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雑に生きしまうがいいさ  作者: 十文字青


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28/28

第28話 愛こそ

 私は少しも変だと思わなかったのか?


 年の離れた兄弟だ。

 私が大学生になったとき、壱路はまだ中学校に上がっていなかった。


 金魚の糞、という言い方がある。

 私はそんなふうには思わなかったが、客観的に見ればときにはそういう状態だったりもした。

 常時じゃない。

 でも、ついてくるとなったら、どこまでもついてくる。


 一度は、私の高校にまで来た。

 ランドセルを背負ったまま、小学校を勝手に休んで私にくっついてきた。


 傍から見れば、まあ、奇行の部類に入るだろうが、私はおもしろがっていた。

 それに、自分の弟がそういう変わったやつだということを誇らしく感じてもいた。


 変わっている、というのはいいことだ。

 私自身、しばしば変わり者扱いされたものだが、右を向けと言われたら左を向いたり、走れと言われたら歩いたり、わざとそうしている面もあった。

 我が弟はどうだ。

 いくら兄と一緒にいたいからといって、高校までついてくる弟がどこにいるだろう。

 ここにいる。


 ついてこさせる兄も兄で、兄弟揃って変わっているなあ、というふうに思われることで、私はおそらく喜び、あるいは優越感に浸っていた。


 あんなに私にべったりだった弟と、実家を出たあとは年に一回、顔を合わせればいいくらいになった。

 しかも、会ったら会ったで、よそよそしい。

 年ごろだし、気恥ずかしいというか、そんなものかな、というふうに私は受け止めていた。


 ちょっと寂しいな、とはたぶん、思ったりした。

 でもまあ、こんなものだろう。

 弟も成長している、ということだろう。

 というか、会うたびにぐんとでかくなっていて、おまえ誰だよ、と訊かずにすむのは、私に似ているからだった。


 たまに親から電話がかかってきた。

 弟と電話で話した記憶はない。

 親に、壱路はどうしてる、と尋ねたことは?

 あったかもしれないが、覚えていない。


 今にした思えば、実家を出たときを境に、私と弟との距離は、物理的な距離以上に離れてしまった。

 私はとりたてて不自然に感じなかったが、ずいぶんあっさりしたものだ。

 友人同士でも、あんなふうにはいかないだろう。

 だんだんと疎遠になるにしても、多少は連絡をとりあったり、何か約束を交わしたり、何度かは会いに行ったり来たりするだろう。


 兄と弟という間柄なので、おかしいとはとくに思っていなかった。

 しかし、我が弟は変なやつだった。

 明らかに私に執着していた。


 実家を出る前、私は心配していなかったのか。

 私がいなくなって、壱路は大丈夫なのか、と。

 まったく気にもしていなかった、というわけじゃないように思う。

 ただ、私の中で、弟の優先順位はそこまで高くなかった。

 大学に進学するなら地元を離れるのはほぼ必然で、弟のためにこれを断念しよう、とはならない。

 正直なところ、そんなことは考えもしなかった。


「……いや、だけど」

 私は責められているのか。

 どうなのだろう。


 壱路は私を見ている。

 何を思い、何を考えているのか、相変わらず掴めない。

 でも、壱路にしては圧が強いというか、私をまっすぐ見すぎてはいないか。


「いなくなったって、おまえ……ひとを死んだみたいにさ」

「死んでしまったようなものだと、僕は感じていた。それまではそばにいるのがあたりまえだったのに、影も形もないんだから」

「極端だな。まあ、極端か、おまえは。極端なやつだよな。飛び抜けて極端だったよな、ガキのころから。ていうか、ガキのころはもっとすごかったもんな。それでも順応してきたのか。仕事したりとか、してるんだもんな。何やってるのか知らないけど」

「仕事はときどきしているね」

「ときどき? 参考までに訊いていい? そのときどきやる仕事って、どういうことやってんの、おまえ」

「職種でいうと、アナリストかな」

「ア、アナ? アナリスト?」


「言っとくが、アナルとは無関係だぞ、タッキー」

 ギネさんが私の尻をつねる。

「痛えよっ? そんなこと言われなくてもわかってるしね! 具体的にどういうアレなのかはさっぱりだけど。何すんの、アナルスト……じゃなくてアナリストって? いや、いいや。仕事はしてるんだな、とにかく」

「うん。自分のペースでね、あとは投資とか」

「投資! 出た! 投資! 資産形成!」

「ぜろは何もやってないの?」

「あのな……」


 投資とか、したくても先立つものがねえんだわ。


 口から出そうになるが、すんでのところでのみこむ。

 べつに貧乏を恥じているわけじゃない。

 恥ずかしくはないが、すすんでひけらかすようなことでもないだろう。

 誰も私を裕福だとは思っていないだろうから、隠す必要もなさそうではあるものの。


 私は咳払いをする。

「い、いいんだよ、お兄ちゃんのことは。そっか。家を出たあと、おまえ何も言わんかったし、ぜんぜん平気なんだと思ってたけど、そんなこともなかったんだな。けどさあ、どんなやつも、いつかはいなくなっちゃうって、そりゃそのとおりなんだが、いちいち気にしててもしょうがねえよと、お兄ちゃんは考えたりしますけどね」

「僕も常に意識しているわけじゃないよ。でも、ふとしたときに思う」

「えぇ? それで、何? どうせいつかいなくなっちまうんだから、いっそのこと……みたいになるってこと?」

「そういう傾向があることは否めないね」

「おまえさ、壱路、そんなの中二病の一種みたいなもんだぞ」

「そうなのかな」

「わかんねえけど。おれは中二病の権威とかじゃねえし。そうだ、ギネさんはおれなんかよりもずっと中二病に詳しいんじゃない?」


「あぁ? わたくしが永遠の中二病患者だとでも言いてえのか、タッキー」

「いやいやいや、そんなことは……なくもないような」

「わたくしは中一で中二病は卒業したぜ」

「それ入学前に卒業しちゃってない?」

「早熟だったんでな。わかりやすく言うと、小五でズル剥けみてえなもんだ」

「男子的わかりやすさが、逆にわかりにくさに繋がっちゃってるような気も……」


「壱路」

 と、諒子さんが壱路の腕を掴む。


 壱路は諒子さんの手を見て、それから彼女の顔に視線を移す。

「何?」


「壱路は、私のこと、大事に思ってた。だから、いなくなってこと?」

 諒子さんの声は若干震えている。


 そういう解釈もあるか、と私は思う。

 というか、壱路の話を素直に受けとったら、そういうことになる。

 諒子さんが大切でなければ、結局、彼女もいなくなってしまう、それならその前に離れてしまおう、とは考えまい。


 壱路はなかなか返事をしない。

 こんなふうに無表情で考えこまれると、せっかちな人は戸惑うか、苛々してしまうだろう。


 諒子さんはじっと待っている。

 待つねえ。

 待てるんだね。


 ギネさんはそわそわしだして、顔をさわったり、頭を掻いたり、私にもたれかかってきたり、やめたり、私に足払いをかけようとして私に阻止されたり、いろいろやっているが、諒子さんはひたすら待っている。


 慣れているのだと思う。

 壱路はこういうやつだと理解している。


「そうだね」

 ついに壱路が答える。

 こんなに待たせておいて、その表情、その言い方かよと、私ならキレる。


 短えし。

 そうだね、だけかよ。

 まあ、そこは壱路だから、とは思いながらも、私だったら、おまえねえ、と物申さずにはいられないだろう。


 諒子さんは、そんなことはしない。

 それだけでもちょっぴりリスペクトだね。

 リスペクト?

 違うか。

 何だろうな。

 我が弟を尊重してくれていて、ありがたい、といったような、そんな感じだろうか。


 好きなんだろうね。

 壱路のこと。

 そんなに好きなんですね。

 愛ですか。

 愛だろうな。

 愛だね。


 愛、か。


 なんか歌いたくなってきたな。

 愛の歌をさ。

 具体的な曲名とかは思いつかないのだが。

 あるじゃないですか、いっぱい。

 世には愛の歌が溢れている。

 世界は愛で溢れている。


 それなのに、私たちはときに憎みあい、くっついても離れたりして、傷つけあい、場合によっては命を奪ってしまい、ことによると殺しあったりもする。

 何なんだろうな。

 アホなのかな。

 アホなんだろうね。


「だけど、とか言うなよ、壱路」

 私は壱路が反論するより早くまくしたてる。

「もういいから、そういうの。どうせいなくなるとか、わかりきったことでぐだぐだ言ってんじゃねえよ。死ぬんだよ、おれたちは。みんな死ぬの。あと五十年、いや、長生きするかもわからんから五十年は微妙かな、まあ、七十年くらいしたらさ、ここにいる全員死んでんの。順々に死んじまうの。そういうもんだろ。アメリカとかの大富豪がアンチエイジングを超越してリバースエイジングだの何だの、金に飽かせてな、オラ死にたくねえとか騒いでさ、そんなことしたって無駄だから。死ぬから。だから何だっつうの。何が怖えんだよ。ビクビクすんなよ。死ぬくらい何だ。みんな死ぬし、死んできたんだから、おとなしく死ね。それくらいできねえのかって話だろ。おれたちは等しく失うんだよ。ビビるな。笑え。歌ってもいいし、踊ってもいいしな。おまえ辛気くせえぞ、壱路。いい年して何だ。アホ。ガキのまんまじゃねえか。大人になれって言ってるわけじゃねえけどな。いいかげん腹くくれ。どうしても怖くなったらお兄ちゃんに電話しろ。会いに来い。泣いたっていいぞ。付き合ってやる。おれが生きてる間はな。おれはおまえのお兄ちゃんだからな。かわいいかわいい弟だからさ。その代わり、くたばったら勘弁しろ。生き返るのは無理だからな。そんなチート技、持ってねえんだわ。なくてけっこうなんだよ。いらねえわ。ひとから見たらくだらん人生かもしれんけど、おれはべつに不満はねえし。いや、あるっちゃあるけど、これはこれで悪くないと思ってるよ。ギネさんみたいな友だちもいるし、おまえみたいな弟もいるしな。ねこもいるし。ねこだってそのうち、順当にいったらおれより早く死んじまうだろうけど、だからってぶっ殺して埋めちまおうとは思わねえよ。一緒にいられる限りは一緒にいるよ。いつかあんまり動かなくなって、飯も食わなくなって、死んじまうんだろうけど、それでも心臓が止まるまでは一緒にいるよ。そうなったときのこと考えると、もうなんか泣きそうなっちまうけどさ。死ぬな、死なないでって思うけどさ。誰かに譲り渡してもう会わないとか、そんなことは考えねえよ。だから壱路、おまえがまだ諒子さんのこと大切に思ってるんだったら、それで行方を晦まして忘れようとしてたんだったら、一緒に帰って、籍でも何でも入れろ。結婚しろ。結婚式やるんだったら、おれも出るからな。旅費とかどうにか工面してな。ただ、ご祝儀は期待するなよ。投資に回せるような金なんて一円も持ってないようなお兄ちゃんなんだからな。わかったか、壱路?」


「わかった」

 壱路はうなずくなり、諒子さんの手を取る。

「諒子、僕と結婚してくれる?」


「はい」

 うなずいた諒子さんの両目から、涙が滂沱として流れる。

「喜んで」


「ひゅうぅー」

 ギネさんがわざとらしくそんな音声を発する。

 公園には私たちだけしかいない、どころか、夜景のきれいなビュースポットで、観光名所の公会堂もあるから、けっこう人がいる。

 拍手が起こる。

「おめでとう!」

 そんな声が方々で上がる。

 日本語だけじゃない。

 英語やら何やら、いろいろな言語で壱路と諒子さんは祝福される。

 いつの間にか、我々は大勢に囲まれている。


 私も拍手くらいしようかな、とも思うが、よかったね二人とも、というより、やってられるか、といった気分のほうが遥かに強いので、やめる。


 そろり、そろりとあとずさる。

 ギネさんは察したようで、私と同じく足音を忍ばせて後退する。


 そうしてある程度、壱路と諒子さんから距離をとったら、あとはギネさんと肩を並べ、普通に歩いてその場を離れる。


「やれやれだぜ」

 ギネさんは頭を後ろで手を組んでそう言うと、私を見てニヤリと笑う。

「この台詞、口にすることがあるとは思わなかったな。こういうシチュエーションで、やれやれだぜ」

「たしかに」

 私は苦笑する。

「やれやれ、だな。おれも関係あったっぽいけど、何年根に持ってんだよって。何年どころじゃないか。二十……いや……うん。ま、いっか」

「そんなもんだぞ。意外とな。わたくしだって、新人のとき、タッキーに言われたこと、いまだに覚えてっからな」

「え? おれ、何か言った?」

「今は天才かもしれないけど、天才なんてすぐ賞味期限が切れて、かつての天才になるんだからなって」

「嘘でしょ? おれの言葉、それ? 天下の宜古山ギネカ大先生に?」

「言ったよ。それでわたくし、死ぬまで天才でいてやるって決めたんだから。天才の仕事ができないときがもし来たら、さっさと死んでやらぁ。わたくしは天才として生きて、天才として死ぬことにしたんだよ」

「それは困るなぁ。やっぱり、年の順でさ。おれのほうが先に死なないと。でも、ギネさんがずっと天才のままでいればいいだけか。大丈夫だな」

「大丈夫に決まってんだろ」


 やがて私たちは路面電車が走っている大きな通りに出る。

 愛車のアルトくんを駐車場に駐めたままだから、運転代行サービスを頼まないといけない。

 信号待ちをしている間に私がスマホを出すと、ギネさんは手を上げて通りがかりのタクシーを停める。


「え?」

 私はアルトくんのことなどを説明しようとするが、ギネさんに限ってそのあたりを失念しているはずがない。

「帰る?」

「おう。もう飛行機も新幹線もねえだろうから、どっかのホテルにでも泊まって朝一でな」

「そっか。気をつけて」


 ギネさんは片手を上げてみせると、タクシーに乗りこむ。

 私はタクシーが見えなくなるまで突っ立っている。

 それからスマホで運転代行サービスを手配し、駐車場へと向かう。

「書評、書かないとな。その前にあの本、読んじゃわないと。ねこ、待ってるかな。寝てるか」


 何か忘れているような気もするが、浮かんでこない。

 大事なことなら、そのうち思いだすだろう。

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