第15話 勝率100%
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出発の支度をしていると、人手不足が目に見えた。
見送りに並ぶ人が少ない、という意味ではない。
それなら、仕事を続けてもらった方がいい。
俺が見ていたのは、《換算》の軍事項目だった。
《常備戦力:80名》
そこから配置を開く。
《国境橋守備隊:30名》
《川の町警備:20名》
《領主館・領主の町警備:20名》
《巡回・伝令・護送等:10名》
このうち、国境橋の30名にはクラウディアとデニスも含まれている。
今、俺の護衛をしているトマたちも、最後の10名の一部だ。
つまり、ここに書かれた人数が、そのまま一か所へ集まるわけではない。
誰かを連れていけば、その人がいた場所の手は減る。
増員を頼む側からすると忘れたくなるが、配置する側になると嫌でも目に入る話だった。
配置の欄を辿っていると、見慣れない文字があった。
《部隊登録》
指を止めた。
開くと、説明が現れる。
《登録部隊への遠隔補助を可能にします》
《交戦危険上昇時:通知》
《戦闘予測:利用可能》
「……遠隔?」
思わず声が出た。
もう一度、上から読む。
登録できるのは、俺の指揮下にあり、編成を把握している部隊。
個々の兵を目の前に集めなくても、部隊として対象を定められるらしい。
橋の編成は、この前に確かめたばかりだった。
デニスの書き付けとも照らし合わせる。
《国境橋守備隊》
《指揮官:クラウディア・フェルデン》
《登録人数:30名》
選ぶと、確認が出た。
《登録しますか》
俺は説明を最後まで読んでから、承認した。
《登録完了》
続けて、使える補助の一覧が開く。
装備の防護強化。
疲労軽減。
指揮伝達の補助。
敵の足を遅くする項目は、選べなかった。
《対象の直接視認が必要です》
物を作る項目も同じだった。
離れていても、登録した味方を支えることはできる。
しかし、敵や地形に好き放題手を加えられるわけではない。
登録部隊の詳細を開いてみても、橋の景色は出てこなかった。
妻が何をしているかも分からない。
声を届けるための項目も、見当たらない。
命令は、これまでどおり人に運んでもらう必要があるようだ。
《戦闘予測:現在、対象となる交戦なし》
今は、それでいい。
最後に、補助を一つ選んで、実行前の表示を確かめた。
対象。
持続時間。
必要な換算価値。
消費対象の内訳。
実行せずに閉じる。
資源が増えるわけではない。
使えば、領地の何かが減る。
俺が遠くにいても、その支払いは領地から行われるのだ。
《人:使用不可》
その文字を確かめた。
部隊へ補助を与えることと、人を換算に使うことは、別だ。
登録したからといって、そこを変えるつもりはない。
窓の外では、荷を馬へ括りつける音がしていた。
橋へ戻るには、ここからでも二日かかる。
王都からなら、もっと遠い。
それでも。
離れていても、何かできる。
俺は登録済みの文字をもう一度見てから、画面を閉じた。
◇
「こちらが、途中でお泊まりになる宿の控えです」
オットーが紙を差し出した。
「道の都合で変わった場合は?」
「次に知らせを出せる場所から、変更を伝える」
「承知しました。では、こちらを館に残します」
自分の控えを確かめ、彼はうなずいた。
その手が、少し強く紙を握っている。
「そんなに緊張しなくていい」
「はい。ですが、領主様がお帰りになるまでと思いますと」
「任せた仕事は、昨日と同じだ。急に領地を全部頼むわけじゃない」
「それは……助かります」
率直な返事だった。
「迷う用件はマルセルへ。彼が不在なら、決めてある連絡先へ。分からないまま約束をしなくていい」
「はい」
マルセルが横から付け加えた。
「領主様から新しいご依頼が来た場合も、まず私へ」
「……俺の依頼も?」
「留守中の仕事が増えますので」
正しい。
正しいが、俺を見る目が少し厳しい。
旅先で思いつくたびに手紙を送っていたら、何のために仕事を分けたのか分からなくなる。
「分かった。急ぐものと、帰ってから話すものは分ける」
「よろしくお願いいたします」
荷物には、報告書と地図を入れた。
面会用の服もある。
兵糧や兵の配置を書いたものは、誰でも見られる場所へ置かない。
使う金は用途ごとに分け、マルセルと確かめた。
そして、クラウディアの手紙。
橋の守りを離れられない妻は、見送りの代わりに文を寄越していた。
道中の無事を願う言葉。
面会がよいものになるよう祈る言葉。
食事と休息をきちんと取るように、という気遣い。
読み進めると、最後に一行あった。
『副官は、口の堅い方ですと助かりますわ』
……軍事機密の話だよな?
橋で聞いた、兵たちの会話が頭をよぎった。
俺は手紙を畳んだ。
深く考えるのは、やめておこう。
「領主様。支度が整いました」
トマが呼ぶ。
護衛は彼と、もう二人。
大げさな行列を作る余裕はないが、道に不慣れな俺一人で出るわけにもいかない。
馬に乗り、館を振り返った。
「では、留守を頼む」
「お気をつけて」
マルセルが頭を下げ、オットーもそれに続いた。
門を出ると、朝の風が顔に当たった。
人が来ないなら、こちらから。
王都へ向けて、俺たちは馬を進めた。
◇
領地を離れてしばらくは、見慣れたものが続いた。
畑。
林。
荷車の轍。
ところが、街道を進むにつれて、道の様子が変わり始めた。
「ここは、すれ違えるな」
向こうから来た荷車が、俺たちの横を通る。
道の端には水を逃がす溝があり、傷んだところへ石を入れている男たちもいた。
「雨の後も、通りやすそうだ」
「この辺りは荷車が多いですから」
トマが答える。
やがて道沿いの小屋で、通行料を求められた。
なるほど。
道が勝手に整っているわけではない。
係の男が馬の数を確かめ、受け取った金を記録する。
俺はその手元を見ながら、つい口を開いた。
「修繕は、いつもあの人たちが?」
「場所ごとに受け持ちがございます」
「この先も同じように?」
「大きな雨がなければ。ただ、北へ分かれる方は――」
男が道を指し、説明を始めた。
後ろから、咳払いが聞こえる。
振り向くと、荷車が一台、順番を待っていた。
「すまない。通してくれ」
俺は道を空けた。
通りやすい道で、俺が流れを止めていた。
昼に寄った宿場では、鍋から湯気が上がっていた。
煮込んだ肉と豆に、焼いたパン。
酸味のある漬物が添えられている。
一口食べると、香りが強かった。
塩だけではない。何かの実を砕いて入れているらしい。
「うまいな」
「こちらでは、よく使うそうです」
トマも匙を動かす。
食堂の入口には、旅人だけでなく、荷を運ぶ男たちが出入りしていた。
席を立った客の皿が下がると、すぐ次の客が座る。
給仕の女は、大きな声を出さなくても、厨房へ皿の数を伝えていた。
料理が出てくる順番にも、迷いがない。
俺はパンを持ったまま、その様子を見た。
「領主様」
「何だ?」
「お食事も見てください。冷めます」
「見ている」
「今、入口の荷車を」
「……ああ」
皿へ向き直る。
すると、給仕の女が横へ来た。
「お口に合いませんでしたか」
「いや、うまい。店がよく回っていると思って」
「ありがとうございます。でしたら、お食事の方も進めていただけると」
入口には、空席を待つ客がいた。
俺は匙を持ち直した。
現場を見るには、まず現場の邪魔をしないことだ。
◇
夜は、宿で使った金と翌日の行程を確かめた。
同じ距離でも、道が悪ければ進める距離は短くなる。
馬を休ませる場所がなければ、その先まで無理をするか、手前で止まるか考えなければならない。
地図の線だけを見ていたときには、感じなかったことだ。
灯りの下で、《換算》も開いた。
《登録部隊:国境橋守備隊》
《交戦通知:なし》
橋の景色は見えない。
それでも、何も通知がないことに少し安心する。
道中で会った人から、王都の話も聞いた。
宿の主人には宿の事情がある。
商人には商人の都合がある。
誰の話も、その人が知る範囲の話だ。
一つ聞いただけで全部分かったつもりにならないよう、覚えておく。
「お探しの方は、商会で見つかりそうですか」
トマに聞かれたのは、宿の部屋で報告書をまとめているときだった。
「まだ分からない。商会以外にも、人を取りまとめる仕事はあるからな」
「何か、見分け方が?」
「仕事が止まったとき、どうするかは見たい」
「失敗するのを待つのですか」
「わざと困らせるわけじゃないぞ」
俺は紙を脇へ置いた。
「客から急な頼みが来る。品物が予定どおり届かない。誰かが休む。そういうときに、自分で全部背負うのか、人に頼むのか、黙って隠すのか」
「なるほど」
「普段の仕事でも、分かることはある。あとは本人が、うちへ来たいかだ」
能力があっても、辺境へ移る気がなければ話は進まない。
給料。
家族。
今の仕事。
住む場所。
こちらが欲しいと言うだけで来てくれるほど、採用は簡単ではない。
トマは少し考えてから言った。
「奥様の副官になる方には、先にお伝えした方がよいことが多そうですね」
「……仕事内容は、正確に伝えるつもりだ」
「はい」
彼は真面目に頷いた。
どのあたりを思い浮かべているのかは、聞かなかった。
◇
いくつもの宿場を越え、王都の城壁が見えたとき、俺は思わず馬の歩みを緩めた。
大きい。
地図に描かれた丸と、目の前の町は、まるで違った。
門へ向かう道に、人と荷車が続いている。
城壁の外にも建物があり、馬を預かる場所や、荷を積み替える広場があった。
遠くで鐘が鳴った。
俺たちは列に入り、門で身分と訪問の目的を伝えた。
書状を確かめた役人が、こちらの顔を見る。
「フェルデン領の」
「ああ。先に、面会の申し入れを送っている」
「到着のお届けは、こちらの窓口で承ります」
案内された場所を、トマにも確かめてもらった。
中へ入ると、音が増えた。
車輪が石を叩く音。
物を売る声。
馬のいななき。
二階の窓から、下へ呼びかける声。
染めた布が店先に並び、焼き物の皿が日を受けて光っている。
煙の向こうから、焼いた肉の匂いが流れてきた。
大通りの先には、また別の通りが続いていた。
「……これだけいるのか」
人がいる。
働いている人が、こんなにいる。
うちに来てくれる人も、一人くらいは――。
いや。
人数と、採用できる人数は別だったな。
「領主様。まず宿へ」
「分かっている」
そう答えたところで、広場の方から大きな声がした。
「そっちは先に下ろすな! 奥の荷が出せなくなる!」
荷車が何台も並ぶ場所で、男が腕を振っていた。
別の男が荷札を見て、運び手を呼んでいる。
物が多ければ、扱う人も必要になる。
その人たちがぶつからずに働くには、順番を決める人がいる。
明日は、ああいうところも見たい。
俺は場所を覚えて、馬を進めた。
◇
宿は、マルセルが商人の話を聞いて選んだところだった。
派手ではないが、馬を預けられる。
書状を受け取れる。
面会先へも、行けない距離ではない。
主人に名を告げると、先に届いていた返事を渡された。
王への拝謁が決まったわけではなかった。
まずは、国境の報告を扱う役人との面会になる。
日を確かめ、到着を知らせる使いを頼んだ。
部屋に入り、上着を脱ぐ。
荷物を下ろすと、急に体が重くなった。
「今日は早めにお休みください」
トマが言った。
「そうする。明日は、面会の場所を確かめてから――」
視界の端に、文字が浮かんだ。
言葉を止める。
《登録部隊:国境橋守備隊》
《交戦危険上昇》
胸の奥が、冷えた。
表示を開く。
《味方兵力:30名》
《敵兵力:推定150名》
《戦闘予測:算定完了》
150。
前の偵察や襲撃とは、数が違う。
俺は椅子から少し身を起こした。
橋がある。
防備もある。
何より、クラウディアがいる。
そう考えながら、予測を開く。
《予測対象:国境橋の防衛》
《防衛成功率:100%》
息が、わずかに戻った。
五倍の敵でも、守れるのか。
クラウディア。
頼もしいにも程がある。
そんな言葉が頭をよぎったのは、一瞬だった。
その下の《内訳》を開いた。
《予測戦死者:29名》
手が止まった。
数字を見る。
29。
視線を上へ戻した。
味方は30名。
その中に妻も、デニスもいる。
三十人で、二十九人。
「……待て」
声が出た。
クラウディアしか残らないってことか?
生き残る者の名前は、書かれていない。
だから、そうだと決まったわけではない。
それでも、訓練場で聞いた兵たちの声が蘇った。
三人で押して、動かなかった。
足が浮いた。
笑っていた。
妻は強い。
だから、最後に一人でも敵を退けるのか。
周りの兵を、全員失った後で。
橋は残る。
敵は退く。
それを、この能力は成功と呼んでいる。
◇
「領主様?」
トマが声をかけた。
俺は表示から目を離さず、答えた。
「橋に敵が来る」
「橋に?」
「《換算》に通知が出た。敵は推定150。守備隊は30だ」
トマの顔から、旅の疲れとは別の色が消えた。
彼は窓へ目を向け、それから俺へ戻した。
ここから橋は見えない。
何日もかけて来た道が、そのまま俺たちと領地の間にある。
「今、どうなっているのでしょう」
「映像は見えない。これは、今の条件から出した予測だ」
説明の下に、小さな文字があった。
《戦況・行動・投入資源の変化により再算定されます》
予測。
まだ起きたことではない。
変えられる。
俺は補助の一覧を開いた。
装備の防護強化を選ぶ。
実行前の確認へ進む。
《対象:国境橋守備隊》
《効果時間:20分》
《消費対象:領主家保管の鉄材》
《対象詳細を表示》
詳細を開く。
消えるのは、倉庫に保管している地金だった。
橋で兵が身につけている鎧ではない。
続けて、適用後の予測を見る。
《防衛成功率:100%》
《予測戦死者:18名》
減った。
だが、18名。
あの場所に立っていた兵士たちの顔が浮かんだ。
妻を見ると背筋を伸ばしていた男。
傷んだ盾を差し出した男。
報告書へ墨のついた指を置くデニス。
防備の相談をして、食料を送り、修理を頼んだ。
その人たちが、まだ半分以上死ぬ。
喉の奥が詰まった。
一度、息を吐く。
急げ。
だが、読まずに選ぶな。
最初の戦場で、それをした。
同じことを繰り返してはいけない。
消費対象と、使わない項目を確かめる。
《人:使用不可》
そのままだ。
防護だけでは足りない。
疲労を減らすか。
指示を通しやすくするか。
何を加えれば、彼らが持ちこたえられる。
何を消したら、かえって帰る場所を壊してしまう。
「トマ。手を貸してくれ」
「はい」
「橋の図と、防備の控えを出してほしい。今の様子は分からなくても、最後に確かめた配置はある」
「すぐに」
彼が荷を開く。
俺は卓上の荷物を脇へ寄せた。
道中の支払いを書いた紙。
面会の案内。
明日、歩いてみようと思った通りのメモ。
その上に、橋の図が広がった。
妻は、現地で戦う。
デニスも、兵たちも。
俺にできるのは、彼らが力を出せるように、何を使うか決めることだ。
もう一度、予測を見る。
勝率100%。
その数字だけで、安心するところだった。
「全員を帰すために、何が使える」
俺は、次の補助を開いた。
カクヨムでも連載中です。
領内地図・人物紹介などの補足も掲載しています。




