考え方だけでも」
声が、最初より静かになっていた。
「道具ができれば、重いものを持つ者の負担を減らせる。できなくても、何が難しいか分かる。それで、別の方法を考えられるかもしれん」
「はい」
キャスパーは、紙の余白を見た。
「職人に伺うなら、何を持ち上げたいのか、どのくらい重いのかを、先に確かめる必要がありますね」
「そうだな」
「それによって、必要な仕組みも変わるでしょう」
俺は、うなずいた。
図を見て、称賛するだけではない。
使うところまで、話を戻してくれる。
それが、うれしかった。
「君なら、誰に聞く?」
「今の水車を整備する方です。回転を受ける部分の傷み方も、ご存じでしょう。木の細工については、大工にも」
「いきなり、これを作ってくれと持っていかない方がよいな」
「ええ。まず、今の仕組みを教えていただきたいと思います」
キャスパーは、そこで別の図へ目を移した。
「こちらも、力を使う道具でしょうか」
俺は、紙を押さえた。
「それは荷車だ」
沈黙があった。
キャスパーの視線が、下の文字へ動く。
「……失礼いたしました」
「いや。謝る必要はない」
親切で、文字まで付けた。
だが、あまりにも絵と文字が一致していなければ、文字の方を疑うらしい。
「こちらの線が、何かを動かす仕組みかと」
「馬の脚だ」
「なるほど」
キャスパーは、深くうなずいた。
その納得が、少しつらかった。
◇
机の上の紙を見比べていると、マルセルとオットーが来た。
確認しておきたいことがあったので、仕事の区切りで寄ってほしいと伝えていた。
マルセルは、並べた紙を見た。
地図を見た。
それから、俺を見た。
「これから始めるものですか」
「全部ではない」
否定が早くなってしまった。
キャスパーが、静かに補った。
「調べるところからです。今日、工事や購入を決めるお話ではございません」
「そうですか」
マルセルは椅子へ座った。
何度も安心させているのに、最初の顔が毎回戻る。
オットーは、紙の一枚を読んだ。
「古い鉱山も、見に行かれるので?」
「まだ決めていない。今どうなっているのか、知る者に話を聞きたい」
「昔、荷を運んでいた者なら、町にいるかもしれません」
「それは聞いてみたいな。閉じた理由も分かるかもしれん」
キャスパーが、鉱山の印を見る。
「理由が分からないまま、人を募って再開すると伝えることはできませんね」
「ああ。鉱石が残っているかも知らない。水が出ているかもしれないし、道が使えないかもしれん」
「取れても、扱う者が要ります」
マルセルが言った。
「道具も、買わねばなりません」
「その前に、聞くところからだ」
俺は、鉱山の紙を少し離した。
鉄が増えれば、できることは増える。
戦いの補助にも使える。
だからといって、鉄が欲しいというこちらの事情だけで、掘り始めるわけにはいかない。
キャスパーが、森の紙を手前へ寄せた。
「最初に確かめるなら、こちらがよいのでは」
「理由は」
「橋でも町でも、木材を必要とする仕事が、すでにございます。どんな木材を求めているか、買う側に聞けます」
「使い道があるところから」
「はい。売れる品を作る話をする前に、今、何をどこから買っているかも確かめたいと思います」
俺は、マルセルを見た。
「館で買った分は、分かるか」
「記録をそろえれば。ただ、修理代に材料費が含まれているものもございます」
「なら、単に購入の欄だけ拾っても足りんな」
オットーが言った。
「修理を頼んだ方にも、伺った方がよさそうですね」
「ああ」
キャスパーが、紙へ書き込む。
誰に聞くか。
何を聞くか。
地図の上に『木材』とだけ書いていたものが、ようやく、人の仕事につながり始めた。
「領内で売っている者は、すでにいるはずです」
マルセルが続けた。
「その者たちの品が届きにくいのか、足りないのか。新しい者を呼ぶ前に、確かめた方がよいかと」
「そうだな」
俺は、素直にうなずいた。
人手不足という言葉が便利すぎる。
今いる者が仕事をできない理由を、人数の不足でまとめてしまえば、こちらが見落としたものは残り続ける。
まず、何が止まっているのか。
どこを動かせば、仕事が増やせるのか。
それを知ってから、必要な人を考えたい。
◇
「しかし、これだけございますと」
オットーが、机を見渡した。
「どこまでを記録しておけば、よろしいでしょう」
俺は、紙の山を見た。
森を見る。
石を聞く。
水車を見る。
川の道を聞く。
増やそうと思っているのは資源だが、その前に確認の仕事が増えている。
全部の紙を一度に回せば、オットーの机が埋まる。
「今、動かすものだけでよい。ほかは俺の考えの控えにしておく」
「承知しました」
「ただ、何を調べているかは分かるようにしておこう。別の者が同じ話を聞きに行くのも、相手に悪い」
キャスパーが、うなずいた。
「聞いた日と、相手のお名前も」
「ああ。以前の話か、今の話かを確かめられるように」
村に、木がたくさんある。
それを十年前の記憶で話している者も、昨日見た者も、同じ言葉を使う。
悪意がなくても、紙の上では一緒になる。
それを分けるのは、書類を増やすためではない。
どこまで分かっているかを、自分たちが間違えないためだ。
前世でも、評価の高い法人に話を聞き、実際の現場を見て、同じ会社の話かと首をかしげたことがあった。
見事な計画。
整った数字。
その裏で、無理なやり方が続いている。
紙が立派なほど、見に行かなくてよい理由にはならなかった。
「計画に書いたとおりになると思うなよ」
言うと、キャスパーが俺を見た。
「領主様がお書きになったものでも?」
「俺が書いたからこそ、まだ見ていないところを聞いてほしい。地図と、人から聞いた話で考えた部分がある」
キャスパーの口元が、少し緩んだ。
「承知しました」
俺は、紙を指した。
「分からない、と書いたところを、勝手にできるへ変えないでくれ。人を呼ぶなら、なおさらだ」
「仕事があると伝えてから、調べ始めることになっては困りますね」
「そうだ」
マルセルが、珍しく強くうなずいた。
呼んだ人の旅費。
住まい。
仕事を始める道具。
その顔には、もう幾つかの支払いが浮かんでいるようだった。
◇
マルセルとオットーが戻ったあと、キャスパーは、もう一度、水車の図を見た。
「こちらも、今は控えに?」
「まず、今の修理と仕事が優先だ。使う場面があるか、話を聞くところまでは考えたい」
キャスパーはうなずいたが、紙から手を離さなかった。
「領主様」
「何だ」
「いつから、これほどのお考えを」
俺は、少し間を置いた。
昔から、とは言えない。
今の身体が、村や工房を見て回っていたわけではない。
「領地の帳簿や地図を見て、聞いたことを書いているうちに、増えた。思いつきも混じっている」
「思いつきで、ここまでつながりますか」
キャスパーは、森から道、水車から工房へ引いた線を見た。
「物が足りないという話から、作るところ、届けるところ、それを扱う人まで」
「どこかだけ増えても、途中で止まれば困る。似た話を、聞いてきたからな」
言ってから、杯を持った。
年数に触れる前に、口をふさぐ。
キャスパーは、しばらく考えていた。
「一つの仕事が、ほかの仕事を動かす。それを、これだけ先まで」
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「恐ろしいお考えです」
俺は、杯を置いた。
「恐ろしい?」
「実現できたとき、今と同じ領地ではなくなるでしょう」
真面目な顔だった。
俺は、地図を見た。
木材が届く。
道具が直る。
荷が運べる。
兵が休める。
働いた分が代金になり、次の仕事に使える。
そうなれば、変わるだろう。
だが、机の上の線が、そのまま道になるわけではない。
「実現の仕方を、考えたいな」
「はい」
返事は、力が入っていた。
「職人の方に伺えば、私たちの考えも変わるでしょう。使える形になるまで、順に」
「俺も、そのつもりだ。君が線を引き直すこともあるだろう」
「差し支えございませんか」
「そのために見てもらった」
キャスパーは、ようやく紙から手を離した。
俺は、少し笑った。
「ただ、荷車の絵は、直してもらって構わん」
「そこは、絵の得意な方を探した方がよろしいかと」
即答だった。
資源も、人も足りない。
そこへ、新たに足りないものが加わった。
◇
キャスパーが部屋を出て、しばらくしてから、トマが来た。
町で聞いた大工の予定を、伝えに来てくれたらしい。
橋の見積もりについて話を聞いたあと、彼は机の上へ目を向けた。
「お見せになったのですか」
「ああ」
「キャスパー殿は、何と」
俺は、椅子の背へ少し体を預けた。
「色々、考えてくれた。実現できたら、領地が変わるとも言っていたな」
「そうですか」
トマは、うなずいた。
俺も、うなずいた。
前世の知識を、ただ懐かしんでいたわけではない。
今の仕事に使えそうな形を、一緒に考えられた。
そういう相手がいるだけで、紙の山を抱える気分も変わる。
「それで、廊下でお会いした際に」
「キャスパーに?」
「はい。領主様は、まだほかにもお考えなのだろうかと」
「まだ、あるにはある」
ただし、描けないものも多い。
トマは、少し考えてから言った。
「そのようにお答えしました」
「うん」
「すると、今のうちにマルセル殿へ、お茶を勧めておこうと」
俺は、机を見た。
工事を決めたわけではない。
何も買っていない。
今日も、それは何度か説明した。
「……予算を無視して始めるつもりはないんだが」
「はい。キャスパー殿も、そこはご存じかと」
では、何を分かってもらったのだろう。
俺が考えていることの多さか。
この先、見積もりが増えることか。
トマの視線が、荷車の絵に止まった。
「こちらは」
「荷車だ」
「まだ、何も聞いておりません」
俺は紙を裏返した。
◇
夕方、オットーが一通の連絡を持ってきた。
「ベルタさんからです。運搬の試行について、一度お話ししたいと」
「もう報告の時期か」
「定めた報告の日ではございません。お約束どおり、気になることがあれば早めに、と」
俺は、紙を受け取った。
運んだ件数は、増えている。
次の依頼もある。
それでも、代金の受け取りについて、相談したいと書いてあった。
よいことだけではない。
困ったことも、早く話してほしい。
こちらが伝えたとおりに、連絡をくれた。
「都合を合わせよう。こちらから行ける日も伝えてくれ」
「承知しました」
オットーが下がると、俺は、資源の計画の隣へ、その紙を置いた。
仕事を増やす。
人を呼ぶ。
物を作る。
どれも、続けられなければ意味がない。
売れているから、大丈夫だ。
そう決めるには、まだ聞いていないことがある。
俺は、ベルタの書いた短い文章を、もう一度読んだ。
まず、今動いている仕事を見よう。
その先の計画を進めるためにも。




