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第43話

 帝国の石造りの会場は薄暗く、壁には黒々とした旗が掲げられていた。旗の陰に潜む兵士たちの視線が、ひどく陰気だった。そんな中、少女は青年の後ろに控えながら場の空気を読み取ろうと必死だった。



 冷たい空気が肺に重い。だが、停戦交渉が始まるとさらに重くなった。


「帝国は貴様ら反乱軍を国家と認めない。認めるわけがない。ゆえに交渉の余地はない」


 外務尚書のアーセナル殿が入室し、挨拶を済ませてからの第一声がこれだ。彼が低い声で言い放った瞬間、部屋の温度がさらに下がったように思えた。


「加えて、貴様らが捕らえた帝国軍兵士の即時返還を要求する。彼らは不当に拘束されている」


 よく通る声だった。だが、内容は拍子抜けするほど単純。認めない、捕虜を返せ――それだけ。

 私は思わず拳を握った。これが帝国の外交の最前線なのか、と。

 ヴォルフは表情を変えずに、軽く顎を引く。


「ふむ……。戦勝国が、敗戦国にわざわざ足を運んでいる。にもかかわらず、この無礼。貴殿らは礼儀も知らんのか?」


 声は落ち着いているのに、言葉は鋭く突き刺さる。

 帝国側の官吏たちの顔色が一瞬変わったのを、私は見逃さなかった。


「無礼?そちらこそ僭称者であろう。王国など存在しない。存在しないものを国家と呼ぶ無礼こそ看過できん!」


 アーセナル殿の頬が紅潮していた。けれど、その大声にはどこか必死さが混じっていて、逆に空虚に響く。


 ヴォルフ様は肩をすくめ、あえて口を閉ざす。横に腰掛けるツァーリ殿が苦笑し、ジャック殿は無言で周囲を観察している。

 私は、ただ息を殺すしかなかった。


 ──これは議論ですらない。ただの言い合いだ。


「……」


 やがて沈黙が落ちた。言葉を尽くす必要すらない、という意思表示のように。

 そして、帝国の外務官僚トルベ殿が静かに立ち上がり、声を発した。


「本日のところはここまでと致しましょう。初日は顔合わせに過ぎませぬ。続きは、明日」


 その口ぶりは淡々としていて、尚書殿をかばうようにも聞こえた。

 ヴォルフがうなずき、ツァーリさんは首を振りながら口を開く。


「それがよかろう。我々も疲れている。明日、また話そう」

「やれやれ、俺の処遇が決まるのはいつになるかな」


 それで、会談は終わった。

 重い扉が閉じる音が響き、私は深く息を吐いた。緊張で張りつめた背筋が、ようやく緩む。


 ──結局、何も決まらなかった。

 でも、これが外交というものなのかもしれない。初日から大きく進むはずもない。


 ただひとつ、はっきりしたことがある。

 帝国は、こちらを認める気など毛頭ない。交渉は、これからが本番だ。


 私は拳を握り直し、心の中でそっと言葉を繰り返した。

 ――負けられない、と。



 ***


 帝国宿舎の一室には、夜の冷気と同じほどの重苦しさが漂っていた。

 分厚い石壁に囲まれた会議室の中央で、尚書台外務事務次官は上官が机を叩きながら喚く様子を冷たい目で見ていた。



 宿舎に戻り、今後の方針を決める為皆を会議室に集めたが……開口一番、アーセナル様が怒鳴り始めた。


「賊軍に過ぎぬ! 国家と認めぬと明言したのだ! 交渉など茶番だ、茶番に他ならん!」


 声は鋭く響いたが、その響きに説得力はなかった。むしろ、疲弊と苛立ちが滲んでいる。

 対面に座る官僚のひとりが、冷ややかに返す。


「ならば、なぜ陛下は我らを席に着かせたのでしょうな。陛下の御意志を無視するおつもりか?」

「……!」


 外務尚書の顔が歪む。だが答えはない。


 別の将校が話題を変えるように口を開いた。

「捕虜数万、という噂……その信憑性は如何だろうか?」

「……退却してきた兵数から考えると、全くの出鱈目とも思えぬ」

「だとしても、辺境の小領が収容など出来るものか。虚報に踊らされるべきではない!」


 言葉が交錯し、収拾がつかなくなる。

 そこへツァーリ殿の名が挙がると、さらに場は荒れた。


「奴はすでに帝国を裏切っているのでは?」

「だが、厄介な事に連中はツァーリ殿を捕虜だと主張している……」


 そう、この交渉を準備している段階から、ヴォルフ殿は書簡で「貴国の将校が居た方が捕虜の待遇を聞きやすかろう」として同行させると伝えてきていた。まさか初回から同席するとは思わなかったが……。


「ツァーリ殿に捕虜の人数だけでも聞いてみては?」

「所詮は平民将校だろう。ツァーリ殿が捕虜の処遇や反乱軍の実情を語ったとして、それが真実とは限らん。裏切りか、誤情報を掴まされている可能性もある」

「そもそも素直に話すか?大量の捕虜を捕らわれた無様を晒すだろうか」


 議論は泥沼だった。


 やがて、外務尚書が私に視線を送り言った。


「諸君、熱くなるな。ツァーリは敗軍の将に過ぎんが、言い分は聞いてやろう」


 非常に嫌な予感がする。まさかツァーリ殿を連れて来いとか言わないよな?


「トルベ君、ツァーリを連行して尋問せよ」


 ***


 一方、王国宿舎。

 粗末な椅子に腰をかけた青年は、くつろぐように背を預け、薄く笑った。


「……とでも言い合っているだろうな」

「……そうなの?」

「連中、俺をどう扱うか決めかねてたのかもな。とは言え俺に話ひとつ振らないとは思わなかったが」

「……」


 フィオナとツァーリが首を捻っている。セレナは考え込んでいるようだな。

 間が空いたし、今のうちに聞いておくか。


「ツァーリ、トルベ殿は実績がある外交官なのだろう?」

「そうだな、やり手の外務官僚だよ。存外帝国も交渉する気はありそうだ」

「なら、そろそろ来るかな」

「来るんじゃないか?」


 ふと、ジャックが音も無く近づいてくる。


「ヴォルフ様、恐らく来客です」

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