第20話 怖かったですぅ
第20話 怖かったですぅ
王都から戻った翌朝、俺はマルセルから一枚の報告を受け取った。
館の倉庫で減った鉄と麦についてだ。
【鉄塊:4個】
【麦:3袋】
その下には、倉庫に残った量と、すでに使い道の決まっている分が分けて書かれていた。
遠くから橋の守備隊を助けた。
盾を強め、疲労を和らげた。
その代わりに消えたものが、こうして紙になっている。
「お手紙をいただくまでは、数え直しておりました」
マルセルが言った。
「倉庫の者も、理由が分かって安心しております」
「先に知らせられず、悪かった。急なことだった」
「はい。ただ、これからも起こり得るということですね」
俺は紙を見た。
能力の表示で、消費するものは確かめた。
兵の食事や、すでに約束した分まで奪わないようにも気をつけた。
だが、残りがあれば使い続けてよい、という話ではない。
「戦になれば、使うことはある。使った分は必ず知らせる」
「承知しました。鉄の方は、次の修理に備えて持っていた分です。麦も、補充が必要になります」
鉄は、盾や道具の修理に使える。
麦は、能力を使わなくても人を養う。
何もないところから助けたわけではなかった。
俺は報告を畳んだ。
「橋へ行ってくる。川沿いの町で、負傷者にも会いたい」
「はい。薬と布の追加は、運べるようにしてあります」
補給として受け取った品の一部も、橋へ送る手配が始まっていた。
俺たちが持つのは、そのうち馬で運べる分だ。
キャスパーは館に残る。
「こちらで、お二人の仕事を伺っております」
彼はそう言った。
俺が帰ってきたばかりで、また出る。
それでも、館の仕事を止めずに済むよう、マルセルと連絡の取り方を確かめた。
キャスパーへ新しい仕事を渡すのは、まだ先でいい。
まず、ここでどう働くかを見てもらおう。
「トマ。行こう」
「はい」
俺は馬の横へ立った。
また鞍か。
王都から帰るまでに、だいぶ慣れたつもりだったが、尻の方には異論があるらしかった。
◇
道中で一泊し、川沿いの町へ着いた。
そこで、足に深い傷を負った兵に会った。
借りた部屋の寝台に、脚を伸ばしている。
そばには水と、着替えと、使い込まれた椅子があった。
俺を見ると、彼は身体を起こそうとした。
「そのままでいい」
先に言う。
兵は手を止めたが、背筋だけは伸ばした。
「領主様」
「痛みはどうだ」
「前よりは。ただ、まだ歩くには」
言いながら、布の巻かれた脚へ目を落とす。
俺は、そばで世話をしている者にも話を聞いた。
引き続き手当てが必要で、すぐには橋へ戻せないという。
能力の表示には、生存とあった。
それは確かだった。
だが、その文字の先に、この部屋がある。
痛みも、動けない日々もある。
「戻る日を急いで決める必要はない。今は手当てを受けてくれ」
「申し訳ありません」
「橋を守ってくれた者に、寝台の上から詫びさせるために来たわけではない」
兵が、こちらを見た。
俺は椅子へ腰を下ろした。
「誰がここまで運んだか、聞いてもいいか」
彼は少し考え、二人の名を挙げた。
橋の端で転んだこと。
自分では立てなかったこと。
肩を貸そうとした仲間が、途中から背負ったこと。
「重かっただろうな」
「そいつにも、言われました」
兵の口元が、わずかに緩んだ。
俺も笑った。
「そちらにも礼を言っておく」
「はい」
部屋を出る前に、俺は彼へ向き直った。
「よく務めてくれた。ありがとう」
兵は、もう起き上がろうとはしなかった。
寝台の上で、静かに頭を下げた。
◇
橋へ近づくと、槍を持った兵がこちらに気づいた。
背筋が伸び、奥へ声をかける。
デニスが出てきて、俺たちを迎えた。
「お帰りなさいませ」
「留守を頼んだ。町で、負傷した者にも会ってきた」
「ありがとうございます。こちらの負傷者も、順に戻しております」
川の向こうに、敵の姿は見えなかった。
こちら側には、普通の見張り小屋が立っている。
屋根があり、壁があり、その中から兵が顔を出した。
まだ、ちゃんとある。
能力で建てた方は、ひどく短い勤務だった。
働き始める前に退職したと言ってもよい。
今の小屋の軒先には、盾が並べて置かれていた。
その奥から、声が聞こえた。
「だから、休む奴までここに突っ立ってんじゃねえ! 飯を食って――」
止まった。
金色の髪が、兵の肩越しに見える。
クラウディアがこちらを向いた。
俺と目が合う。
一度だけ、まばたきをした。
そして、剣を持っていない方の手を胸へ当てた。
「あなた……」
歩いてくる。
さっきまで兵を押し動かしていたのと、同じ足で。
ただし歩幅は、ずいぶん小さくなっていた。
「怖かったですぅ」
静かになった。
兵たちが、動かない。
盾を持っていた一人は、置こうとしたままの姿勢で止まっている。
デニスは、俺の後ろの方を見た。
トマは、馬の鼻先を撫で始めた。
全員、何かを見ないようにしていた。
俺は妻の顔を見た。
美しい顔だった。
目元には憂いがあり、少しだけ下がった眉もよくできている。
だが、さっきの声は、川向こうの者にも聞こえたのではないだろうか。
「……大変だったな」
苦笑しながら答えると、クラウディアが俺の腕へ手を添えた。
「ええ。あなたがお戻りになるまで、心細くて」
「そうか」
「はい」
背後で、小さく何かが鳴った。
盾の角が地面に当たったらしい。
持っていた兵が、慌てて立て直している。
俺はそちらを見ずに言った。
「皆も、よく務めてくれた。デニスから話を聞かせてもらう」
「はい!」
返事だけは、よくそろった。
◇
橋の手前を見て回りながら、デニスに戦闘の話を聞いた。
敵が渡ろうとした場所。
盾を並べて受けたところ。
負傷者を後ろへ運んだ道。
報告書の上で読んだことが、目の前の地面につながっていく。
「ここで、足を取られた者がいたか」
「はい。夜や雨のあとには、こちらへ水が残ります。運ぶ際は、少し回り込んでおります」
トマが言っていた場所だ。
大きく離れるわけではない。
だが、背中に人を負った状態では、その少しが重い。
休む場所も見た。
今は小屋のほかに、雨をしのぐための覆いを張っている。
兵を増やしたら、どこで寝かせるのか。
交代する者は、どこから来るのか。
帰路にキャスパーから聞かれたことを、俺も一つずつ確かめた。
その間に、デニスが兵たちの働きを教えてくれる。
「その者は、負傷者が出た際に前を埋めました」
「盾が重なったとき、横から押さえてくれた者です」
「町まで運んだのは、この二人で」
俺は、それぞれの顔を見た。
名を聞く。
言葉を交わす。
前へ出た者だけが、戦ったわけではなかった。
負傷者を運び、矢を運び、空いた場所へ入った者がいる。
「よくやってくれた」
そう言うたび、兵の顔つきが少し変わった。
大げさな言葉は出てこなかった。
だが、何をしたか聞かずに済ませたくはなかった。
最後に、デニスから損傷した装備を見せてもらった。
盾は、修理できるものと、使えないものが分けられていた。
槍の柄が折れたものもある。
「守りが強まった際、矢は通りにくくなりました。ただ、盾そのものが元どおりになったわけではありません」
「そうか」
欠けた縁へ、俺は指を置いた。
補助は、その場をしのぐ力になった。
だが、終われば、残った装備で次に備える。
館では鉄と麦が減った。
こちらでは装備が傷み、薬と布を使い、人が休養を必要としている。
支払うものが、場所ごとにある。
俺はマルセルの報告を取り出し、デニスの書き付けと並べた。
「今回の補給で足りる分と、まだ必要な分を分けておこう。修理に回せるものも、町で確かめてもらう」
「承知しました」
紙を畳んでから、橋を見た。
今回は守れた。
だからといって、もう安心だとは言えなかった。
◇
兵たちの話を聞き終えたあと、クラウディアと二人で話した。
小屋の外には見張りがいる。
扉を閉めると、川の音が少し遠くなった。
「よく皆を帰してくれた」
俺が言うと、妻は首を振った。
「皆が持ち場を守ってくれました。私だけでは、あの場所は保てません」
今度は、いつもの落ち着いた声だった。
「それでもだ。……君も、無事でよかった」
クラウディアが、こちらを見た。
何か言いかけ、口を閉じる。
胸へ置かれていた手が、ゆっくり下りた。
「あなたも」
短い返事だった。
俺はうなずいた。
しばらく、そのままでいた。
言葉を足すより、無事な顔を見ていられる方がよかった。
やがて、クラウディアが口を開いた。
「あの守りは、あなたですのね」
「ああ。《換算》を使った」
「離れていても、届くのですか」
「登録した守備隊には、補助を送れる。敵を直接見ることはできない。声も聞こえん」
俺は、何が分かっていたかを説明した。
兵数。
勝つ見込み。
損害の予測。
「最初の表示では、勝てるとあった。だが、兵を二十九人失うと」
「……二十九人」
妻の眉が寄る。
「誰が残るかまでは、分からなかった。君だけなのかと思ったが、それも俺が考えたことだ」
クラウディアは、すぐには答えなかった。
俺も、その沈黙を埋めなかった。
それは、起きたことではない。
皆の働きと補助で、変わった。
だが、使わずに済む備えが必要だと思った理由でもある。
「鉄と麦を使った。途中で時間も延ばした。その分は、館で確認してもらっている」
「何度でも、できるものではありませんのね」
「ああ。残っていれば使えるとしても、修理や飯に必要なものまで減らせば、そのあとが続かん」
俺は、畳んだ報告へ目を落とした。
「今回の勝利を、次も同じようにできるとは考えたくない」
クラウディアがうなずいた。
「私も、一つ気になることがございます」
顔つきが変わる。
「最初の侵攻のとき、私は領地におりませんでした。そして今回は、あなたが王都へ」
俺は彼女を見た。
「タイミングか」
「はい。あちらから見れば、攻めたい時期なのでしょう。ただ、よく重なるものだと」
父が亡くなった。
判断のできない息子へ、領主が代わった。
その評判を聞いて攻めた、という最初の侵攻には理由がある。
今回も、領主の不在を知れば、好機と思うかもしれない。
だが、俺が王都へ出たあとに、相応の兵を集めて橋へ来た。
「出立を見た者はいる。代替わりも、隠した話ではない。商人を通じて伝わっただけかもしれん」
「内側に、知らせる者がいる可能性も」
「ある。敵に、何かを察する能力がある可能性も捨てられん」
俺は、机へ手を置いた。
「ただ、今はどれとも決められない。誰かが漏らしたと先に決めれば、話がそちらへ寄る」
「では、命令の出た時期から」
「ああ。兵が集められたのはいつか。出発の前に何と説明されたか。領主がいないと言われたのか。その言葉が、誰から出たのか」
クラウディアが、短くうなずいた。
「捕虜には、改めて確かめさせます」
「知らないことは知らないままでいい。兵が敵の情報網まで分かるとは限らん」
「心得ております」
机の上の紙に、聞きたい点を残す。
敵が今回、急に集めた兵なのか。
前から攻める準備をしていて、好機を待ったのか。
その違いも、知っておきたい。
「向こうも、この橋には兵を割くつもりがあるのだな」
「少なくとも、偵察だけではありませんでした」
「ああ」
約百五十。
それだけの兵を動かし、食わせ、こちらへ向かわせた。
相手が、この場所を取りたい理由は軽くない。
次も百五十とは限らない。
橋だけを見ていればよいとも限らない。
俺は椅子から立ち、窓の外を見た。
兵が盾を運んでいる。
休みに入る者が、食事の方へ歩いていく。
「橋だけでは足りんな」
クラウディアが、隣へ来た。
「兵を増やしますの?」
「必要になるだろう。ただ、その兵を休ませる場所も、食わせる物も、運ぶ道も要る。今回使った分を埋めるだけで終われば、備えは増えない」
国庫に余裕はない。
人手も足りない。
ここへ何かを回せば、ほかの場所で使えるものが減る。
それでも、何もしないまま次を待つわけにはいかなかった。
「館で詰める。どこから手をつければ、一番早く危険を減らせるか。続けて支えられるように、領地で何を増やすかも」
「新しい内政官の方にも?」
「キャスパーだ。まずは、現地で聞いたことを持ち帰る。クラウディアと兵の働きを、紙の上の話だけで考えさせたくはない」
「軍事の副官も、お忘れなく」
俺は妻を見た。
真剣な顔だった。
こちらは、忘れられていない。
「探す。デニスが休めるようにする必要もある」
「ええ」
クラウディアは、そこで少し表情を緩めた。
◇
外へ戻ると、デニスが捕虜について報告した。
女騎士の名は、アイナ。
ほかに兵が三人。
手当てと聞き取りを続けており、帰りの移動ができるかは、傷の状態を見ているという。
「聞き取りが済み、帰れる者は帰そう。受け渡しの手順は確かめてくれ」
「よろしいので?」
「抱え続ければ、飯も、見張りの手も要る。今のこちらには、その負担も小さくない」
必要な確認は残る。
だが、手当てを受けた敵を、いつまでもここへ置くつもりはなかった。
クラウディアが、デニスへ先ほどの紙を渡した。
「進軍命令について、追加で確かめておいて」
「承知しました」
夕方の風が、川を渡ってきた。
兵たちは、それぞれの持ち場へ戻っていく。
俺はその顔を、もう一度見た。
生きている。
帰ってきた。
それが、まずうれしかった。
そして、渡された報告は重かった。
次も人を失わずに済むよう、今度は、この場に残った者たちがしのぐだけで終わらせたくない。
俺は紙を袋へしまった。
隣で、クラウディアが俺の袖へ触れる。
「今夜は、もう少しお話しできますの?」
「ああ。明朝の出発までには、時間がある」
妻の顔が、明るくなった。
少し離れたところで、兵がこちらを見ていた。
俺と目が合うと、慌てて背筋を伸ばす。
クラウディアが、柔らかな声で言った。
「皆も、ゆっくり休んでくださいね」
兵たちは返事をした。
だが、動かなかった。
妻が、一度息を吸った。しげしげと兵士たちの方に近寄り小声が聞こえた。
「……休めって言ってんだろ」
動いた。
俺は、袋の口を閉じながら苦笑した。
怖かったのは、誰の方だったのだろうか。
カクヨムでも連載中です。
領内地図・人物紹介などの補足も掲載しています。




