第24話 色目とは
帰した捕虜が、戻ってきた。
橋から届いた報告を、俺は二度読んだ。
女騎士、アイナ。
前の役目を解かれ、こちらで働くことを望んでいる。
デニスの聞き取りと、持参した書付の控えが添えてある。
クラウディアの手紙は、その上に重なっていた。
『一度、お話を聞いていただけますか』
その下には、少し大きな字で短く書き足してある。
『剣は、私より弱いです』
採用の参考になるようで、あまりならない。
妻より強い者を探す方が、難しいのではないだろうか。
俺は紙をそろえた。
「橋へ行く日程は、変えずに済むな」
修理する装備と、補給の運び方を確かめるため、近く再訪する予定だった。
その場で、アイナとも会えばよい。
今回は、キャスパーも同行する。
マルセルとオットーから館の仕事を教わり、現地の兵とも話をしたいと申し出ていた。
「彼女の件も、お聞きになったのですね」
キャスパーが、報告へ目を落とす。
「ああ。前の所属との関係は、確かめたい」
「書付については、デニス殿が聞き取りと照らしておられます。橋を行き来する商人にも、元の駐屯地で役目を外されたことを確認できたと」
それで、話の全部が裏づけられたわけではない。
少なくとも、まだ任務を持ったまま抜けてきた、という説明ではなかった。
俺はうなずいた。
「会って聞こう。雇うなら、こちらも何を任せるか決めなければならん」
◇
道中で一泊し、川沿いの町を経て橋へ向かった。
先に届けた補給の品は、無事に届いている。
町で修理する装備の受け渡しも、その往来に合わせられるか確かめてきた。
何でも一緒に運べば安くなる、とは限らない。
重さも、急ぎ具合も違う。
御者の話を聞きながら、キャスパーは要点を書き留めた。
橋へ着くと、その紙を持ってデニスへ挨拶する。
「キャスパーと申します。まず、普段の運搬と交代のことを伺えれば」
「デニスです。そちらの記録もお持ちなのですね」
「町で聞いた分です。現地のことは、こちらで確かめたいと思っております」
紹介が、仕事の話へ移っていく。
俺は少し待ってから、クラウディアにも紹介した。
「館で内政の仕事を見てもらっている。王都で会ったキャスパーだ」
「クラウディア・フェルデンです。お越しいただき、ありがとうございます」
妻は、きれいに微笑んだ。
キャスパーが丁寧に頭を下げる。
デニスは、その横で静かに立っていた。
トマは、馬をつなぎながらこちらを見ている。
まだ、全員が普通だった。
◇
面会は、小屋の一室で行った。
アイナが入ってくる。
腰に剣はなく、手首にはまだ布が巻かれていた。
若い。
俺の身体と、さほど年が違わないように見える。
だが、姿勢には、兵を率いてきた者の癖があった。
入ってすぐ、部屋の中を確かめる。
椅子の位置と、そこにいる人間を見てから、こちらへ頭を下げた。
「アイナと申します」
「レオン・フェルデンだ。話は聞いている。座ってくれ」
顔を上げた彼女が、俺を見る。
それから、隣のクラウディアへ目を移した。
「この方が、クラウディア様の……」
「貴様。色目を使ったな」
声が低かった。
アイナの背筋が、さらに伸びた。
「使っておりません!」
返事は、よく通った。
俺は妻を見た。
クラウディアは、アイナを見ている。
まだ、名乗っただけなんだが。
「クラウディア。私が領主か、確かめただけだろう」
「ずいぶん、じっと見ておりましたので」
「初めて会ったのだから、見るだろう」
アイナが、勢いよくうなずいた。
「そうです!」
「落ち着いて、座ってくれ」
彼女は、慎重に腰を下ろした。
キャスパーは紙を開いた。
デニスは、その横で筆を持つ。
トマは、茶を置いてから下がった。
口元を見せないよう、少しうつむいていた。
まずは、面会を始めよう。
◇
前の部隊を離れた経緯は、本人からもう一度聞いた。
捕虜として帰還したあと、敵と通じた疑いをかけられた。
役目を外され、最終的には仕え先から出された。
仲間三人は、元の所属へ戻れたという。
「三人の処遇を確かめてから、離れたのだな」
「はい。手当ても続けられると、本人たちに確認しました」
俺は、書付の控えと見比べた。
彼女だけの責任として、話を片付けたかったのか。
それとも、本当に疑いを強く持ったのか。
向こうの上官が何を考えたかまでは、分からない。
ただ、アイナの説明は、前の聞き取りと大きく変わっていなかった。
「意見を伝える機会は、なかったか」
「帰還の報告は、しました。ただ、橋で何が起きたかを話しても、敵が少なかったことへ戻りました」
「命令の前に、現地の事情を伝えることは」
「領主の命令は、絶対です。上官の命令にも、異を唱えることは許されません」
俺は、顔を上げた。
「命令どおりには動けない状況でもか」
「従うように、工夫を求められます」
「できない理由を伝えたら?」
「命令への不満と、受け取られることがあります」
アイナは、少し言葉を選んだ。
「少なくとも、私がいた領では」
川向こうの領。
こちらの国境と接し、兵を出してきた場所だ。
俺はその方角を、頭の中で確かめた。
「その上の者へ、話を持っていく方法は」
「領主の判断に異を唱えたと知られれば、今の役目を失いかねません。王都へ届ける話も、領主の側で選ばれます」
アイナの手が、膝の上で重なった。
「上の方へ、悪い報告を渡さない者もいます」
「悪いことが起きなかったのではなく、報告しない」
「はい。望まれている言葉を返す方が、近くへ置かれますので」
俺は、王城の面会室を思い出した。
紙をそろえただけで、読まなかった男。
話を聞いた形だけが、先にできていた。
こちらも、胸を張れる話ばかりではない。
国が違っても、耳へ届くものを都合よく選べば、見える景色は似てくるのだろう。
「反対の意見を言う者は、ほかにもいたか」
「いました。ですが、役目を変えられたり、辞めたり」
「失礼。一点、伺っても?」
キャスパーだった。
さっきまで、黙って記録を見ていた。
今は、アイナの顔を見ている。
「その方々は、兵の指揮に携わる方だけでしょうか」
「いや……いえ。物資を手配する者もいました」
「代替わりや、上官の交代で職を離れた方も?」
「います。私だけではありません」
「その方々は、今、どちらへ?」
俺は、隣の男を見た。
ああ。
こいつ、ろくでもないことを思いついたな。
静かな顔をしている。
声も、丁寧だ。
だが、王都で仕事を探していたときと、どこか似た目になっていた。
役目を失っても、仕事のできる者が消えるわけではない。
今、それを確かめようとしている。
もっとも、俺も大概だった。
この娘が受けた仕打ちを聞いていたはずなのに。
頭の片隅では、行き場のない事務方や、職人の姿まで探し始めている。
ヒトモノカネ、全部足りない。
だからといって、人の苦労話まで採用候補の一覧にするな。
俺は、軽く咳をした。
「その話は、あとで聞こう。今は、君自身の働き方を決めたい」
キャスパーが、すぐに頭を下げた。
「失礼しました」
「いや。聞いておきたい点ではある」
そこまで言うと、彼がこちらを見た。
たぶん、分かったのだろう。
同じことを考えていた。
アイナは、二人の顔を交互に見ていた。
まだ、何が通じたのかは分からないらしい。
分からないままでいい。
今、彼女へ誰かを連れてこいと言うつもりはなかった。
◇
「なぜ、こちらを選んだかも聞かせてくれ」
アイナは、クラウディアを見た。
「仲間を助けに戻ったことを、覚えていてくださったので」
「デニスから、聞いた。君は負傷した者を残せず、戻ったと」
「はい」
俺は、捕まったときの話を詳しく尋ねた。
どこで仲間が転んだのか。
そのとき、ほかの兵はどこにいたか。
呼べる者はいなかったか。
アイナは、部屋にあった紙の余白へ、指で位置を示した。
前へ退いた者。
橋の縁に寄った者。
負傷者の腕を引こうとしていた者。
「この兵には、声が届かなかった?」
「盾が重なっていました。こちらを見えていなかったと思います」
「その隣は」
「私が戻ったときには、先へ進んでいました」
よく覚えている。
自分がどう戦ったかより、誰がどこにいたかの説明が早かった。
それだけで、指揮に向くと決めることはできない。
危機の中で、周りを見ていたことは分かった。
俺は、紙から顔を上げた。
「仲間を助けたい気持ちは、理解できる。ただ、自分も戻れなくなれば、助けに来る者がさらに要る」
「クラウディア様にも、言われました」
妻がうなずく。
「助けるなら、助けて戻れるようにと」
「できるように、なりたいと思っています」
返事は、静かだった。
ここで、強いと言い張らない。
何でもできると言うわけでもない。
できなかったことを、覚えている。
「剣と乗馬の経験は」
「剣は、兵として務められる程度です。乗馬は、幼い頃から」
「馬の世話もできるか」
「はい。こちらへ来る前には、宿の厩を手伝いました」
何をしたかも聞く。
餌、水、馬を移す際の扱い。
クラウディアが、少し身を乗り出した。
「馬に乗れる者は、助かりますわ」
「今、隊を預ける話ではない」
「分かっております」
その返事が、少し早かった。
俺は、最後に聞いておきたいことへ移った。
「こちらで働けば、以前の仲間と向かい合う可能性がある。そうなったとき、どうする」
アイナは、すぐには答えなかった。
膝の上の手が、止まる。
隣の妻も、口を挟まなかった。
「……分かりません」
しばらくして、アイナが言った。
「誰が相手かによります。あの三人へ剣を向けろと言われたら、私は、すぐにはできないと思います」
俺はうなずいた。
できると即答された方が、聞き直しただろう。
「だから、仕事を任せる側も、それを知っておく必要がある」
「務まらないということですか」
「すべての仕事を、同じようには任せられないということだ」
俺は机の上の紙をそろえた。
「今は、傷もある。当面、国境で前の所属と戦わせるつもりはない。町の警備や護衛、訓練から始めてもらう。部隊の指揮も、初めからは任せない」
アイナがこちらを見る。
「それで、よければ」
◇
採用の条件を、順に伝えた。
一兵卒として、まず一か月。
所属は、川沿いの町の守備隊。
日々の指示は、その持ち場を預かる者から受ける。
傷が治るまでは、無理に剣を振らせない。
馬や装備の手入れなど、できる仕事もある。
乗馬の腕も、落ち着いて確かめる。
給与。
寝床と食事。
支給する物。
守るべき規律。
前の仲間への対応について迷うことがあれば、隠して持ち場へ入らず、先に相談してほしいと伝えた。
「こちらの命令に、従ってもらう必要はある。ただ、知らなければ判断できない事情は、伝えてくれ」
「はい」
「聞いたからといって、望みどおりに決めるとは限らん。それでも、報告したことだけを理由に叱るつもりはない」
アイナは、真剣な顔で聞いていた。
俺は続けた。
「君も、条件を聞いたうえで決めていい。今、すぐに返事をしなければならないわけではない」
「務めさせていただきたい」
返事は、今度は早かった。
「一兵卒からで、構いません」
俺は妻とデニスを見た。
勤務先と受け入れについては、面会の前に話してある。
既存の兵の食事や給与を削って、迎えるわけにはいかない。
マルセルとも、一人分の負担は確認してきた。
全員の了解を確かめてから、アイナへ向き直った。
「では、よろしく頼む。できることを見せてくれ」
彼女は立ち上がり、深く頭を下げた。
そのときだけ、肩の力が少し抜けたように見えた。
◇
面会を終えたあと、キャスパーがこちらへ来た。
「先ほどは、話を広げてしまいました」
「構わん。可能性はある」
声を落とす。
「ただ、役目を外された者が、全員こちらに必要な人材とは限らん」
「はい。経歴と、実際に務めた仕事を確かめる必要があります」
「渡ってくる本人の都合もな」
「承知しております」
俺は、川向こうを見た。
人を求めても、王国からは送られなかった。
王都では、仕事を探すキャスパーと会った。
今、以前は敵だった兵が、こちらで働くことになった。
人材を探す先は、思っていたより広いのかもしれない。
ただ、窓口を広げるほど、見るべきことも増える。
「まだ、採用の手紙をばらまくなよ」
「その前に、どなたがいるかを伺いたいと思っております」
返事が、用意されていた。
俺は、キャスパーの顔を見た。
彼は、真面目な顔をしている。
この男、もう紙の余白を空けているんじゃないだろうか。
◇
外では、アイナが支給品を受け取っていた。
厚手の上着。
帯。
食事に使う器。
武器と防具は、町の守備隊へ引き合わせてから改めて確かめる。
預かっていた私物の剣も、移動の際は同行する兵が管理することになった。
派手なものは、一つもない。
だが、アイナは器を両手で持って、しばらく見ていた。
渡した兵が言う。
「今度は、その都度返さなくていい」
「……そうか」
「辞めるときは返せよ」
「どっちだ!」
思わず出た声に、兵が笑った。
「働いてる間は、お前の分だ。そういうことだ」
「なら、初めからそう言ってくれ」
アイナは器を上着で包み、袋へ入れた。
クラウディアが近づく。
「しばらく、町で仕事を覚えろ。剣も馬も、治ってから見てやる」
「よろしくお願いいたします」
姿勢が、また固くなった。
妻は俺を見た。
「あなたが、こうして話を聞いてくださってよかったですわ」
腕へ、手を添えてくる。
「何度もお越しいただいて、申し訳ありません」
「補給の確認もあった。こちらへ来たから、分かったこともある」
クラウディアは、うれしそうにうなずいた。
アイナが、顔をそらした。
耳が赤い。
「はっ…破廉恥な…!」
妻が、それを見る。
「また赤くなっているぞ」
「今度は、見ておりません!」
「今度は?」
声が、少し低くなった。
アイナが固まる。
俺は、間へ言葉を入れた。
「クラウディア。採用した日に、辞めたくなるようなことを言うな」
デニスが、静かに空の包みを片付け始めた。
キャスパーは、もう一度紙へ目を落とした。
トマだけが、堪え切れずに肩を揺らしている。
人を一人、迎えた。
これから、何を任せられるか確かめていく。
その前に、妻の誤解を解く仕事が増えていた。
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