第23話 来るなって言っただろうが!
翌日、アイナは同じ部屋へ呼ばれた。
上官の前に、書面が置かれている。
「当面、お前に兵を預けることはできん」
アイナは、机の前に立ったまま答えた。
「疑いが、晴れるまででしょうか」
「一度捕らえられ、敵へ情報を渡した者を、そのまま戻すわけにはいかん」
何を調べれば晴れるのか。
いつまで待てばよいのか。
それを尋ねても、答えは出なかった。
「ほかの三人は、どうなりますか」
「元の所属へ戻す。傷のある者は、治療を続けさせる」
「捕らえられた責任を、彼らにも」
「兵は、お前に従った。それ以上の判断をしたわけではない」
アイナは、ゆっくり息を吐いた。
その理屈なら、三人は戻れる。
こちらが押しつけられるものはある。
だが、仲間まで巻き込まれずに済むなら、今はそこを確かめたかった。
「承知しました」
「ずいぶん簡単に、納得するのだな」
「三人の扱いについて、承知したと申し上げました」
上官の顔が、わずかに険しくなった。
アイナは、それ以上言葉を足さなかった。
数日間、彼女は待った。
新しい役目は与えられなかった。
兵の訓練にも、物資の手配にも入れられず、詰め所で座っている時間ばかりが増えた。
最終的に渡されたのは、役目を解く書付だった。
敗戦と捕虜となった経緯に対する処分。
新しい任命は、なし。
疑いについては、曖昧なままだった。
証拠があって裁かれたのではない。
かといって、晴れたとも言われない。
制服と支給された装備を返し、残っていた給与を受け取る。
私物の剣と、わずかな荷だけが手元に残った。
駐屯地を出る日まで、上官は彼女の報告を聞き直そうとはしなかった。
◇
アイナは、出発する前に三人へ会った。
脚を傷めた兵は、手当てのための部屋にいた。
腕を吊った兵も、その隣で休んでいる。
残る一人は、もう軽い仕事に戻っていた。
「隊長」
呼ばれて、アイナは足を止めた。
もう、その役目にはいない。
だが、いちいち訂正する気にもなれなかった。
「手当ては、続けてもらえているか」
「はい」
「急いで歩けと言われてはいないな」
「そこまでは。今は、座ってできることを」
男が、そばに置かれた紐を示した。
荷を束ねるために、長さをそろえている。
腕を傷めた男も、うなずく。
「私の方も、まだ休めと」
「そうか」
アイナは二人の顔を見た。
痩せた。
疲れてもいる。
だが、帰還した日より、表情は落ち着いていた。
「どうなさるのですか」
一人が尋ねた。
「仕事を探す」
「ほかの領へ?」
「まだ、決めていない」
その返事に、三人は黙った。
自分たちが助かった代わりに、彼女だけが追い出された。
そう思っているのが、分かった。
アイナは先に口を開いた。
「私がどう働くかは、私が決める。お前たちは、傷を治して戻れ」
荷の仕事へ戻った男が、懐へ手を入れた。
木彫りの鳥を、一度だけ確かめる。
「娘から、返事が来ました」
アイナは彼を見る。
「無事だと知らせたら、鳥も帰ってくるのかと」
男が、少し笑った。
「帰ってくると、書いてやりました」
アイナも、口元を緩めた。
「なら、ちゃんと連れて帰れ」
「はい」
それで、よかった。
出ていく者に、ついてこいと言いたくはなかった。
家族や暮らしまで捨てさせて、自分の先が見えない道へ連れ出すつもりはない。
別れ際、男が小さな包みを渡してきた。
パンだった。
「道中に」
「お前の分ではないのか」
「買ったものです。三人で」
アイナは、受け取る手を止めた。
断ろうとした。
だが、三人とも、こちらを見ている。
彼らにも、できることをして別れたい気持ちがあるのだろう。
「……ありがとう」
包みを袋へ入れる。
最後にもう一度、全員の顔を見た。
「無理はするな」
三人は、そろってうなずいた。
◇
駐屯地を離れてから、アイナは道沿いの町へ入った。
宿で仕官先について尋ねる。
別の領へ向かう商人の話も聞いた。
すぐに兵を預けたいという話は、なかった。
口添えを頼める相手もいない。
ただ、働ける場所が何もないわけではなかった。
宿の厩で人手が足りず、馬を扱えるなら手伝ってほしいと言われた。
アイナは上着を脱いだ。
餌を分け、水を替える。
落ち着かない馬を、声をかけながら別の場所へ移す。
手首を強く使う仕事は、まだ避けた。
それでも、できることはあった。
夕方、主人が寝床と食事を出した。
「しばらくいてくれても構わんよ」
悪い話ではなかった。
少なくとも、腹を満たし、雨をしのげる。
剣を振るわなくても、働いて暮らすことはできる。
アイナは、食事のあと、自分の袋を開いた。
役目を解く書付。
仲間から受け取ったパン。
使い古した布。
木彫りの鳥は、ない。
帰れば待っている家族もいない。
駐屯地の外で、どうしても留まらなければならない理由は、少なかった。
彼女は手首の布を巻き直した。
ふと、橋で聞いた声を思い出す。
――もう一度、部下を置いていけなくなるぞ。
あの女は、分かっていた。
退く命令を無視して戦果を欲しがったのではない。
逃げ遅れた仲間がいたから、戻った。
敵は、その理由を覚えていた。
味方の上官には、説明しても届かなかった。
それだけで、向こうのすべてがよいと分かるわけではない。
敵の陣地で見えたのは、ほんの一部だ。
それでも、確かめたいと思った。
兵に食べろと言い、休めと怒鳴り、負傷者を置いて追撃に走らなかった指揮官。
そのもとで、自分にもできる仕事があるだろうか。
礼を言い直すためではない。
次にどこで働くかを、自分で選ぶために。
翌朝、アイナは宿の主人へ頭を下げた。
「世話になった。行ってみたいところができた」
「決まったのか」
「いや。会ってから聞く」
主人は、それ以上尋ねなかった。
「馬を扱う仕事なら、あんたは十分務まる。覚えておくといい」
アイナは、もう一度礼を言った。
袋を肩へかけ、道へ出る。
今度は、誰かの命令で進む道ではなかった。
◇
橋が見えてきたところで、アイナは足を止めた。
ここまで来る間にも、見張りから事情を問われた。
元の部隊を離れたことと、向こうの指揮官に会いたいことを説明し、橋の手前まで来るのを認められている。
まだ、渡ってよいとは言われていない。
向こう側に、人影がある。
アイナは剣を鞘ごと外し、手から離して道の端へ置いた。
両手を見える位置へ上げる。
「話をしたい!」
声を張ると、向こうの兵がこちらを見た。
槍を持つ者が前へ出る。
その後ろで、別の者が小屋へ走った。
しばらくして、橋の途中まで二人の兵が来た。
アイナは、呼ばれた場所までゆっくり進む。
足元へ置いた剣は、先に向こうから来た兵が受け取った。
「お前……」
兵が、顔を見直した。
「この前の」
「アイナだ」
「また捕まったのか?」
「捕まっていない!」
答えが、思ったより大きくなった。
兵が槍を握り直す。
アイナは、慌てて手を下げずにいた。
「自分で来た。クラウディア様に、お目通りを願いたい」
「一人か」
「ああ」
「後ろには」
「誰もいない」
兵は、川向こうへ目をやった。
すぐに信じるわけにはいかない。
それは、アイナにも分かった。
「そこで待て。勝手に進むな」
「分かった」
また、待つ。
橋を渡るのは、これで三度目になる。
最初は、取ろうとして。
次は、帰されて。
今度は、仕事があるか尋ねるために。
人生で同じ橋をこんなに違う気持ちで渡るとは、思っていなかった。
◇
デニスが来た。
アイナの顔を見てから、手元の剣を見る。
「何の用だ」
「クラウディア様に、話をしたい」
「どんな話だ」
「こちらで、働けないかと」
デニスは、黙った。
川向こうを見て、もう一度アイナを見る。
「まず、事情を聞く。身に着けているものも確かめさせてもらう」
「構わない」
言われたとおりに袋を渡す。
上着の内側と、腰の周りも確かめられた。
隠した武器は、なかった。
デニスは袋の中の書付を読み、アイナへ尋ねた。
「役目を解かれたのか」
「ああ」
「理由は」
「敗戦と、捕虜になったこと。それと、敵と通じた疑いをかけられた」
書付にない言葉も、伝えた。
最初から隠せば、後でそれだけが問題になる。
ここでも、知っていることを話すしかない。
「通じていたのか」
「帰された理由を問われ、手当てを受けたことを話した。それを、そう受け取られた」
デニスは顔を上げた。
「こちらで交わした約束は」
「ない」
「働く話もしていないな」
「ああ。帰れとしか、言われていない」
デニスは、少し考えた。
「……それは、聞いている」
剣と袋を、兵へ預ける。
アイナは、小屋の方へ案内された。
前後には兵がいた。
前と同じ小屋だった。
前と同じ、窓の見える椅子だった。
扉のそばに見張りもいる。
自分で来たはずなのに、ずいぶん見覚えのある状況だった。
「ここで待て」
デニスが出ていく。
アイナは椅子へ座った。
すぐに立って剣を抜けるような場所へは、座らせてもらえない。
そもそも、剣もない。
妥当だった。
妥当だと分かるのに、落ち着かなかった。
◇
外から声が聞こえた。
「またかよ!」
アイナは背筋を伸ばした。
聞き覚えがある。
扉が開いた。
クラウディアは、アイナの姿を見て立ち止まった。
それから、部屋の中を見回す。
「三人は」
「元の所属へ戻った。傷のある二人も、手当てを受けている」
「そうか」
そこで一度、うなずいた。
「貴様は」
「役目を解かれた」
「それで、こっちへ?」
「ああ」
クラウディアは、額へ手を当てた。
「帰すときには、そんな話になるとは聞いてねえぞ」
「私も、聞いていなかった」
扉のそばで、兵が顔をそらした。
クラウディアがそちらを見る。
兵は、窓の外を見ているふりをした。
アイナは膝へ手を置いた。
「帰った。そのあとで、会いに来た」
「律儀な説明だな」
クラウディアが、向かいの椅子へ座る。
「何をしに来た」
「こちらで、働けないかと思った」
「兵として?」
「できる仕事があるなら。待遇は、今までと同じでなくてよい」
声が、少し硬くなった。
兵を率いていた。
だが、それは、前の部隊で任された役目だ。
新しい場所へ持ち込めるのは、その肩書より、実際に何ができるかだろう。
「剣は使える。馬にも乗れる。今は手首の傷が残っているが、治れば」
「剣なら、もう見た」
アイナは口を閉じた。
そうだった。
しかも、負けたところを見せた。
「……あのときは」
「何だ」
「何でもない」
言い訳を足して、強くなるわけではない。
クラウディアは、彼女の手首を見る。
「痛むのか」
「強く握ると、まだ」
「なら、それを隠して剣を振るな」
「隠すつもりはない」
「さっきから、ずいぶん正直だな」
クラウディアは、背もたれへ身を預けた。
「もっとましな売り込みはできねえのか」
「事実を伝えた方がよいと思った」
「そうだな。そこは、うちの領主も好む」
少し、声が変わった。
アイナは、気づいて顔を上げる。
クラウディアが、口元を緩めていた。
「あの方は、話を聞くのがお好きだから」
急に、普段の言葉になった。
アイナは、どう返せばよいのか分からなかった。
敵の兵を怒鳴りつけ、盾を押し退けてきた女と、同じ顔なのに。
今だけ、頭に浮かべている相手が違うのだろう。
夫のことを考えている。
そう気づくと、なぜかこちらの頬が熱くなった。
「何、赤くなってんだ」
「なっていない」
「なってるぞ」
クラウディアが言う。
アイナは、膝の上の手を組み直した。
何を言っても、余計な説明になりそうだった。
クラウディアは笑うのをやめ、机へ肘を置いた。
「なぜ、ここなんだ」
今度は、真剣な声だった。
「仕事だけなら、ほかにもあるだろう。敵だった場所へ来て、すぐ信じてもらえると思ったか」
「思っていない」
アイナは答えた。
それから、一度息を吸った。
「仲間を助けに戻ったことを、覚えていてくれたから」
クラウディアは黙っていた。
「前の部隊では、それが敗戦の話と一緒になった。こちらでは、なぜ戻ったかを、分かっていた」
うまく説明できているかは分からない。
手当てへの恩もある。
強さへの敬意もある。
だが、それだけなら、遠くで覚えているだけでもよかった。
「だから、ここでなら、どんな仕事ができるのかを聞いてみたかった」
アイナは、まっすぐ相手を見た。
「仲間を置いて逃げろと言われたら、私は、また同じことをすると思う」
クラウディアの目が、少し細くなった。
扉のそばの兵も、こちらを見た。
アイナは、言ってから手を握った。
手首に、かすかな痛みが走る。
働かせてほしい相手へ、命令に従えない場合があると言った。
売り込みとしては、ひどいのかもしれない。
だが、そこで違う返事をしても、後で同じことになる。
クラウディアは、しばらく彼女を見ていた。
「一人で戻って、まとめて捕まるのがよいやり方だとは、思ってねえぞ」
「……分かっている」
「助けるなら、助けて戻れるようにしろ。仲間を呼ぶなり、退く順を変えるなり。自分まで置いていくことになるな」
アイナは顔を上げた。
クラウディアが、こちらを見ていた。
仲間を助けるなとは、言わなかった。
アイナは、ゆっくりうなずいた。
「できるように、なりたい」
◇
クラウディアが椅子から立った。
「雇うかどうかは、私だけでは決められん。領主へ話を通す」
「会っていただけるだろうか」
「聞いてみる。話をしたいということと、ここへ来た理由は伝えてやる」
デニスが、扉から顔を出した。
「身元については、改めて確認いたします。返された書付と、こちらの聞き取りの記録も合わせて」
「構わない」
アイナは答えた。
すぐに兵を預けてもらおうとは思っていない。
剣を返されるかどうかも、今は向こうが決めることだ。
それでも、話を聞くと言われた。
その先を、確かめてもよいと言われた。
クラウディアが扉へ向かい、途中で振り返る。
「部屋と飯は、返事が来るまでだ。働けると決まったわけじゃねえ」
「ああ」
「勝手に持ち場へ入るな。兵へ指図するな」
「分かった」
クラウディアが、少しだけ眉を上げた。
「また、きれいに返事をするな」
「今度は、客として来たので」
「客なら、もう少し楽そうな顔をしろ」
アイナは、顔の力を抜こうとした。
うまくいかなかった。
扉の外の兵が、袋を持ってきた。
中身を確かめ終えた私物だ。
剣は、まだ預けたままだった。
「食事は、あとで持ってくる」
「何か、手伝えることは」
「まず座ってろ。お前がどこまで歩いていいか、こっちも聞いてない」
兵が答える。
もっともだった。
アイナは袋を椅子の脇へ置いた。
前と同じ部屋。
見張りもいる。
出される食事も、たぶん同じだ。
だが、今回は、誰かに捕まって連れてこられたのではなかった。
自分で来た。
自分の話をした。
あとは、返事を待つ。
アイナは窓の外を見た。
クラウディアが、デニスと何か話している。
すぐに、兵が紙を持って小屋へ入ってきた。
話は、もう次へ動いていた。
カクヨムでも連載中です。
領内地図・人物紹介などの補足も掲載しています。




