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第22話 もう来るなよ!元気でな!

 アイナは、敵の小屋で朝食を取っていた。


 麦の粥だった。

 少し塩が入っている。


 贅沢なものではない。

 だが、温かかった。


 器を置き、隣に座る兵を見る。


「傷はどうだ」

「歩く分には、もう。走れと言われると、少し」


 男は脚を伸ばした。

 巻かれた布は、今朝替えてもらったばかりだ。


 もう一人は、腕を吊っている。

 残る一人は、食べ終えた器を両手で持っていた。


 四人。


 捕まった日から、誰も減っていない。


 アイナは自分の手首へ目を落とした。

 腫れは引いてきている。

 まだ強く握れば痛むが、剣を持てないままになる傷ではないと聞かされていた。


 敵に手当てをされるとは思わなかった。


 捕まったときには、覚悟を決めたつもりだった。

 その覚悟に対し、あの女は、やけに短く答えた。


 嫌だ。


 今思い返しても、何が嫌だったのか分からない。


 ただ、問われることには答えた。

 名と所属。

 いつ兵を集められたか。

 誰に命令されたか。


 分からないことも、多かった。


 それを答えると、同じことを少し言い方を変えて聞かれた。

 知らないと何度伝えても、殴られることはなかった。


 代わりに、聞いていた男が紙へ書いた。


 デニスという名だった。


 彼はアイナの記憶と、ほかの兵の話を別々に残しているらしい。

 その点は、手堅かった。


 逃げ出す隙がないことと、余計な暴力を加えられないことは、両立する。

 ここへ来て、初めてそう実感した。


 小屋の外に、足音が近づいた。


 見張りの兵が姿勢を正す。


 クラウディアだった。


 アイナは器を脇へ置き、立ち上がった。

 ほかの三人も、それに続く。


 クラウディアは四人を見た。


「帰れ」


 アイナは動かなかった。


「……何だと」

「帰れと言った」

「どこへ」

「貴様らの来た方へだ。ほかに行きたいところでもあるのか」


 隣の兵が、アイナを見た。

 アイナも、その顔を見た。


 聞き間違いではなさそうだった。


「何を企んでいる」

「貴様らの飯代を減らす」

「それだけか?」

「見張りの手も空けたい」


 クラウディアが、扉の外を指した。


 そこには、槍を持った兵がいる。

 あくびを噛み殺していたが、指された瞬間、背筋を伸ばした。


「寝かせてやりたいんだよ」


 アイナは、もう一度三人を見た。


「全員か」

「四人ともだ」

「傷のある者も」

「帰り道を進めると確かめてからだ。歩けない者を川向こうへ転がすつもりはねえ」


 脚を傷めた兵が、自分の足を見た。


 クラウディアは、それを見逃さなかった。


「無理をして歩けると言うな。途中で倒れたら、迎えに行く方が面倒だ」


「……はい」


 返事をしたのは、アイナの部下だった。


 それでよいのだろうか。

 敵の指揮官へ、ずいぶん素直に返事をした。


 もっとも、アイナにも言い返す理由はなかった。


 クラウディアは彼女を見る。


「ほかに?」

「……この三人も、必ず帰すのだな」

「今、四人ともと言っただろうが」


 声が、少し低くなる。


 アイナは顎を引いた。

 だが、そこだけは確かめたかった。


「分かった」


 クラウディアは、彼女の後ろを見た。


 三人とも、アイナの返事を待っていた。


 それから、またアイナへ目を戻す。


「支度しろ。橋の向こうへ知らせは出してある」


     ◇


 帰されると決まってからも、アイナは警戒を解かなかった。


 敵が用意した袋を、開いて確かめる。


 乾いたパン。

 少しの干し肉。

 水。


 道中に食べる分だと言われた。


「中に、何か入れてはいないだろうな」


 袋を渡した兵が、彼女を見た。


「パンと肉が入ってるだろ」

「そういう意味ではない」

「じゃあ、どういう意味だ」


 兵は、少し考えた。


「食べると眠くなるとかか?」

「……例えば、そういうものだ」


「腹いっぱい食えば、多少は」


 アイナは袋を閉じた。


 話が進まない。


 そもそも、毒を入れるつもりなら、ここまで毎朝食事を出す必要はない。

 その程度のことには、気づいていた。


 それでも、何も疑わずに受け取るのは落ち着かなかった。


 次に、小さな包みを渡される。


 捕まったときに取り上げられた、私物だった。


 留め具。

 布。

 細い紐で結んだ、残り少ない銭。


 アイナは銭を数えた。


 同じだった。


「足りないか」


 デニスが聞いた。


「いや」

「なら、受け取ったと、こちらへ」


 紙を示される。


 アイナは名を書いた。


 剣はなかった。


「武器は」

「こちらへ戻るまで、持たせるわけにはいかん。返す分は、向こうの受け取り役へ渡す」


 デニスが答えた。


 それは理解できた。

 理解できる話が来て、少し安心した。


 横では、腕を吊った兵が包みを開いている。


「あった」


 彼は、親指ほどの木彫りを取り出した。


 鳥の形だった。

 小さな翼の片方が、少し欠けている。


「娘が渡してくれたんです」


 そう言って、布へ包み直した。


 アイナには、そういう品はなかった。


 帰った先で、無事だったと知らせる家族もいない。


 だが、その男の手に木彫りが戻ったことには、ほっとした。


 これを持って帰れる。

 それで、もう一度娘に会えるかもしれない。


 男が包みを懐へ入れるのを見届けてから、アイナは立ち上がった。


     ◇


 橋を渡る時刻が近づいた。


 川向こうには、少人数の受け取り役が来ていた。

 あらかじめ決めた場所で止まり、こちらの兵が動くのを待っている。


 武器を抜く者はいない。

 それでも、どちらも見張りを外してはいなかった。


 脚を傷めた兵は、休みながらなら進めるという。

 遠い駐屯地まで歩かせることはせず、向こうから迎えの車が用意されたと聞いた。


 アイナは、三人の顔を確かめた。


「途中で痛むなら、言え」

「はい」

「我慢して、着いてから倒れるな」

「先ほども、言われました」


 男が答える。


 アイナは振り返った。


 クラウディアが、小屋の前に立っていた。


 鎧を着ている。

 戦場と同じように、立ち姿に隙がない。


 剣を振るうところは、もう見たくない。

 向かい合っても、また同じように負けるだろう。


 けれど、その動きを思い出すと、胸の内に別の感想も残っていた。


 力任せに見えて、余計な動きがない。

 進むときも、戻るときも、身体と剣が一緒に動く。


 アイナは目をそらした。


 敵の技を思い出して、感心している場合ではない。


「次は、敵として来るなよ」


 クラウディアが言った。


 アイナは顔を上げる。


「それは、私だけでは決められん」

「真面目な返事だな」


 クラウディアは、少しだけ笑った。


「なら、来る前に考えろ。もう一度、部下を置いていけなくなるぞ」


 アイナの表情が変わった。


 あの日、逃げ切れなかった理由を、この女は覚えている。


 負傷した兵がいた。

 自分が先に退けば、その男が残った。


 だから、戻った。


「置いていくつもりはない」


 アイナが答えると、クラウディアはうなずいた。


「そうか」


 それだけだった。


 アイナは、少し迷った。


 敵へ礼を言うべきなのか。

 その言葉を聞いた仲間が、どう思うのか。


 迷ってから、口を開く。


「手当ては、助かった」


「ああ」


 軽い返事だった。


 アイナは頭を下げず、三人へ向き直った。


「行こう」


 橋の上を、ゆっくり進む。


 後ろの兵が遅れれば、足を緩める。

 腕を吊った男が袋を持ちにくそうにしていたので、アイナが受け取った。


 自分の手首にも、痛みは残っている。

 だが、軽い袋なら持てた。


 橋の途中で、一度だけ振り返った。


 敵の兵が、こちらを見ていた。

 追ってくる者はいない。


 クラウディアは、小屋の前から動かなかった。


 アイナは、また前を向いた。


 帰れる。


 戦に負け、捕まった。

 それでも、四人で戻れる。


 肩に入っていた力が、ようやく少し抜けた。


     ◇


 受け取り役に引き渡されてから、アイナたちは駐屯地へ運ばれた。


 迎えの兵に、身元を確かめられる。

 渡された書面と、返された武器も、そこで改めて扱いを決められた。


 傷があると伝えると、荷車へ乗れと言われた。


 味方の車だった。

 味方の兵が、手綱を持っている。


 アイナは荷台へ座り、三人を見た。


 脚を傷めた兵は、隅へ身体を寄せている。

 腕を吊った兵は、目を閉じた。

 木彫りを持つ男は、懐を押さえていた。


 ようやく、帰ってきた。


 そのはずだった。


     ◇


 駐屯地では、先に兵三人が連れていかれた。


 傷の確認と、報告を受けるためだという。


 アイナは一人、別の部屋で待たされた。


 机と椅子。

 壁に掛けられた武器。

 扉の外に立つ兵。


 さっきまでいた敵の小屋と、置いてあるものはそれほど変わらない。


 やがて、上官が入ってきた。


 アイナは立ち上がる。


「戻りました」

「見れば分かる」


 上官は机へ座った。


 アイナには、座れと言わなかった。


「捕まった経緯を話せ」


 アイナは、橋で起きたことを説明した。


 敵の盾が、途中から矢を通しにくくなったこと。

 押し込もうとしても、崩れなかったこと。

 女の指揮官が前へ出てきたこと。


 退く際に、負傷者が出た。

 助けに戻り、自分も捕まった。


 上官は、途中で手を上げた。


「敵は、三十ほどだったと聞いている」

「はい」

「それを、落とせなかった」

「橋では、こちらの全員が一度に戦えるわけではありません。前の者が――」

「事情は分かっている」


 言葉を切られた。


 アイナは口を閉じた。


 分かっているなら、なぜ聞くのだろう。


 そう思ったが、口には出さなかった。


 上官が机へ肘をつく。


「それで、何を話した」

「名と所属、それから、命令を受けた時期などを」

「それだけか」

「ほかに、こちらの兵が集められた際の説明も聞かれました」

「何と答えた」

「私が聞いた範囲を」


 上官の目が細くなった。


「領主が留守だという話も、したのか」

「出発前に、そのように伝えられたことは答えました。ただ、私には、その情報を誰が得たかまでは分かりません」


 知っていることと、知らないことを分けて話す。


 敵の小屋でも、それを繰り返した。

 今も、ほかにできることはなかった。


「ずいぶん、素直に答えたものだな」


 上官が言った。


 アイナは、まっすぐ前を見た。


「兵の集め方や、命令の時期は、私以外の者も知っております」

「ほかの者が話すから、自分も話してよいと?」

「そうは申し上げておりません」


 部屋が静かになった。


 上官は、しばらくアイナを見ていた。

 それから、机の上の書面へ目を落とす。


「手当てまで受けたそうだな」

「はい」

「食事も」

「ほかの三人も、受けております」

「帰りの食料まで渡された」

「はい」


 答えるたびに、上官の口元が歪んでいく。


「何の見返りに」


 アイナは、少しだけ眉を寄せた。


「何も約束しておりません」

「金は」

「渡しておりません」

「なら、何を差し出した」


 アイナは、自分の手首を見た。


 ここへ来る途中、包帯の端が緩んだ。

 あとで巻き直してもらおうと思っていた。


 いま、その布まで、別のものに見られている。


「帰された理由は、食料と見張りの負担を減らすためだと聞きました」


 上官が、短く鼻を鳴らした。


「敵の言葉を、そのまま信じたのか」

「私にも、真意までは分かりません」


 それは本当だった。


 疑った。

 何を企んでいるのかと、直接聞いた。


 それでも帰された。


 手当てをされ、飯を出され、袋を渡された。

 仲間と一緒に、橋を渡った。


 その事実まで、変えることはできない。


「三人の傷についても、確認をお願いいたします。脚を傷めた者は、まだ長く歩けません」

「今は、お前の話をしている」

「はい。ただ、戻ってからの扱いについては、私が確認する必要が」


 上官が、机から顔を上げた。


「敵にまで、大事にしてもらった部下か」


 アイナの顎に、力が入った。


「命令を受けて橋へ進み、負傷した者たちです。捕まった責任を問われるのであれば、私に」

「殊勝なことだ」


 上官は、椅子へ背を預けた。


「敵の指揮官とは、何を話した」

「手当てが助かったと、帰る際に伝えました」


 言ってから、アイナは上官の顔を見た。


 それは、隠すべきことだったのだろうか。


 負傷した仲間が、死なずに戻った。

 自分の手首も、剣を持てる程度には戻る。


 そのことへの礼だった。


「女だったな」

「はい」

「ずいぶん親しくなったようだ」

「親しい関係ではありません」


 アイナは、はっきり答えた。


「あの指揮官が強かったことと、こちらの負傷者に手当てがなされたことを、報告しております」


 上官が、書面を伏せた。


 初めて、アイナの説明を待たずに動いた。


「ずいぶん敵の肩を持つな」


 その声を聞いて、アイナは口を閉じた。


 違う。

 そう言えばよかった。


 だが、どこから違うと説明すればよいのか、分からなくなっていた。


 敵の盾が固かったこと。

 女の指揮官が強かったこと。

 仲間が負傷したこと。

 手当てを受けて、帰れたこと。


 どれも、あったことだ。


 ここで求められているのは、その話ではないのかもしれない。


 扉の向こうで、足音が止まった。


 アイナはそちらへ目を向けた。


 帰ってきた。


 そう思ったのは、橋を渡り終えたときだった。


 今は、立っているこの部屋で、どこへ戻ればよいのか分からなかった。


カクヨムでも連載中です。

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